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2016/03/14(月)
結果と経過(プロセス) 第4649回目
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午前中は、母親宅に行き、買い物などをしました。一旦帰宅してから、横浜道場のOH君お宅を訪問し、位牌にお線香を上げさせて頂きました。 19時〜20時45分は、横浜道場(泉スポーツセンター)の稽古で、組手中心で行いました。今日は、会場の都合で、幼年等の稽古はありませんでした。 さて、タイトルの件ですが、これについてヘーゲルという哲学者が著書の『精神現象学』 (訳者:牧野紀之 発行:未知谷)の「序言」でこんな事を述べています。 (引用開始) 事柄というのは、その目的(結果)において尽きているのではなく、その実現(過程)の中でこそ尽きているのです。結果は、それだけでは本当の全体ではなく、その生成過程と一体となった結果にして、初めて全体だからです。目的は、それだけでは死んだ普遍であり、傾向(出発点と過程)は、単に「何々したい」という気持(願望)に過ぎず、そこにはまだ実際の結果が欠けています。逆に、結果はそれだけでは、出発点と過程を背後に置き去りにした屍なのです。 (引用終了) 「事柄」というのは、「重要な事」とか「重要な内容」と理解してください。全体の要旨は、結果だけが重要ではなくて、実現過程というプロセスも重要です。しかし、プロセスだけ取り上げたらそれは単なる願望にしか過ぎません。他方で、結果だけを取り出したらプロセスとないがしろにするものです。重要な事は、結果だけでもなくプロセスだけでもなく、両者を一体として見る事である、という理解です。 まあ、当たり前の事だと思います。が、こういう文章を少しだけ頭を使いながら読んで見ると、「なるほど、そうだそうだ。でも自分の実際の生活や空手道やその指導ではどうなっている」とか考える機会にもなるのです。 * ヘーゲルについて:18世紀〜19世紀にかけて隆盛したドイツ観念論哲学の集大成者です。多分、中学か高校の歴史の教科書で「ドイツ観念論」とそれに対比しての「イギリス経験論」という言葉を習っているかも知れません。また、ドイツ観念論の大家としてフィヒテという人がいますが、この人も歴史の教科書で、ナポレオンがドイツに遠征した時に、それに対抗するドイツ諸国及びドイツ国民に出した宣言か『ドイツ国民に告ぐ』という事を、皆さんも覚えているかも知れません。 また、ヘーゲルは、哲学を少しでもかじった人は必ずその名前に触れる人で、ギリシャ哲学におけるアリストテレス的大偉人です。そのヘーゲルも、当時の諸先輩や過去の哲学を学んだいわゆる修業時代を経て、自らの哲学の成立を高々と宣言したのが、この『精神現象学』(守―破―離)です。
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