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2014/09/07(日)
昔の漫画ネタのデフォ
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昔の漫画のネタには「祖母や親戚に預けられて苦労した子」がよく出てきた。孤児院に預けられている子も。 両親が離婚などで片親となり、そこで様々な事情で子供を育てられなくなり、祖父母や親戚に子供を託す。 「タイガーマスク」は孤児院育ちだ。三原順の「はみだしっ子」はどの子も訳ありの預けられっ子達だ。「キャンディキャンディ」も孤児院育ち。 古い少女向け小説では「赤毛のアン」も「少女パレアナ」「あしながおじさん」も孤児院から新たな養い親に引き取られての話だ。
いつの間にか、そういう背景を持つ登場人物が消えていた。 最近だと「弱虫ペダル」の御堂筋くんが親戚預かり。 逆に「テルプシコーラ」の空美は、預かられないことで苦労する「巨人の星」の星飛雄馬タイプ。 全くいないわけではないのだが。
我が家の母やその兄弟も一時的に親戚の世話になった時期があり、そういう経済状況のレベルなのに、一時的には少しはマシな時期もあったのか、近所の小学校にも通えない経済状況の女児を引き取って、小間遣いとし、小学校にも通わせたという。祖母の葬式に来たその女性は「そうでなかったら、小学校どころか、着るものにも食うものにも事欠いていた」と話した。 私が娘を預けていた保育園でも、延長保育してもらえなかったら、私は、仕事を辞めるしかなかった。その保育園では「今の園児の親が園児であったときからそういう対応をしてきた」のだという。 「保育時間が終わったら、園児を門扉の外に追い出した」などという保育園もあったし、そういう可能性のある親の子は預からないという形で対応していた園もあった。 娘を預けた保育園には、足を向けて寝られない。
最近、親の虐待に合う子、戸籍のない子や、学校にいかせてもらえていない子が事件として記事に載った。 親が債権者に追いかけられているが故に住民票を登録できず、それが故に学校に行けないということも。 その子達の事情を読むと「親に託す」や「行政に託す(孤児院の類に入れる)」という概念がないことが目立つ。
経済的に行き詰った親が、子供に向かう精神的余裕をなくすことや、配偶者をなくした者が次の相手を見つけ、その際に連れ子が邪魔になることは、別に今更始まった現象ではない。
そいった境遇の子供達の逃げ場が縮小している。 近所のオバさんちに逃げることもできず、家に閉じ込められる。 親からすれば、そういった家に事情が近所にバレると、「もっとちゃんと子供の面倒をみろ」といった、言葉だけが投げられ、何ら救済としての手を差し伸べてはくれないからとも言う。 「近所の絆」のない場所では、他人の状況を手助けすることもまたない。「お互いに立ち入らない」それは良いことでもあり、悪いことでもある。自立していられるうちは良い。一人で立っていられなくなったとき、それは不幸に変わる。
いつから、子供の育児は、生んだ親「だけ」の責任になったのだろうか? その責任を果たしきれないとき、なぜ、親「だけ」が責められるのだろうか?また、親は責められると思うのだろうか?
そんなに大昔の話をしているつもりはない。 ほんの30年程前なら、まだ当たり前だった筈だと思う。
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