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2014/01/02(木)
年始廻り
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今年は酒田の夫の実家で年越しをした。 この家では元旦は家族で祝う。向かいの家の義母の姉とその息子夫婦を迎えてのお膳は2日に行う。
今年の着物は、薄紅というよりは梅鼠だろうか、ややくすんだピンク系の附下訪問着。新品ではない。結婚に際して母が誂えてくれた着物である。 先年、この色違いの萌黄系の反物が大伯母の遺品から発見された。 襦袢とセットで束にされた紙包みの表に私にとメモ書きされていた。私にくれるつもりで言い忘れたのだろうか?母に言いそうなものだが、母は聞いていないという。
娘は、格子に色糸を織り込んだ大島。絣模様がない珍しい大島。 大島特有の軽さはもちろんそのまま。娘のヒトメボレの逸品。
明治時代の小説家が当時の年始の話を書くと、男性は紋付き袴、女性も紋付きの着物に丸帯といった、今では結婚式でもそう滅多にお目にかかれない程格の高い恰好で、友人の家の年始に訪れている。 恩師や、仕事の上司や取引先といったところにも年始のあいさつにでかける場面が出てくる。 そういえば、かの大伯母の家はかつて商家で、奉公していた男性達が、年始のあいさつに来ていた。 母が私を連れて、年始あいさつに行くと、誰かしらに出会った。 就職して一年目の初出勤の日、母の着物で出勤した後、その大伯母の家に年始あいさつにいくと、そういった男性が2人来ていて、私を母と間違えた。彼らが母と一緒の大伯母の家にいたのは、丁度そのときの私位の頃。あの家にはまだ、そんな風習が残っていた。
この1年ばかり、はまりこんだ歴史研究書の読み漁りでは、武家は元旦に家族で祝い、翌日に家臣の挨拶を受け、以後、数日に渡って年始廻りが続く。終わるのは7日とも15日とも。仕事が始まるのはそれ以降である。
今はそんな風に、実際にお年始にうかがうというのはあるのだろうか?我が家も、実際に年始あいさつに行くのは両親のとこだけ。
年始廻りするとなると、黒紋付きもいるのだろうが、年始廻りがないから、そのための着物もないということだろうか。
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