優妃 讃良の着物についておもうこと
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2013/03/03(日) 正しい雛衣装は?
本日は、雛の節句。5月5日が「端午の節句」というのは知られていますが、3月3日も同じ言い方があります。「上巳(じょうみ)の節句」。端午の「午」が「五」に通じるように、上巳の「巳」が「三」に通じるとか。

人形(ひとがた)の撫で物を体にすりつけて穢れを移し、それを水に流すという「流し雛」を行なう日です。

基本的にこの奇数月の節句は「穢れ祓い」です。
三月の桃、五月の菖蒲と蓬(よもぎ)、七月の笹、九月の菊、どれも穢れ祓いの意味を持ちます。

さて、流し雛がどこで今のような雛飾りを飾る風習になったのかは判りませんが、今や、様々な色柄の衣装をまとった雛達が登場。

「源氏物語」にも幼い頃の若紫が、このような人形で遊ぶシーンがでてきます。「これはお兄様」とか言っているので、男性の人形もあったようです。
つまり、「節句のための飾り物」ではなく、遊ぶための人形。
古いお雛様には、こういう用途であったのではないかと思われる、様々な衣装の雛人形がいます。
男性のでは狩衣、直衣、束帯があり、女性のでは小袿、裳唐衣など。

今節句の雛人形は「ぽく見える衣類」から始まったようですが、今では「うちの衣装は、ちゃんと五枚仕立だよ」とか「脱がせるとわかるが、人間の着るのとまったく同じ」といったものまであります。
生地では「有職生地使用」がいかにも「俺様正しい」というイメージ。
といっても、「使っただけ」で、女雛に狩衣用の柄を使ってたり、表生地だけで、重ねや一番下の単衣はいい加減なものもあります。

また、「どの時点の時代の装束を模したか」で大雑把に2系統に分かれています。江戸時代、女房装束には「掛け帯」といって、裳の紐を帯地のような素材で作り、肩から襟のように掛けるという風習があり、お雛様の衣装の一パターンはこれです。
対するは平安時代のタイプで、単純にいえば、この掛け帯のないタイプです。

この時期、菓子売り場などにも内裏雛が飾られています。
今年「あれ?」と思ったのは、その某売り場にあった雛人形。

黄櫨染(こうろぜん)の桐竹鳳凰麒麟(きりたけほうおうきりん)紋の生地の男雛が太刀を佩いていました。

この生地は帝のみが使える紋と色目なので、この男雛は帝を表わしているわけです。しかし、帝は太刀を佩きません。というわけで「あれれ?」と。

で、「そういえば、雛人形の想定位階ってどれ位?」と。
男雛が太刀を佩いているのが普通なので、どうやら武官クラスのようです。

呼び名から推測するのも一つです。
といっても、最上段に並ぶのを「お内裏様」というので、そうすると帝でしょうか?
「親王飾り」という言い方もあります。これだと親王様ですね。

下に並ぶメンバーから上を推察するのも一つです。
御殿のような凝った段飾りの場合、母屋(もや)にあたる部分にお内裏様が並び、廂(ひさし)の間というその前室になる部分に三人官女、縁側に五人囃し、ここで階(きざはし)が入って、階の脇に随身(ずいじん)が左右に並びます。その向こうが衛士。

そもそもこの呼び名なんですが、私の手持ちの雛人形では「随身」なんですが、「雛祭」の童謡では左大臣と右大臣と呼ばれています。
でも、人臣の最高位である左右大臣が階の下は変です。
それに、彼らは武官を意味する冠を被り、背には矢を負い、手に弓、腰に佩刀。どう高くみても右近衛大将、左近衛大将です。
生地の柄の差はあれど、彼らは高齢と思しき白鬚の方が緋色の衣装、若者と思しき方が紺色の衣装なので、緋色は四位相当、紺は五位以下です。とすると中将クラスと少将クラス。

衛士(えじ)は仕丁と書かれているものもあります。
丸笠、長笠、沓台を持っています。
衣類は水干に膝までの袴。狩衣に指貫を着ている場合もあります。平安時代、位階のない私的使用人は雑色(ぞうしき)と呼ばれましたが、これは、様々な色の狩衣を着ていたからです。
狩衣姿の場合はこの雑色を模しているのでしょう。

官女は白地の小袖に緋袴か、それに袿を羽織っただけが一般的。
江戸時代、仕える女房達は緋袴すら窮して、複数人で持ち回りという状態だったそうです。とすると、江戸時代想定か。
平安時代には、主人の前に出るには裳唐衣は必須でした。
女主人が裳唐衣とつけているからには、配下が裳唐衣は当然。
もちろん、生地のレベルは主人より下です。染め色は薄い、地紋はない。裳は無地とかになります。

ところで、この雛を模す対象、「公家」と想定して書いていたのですが、実は「江戸時代の武家」と想定することもできるのです。
何せ、徳川の将軍は代々内大臣です。水戸は中納言。会津は中将と、それぞれに位階と朝廷役職を持っています。
こういうランクの人々、そしてその奥方の最上位の正装はやはり、こういった装束なのです。正月元旦の拝賀のような公式行事では将軍は黒の束帯、以下、決め事に従い位階の色の束帯を着用。その妻は裳唐衣姿。

武家は内大臣である将軍といえども太刀を側に置きます。
一番多く出回っているお雛様は、この「某高ランク大名の正装」とするのが一番収まりがよさそうです。

とすれば、男雛の衣装は黒の束帯に垂エイの冠です。
女雛は許しが出ていれば赤の唐衣(許しは出ていることにしましょう)。これで赤と黒で見栄えも良く。

まぁ、雛それぞれが様々な人を想定していると考えれば、何もただ一つの「正解」となるわけではないです。

私の雛壇飾りは、どうやら、江戸時代の有力大名クラスの正装想定。
「お雛様は平安時代のだから」とお道具揃えでは駕篭を買って貰えなかったんですが、このお雛様には駕篭はあってもよかったようです。逆に牛車があった方が変。


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