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2013/03/09(土)
戦国史研究会
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戦国史研究会に初めて参加しました。 これは、戦国時代に関する研究を行なっている方々の集まり。 所謂、学会の一つです。 その割には敷居が低く、「会員の推薦がないと駄目」とか「会費払ってないと駄目」ということなく、月例研究会の参加は自由とのこと。 勿論、発表内容は学術研究レベル。 今回は修士論文の一つで、「細川晴元被官時期における三好氏と晴元被官衆の立場」でした。 研究内容としては、本願寺に残された書簡のやりとりから、三好氏の立場を推測しようというもの。 この時期、三好氏というのは、一族の棟梁である長慶だけでなく、分家の政長が似たような立場で足利幕府に参画していました。この二人の立場は他の学説でも政長の方が優位とされているのですが、この本願寺の書簡でもその辺がわかります。ただ、本願寺は三好の棟梁が長慶であることも気づかっている節もうかがわれました。 そして、懇親会。「博士は博士としか話をしない」という話も聞きますが、ここはそんなこともなく、また「学術研究家はアニメや漫画、そのTV化は話題にしない」ということもなく、「信長のシェフ」のTV版の話が出ていました。 そして、当然ながら、話は研究のこと。 意外な情報として「信長が火薬や弾薬を調達していた場所が不明(調達記録がない)」とのこと。堺に代官を置き、懇意の商人もいたので、堺に違いないと疑っても見なかったのですが、それはあくまで「仮設」に過ぎないと。研究者はその証拠となるものを捜し求めるのです。 私の本業であるIT業界では、それは当然のことです。 それが学術研究であっても同じなのだとあらためて納得。 断定するには、やはり証拠があってナンボ。 宴会の2時間の早いこと早いこと。 今回は二次会は遠慮しましたが、次回はもう少しゆっくりとお話をさせていただきたいものです。
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