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2016/05/14(土)
冬と夏の間の着物
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今年は5月5日が立夏でした。 神田祭は7日 葵祭は15日
公家の装束は立夏をもって夏装束になります。 京都の人は「葵祭の行は冬もの、帰りは夏もの」といい、この日をもって夏物に変えるそうです。 一方、江戸では、神田祭から浴衣解禁です。
そして、ビジネスでは、5月から「クール・ビズ解禁」で、半そでワイシャツやノー・ネクタイになります。
だのに、着物の世界は「5月はまだ袷でしょ、単衣は6月ョ」なーんて言っていたりします。 いやいやいや、江戸時代、旧暦の4月1日は「わたぬき」と呼んで、着るものの厚みを薄くしました。今年なら 5/7がその日です。
そもそも「袷」ってなんでしょう?裏の生地と表の生地を縫い合わせたものって意味で、何の生地を使うかは問題ではありません。 公家の「夏装束」といったって、この時期のは生地こそ夏の「生絹(すずし)」ではありますが、袷仕立てです。
なのに、着物では「紗合わせ」は、縮緬単衣と紗単衣の間の時期だってことになっているんです。
一方で、袷にも、結城のように暖かい生地のものやお召のようにシャキっと涼しめのものもあります。個人的には縮緬は結城以下、お召以上の保温性かと。 5月に「袷」というなら、お召がギリですね。結城はもう4月に入ったら駄目。縮緬も4月一杯。
祖母達のお櫃を探すと、妙にヒラヒラした袷があります。 透けてませんし、裏は袷用のですから、これは袷なんでしょう。 数年前に購入した反物もそんな感じ。裏に真っ赤でも使えば色が透けるでしょうが、普通の白の胴裏を使えば、その向こうはすけません。生地が薄いので冬には見た目にも寒いです。 これは「袷」って言って良いのかなぁ。
って、いっても、そういうことを守らなくてはいけないのは、昔なら、勤務に行くとき、今ならお茶の席か結婚式の話。 お武家さんは家族の者にも同じように守らせたと言いますが、それだって、きっと「父親の見送り、お出迎え」位なもんでしょう。
立夏には夏装束になっちゃうお公家さんは、逆に「寒いときには、下に重ね着して良い」とちゃんと書いてあります。 盛夏は単衣かさねといってもう一つ薄着になります。 こっちの方が明確になっている感じですね。
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