優妃 讃良の着物についておもうこと
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2013/09/22(日) 戦煌 長月の宴
とタイトルすると、装束の話のようにも、戦国の話にみえるが、あにはからんや、ゲーム「戦国BASARA」の同人誌即売会のタイトル。

九月も後半に入り、先日の台風の影響か、一気に涼しくなったので、「透けない単衣」という、暦通りのお作法も辛くなさそうです。あれだけ暑かったこの夏。それでも、10月に入れば、ちゃんと袷が着られる季節になりそうです。
毎年のことながら、この気候の変動におどろかされます。

今日の衣装は、化繊の紗紬風の藍地の小紋、下は袖を薄縹にした半襦袢。袴は黒の夏の馬乗り袴。帯は白地に独鈷柄の木綿博多(風?)。
胸には九寸白扇と懐紙は比金襖(ひごんのあお)を重ねて。これは四季通用の色目重ねですが、二藍、黄、青(緑のこと)はお気に入りの色目です。その上に、萩花の「友禅模様」千代紙を重ねて。

ブルーメインのいでたちなので、メイクはシャドウを水色、口紅はブルーの入った牡丹色にしました。
今夏に主に使ったカラー・コーディネート。
秋色のワイン・カラー系はまだ暑い感じがします。

いつも訪ねる作家さんのテーブルを回って、差し入れの菓子を配り、その後はテーマ別のラリーを楽しみました。
今回は、参加卓に一文字づつが書かれており、そこから「キーワード」を見つけ出すもの。文字にはさまったカタカナがそれでした。

「ザ」のある卓で「これって、きっとザビー様の「ザ」だよね」などと話していたら、当りでした。全部集めて、賞品をいただきました。
残りの文字列は「ふしぎなふしぎな・・・」でした。

別のラリーで「ペーパー50枚、80枚集めたら」というのもありましたが、50枚もいきませんでした。こちらはさすがに難物。

「次は冬コミ?」といいつつ、次回の邂逅を約束して会場を後にしました。

2013/09/21(土) 風俗を作る
何そ、このタイトルは?と思われましょう。
普通なら、「風俗」は作るものではなく、調べたり、合わせたりするものでしょう。

何かというと、ゲームやアニメの二次創作品の話です。

元作品のストーリーに描かれていなかった時点を書くわけですから、まずは「元作品で描かれた風俗」を理解し把握することから始まります。
平安時代や戦国時代を想定した作品の場合には、補完資料として、歴史文献にもあたります。

とはいえ、史実の特定時点を想定したものではなく、「のような世界」の場合、史実だけを追うわけにはいきません。
そこは史実とは異なる世界であり、そこにはそこだけの「風俗」が存在するのです。

そして、このような二次創作の場合、いかに、元作品に語られなかった風俗を描きだせるかが、作家の力量になります。

戦国BASARAだと、日本の戦国時代をイメージしてはいますが、生まれた歳が極端に異なる人間が交錯し、当時ない筈の「湯呑に玄米茶」が登場する。安宅船に対するは、西洋式の船舶を乗り回す輩。
衣服も「南蛮衣装」ですら説明のつかないもの。
はては、「ザビー教」なる異国の宗教まで登場。ザビエルを想定しているわけですが、「日本に来て、『愛』に目覚めた」という新興宗教の教祖として描かれるので、元の宗教教義とは異なるわけです。そこに、史実ではキリスト教にならなかった大名までもが入信する設定。

そうなると、この部分にふれるストーリーを書くためには、この「ザビー教」を定義しなくてはならないわけです。
それは、入信した大名達が、どのような点でその宗教に救いを求めたかを考えなくてはなりません。
とすると、その前に「その人物はどのような状態におかれていたのか、それはこの世界において、『大名』という立場にある者には共通の状態なのか?」と追求は進みます。

とみると、戦国BASARAの世界では、『武将』達の意識は、史実の戦国時代の武将とは異なっていることが見えてきます。

・家臣を「仲間」と呼び、共にに自由を追う者
・領民どころか家臣すらいないようにしか見えない者
・電動や、複雑な動力機関の設計にかかりっきりな者

こんな武将がいるかと思えば、史実に近い

・お家のために己を殺して主君たろうとする者
・ただ己の領地をひっそりと守る者

などもいます。
その間に、はっきりと、日本全国全てをその手中におさめようとする者もあり。
信長と秀吉、家康は当然として、「生まれてきた時期が遅すぎて天下を狙えなかった」伊達正宗もそこに参戦しています。

そして、何より、史実ではありえない、遠隔交流。

これらを成り立たせる世界設定は、史実とはずいぶんと違うわけです。

この「風俗を作る」作業は結構面白いです。
特に「ザビー教」の奥義や儀式を定義するのは好きです。
元作品では『愛』を謳いつつも、金集めに貪欲である教祖。
それをある作家は「昨今もよくある金集めの新興宗教」と定義しました。はたまた『愛』から「性秘儀」をメインとしてR18に走る者。
でも、単なる「金集め」や「性欲望」だけではその宗教に走らないでしょう。それは今の新興宗教でも同じ。
彼らはそこに惹かれたのか?在来の宗教とは何が違ったからなのか?
私の書いている二次創作の定義の中では、ザビー教は、それを求めた者を不幸にはしない設定にしています。
もちろん、「ザビーは金集めに汚い」も守ってます。
それは両立すると思っているので。

そうやって作り上げた「世界」と「風俗」はこの現実とも史実とも異なるもの。

普段は何を着ているの?
どんな食べ物をどんな作法で食べているの?

こんなことを考えると楽しいです。

私の定義した毛利元就は、普段は狩衣姿です。
(人によっては、着流しや長着に羽織姿もいます。)

そして、座り方は楽坐(らくざ)。これを元就の座り方の特徴としています。他の武将は胡坐(あぐら)というか、武者座り。

ごはんは一人お膳です。一人で、もしくは愛する人とはさし向かいにお膳を置いて食事をします。

緑茶はありますが、湯呑ではなく、お味噌汁椀のような漆塗りの椀で飲みます。
甘いもの大好きの元就は和三盆の乾菓子や練り切りを常備。

と、微妙に史実とは異なるちゃんぽん設定。
当時の武将は普段は肩衣という裃の元になった衣服か直垂を着ていました。史実の元就も直垂姿で描かれています。
座り方は元就だと武者座りでしょう。今川義元だと楽坐の可能性がありますが。
ごはんは一人でします。妻や側室と食事は共にしません。
煎茶が一般化するのは江戸時代。この時期はお抹茶。
甘味としては干し柿と南蛮渡来の金平糖。饅頭はあったでしょうが、和菓子は現在のように洗練されてはいないです。和三盆糖も江戸時代に登場したものです。

違うとわかってても、元就には和三盆の練り切を食べさせたいなと思う。

2013/09/19(木) 中秋の名月に
本日、十五夜です。
先日、台風が通り過ぎたお陰か、空は一点の曇りもなく、煌々と輝る月を拝めそうです。
ツィッターの情報によると、今月の月齢15.0日は今日の20時13分だとか。
「今日はxx夜」と日単位で言いますが、新聞で見ると「月齢xx.x日」と小数点がついています。厳密には、15.0夜は一瞬というわけです。

さて、この十五夜の日、優妃は家で三方に月見団子を捧げて、装束で露天の宴をしてみたりしてきましたが、今年は、某神社で、舞楽が奉納されるとのことで、そちらに行って参りました。

見たいと思ってもなかなか見られないものの一つが、雅楽の演奏、舞楽や神楽の舞です。舞楽のための衣装も束帯や衣冠とは違うので、それらが見られるのも楽しみ。

本日の同行はお姫さん。
こちらは会社を早上がりしてきました。
銀座線のホームで待ち合わせたところ、降りてきたお姫さんが袋から出したものは、金のイカ、何やらダンゴ虫のようなものを抱いています。
「ご依頼の品です」としずしずと献上される。
お姫さんは、日中は友達と深海展を見てきました。
そこで売っているであろうイカのぬいぐるみを買ってきてと頼んだ次第。金色のダイオウイカと大王具足虫というお供。
コバンザメのように大王具足虫が供奉しているのだとか。
実物はナウシカの王蟲のようだと。
イカが金色なのは、今回、新発見となった「光にあたると金色に発光する」という現象をぬいぐるみに取り入れたもの。
さて、閑話休題。

会場は社殿の前に設置された舞台。雅楽の舞台なので、正方形で床には緑の布が敷かれています。織柄が見えるので装束の単衣の生地のような織物でしょう。

太鼓の奉納に始まる頃には日も落ちて、辺りは夕闇に包まれ始めます。都会の社殿なので、満天の星空とはなりません。
まぁ、満月が出てしまえば、星は見えなくなってしまうので、大きな問題ではありません。
残念なのは、この社殿は東に面して建てられているため、月は舞台とは反対方向に昇るとのこと。月と舞とどちらかしか見られません。
太鼓の次は管弦。揃いの直垂姿に垂れ烏帽子の奉仕者が幾人も。
笛のように小型の楽器は持参ですが、琴や太鼓のように大きなものは前もって運び込まれます。琵琶も事前運び込みでした。
もう一つ、笙(しょう)の前に謎の小鉢状のもの。演奏中、何やらそれにあてている様子。和楽器のオオカワが、小型の火鉢で焙って乾燥させながら演奏するので、笙も似たようなことが必要なのかもしれません。
音はといえば、西洋音楽で言うところの平均律の和声的には不協和音になる音の重なりです。それでいて、一つの「調和」を持っている。最初の曲は「双調音取(そうじょうのねとり)」という曲で、「双調」という調律に音合わせすることを曲としたものだと。
西洋音楽のコンサートの始まりのチューニングを思わせます。
続いては、女性の舞う「神楽」そして、男性の舞う「舞楽」と続きます。
この頃に、月が姿を現しました。予想通りに名月です。
群雲の間の月も良いですが、十五夜の月はこのくもりなき空に煌々と輝くのが好みです。

神楽の一つは「浦安の舞」、装束店で「浦安の舞」用の扇や裳などが売られています。名古屋の知人も浦安の舞を習っていて、奉納舞をしたことがあるので、割りと一般的な演目なのでしょうか。
ちなみに「浦安」とは、「心安らか」という意味で、日本の国の異名には「浦安国(うらやすのくに)」という言い方もあるのだとか。
「扶桑」「やまと」「あきつしま」「ひのもと」と並んで、日本を現す言葉です。しかし、どれも、のどかで穏やかな形容詞ですね。

唐楽は北庭楽(ほくていらく) 赤地の武官装束を片肩を脱いだ着付けで。典型的な左方舞のいでたちです。
帽子は「鳥甲(とりかぶと)」
楽曲は「唐風」なわけですが、中央電子台制作「三国志」に出てくる曲や舞を「見覚えてきた者が国内で伝授するとこうなるかな」という印象でした。「三国志」に比べると、音も動きもゆっくり。

国風(くにぶり)楽は、登殿楽(とうてんらく)薄緑の武官装束に巻纓(けんえい)冠。蛮絵が刺繍されています。元々は蛮絵装束は衛府の官人達の服で、狩衣の袖が縫い付けられたような形態でしたが、舞楽装束としての蛮絵装束は、武官束帯と同じでした。
ところで 闕腋袍(けってきのほう)は、袖は見頃に全て縫いついていると思っていたのですが、今日見た舞の装束は狩衣のように上半分程度しか見頃に縫い付けられていません。
あれれ?装束の場合はどうなの?、
現在、「女房装束の袿(うちき)の袖は平安期は振りはなかったか」の証拠を絵巻図から探しているのですが、これは闕腋袍も、同じように探さなくては。

装束を着て、これだけ動き回るというのは、舞楽をおいてはありません。普通はしずしずと動くだけです。
なので、「手を上げると、袖はどうなるか?」といったことがじっくりとみられました。これは、絵巻で形状を見るときにも役に立ちます。

で、舞や楽の方はどうなったかって?

やっぱり、気になる方を注視してしまうわけで ^^;)
弓道をするお姫だと、足運びに目が行ったようです。
「基本、右足から出してるんだね」とな。

そして、名月を背に、家路へと向かいました。

2013/09/01(日) 二百十日
残暑厳しき昼下がり、一天俄かにかきくもり、雷鳴の近づくや驟雨の到来。

なーんて、風情のある言葉でいたいもの。

「猛暑からゲリラ豪雨」ではやはりなんとも。

「映像歳時記」で節気に合わせて、唱歌を流していました。
私には懐かしいものですが、最近の小学校では、音楽の教科書から唱歌を減らす方向にあるとか。
「光景は時代遅れ」「用語が難解」が理由だとか。
何やら「風情」を軽視しているようです。

私の子供の頃、、既に、そおような光景も用語も一般生活には無縁でしたが、といって唱歌の歌詞の用語を解説された記憶もありません。大人になって、再度、であった際に「この単語って、こういう意味だったのか」と初めて気づく。
「箱根八里」もそんな歌。そもそも「箱根の山」と習ったような。
習ったのは幼稚園の時でした。夏の一週間を箱根で過ごすにあたり「箱根」について習ったことの一つでした。
他は、「登山鉄道は行ったり来たり(スイッチバック)しながら登る」とか「箱根は火山で温泉が湧く」とか。


♪箱根の山は、てんかのけん

 かんこくかんも ものならず

 ばんじょうの山、せんじんの谷

 前にそびえ、しりへにさそう

 雲は山をめぐり、霧は谷をとざす

 ひるなほくらき、す〜ぎの並木

 ようちょうのしょうけいは苔滑らか

 いっぷかんにあたるや、ばんぷもひらくなし

 てんかをたびするごうきのもののふ

 だいとうこしに、あしだがけ

 はちりのいわね、踏みならす、

 かくこそありしか、お〜じのもののふ

二番

 箱根の山は、てんかのけん

 しょくのさんどう ものならず

 ばんじょうの山、せんじんの谷

 前にそびえ、しりへにさそう

 雲は山をめぐり、霧は谷をとざす

 ひるなほくらき、す〜ぎの並木

 ようちょうのしょうけいは苔滑らか


ひらがなのところはよく判らなかったところです。
「かんこくかん」や「しょくのさんどう」は中国にある地名で、
箱根の山はそれよりももっと嶮しくですごい山という意味位は習いましたが、函谷関にまつわる逸話も、蜀の桟道の逸話も、三国志や「項羽と劉邦」、鶏鳴狗盗の話(さらに、百人一首の、「とりのそらねは はかるとも」で逢坂の関に対峙される逸話)を知るに及んで「おお、あの歌の地名はこれか!」と感動するような状態でした。

でも、それで良いのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか?
だって、三国志を知るまで「箱根八里」の歌を知らないでいるようりも、判らなかった歌詞の意味をそこで知って感動する方が良いのでは?

幼児は、個々の単語の意味を知らなくても、歌全体の印象は理解します。

今は護岸工事された海辺に立っても、「わ〜れは海の子、しらなみの、さ〜わぐいそべのまつばらに、け〜むりたなびくとまやこそ」と歌っていいのでは。
「いそべ」も「とまや」も何だかわからなくても、最初はいい。

そんな風に思えないのかと。


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