小林師範の続々指導日記
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2017/11/12(日) 『運動指導の心理学』(49:モチベーションの心理:内発的動機付けその6)
 本日は、県青少年中学生大会兼中学生選抜大会予選会(大和スポーツセンター)でした。私は、諸般の事情で参加できませんでした。志空会からは、形2名(西谷中学校経由は除きます。)、審判員1名及び補助役員6名での参加でした。結果は、志空会所属の女子選手が、形及び組手で選抜大会出場権を得ました。
 13時〜21時は、強化稽古(六会公民館ホール)でした。
 さて、タイトルの件ですが、今回は、「遊び理論としての内発的動機づけ」です。(P144)
 「人間文化は遊びにおいてー遊びとしてー成立し発展してきた」とドイツの哲学者ヨハン・ホイジンガは主張し、この考えは世界的に受け入れられて来ました。
 同じくドイツの思想家シラーは「人間は、言葉の完全な意味において人間である場合にのみ、遊び、また彼が遊ぶ場合にのみ完全に人間として存在している」と述べています。
 なぜ人間が「遊び」をして楽しむのかという事については、統一的な定義や理論は現時点ではないということです。しかしながら、「遊びが内発的に動機付けられた行動であるとする考え方が遊びの現代理論として有力」(P145)となっています。
 ですので、何かをしているから遊びであり又は遊びでないということは、意味を持たないということです。ある運動やスポーツをどのような動機で行っているかどうかにより、遊びになったり遊びでなくなったりします。更に、人間は幾つかの動機が重なり合ってある行動を取りますが、その場合、決して一つの動機だけに突き動かされるのでなくて、幾つある動機が複合的に働きます。それは、「動機の複合性」と言われています。ですので、外発的動機があるから内発的動機がないということにはなりません。
例えば、空手をする場合でも、友達と仲良くなれるという親和動機、保護者や先生に褒められたい(承認動機)、出来なかったことができるようになった(内発的動機)というような動機が重なりあっています。そのため「遊びか遊びでないかという非連続的な二分論ではなくて、どの程度強く内発的に動機付けられているかという連続体としてとらえる」ことが大切という事です。そして、「内発的動機付けが遊び要素、外発的動機付けが非遊び的要素」となります。この要素の割り合いは、人によって異なりますし、同じ人でも時間や場所や状況により異なるのです。


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