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2016/07/14(木)
「完全な真理とは不完全を意識している真理である」
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今日の午前中は、ゆったりと読書をしました。午後は、上大岡で哲学の勉強会でした。 18時〜18時15分は、横浜道場(上矢部地区センター)の幼年等の稽古でした。18時45分〜20時45分は、同所で通常稽古でした。組手模擬試合をしました。 さて、タイトルの件ですが、哲学勉強という事で、19世紀のドイツの労働者であり哲学者のヨセフ・デイーツゲンという人の書籍を読みました。その中に「完全な認識は、定められた制限の内においてのみ可能である。完全な真理とは、不完全を意識している真理である。」という言葉がありました。 空手道に指導に置き換えてみました。(というのが私のクセです。) 「完全な空手道の指導は、定められた制限の内においてのみ可能である。完全な空手道の指導とは、不完全を意識している指導である。」という風になるでしょう。 誰にでもどんな状況でも適用出来る、完璧な指導方法はありません。どんな指導方法も、相手を状況に依ります。また、色々な運動理論・スポーツ理論も日々変わりつつあります。であれば、常に学習し、新しい考えや理論を取り入れる事が大切です。そしてそれは、常に今の指導方法で良いのだろうかと自問し続けるという事です。それは、今の自分に安住しないという事でもあります。 少し強引かも知れませんが、私はこう考えました。
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