小林師範の続々指導日記
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2017/01/12(木) 「パンの日」 第4953回目
今日の午前中は、必尿器科に行きました。志空会大会の準備(お弁当の手配及び賞状のプレ印刷)をしました。午後は、少しですが、部屋の整理をしました。
 18時〜18時45分は、。横浜道場(上矢部地区センター)の幼年等の稽古でした。18時45分〜20時45分は、同所で通常稽古を形中心で行いました。
 さて、タイトルの件ですが、本日イトーヨーカ堂にお弁当の注文に行きましたら「本日はパンの日」という看板がありました。実は、初めて知りました。
 帰宅してインターネットで調べました。パンの日は、パン食普及協会が、1983(昭和58)年に制定しました。
1840(天保11)年、中国でアヘン戦争が起こりました。徳川幕府では、日本にも外国軍が攻めてくることを恐れ、その備えとして、パン作りを命じました。炊くときの煙で、敵に居場所が分かってしまう米飯に比べて、固いパンは保存性、携帯性がすぐれていると考えられたからです。
その後、1842(天保13)年4月12日、江川太郎左衛門という代官が、「兵糧パン」と呼ばれるパンを日本で初めて本格的に製造しました。パンの日は、この日を記念して作られました。
江川太郎左衛門日本人ではじめて本格的にパン製造を行った人で、伊豆韮山の代官であり、軍学者でもあったです。江川太郎左衛門の師に当たる高島秋帆の従者に、長崎のオランダ屋敷に料理方として勤め、製パン技術を覚えた作太郎という人がいました。そこで、作太郎を伊豆韮山の江川太郎左衛門宅に呼び寄せ、パン焼き窯を作り、1842年4月12日、記念すべき「兵糧パン」第1号が焼き上げられました。この兵糧パンを皮切りにして、その後に大規模な製パン所で、大量のパンが作られるようになりました。また、水戸や薩摩でも、同じようなパンが作られるようになりました。4月12日が、いわば日本のパン発祥の日であることから「パンの記念日」とし、そして毎月12日を「パンの日」として全国のパン屋さんがより一層のサービスに努めることを、パン食普及協議会がに定めました。
 で、私の朝食で一番多いのは、ここ1か月ではパンでもお米でもなくて、餅なんです。


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