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2016/03/16(水)
思考の始まり?また昨日の続き 第4651回目
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午前中は、少し読書が出来ました。 14時15分〜15時15分は、やよい台幼稚園の稽古で「体験入門会」を開催しました。予想は「0でも良い」(宣伝=新学期に入門を考えて貰う機会としてチラシを配布)でしたが、結果は6名の参加でした。嬉しい誤算でした。稽古の最後に、卒園する年長さんを中心に記念写真を撮りました。 16時30分〜17時45分は、湘南台カルチャーセンターの稽古でした。体験入門者が1名いました。 19時〜21時は、湘南台公民館の稽古で、組手中心でした。また、当会のS指導員が全国組手審判員を受審するという事で、これから4週間、水曜日はS指導員を中心に組手実技講習会を開催します。外部の受審予定者にも呼び掛けをしていまして、今回は2団体3名の参加がありました。審判員同志で、色々とアドバイスをしあって、充実した講習会だったと思います。もう少しお越し頂ければ嬉しいのですが・・・でも、どの道場でも水曜日の夜と言うのは稽古日の様で、調整が大変な見たいです。また、来週は秋葉台文化体育館剣道場での実技講習会となります。 21時〜21時45分は、同所で「自主稽古」をしました。 さて、タイトルの件ですが、人間の思考とか認識を考えてみます。以下は、かなり単純化して述べていて、多少の厳密さに欠けるかも知れませんが、ご容赦ください。 人間の思考は、どの様に始まったのか?それは自然から自己の生きる糧を取り出した所からです。人間は道具を使います。人間は道具を持って自然に立ち向かいます。これを一般に労働と言います。どんなに社会が発達しても、人間が生きていくためには、この人間の特質である労働は不可欠です。また、労働が人間を人間として、進化させて来たのです。 さて、ある目的を持って労働をします。その結果は、上手く行くときもあります。しかし、失敗する事の方が多いでしょう。では、何故失敗したのか?と思うのです。では違った方法を、また失敗した。何故かと考えます。こういう事の繰り返しが、人間に思考とか認識を育成して来たと考えられています。人間は、労働を通して、それも失敗を通して思考を深めて来たのです。俗に「失敗は成功の基」と言いますが、「失敗は思考の基」なのです。でも、失敗の原因を考え分析しないと前進はありません。 言葉ですが、これは人間同士が共同・協働・協同して自然(特に大きな強い動物の捕獲等)に立ち向かうと良い結果が得られるところから、共通の意志や行動を生み出すものとして発生して来たと言われています。 人間は、言葉で思考します。どちらが先かというのは「鶏と卵」論争で余り意味がありません。相互に影響しあいながら、言葉と思考を発展させて来たと言う事です。 なお、この辺りは将来は哲学ではなくて、科学の一分野として、「人間の認識及び思考に関する科学」になるかも知れません。
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