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2013/03/18(月)
風俗史学会 服飾史分科会
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会社を定時退社し、駒込で行なわれるという服飾史の分科会を目指します。 会場は某マンションの集会室。億ションらしきマンションは、最近としては珍しく管理人さんがいました。オートロックを開けていただき、集会室に向いましたが、経路を間違えたらしく、駐車場に出てしまい、元に戻れなくなった私は再度、エントランスから管理人さんを呼び出し、今度は、道案内をしていただいて、集会室にたどりつきました。
参加者は私を入れて6名に分科会担当の先生。 今月から参加が私ともう一人、先月から一人、急に参加者が倍増ということでしょうか。
先生は、やはり有職故実に詳しく、衣紋者といって、装束の着付けのできる方でした。 そのくせ、気さくな方で、大学研究室に所属していない者でも歓迎とのこと。なんと嬉しいことでしょう。
曖昧にしようとした勉学経歴も「京都の装束店って、xx?」「東京だと、そういうことしてるのってxxさんとこでしょ」と丸バレに。というか、そのルートから誰か来るのではと思ってたらしいです。「くるべき人がきたよ」と言われました。 「コスプレイヤーから来る人はごめんだ」などとは言いません。 でも、なかなか、そのルートでここに辿り着く人はいないようです。
似たような経歴の参加者がもうお一方。老後趣味のカルチャー・スクールからスタートしてここまでおいでになったおば様です。 あとは大学研究室ルート。
「江戸時代中期御所風儀攷−後櫻町天皇の装いを中心として−」
ということでしたが、今回は、メイン教材ではなく別ペーパーで「お印について」でした。
御即位や御成婚、お誕生などで、皇族のお印について報道されていますが、あそこで見られるのは文様化されたもの。 実は、文様に限らず「xx印」と文字で筆記するものありとのこと。 大正天皇の「寿印」の場合、文様はどのようなものだったのでしょうか? 現在の今上天皇家の周りは植物が目立ちますが、笙など楽器でそろえているお家もあります。楽器文様もいいですね。
参加者には雛人形製作会社の学芸員もいて、西日本をまわってこの時期に公開されているお雛様を見てきた報告(?)もありました。 70cmもある大きなお雛様もあるそうです。 都内では、三井記念博物館で「三井家のお雛様」を公開中。 「行く?」と招待券をいただきました。 勿論、見所を説明いただきまして。
で「来月から、本論に入ろうね」と。 後桜町天皇が何日に何を着たかという記録があり、それを現本写しで読み解こうというもの。 これは群書類従には入っていない文献です。 やはり、こういう文献があるわけですよ。これよこれ。 江戸時代の帝です。しかも女性。どのようなときにどのような格好をしていたのか?それはどのような故実に由来するとして決められたのか?興味津々です。
「来月は、隣の和室で点茶もするから、お菓子代千円ね」 と。会社帰りのスーツではつまらないことまでおっしゃる。 急いで袴に着替えましょうか?でもどこで? 待ち遠しい来月です。
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