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2016/11/27(日)
着物を頼むなら呉服屋で
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着物を新調するなら、呉服屋でだなぁと思う。 キモノ屋でもフリソデ屋でもユカタ屋でもなく、呉服屋で。 区別は簡単、電話で、相手の名乗りが 「フリソデのxxx屋でございます」 と名乗るなら、それがフリソデ屋である。以下同文。
何が問題なのかといえば「サイズ」 上記のカタカナの店と私の採寸基準が異なるのである。 ちゃんとこちらの細かい寸法を告げても「これは小さい」と反論することもあるし、さらに、その店から仕立てに出した裁縫士さんも、その店はそういう採寸をしていると思っているので、「この採寸表おかしい」とか「随分と小柄な人なのね」とか勘違いしてしまう。果ては店に呼び出されて、裁縫士と電話対応して「なーんだ、本当に『”普通”の並寸通し』で良いってことなんですね」となったことも。店長曰く、「勤務して20年、初めて聞いた」と。 これは極端な例ではあるが、「本当にこの寸法で良いのですか?成人式の着物の寸法で、今は寸法が変わっているのではありませんか?」とやんわり言ってくる店はカタカナ系では普通である。 私は今も昔も168cmである。成人してから伸びたわけではない。 今が「サイズを変える程太った状態」というならば、成人式のときにはミイラと同等である。
なんでそうなるか、 着物の採寸は昭和末期から平成にかけて変化が生じた。 昔は、腕を水平にして、二尺の竹尺で採寸した。 今は、腕は45°の斜めで巻き尺で首背骨、肩、肘、手首骨を通る線の長さを計る。
ちなみに、着物を着て、着物の肩折り目がどこを通るか見て欲しい。肩骨も肘も通らない。トドメに、衣紋抜くから首背骨よりも下である。
これで、45度式で計った寸法で仕立てると、腕を垂直に下げた状態で着物の袖口が手首の骨を超える。 某チェーン店の振袖のグラビアでは、実際、腕を垂直に下げたポーズで撮影されている。
私は着物で腕を垂直に下げるのはみっともないと言われて育った。 だから荷物は風呂敷に包んで、胸元で抱えるのであって、逆に木綿の着物で水桶なんかをぶらさげる場合は、袖まくりなんかしなくても腕がぬーっと程よく出てくれるわけである。
老舗の呉服屋だと、「ああ、そういう昔ながらの寸法の人なんだな」とすぐ感知してくれる。
6月の甥っ子の結婚式には、日本橋三越でシルックの付け下げを仕立てた。仕立期間はギリギリ。「寸法について質問が」なんて言ってたら間に合わない。しかも仕事帰りに閉店間際に駆け込んでのことで「この寸法でいいんですかぁ?」なんてのを説得する、暇も根性もない。 実際、テキパキと「時間ないんだけど、x日に仕上げられる?」と仕立師に確認を入れ、「寸法は?あ、これですね」と手渡した寸法図から、注文票の欄に転記。あっという間にお支払いに至った。 私の知っている範囲で、化繊の付け下げ扱っていて、老舗系のやり取りができるのは日本橋三越位しかない。 新宿伊勢丹は正絹着物売り場と化繊系で売り場も店員も違っている。ここは化繊は素人狙いなのである。
チェーン店がこうはいかないのは、お客様を着物の仕立てになれていない人と想定するからである。「自分の着物の寸法」だと言っても、ずっと着ていない着物の寸法だったりする。 しかも、着付け師に着つけてもらう場合は、45度採寸を前提とする。一度、着付け師に着つけて貰ったら、サイズが小さいとミソクソに言われた。大きいと思ったら、補正でタオルを巻くサイズが含まれているのである。胸の高さを同じになったから、胴&腰回り100cm以上になった筈。そうなると、マイサイズは確かに「小さい着物」。「補正するか否か」で着物のサイズは違うのである。
イマドキ、「普段から着物着ていて、マイサイズもある。自分で着られる」なんてのは福引で当たりが出る位のレアだろう。 都内のように、老舗もチェーンも隣り合っているくらいの場所では着物を着なれている人は老舗に行く。案外と手頃な品も扱っているので、老舗の品物は軒並み高いということはない。 というか、夏の麻襦袢で一番安いのは、行き付けの老舗店である。
補正なしのぐずぐず着付けの人間としては、そういうのを判ってくれる店の方が楽である。
あとは、老舗の方が私好みの色柄があるのもポイント。 チェーン店は店長が入れ替わると仕入れの傾向も変わる。 好みのセンスの店長もじきに転勤してしまうのがチェーン店を使う者の悩みである。
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