小林師範の続々指導日記
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2016/06/30(木) When I'm Sixty-Four(僕が64歳になっても) 第4757回目
 今日の午前&午後共にゆったりしました。17時〜18時15分は、横浜道場(西が岡小学校体育館)の幼年等の稽古、18時45分〜20時45分は、同所で通常稽古を形中心で行いました。 
 さて、タイトルの件ですが、ビートルズの歌にあったんですね!今の私の歳に合う曲が!!まあ、歌詞の内容は、今は若いけれども年老いても変わらずに愛してくれるかい、というもので若い人をモデルにしたものです。そうそう、森高千里の「私がオバさんになっても」が連想されます。
(歌詞原文始まり)
When I get older losing my hair /Many years from now /Will you still be sending me a Valentine/Birthday greeting, bottle of wine
If I'd been out till quarter to three/Would you lock the door /
Will you still need me /Will you still feed me /When I'm sixty-four You'll be older too /And if you say the word /I could stay with you
(歌詞原文終わり)
次は、私の意訳です。
(意訳開始)
僕が齢を取って、髪の毛がなくなっても/まあ随分と先のはなしだけどもね/
その時でも君は僕にバレンタイン・カードやバースデイ・カードやワインとか送ってくれるかな?/もし僕が、夜中の2時45分まで夜遊びしてたら、君はドアをロックしてしまうのかな?/君はまだ僕を必要だと思ってくれるかな?/まだ君は僕の食事のの支度してくれるかな?/僕が64歳になっても/君だって僕と一緒に歳をとる/もしそう言えば君といっしょに居られるんだけどな
(意訳終了)

2016/06/29(水) 「はい!」か「YES!」か「喜んで!」 第4756回目
今日は、やよい台幼稚園の稽古がありませんでしたので、午前中及び16時までは、ゆったり出来ました。7月の配布資料の準備をしました。
16時30分〜16時45分は、湘南台カルチャーセンターの稽古でした。17時〜19時は、湘南台公民館体育室全面での自主稽古&団体形稽古でした。18時〜19時は、同所で私の指導による有級で小学2年生以下及び黄色帯の稽古でした。19時〜21時は、湘南台公民館体育室Bで、西塚先生及び組手指導部会による小学3年生以上で且つ緑帯以上の稽古で、組手中心で行いました。21時〜21時45分は、同所で自主稽古でした。
さて、タイトルの件ですが、この言葉は、私が子供の弟子達に冗談交じりで言っているものです。趣旨は、「はい!」という大きな声で返事をする事と、先生の言った事はしっかり守りなさい、という事です。
 先日、ある事で、その保護者がお願いをした時には応じなかった生徒に、私が同じ事をお願いをしましたら、即座にそして素直に応じてくれました。しかし、ショックだったのは、その生徒が漏らした言葉の「私には(師範に対して)拒否権がないから」というものでした。その時に思い出した言葉が、これだったのです。
いやいや、私のスタンスは、私に従順で盲目的に従えと言っているのではなくて、理由や理屈があれば、嫌(否)なら嫌(否)と言って欲しい、ちゃんと話し合って決めましょう、なのですが・・・
しかし、考えても見れば、空手道と道場内の事については、私はある意味「絶対的な権力者」でもある訳ですし、子供達(と会員及び保護者の皆さん)がそう考えるのも当然と言えば当然です。
で、反対に自分はそう見られているのであれば、これは自重をしなくはならないな、と感じた次第です。自重というのは、一方的に押し付けないで意見をきちんと聞くという事です。指示も強制的で一方的なものではなくて、必要性や理由を示すという事です。「俺の言う通りにしろ!そうすれば上手くなれるし強くなれる」というのではダメなんです。そういう指導や教育を受けた人は、その人が指導や教育をする立場になりますと、そういうスタンスになる可能性が高いのです。そういう人間(関係)、私は望みません。
ただ私の価値判断及び行動の基準は、個人の利益や好き嫌いの感情と社会(ここで言えば道場や空手会全体)の利益が一致しない場合には、後者を優先するというものです。少し奇麗事かも知れません。自分が100%いつでもそうだったのかと聞かれますと、YSE!とは言い切れませんが、基本的なスタンスです。そういう事で、自分のスタンスで「強くお願い」する事もあります。しかし、そこはあくまでもお願いであり、話し合いです。
そこであらため会員や保護者に皆さんにお願いですが、意見や提案は、遠慮なく言ってください。客観的な状況や私や道場の主体的な力量から、出来る事もあり出来ない事もありますが、お話しはしっかりお聞きし、出来る限りの対応をさせて頂きます。

2016/06/28(火) 老眼最悪・・・ 第4755回目
今日の午前&午後とも、ゆったり読書をしました。
16時〜18時は、藤沢総合高校空手道部の稽古で、組手中心で行いました。19時〜21時は、藤沢長後道場(下福田中学校武道場)でした。「団体形の日」でしたので、団体形も行いました。同武道場は、金曜日に大和道場の稽古に使用しておりますが、藤沢長後道場で稽古会場を確保できませんでしたので、大和道場のご好意によりお借りする事が出来ました。ありがとうございます。
 さて、タイトルの件ですが、昨日横浜市空手道連盟のホームページに6月26日の横浜市大会の成績がアップされていまして、それをダウンロードして当会参加者の成績一覧の最終確定をしました。しかし、40種目以上の入賞者をA4サイズで1ページにしたため、印刷しますと文字が非常に細かくなりまして、老眼の私にとっては、裸眼は当然の事、使用している老眼鏡でも見えません。丁度、ある所からペール付き爪切りをプレゼントされていまして、そのルーペを使って、苦労しながら「志空会横浜」の文字を探しました。目がしょぼしょぼでした。
 あ〜あ、歳は取っても良いですが、身体各部は若いままでいたいです。

2016/06/27(月) 横浜市大会&座間市大会の結果 第4754回目
今日の午前中は、ちょっとした契約をしました。その後、母親の実家に行き、買い物等をしました。17時〜18時15分は、横浜道場(新橋コミュニテイハウス/ケアプラザ)の幼年等の稽古でした。18時45分〜20時45分は、同所で通常稽古を組手中心で行いました。他の会派からの参加も、先週に引き続きありました。
さて、タイトルの件です、まずは座間市大会の個人競技の成績です。全体で、優勝0(2015年5)、準優勝1(同4)、第三位2(同9)及び第五位5(同9)で、入賞合計8(同27)でした。団体競技は、入賞ゼロ(同準優勝1)でした。
横浜市大会の成績は、全体で、優勝5(2015年0)、準優勝4(同1)、第三位7(同1)及び第五位10(同3)で、入賞合計27(同5)でした。
座間市大会は、入賞者大幅減で、横浜市大会は大幅増です。でも両方を合わせますと、優勝5(2015年5)、準優勝5(同5)、第三位9(10)及び第五位15(12)で、入賞35(同32)となります。あら不思議!でも、不思議ではありません!!昨日のブログの通り、横浜市大会の参加者が大幅に増え、座間市大会の参加者が減っています。全体の参加者(実人数)の合計は、今年は71名で2015年は59名でした。という事で、全体のバランスはまあまあ取れているという事です。
 それと、結果報告を以下の様なメール(一斉同報)で求めた為、昨日・今日と返信が大変でした。皆さんに(選手と保護者が相談して)一所懸命書いて頂いたものですから、必ず読んで、簡単ではありますが、返信させて頂いております。
(一斉同報抜粋転載開始)
成績(結果)をご報告ください。
特に、横浜道場の皆さんは、この大会は参加義務がありますので、必ず以下の内容を
ご報告ください。 @ 名前(フルネーム) A カテゴリー(種目) B 目標 C 結果 D 良かった点 E 克服すべき点 (3)その他の道場については、任意ですが、B〜Eを書く事により、経験や教訓を稽古や次の大会に生かす事が出来ま
す。
(一斉同報抜粋転載終了)
 その中で、嬉しくなる報告(メール)が何通かありまして、紹介したいのですが、送信者の承諾を得ていませんので、転載出来ません。でも、良い内容ですよ。(現時点では、転載するつもりはありません。私の「心の宝」にしたいと思っております。)

2016/06/26(日) 横浜市大会&座間市大会、で寝ます・・ 第4753回目
今日は、横浜市春季大会と座間市大会でした。
横浜市大会は、実参加45名(2015年13名)、形競技44名(同13名)及び組手競技32名(同8名)の参加でした。こちらは平本指導員が引率責任者でした。そのため成績の詳細は、現時点では不明です。
座間市大会は、実参加26名(2015年46名)、形競技26名(同46名)及び組手競技19名(同35名)並びに団体組手1チーム(同4チーム)の参加でした。こちらは私が引率責任者でした。成績ですが、女子が頑張ってくれた様です。小学1年生女子形第三位及びシニア女子形第三位並びに小学2年生女子組手敢闘賞3名及び小学2年生女子組手準優勝でした。男子は、入賞者はない模様です。
詳しい成績は、明日以降にまとめます。理由は、報告が全ては届いていないのと・・・疲れたからです・・・お休みなさい・・・
<写真:補助役員で参加した志空会の皆さん>

2016/06/25(土) 夢の中でもバットを振る男 第4752回目
今日の午前9時〜11時30分は、藤沢湘南台道場(六会小学校体育館)の稽古でした。13時〜14時は、日本武道館錬成大会にくるみ保育園分道場から出場するチームのための「特別稽古」でした。14時〜15時は、同道場の稽古でした。16時〜17時15分は、湘南台カルチャーセンターの稽古で、形中心で行いました。17時〜21時は、「特別稽古」(長後公民館ホール→第1談話室)でした。
さて、タイトルの件ですが、阪神の福留選手が、2千本安打を達成しました。本日、残り2本で臨み、4回の右翼線二塁打で王手をかけました。球場全体に高まる期待感の中、6回2死一塁の第3打席目、3ボールからの4球目を一、二塁間深くへ打ち返し、一気に大台に到達しました。
インターネットのニュースに依りますと、「夢の中でさえバットを振ってきた。若い頃からのケタ違いの練習量が衰えぬ打力の源」という事です。練習は、嘘をつかないという事ですし、また、こういう一流の選手に対して失礼かも知れませんが「練習は質より量」です。
その福留選手が「人生で一番振った」と話すのが、中日時代の2001年、浜松での秋季キャンプという事でした。山田監督の新体制となり、自身も打撃改造に着手し、フォームを固めるため、四六時中バットを握っていたと言います。朝目覚めると、必ず手に「異変」が起こっていたという事で、「朝起きたら、手がバットのグリップの形をしていた。起きてまず何をするかといえば、顔を洗う前に指を伸ばすことからだった。それから朝飯を食べに行っていた」という事です。確かに、夢の中でもバットを振っていたのかも知れません。ただ、電車の中や、駅やバスの停留所では、振っていなかった様です。(笑:少数の人にしか分からない「師範ギャク」です。)
そして、猛練習の成果で翌年(2002年)には、初タイトルとなる首位打者を獲得しました。巨人の松井選手が三冠王を狙っていた年で、結果的に彼の三冠王を阻止して、掴んだものでした。獲得には、大変な苦労があった様ですし、ベンチ(監督)の支えもあった様です。彼は、「タイトルの価値は、獲った者しかわからないというけど、獲ることで何かが開けることはある。あそこで獲れたのは自信になっている」と語っています。
その後は、変わらぬ練習量と年々深めていった自信をベースに、2006年に2度目の首位打者で年間MVPを獲得しました。更に2008年にメジャーリーグに挑戦し、500本近くの安打を積み重ねました。
努力の人!その一言に尽きます。

2016/06/24(金) 英国EU離脱! 第4751回目
 今日の午前中は、ゆったりと読書をしました。14時〜15時30分は、富士塚幼稚園の稽古でした。16時〜18時は、藤沢総合高校空手道部の稽古でした。19時〜21時は、大和道場(下福田中学校武道場)の稽古でした。形模擬試合と団体形の日という事で、団体形の練習もしました。
 さて、タイトルの件ですが、英国のEU離脱が国民投票(レファレンダム)で、離脱賛成52%、離脱反対48%で、離脱派が勝利し、離脱が確定しました。これを受けて、欧州株、特に金融株が全面安となりました。日本でも、円が一時100円を割り込む99円まで急騰し、株価が一時14,840円まで大暴落しました。
 離脱の要因や離脱派が僅差ながら勝利した理由は、ここでは書きません。また、その影響についても書きません。しかし、真っ向勝負の全国民を巻き込んだ論争自体に、民主主義の凄さと奥深さを見た様な気がして、一種の感動を覚えたという事は、書き残しておきたいと思います。以上です。

2016/06/23(木) 残念!終わっていました夏至 第4750回目
今日の午前及び午後とも、ゆったりと読書をしました。少し、ユーチューブの動画も見ました。18時〜18時45分は、横浜道場(上矢部地区センター)の幼年等の稽古、18時45分〜20時45分は、同所で通常稽古を形中心で行いました。体験入門者が一組2名いました。道場を何で知った聞きましたところ、4月の校門でのチラシ配布だという事でした。入学してまだ学校に慣れていないので参加を見送っていましたが、この時期になり学校に慣れて来たのと落ち着いて来たので、体験入門したという事でした。
さて、タイトルの件ですが、このブログのネタにしようと思っていました夏至ですが、6月21日という事で、既に過ぎていました。残念!でもネタにします。
夏至は、『日本の一番長い日』ではなくて、「1年で昼間が一番長い日」です。でも、梅雨の時期ですので、日照時間が長いという訳ではありません。
地球が傾て自転しているため、太陽は赤道ではなくて黄道という所を通ります。それで、一番「高い」所(赤道と一番離れている所)である「夏至点」を太陽が通過する時を夏至と言い、その日を夏至の日といいます。ですので、6月21日は「夏至の日」という事になります。
西暦を4で割って余りが0〜2までが6月21日で、余りが3だと6月22日にするという事です。(理由は、分かりません。)

2016/06/22(水) 残念!終わっていました「遠藤あじさい祭り」 第4749回目
 今日の午前中は、まずは家の中(パソコンの前で)こまごまとした事をやりました。終わりましたので、六会公民館と遠藤公民館に7月の「特別稽古」の会場の減免申請に行きました。遠藤公民館から小出川まで足を延ばし、アジサイを見て来ました。これについては、後で書きます。
 14時15分〜15時15分は、やよい台幼稚園の稽古でした。16時30分〜16時45分は、湘南台カルチャーセンターの稽古でした。17時〜19時は、湘南台公民館ホールでの自主稽古&団体形稽古でした。18時〜19時は、同所で私の指導による有級で小学2年生以下及び黄色帯の稽古でした。19時〜21時は、湘南台公民館体育室Bで、西塚先生指導による小学3年生以上で且つ緑帯以上の稽古で、組手中心で行いました。21時〜21時45分は、同所で自主稽古でした。
 さて、タイトルの件ですが、去年6月21日に開催されました「遠藤アジサイ祭り」ですが、6月19日(日)に終了していました。
(去年6月21日の指導日記より転載開始)
 植えられたアジサイは植えられてから年を経ていませんので大きな株も少なかったですし、少し時期的には早いという事と雨のせいもあり、ちょっと残念でした。でも、10年後位には大きな会場と規模になるのではないかと思います。なぜならば、それぞれの株は市民(住民)が寄付かなんかで植えた様で、株の前に名前が付けられていました。つまり住民を巻き込んでものだという事です。更に、年数を経ますと株も大きくなるからです。
(転載終了)
 感想は、昨年と同じです。そして、今日は、ちょっと曇り空でしたが雨は降っていませんでしたが、訪れていた人は、私の他二組で、ちょっと寂しかったです。鎌倉とか三浦とか箱根は、アジサイだけでなくて他の観光ものがありますので、平日でも賑わっているでしょうが、ここ遠藤は他に人を引き寄せるものがないので、致し方ないですかね?でも、10年後が楽しみですよ!
* 今年の「遠藤アジサイ祭り」概要
   開催日:2016年6月19日(日)
   時間:午前9時30分〜午後3時(雨天決行)
   場所:小出川(花とせせらぎの道)えびす橋〜大黒橋

2016/06/21(火) 懐かしくて嬉しくて 第4748回目
今日の午前中は、ゆったり読書をしました。16時〜18時は、藤沢総合高校空手道部の稽古でした。19時〜21時は、藤沢長後道場(長後公民館体育室)の稽古でした。21時〜21時45分は、同所で自主稽古でした。
さて、タイトルの件ですが、昨日(2016年6月20日)の『朝日新聞』で、タイトル:趙治勲九段が「名誉名人」に―囲碁界二人目― という記事がありました。
 私、在職中は「お昼休み囲碁人」でした。ザル碁でして、日本棋院の認定で言えば、「4級位」と日本棋院三段の人に言われた記憶があります。まあ、空手道で言えば、緑帯という事で、20年近くやっていても全然上達しませんでした。
 でも、囲碁は好きでした。また、強くなるために、その種の本や定石の本等も読みました。まあ私の場合「定石覚えて二目弱くなり」の方でした。この諺と言うか格言は、定石を覚える事を否定しているのではなくて、定石を覚えるとそこだけを見てしまい全体を見なくなってしまうという事です。ザル碁の私が言うのもあれですが、囲碁で大切なのは全体の局面を見るのとバランス感覚です。全体の局面を見るというのでは、打った相手の石の反対側を見るというがありました。バランス感覚というのは、相手もいる事ですし自分だけが一方的に良いという事はないという事です。自分もこれだけ地を頂きますが、あなたもどうぞ地なり勢力なりを築いてください、とうのが「好い加減の分かれ」と言われる定石なのです。っと話がそれてしまいました。
 実は、「囲碁界二人目」という事で、一人目は小林光一九段でした。ちなみに、職場の友人は私の事を「名人」と呼ぶのは、当時、小林光一九段の全盛期で名人を五連覇したからです。そして、趙九段ともう一人の武宮正樹九段は、「木谷門下」という事で、凌ぎを削っていました。とは、いうものの武宮さんは「宇宙流」という事で、ダイナミックな囲碁でしたが、地を競い合う勝負という点では、余り勝てなかった様に思います。でも、ファンは多かったです。
 「名誉名人」は、「名人位」というタイトルを五連覇又は通算10期獲得した場合で、原則60歳に到達したとき又は引退したときに名乗る事が出来ます。名人と共に棋聖及び本因坊を合わせて「第三冠」と言いますが、趙九段が初めて達成しています。更に、今年2016年、井山祐太名人がこの三つを含みます囲碁界の七大タイトルを独占しました。いわゆるグランドスラムですが、同じ年でのそれは囲碁界初めてです。(七大タイトル:名人、棋聖、本因坊、王座、天元、碁聖及び十段)、
 話がまとまりませんが、趙九段と小林名人の名前に触れる事が出来たのと、お二人と多分武宮九段も還暦を超えて頑張っているらしいので、勇気と力を少し頂いた様な気がします。

6月絵日記の続き


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