優妃 讃良の着物についておもうこと
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2013/07/27(土) 年配は着物が着れる、って本当?
炎天下、でかける先は某研究会の分科会。
場所は某先生のお宅。

お年を召した先生にふさわしい、年代を帯びたお宅は、私が子供のころに過ごしていた家と同じ雰囲気で、ほっと和みます。

今日の着物は、この夏に調達した白地に薄藍で露芝柄を描いた紗の

化繊(げらげら)

それに黒無地の馬乗りの夏袴。

髪はとき下げに、萌黄、薄紅、花田の三色重ねに三分幅のリボンを巻いて。(さて、これは重ね色目では何と呼んだか)

今日の参加者で着物姿は、まずは先生。藍の絞り浴衣はあちこちに色むらが見えるので正藍ものですね。
若い男性は濃紺の単衣。「何の生地か見てほしいの」と着てきたという女性の方のは、古い宮古上布であろうとのこと。藍地に飛び柄で大きな柄が白抜きされているのですが「宮古の大柄」といって、昔あった柄ゆきだそうな。今の宮古上布には見られない柄です。

「着物で暑くなかった?」と聞かれましたが、「洋服じゃ暑くて」と答えます。
着たことのない人には意外に聞こえるかもしれませんが、本当のこと。
昨今の炎天下では、素肌を曝している方が暑く、洋服でもショールだの袖カバーだのをするのが普通になってきました。
でも着物なら、最初っから袖がショールみたいなものです。

構内の涼しい冷房の冷気はすっと肌にとおるのに、戸外のムワっとする熱気は着物にガードされて冷房で冷えた空気を着物の内にすこしは保留してくれます。
そして、体温より暑くなる戸外の熱気に比べれば、着物と肌の間は体温までです。比較すれば涼しいといえます。

肌襦袢は綿麻混の楊柳地、裾除けよりも汗には便利な楊柳地のステテコと夏素材。伊達締めもメッシュだし、帯抜きで夏半襟を伊達締めに挟んだだけのモドキ。袴の腰ひもの上から少し覗くさまは絽地の名古屋帯に見えます。

「補正?」どこの国の言葉ですか?

汗をかかないわけではありません。
汗は液体ではなく、水蒸気となって揮発します。
なので、水分補給は重要。この日一日で、手持ちだけで1リットル、お邪魔している間にいただいたお茶は何杯か。

「暑くない」んじゃなくて「暑く感じない」って方が正しいですね。

会が終わって、帰りの電車をご一緒した方が意外な告白を。
80歳を過ぎておられるその方は、着物を一人で着られないのだそうです。
そもそも、ご婚礼の際に「着物はいらない」とお持ちにならなかったとか。
「この歳だと、着物って当然に着られると思われるのよねぇ」
と困った顔をされていました。

私の祖母の世代には着物は当然に着られるものでした。
今、生きていれば110歳位になります。
それが、戦後、着物は普段に着ているものではなくなり、洋服が一般化してきました。
母の世代(今70歳位)だと、もう着る習慣のない人がいました。
どの辺にその境界があるのかなと感じていましたが、もう少し上の80歳辺りでも着るのは一般的ではない世代のようです。

普通の方ならば、誰もきにしないでしょうけど、この研究会に所属しているのは、皆、着物にゆかりのある研究をされている方です。
ご当人も、着物の仕立てはできる方。
それが「着れないのよ」というのは、かなり意外に感じるでしょう。

「着物が当たり前ではない年代」その上限は段々と上に上がってきています。

2013/07/20(土) 病院だって着物だよん
一時期の猛暑があったせいか、30度程度では「涼しい」と感じる今日この頃。
先月来、の咳ぜんそくの治療で医者に行きました。
今日の着物は、浴衣下という、肌襦袢と裾除けが合体したワンピースタイプに、竹仙の長板中型小紋の綿縮、黒の弓道夏袴。
帯は伊達締めに夏半襟を帯のように前に挟んだだけ。
(病院の場合はここがポイント)

一渡りの問診が終わり、「じゃ、ちょっと胸に聴診器あてますね」と。
このために、通院の場合は「前を開けられる服装で行きましょう」なんてのが当然とされ、「だから着物は無理よね」と普通は考えます。

さて、ここで、先ほどのイデタチが威力発揮。
「はい」
と一声、着物の衿をぐわばっと開襟。
帯をきっちりしめていたり、補正をガッツリしていてはこれはできません。
「後ろも診ますね」
「はい」
と次は開けた衿を後ろへぐっと抜き衣紋。
「はーい、終わりました」
と言われたら、抜き衣紋を戻して、前衿を伊達巻の下から引いて「衿を正して」出来上がり。
袴の強みは、お端折りが長いこと。昨今はやりの「帯下5cm位が目安です」なんてお端折りでは、これはできません。
裾から見えないようにするために、ひざ下からふくらはぎ位に着つけると、お端折りの中に腕を通しても余裕。
下前になる衿もきれいに引けます。

採血だって、着物の袖はゆるゆる。サっと腕を出せます。

でも、昨今、着物で来院する患者さんはまずいないと見えて、お医者さんの「うむ、困ったな」顔は必ず見る次第。

今日は二回目なので、勝手がわかっているせいか、顔色も変えずに聴診におよびました。

2013/07/08(月) 武家の所縁を辿るとは
世界遺産に富士山が登録されました。
「自然遺産」かと思ったら「信仰の対象としての」という寺社の類での登録らしいです。富岳信仰ですね。
三保の松原まで入ったそうで、これで、海をはさんで、松原、海、富士山という風景も対象と。
ニアリィな風景が、イタリアのベスビオス火山なのが「テルマエロマエ」で出てきてビックリでした。
「ローマの松」はレスピーギの曲にもあるように、有名らしい。

一方、落選したのは鎌倉。
「武家政権発祥の地」としてエントリしたそうですが、協議会の指摘は「武家に関わる『遺跡』の類がない」と。
そういえば、「政所の跡」とか、「北条の屋敷跡」とかって、ないんですよね。
『鎌倉』と言えば、「鶴岡八幡宮」!
石段の大銀杏は公暁が三代将軍を討った際に隠れたところ。
静御前が舞った舞台とか。
そも、鶴岡八幡宮自体、頼朝が戦勝祈願をささげた場所。
そして、鎌倉仏教発祥の地でもあることを今に残す寺社群。

海外的には、寺社群は「鎌倉政権の所縁」とは見ないのでしょうか?

日本人は、そういうものを見て、往時の武家政権に思いをはせるのですね。

そも、江戸幕府の跡もないです。
三の丸から本丸跡に辿れば、番所跡や石垣跡は見られますが。

室町幕府の花の御所は跡もなしですね。
「室町」といったら、義満の金閣、義政の銀閣と思えるのは日本人の発想なのでしょうか?

平清盛の政権だと、六波羅?それとも、福原?
というよりも、安芸の厳島ですよねぇ。

奥州藤原の栄華も、屋敷跡はすでに焼失。
平泉の寺群が往時をしのばせます。

日本は木造だからなのか、スクラップ&ビルドしてしまうからか、武家政権の跡はどうも希薄。
城郭が残っている場所は順位的には歴史的に重要なところじゃない方が多い気がします。大阪城も既に「日本で一番古いコンクリート建築」ですし。
大阪城に匹敵するといわれていた広島城を原爆で焼いたことは、ぜーったいに許せない。名古屋城も空襲で焼失です。
歴史的に重要な場所は後世も重要拠点なので、こうなっちゃうんですよね。

2013/07/02(火) 夏袴
着物が夏モノなら、袴だって夏物です。
冬は帯地のような厚手でハリのある生地ですが、夏は紗、絽といった生地になります。
薄手ですから、まんまだと透けます。
装束でも、紗地の仲間のような張はあるけど透ける生地を袴地に使います。麻地もあります。
麻地や麻混は単衣でも大丈夫だけど、絹や絹風化繊の紗地の場合は裏を付けないとスケスケ。「見た目ほど涼しくない」です。
源氏物語の絵図だも、これを正しく描いたのだと、指貫の下から下袴の緋色が透けて色っぽく描かれています。

という優妃が去年から普段穿きしている夏袴は、「弓道用夏袴」です。
お姫さんが弓道部に入ったので、袴の調達先として弓具店があることを知った次第。
何せ、呉服屋経由では、卒業式用限定なので冬物オンリー、神職向けは夏物はあれどオーダー品で高い。(安物は「合い」という通年用になります) これが、弓道用なら、夏物でも6千円で入手可能(某店の価格ね。他の店だと違うかも)しかも、サイズは5cm刻みなのでオーダー同様。色が黒一色な位は許容しよう。

という製品は、冬物よりは薄手の平織化繊で透けない。
しかも、馬乗りと行燈の選択可能。
トイレの簡便さでは行燈ですが、ロングスカートと同じになるので、階段の上り下りの簡便さでは馬乗りに軍配。
トイレも、マチの低いのだと、片方に両足を移動した上で行燈式のようにまくりあげれば問題なし。

ちなみに、武道袴は、弓道、剣道などで仕立てが違うそうです。
ひだの数や位置、幅が、それぞれの武道に合った形に進化したとか。
弓道の場合は、足を肩幅より広めに開いてすっくと立った姿が一番美しく見える仕立てなのだそうです。
大正時代のハイカラさん袴との大きい違いは丈。
くるぶしが見えない位が目安ですから長めですね。

弓道部所属のお姫さんからは、ハイカラさんに短めな袴丈の優妃を非難する声がしばしば。

ちなみに、優妃のよそゆきの夏袴は正絹絽。裏ありですが、正絹の強みか結構涼しいです。
というか、腰はそうそう冷やさなくても暑くないということか。

2013/07/01(月) 夏着物
7月突入。文句なく、夏着物の着用の季節です。
6月は「透けない単衣」の季節ですが、冬物の袷にも使えそうな縮緬の単衣仕立てじゃないとダメとか言う人もいます。
が、そういう生地だと、昨今の気候的には5月がいいとこ。
装束だと、旧暦4月から「夏モノ」ですが、昨今の着物と逆に「夏生地の袷仕立て」を冬物と同じ枚数だけ着重ねます。
秋篠宮のご成婚の際のお装束がこの例になります。
皇太子のご成婚の方は冬装束です。

装束は6月から「ひとへかさね」、つまり、単衣仕立ての衣をかさねる月に入ります。旧暦とはだいたい1か月ズレですから、新暦の7月からがこの季節です。

着物も「透ける紗の単衣は7,8月」ですから、ここは同じ。

前置きが長くなりましたが、つまりが「スケスケ着物の季節」到来!というわけです。

優妃はこのスケスケ着物が大好きです。
平安時代だと、袷の着物も、蚕の糸が細かったせいで、裏の生地が透けて、裏の色が透ける効果を狙ったわけですが、今の装束地は帯地と同じですから、ほとんど透けません。
着物も袷用の縮緬はやはり「白地表だと印象が違う」程度なので、以下同文。

その点、紗地は違います。スッケスケ、で下の生地がバッチリ影響します。
6月に着る「紗袷」という着物の場合は、表は無地紗とか流水紋で裏側の絽に鯉や金魚を描いたりして、透かしの妙を楽しみます。7月に入ると、これが単衣になるので、今度は長じゅばんの柄を見せる形になります。

京都の紫織庵の夏襦袢はこの効果を想定して強い色のものや、柄の鮮やかなものがあります。緋色の長じゅばんに濃藍の紋紗なんか、ゾクっといいです。緋が端々にチラ見えし、全体は紫っぽい感じになります。白抜きで鯉なんか描かれているとそこだけが藍になって浮き上がります。

最近は「緋縮緬の襦袢」とか「緋の胴裏」とか、赤味の強い裏モノが手に入りにくくなりました。
大島や藍染めの紬や浴衣には、緋のチラ見えっていいのに。
八掛けも緋を探すのが苦労です。
お姫さんの成人にあたってあつらえた大島の八掛けも店にある見本になくて、他の業者の見本をいくつもあたってもらった程。

装束では、夏の花を想定してか赤の色目が夏向きとしては目立ちます。なんか暑苦しそうだけど、きっぱりと赤い紅花染めは案外と涼しいさっぱり感があります。
そも、紅花の収穫期は初夏。「採れたての紅花で染めた衣」となれば、この時期の衣服になります。案外と「旬の染色」なのが理由かも。
秋になって涼しげな露草で染めた衣服が出回るのも、露草の季節が晩夏だから。
「採れたて=>即使う」が案外と当時の発想だったりして。

今年の調達化繊夏物は、白に近いベージュに薄花田で流水を描いたもの。化繊では今までにないスッケスケ生地です。下に薄水色の襦袢を着ると水色の着物になっちゃう位スケまくり。

そういう着物は腰回りも丸スケで安心ならないものですが、私はホレ、袴ですから、その心配は全くなし。


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