優妃 讃良の着物についておもうこと
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2013/03/24(日) 袴が一杯
昨日の渋谷訪問の服装。
お姫さんは、成人式にあたって、大島を新調していたので、お披露目をかねて、これを着ました。袴は臙脂のぼかし。
それに市松に桜を散らした長羽織を重ねて。
私は緑の西陣お召しに袴は紺で裾に桜の刺繍を散らしたもの。

この日もどこかで卒業式があった様子で、袴姿がぱらぱらと通っていきます。
22日にお姫さんは、部活の卒業生の祝いに行きましたが、女性部員だった卒業生は皆袴姿だったと。今は袴率は極めて高いのです。

というこの期間、姫や私の袴姿など、気にも留められぬだろうと高を括っていたのですが、何故か、カメラを向けられる。
何故に?

振袖も艶やかなおネーチャンが沢山いるでしょうが。
大島なんて地味な袴姿を撮らずとも良いでしょうに。
私と二人だから?
こちらは、同じ袴姿でも卒業生に見える年頃ではありませんが、教師とて、この時期は袴姿もいます。

さすがに、教師の袴はレアだからか?
年配の袴姿は確かにそうそうお目にはかかれません。

2013/03/23(土) さよなら東急東横店 東横線渋谷駅
本日は、父の誕生日です。
渋谷の東急文化会館の跡地に作られた「ヒカリエ」で昼食をということで、渋谷に集合。
我が家族3名は、湘南新宿ラインで向います。こうすれば渋谷に直通です。
土日は混む湘南新宿ラインのグリーン車ですが、下の階を狙えばまだまとまった席がありました。

そして渋谷着。先週、東急東横線はメトロ副都心線との直通運転となり、長い間、東急渋谷駅の顔であった2階のターミナルはお役御免となりました。
そのホームでイベントをしているようです。
東急百貨店も31日までとのこと。

春休みに入ったからか、副都心線と直通になったからか、ヒカリエは大層混雑していました。
目当ての和食レストランも予約していたからすんなり入れたものの、既に空き席待ちの行列ができつつあります。

6階の渋谷駅を見下ろす良い場所にあるレストランです。
もっとも、東急百貨店は建替え後はやはり40階もの高層ビルになるそうで、この風景もあと数年のこと。
向いに高層ビルがあると、余り高い感がなくなります。

こうやって見ると、周りにニョッキニョキと高層ビルが建ってきたせいで、渋谷駅は実に低層なイメージ。
東急東横店は改築増築を重ねてはいるものの、東館と呼ばれる部分は東横百貨店と言っていた頃のまま。「78年ありがとう」ということは78年前にできていたということでしょうか?
一番最寄駅であり、ぞくに「東横」といって、物心ついかときから、折りにつけて様々なものを用立ててきた「デパート」です。
渋谷駅ターミナルとあいまって、変らぬ風情を保っていたのですが、今月を限りにあと数年もすれば、面影をしのぶものすらなくなった新しい建物になってしまうのでしょう。

ヒカリエもかつては「東急文化会館」と言い、映画館をメインに銀座の名店街があり、最上階には東日本で唯一であったプラネタリウムがありました。ここは何度も通った場所。
かつては夏休みなど長蛇の列になったこのプラネタリウムも、機械自体も老朽化し、ただ星を見せるだけでは入場者をとれなくなったこともあり、ヒカリエ内には再設置されませんでした。
ヒカリエは何も往時を忍ぶものはありません。

しかし、どの階にも人が群れ、どのレストランもカフェも待ち行列まである盛況ぶり。
店としては嬉しいのでしょうけど、休憩場所がなくて、疲れました。

8階には川本喜八ギャラリーがあり、NHK人形劇の「人形三国志」や「平家物語」の人形が飾られていました。
「新八犬伝」の人形をNHK放送センターで見たときに、人形浄瑠璃の手法を取る形態から結構大きな人形だったのですが、それに比べると小ぶりな。立って70cm程でしょうか。
もちろん、アップもあるので、人形は実に精巧に精密に作られています。裾まで見える全身は画面に出ることが少なかったので「足元ってこうなっていたんだ」などよく見ることができました。これが無料で公開されているなんて、なんて美味しい。
衣装も用布はともかく、形状はかなり忠実に有職故実に従っています。三国志の方は時代通りではなく、京劇の三国志の衣装です。でも、こちらも人間が着用している京劇衣装をミニチュア化しています。
混んでいるヒカリエの中では空いている空間です。
私としてはゆったり見れて嬉しいですが、人気がないと見なされて展示終了になってしまうとそれは困る。

ヒカリエの地下が副都心線と東横線の渋谷駅です。
地上から吹き抜け空間があり、2階下にあるホームが見えます。
殿はカメラを忘れたので携帯電話のカメラ機能で撮りまくり。

移動して、旧東横線渋谷駅ターミナルへ。
入場料120円なり。「バラスト詰め放題」などというイベントもあったようですが、受付終り。
「詰め放題」というより、それによって、ホームの先まで行けることが嬉しいかも。
関連グッズ売り場もありました。
東急線は鉄道模型にほとんどなかったのですが、副都心線の乗り入れ記念でプラレールが出ていました。
また、「長野鉄道」としてですが、往時の「青カエル」と呼ばれた列車の模型もあり。
「鉄箸」は新幹線のを知っていたのですが、これにも東急線。
入れ物がサイズをあわせたレールと駅になっており、簡易ジオラマに。
今回のイベント用には、写真集もあり。

会場を出て、渋谷駅をあちこち散策。東横の建替えということは、駅エリアの全てが消えるのです。
のれん街の横、昔は玉電が通っていたという、西館への連絡通路も通りました。かつては、特長のある人造石を壁や床に用いていたのですが、それらはリフォーム済み。「うーむ残念」と思ったら、横に開いていた社員用の通路スペースは以前のままの市松の床と壁。「コレよコレ」と思い出に刻みつけました。

銀座線も一旦、ヒカリエとの間の高架に仮駅を作るとか。
何もかもが変る渋谷駅です。

2013/03/18(月) 風俗史学会 服飾史分科会
会社を定時退社し、駒込で行なわれるという服飾史の分科会を目指します。
会場は某マンションの集会室。億ションらしきマンションは、最近としては珍しく管理人さんがいました。オートロックを開けていただき、集会室に向いましたが、経路を間違えたらしく、駐車場に出てしまい、元に戻れなくなった私は再度、エントランスから管理人さんを呼び出し、今度は、道案内をしていただいて、集会室にたどりつきました。

参加者は私を入れて6名に分科会担当の先生。
今月から参加が私ともう一人、先月から一人、急に参加者が倍増ということでしょうか。

先生は、やはり有職故実に詳しく、衣紋者といって、装束の着付けのできる方でした。
そのくせ、気さくな方で、大学研究室に所属していない者でも歓迎とのこと。なんと嬉しいことでしょう。

曖昧にしようとした勉学経歴も「京都の装束店って、xx?」「東京だと、そういうことしてるのってxxさんとこでしょ」と丸バレに。というか、そのルートから誰か来るのではと思ってたらしいです。「くるべき人がきたよ」と言われました。
「コスプレイヤーから来る人はごめんだ」などとは言いません。
でも、なかなか、そのルートでここに辿り着く人はいないようです。

似たような経歴の参加者がもうお一方。老後趣味のカルチャー・スクールからスタートしてここまでおいでになったおば様です。
あとは大学研究室ルート。

「江戸時代中期御所風儀攷−後櫻町天皇の装いを中心として−」

ということでしたが、今回は、メイン教材ではなく別ペーパーで「お印について」でした。

御即位や御成婚、お誕生などで、皇族のお印について報道されていますが、あそこで見られるのは文様化されたもの。
実は、文様に限らず「xx印」と文字で筆記するものありとのこと。
大正天皇の「寿印」の場合、文様はどのようなものだったのでしょうか?
現在の今上天皇家の周りは植物が目立ちますが、笙など楽器でそろえているお家もあります。楽器文様もいいですね。

参加者には雛人形製作会社の学芸員もいて、西日本をまわってこの時期に公開されているお雛様を見てきた報告(?)もありました。
70cmもある大きなお雛様もあるそうです。
都内では、三井記念博物館で「三井家のお雛様」を公開中。
「行く?」と招待券をいただきました。
勿論、見所を説明いただきまして。

で「来月から、本論に入ろうね」と。
後桜町天皇が何日に何を着たかという記録があり、それを現本写しで読み解こうというもの。
これは群書類従には入っていない文献です。
やはり、こういう文献があるわけですよ。これよこれ。
江戸時代の帝です。しかも女性。どのようなときにどのような格好をしていたのか?それはどのような故実に由来するとして決められたのか?興味津々です。

「来月は、隣の和室で点茶もするから、お菓子代千円ね」
と。会社帰りのスーツではつまらないことまでおっしゃる。
急いで袴に着替えましょうか?でもどこで?
待ち遠しい来月です。

2013/03/16(土) 学会
日本史関連の学会はいくつもあります。
世界史と両方となる系統となるとまた別にあります。
先週に引き続き、もう一つの学会に参加しました。
「風俗」というと、なにやら下世話なキーワードの方が先に思いつく昨今でありますが、あれも、まぁ、この概念の一つではあります。
以前は「風俗学会」だったそうですが、そっちのイメージが大きくなりすぎたので、「史」を入れたとか。
「1.ある時代や社会、ある地域や階層に特徴的にみられる、衣食住など日常生活上のしきたりや習わし、風習のこと。」(ウィキペディア)というものです。

今回は修士や博士課程の論文発表会です。
先週参加した戦国史研究会より、出席者は少ない。
というか、幹部たる教授一団とその事務方である院生達、そして発表者(こちらも院生)にプラスα(これが実に少ない)

発表内容も「これは風俗史関連か?」と思える内容。
熟達すれば、それぞれの学会の趣旨に合わせてポイントと置く箇所を換えていけるのですが、修士論文のレベルではそこまでは期待するのが無理というものでしょう。
逆にそれくらい、修士論文そのものが風俗史を扱っているものが少ないということがわかります。

この学会の創設者は有職故実の研究でも名高い故江馬務氏ですが、この江馬氏を含め、その辺りまでにかなりの研究が進んでしまったせいで、研究範囲が掘りつくされたのかもしれません。

私としても、既存の書籍や公開論文を食い尽くしたので、「学会なら他にあたる資料のありかがわかるのでは?」とやってきた次第。

今日の場所は目白大学。大概の大学は大通りに面しているいるので、ここもそういう場所な筈と思っていたら、住宅街の坂道をくねくねと昇り進んだ上に、住宅地の四辻に面した場所に正門!!
わかりにくいキャンパスでした。

懇親会は最寄駅から西武新宿線で高田馬場下車。高田馬場は学生向けの宴会場が多数あります。

懇親会の場面。
今回の発表者はほとんどが学会会員ではなかったようで、「入会案内送るから、入会してね」と幹部教授はさかんにアピール。

教授の方々は、やはり実に博識。
風俗史も様々なジャンルがあるのですが、「専門外ながら」といいつつ、日本史の基本は帝大大学受験レベルをソラで完璧回答できるレベル。しかも「それ、文久x年の方のじゃない?」と元号の方でおっしゃる。
修士の場合、博士過程で研究の方向によっては別の大学でより相応しい教授に師事することも考えるのですが、「貴族院議員の研究だと、x大学の経済学部のxx教授がその辺を研究してる」など、他学部の専門の学者の研究成果もご存知です。日本史は過去の政治や経済の事象なので、政治・経済学部や商学部でも研究がかぶっているところがあるのです。
もちろん、同じ文学部になる日本文学や哲学・思想史は同ジャンルといわんばかり。

大学の教授は自身の研究範囲しかしらないという説がありますが、こと風俗史の研究者の場合は、かなり広くコラボ範囲をチェックしているようです。

伝統があるだけに、いくつもの分科会を持つこの学会、「分科会に参加してみると良いよ」とのお言葉。

まずは、月曜にある服飾史学会に参加してみようと思います。

2013/03/10(日) のぼうの城2013
「のぼうの城フェスティバル2013」に行ってきました。
場所は行田市産業文化会館。
実は、産文に入るのは初めてです。
思ったよりも小規模な場所でした。
「8時だよ全員集合」の公開録画の場所として有名なとこだったので、もっと広いとこかと思っていたのですが、1000人規模ってとこでしょうか?

今回の入場者は800人以上だそうで、座席はほぼ満杯。

愛知の姫は美しく、仙台の伊達隊は雄雄しく、いずれ劣らぬ花を競いました。

残念だったのは、ステージ終了間近の13時過ぎ、突然にとてつもない強風が吹き始め、ステージ後に予定されていた、忍城でも写真撮影会が中止になってしまったこと。

ステージを見ず、写真撮影だけ目当ての方もおられて、そういう方には本当に残念だったでしょう。

そして、余りの強風に、忍城の出店も撤収してしまい、今日の忍城も午後は閑散。

一人寂しく、皆様をおもてなししておりました。
いでたちは、いつもの、狩衣に太刀を佩いた、忍城主 成田氏長として。

だって、そういうときでも、全くお客様が訪れないわけではなく、写真撮影会の時刻帯にやってきた方に事情を説明する者がいないと、途方にくれてしまうでしょうから。
(主催者にお願い:今後は、時間帯中は事情説明用にスタッフを配備してください)

2013/03/09(土) 戦国史研究会
戦国史研究会に初めて参加しました。
これは、戦国時代に関する研究を行なっている方々の集まり。
所謂、学会の一つです。
その割には敷居が低く、「会員の推薦がないと駄目」とか「会費払ってないと駄目」ということなく、月例研究会の参加は自由とのこと。
勿論、発表内容は学術研究レベル。
今回は修士論文の一つで、「細川晴元被官時期における三好氏と晴元被官衆の立場」でした。
研究内容としては、本願寺に残された書簡のやりとりから、三好氏の立場を推測しようというもの。
この時期、三好氏というのは、一族の棟梁である長慶だけでなく、分家の政長が似たような立場で足利幕府に参画していました。この二人の立場は他の学説でも政長の方が優位とされているのですが、この本願寺の書簡でもその辺がわかります。ただ、本願寺は三好の棟梁が長慶であることも気づかっている節もうかがわれました。
そして、懇親会。「博士は博士としか話をしない」という話も聞きますが、ここはそんなこともなく、また「学術研究家はアニメや漫画、そのTV化は話題にしない」ということもなく、「信長のシェフ」のTV版の話が出ていました。
そして、当然ながら、話は研究のこと。
意外な情報として「信長が火薬や弾薬を調達していた場所が不明(調達記録がない)」とのこと。堺に代官を置き、懇意の商人もいたので、堺に違いないと疑っても見なかったのですが、それはあくまで「仮設」に過ぎないと。研究者はその証拠となるものを捜し求めるのです。
私の本業であるIT業界では、それは当然のことです。
それが学術研究であっても同じなのだとあらためて納得。
断定するには、やはり証拠があってナンボ。
宴会の2時間の早いこと早いこと。
今回は二次会は遠慮しましたが、次回はもう少しゆっくりとお話をさせていただきたいものです。

2013/03/08(金) おじゃるおじゃるの軍団
「女信長」のFacebookが始まり、メイキングや撮影ショットが公開され始めました。
時代劇の史実とのすりあわせをするのが「時代考証」という立場です。衣装に関しては別途「衣装考察」とか「風俗考察」という方が担当されることもあるとか。
衣装は、「予算的に調達が難しい」「見栄えというものもある
」ということもあって、割と、確信犯的に違うことが多いです。
特に著しいのが、公家の衣装。真面目にやると、帝の前に並ぶのは真っ黒けの束帯のカラスの軍団。地味な上に、ドラマ用の貸衣装にそう何着もないらしいです。
しかし、どうして、本来ありえない筈の衣装ならわんさかあるのかについては疑問。

さて、この写真、どういうランクの人物達を撮ったのあと考えてみました。
まず、場面は「信長が帝に拝謁したとき」とのこと。
これが、どの時点のことかで、信長の座った場所が違ってきます。「女信長」で最初に拝謁したと出てくるのは、美濃攻略前。けんもほろろな待遇にぶぅ垂れる。この時点、尾張守も自称に過ぎない信長の扱いは、「地下(じげ)」つまり、庭先の砂利の上がいる場所となります。その後、段々と位階を上げ、右大臣、前右大臣まで行きます。
右大臣だと、御簾のすぐ前が位置になります。

ちなみに、この「御簾の向こう」なんですが、この写真から見ると、「廂の間」ではないかと思うのですが、実際はいかに?
「廂の間」の奥に「母屋(もや)」と呼ぶエリアがあり、帝は母屋の方にいる筈です。なので、少し端近(はしぢか)に居過ぎではないかと思う。

で、縁に座る人物達。頭には垂エイ冠なので、文官ですね。
そして縁に座れるのだから5位以上。
でも、文官なのに、太刀を佩いています。征夷大将軍など、武家の場合は、文官と兼任していても、太刀を佩きますので、武家の想定かもしれません。
背中に白い紐が巻かれているのは平緒の後ろ部分でしょうか?
平緒の紐は見えないようにするんですが。(見えないからこそ、緒でなく、細紐でごまかしていいわけで)
そして、公家だろうが、武家だろうが、柄モノの生地は間違い。
社長の前に行くときの背広がダーク系じゃないのと同じくらいの間違いです。
御簾に近い方から位順に並ぶので、御簾に近い方から黒、赤、紺になります。これ以下は建物の外です。黒と赤は地紋がありますがTVではまず映りません。

これは余りによくある間違いなので、諦めの境地。

ああ、右大臣の黒の束帯の下に緋の単を着た天海さんの信長を見たいな。さぞかし美しかろう。

2013/03/04(月) のぼうの城フェスティバル2013
余りにサイト情報がなさすぎなので、こちらにも書いてあげよう。

『のぼうの城フェスティバル2013』

  − 忍城の春「でくのぼう」って何様だ? −

3月10日(日)11:00〜13:00 (開場10:30)
行田市産業文化会館 入場無料

14:00〜15:30 忍城跡にてフォトセッション

出演は 「忍城おもてなし甲冑隊」の他、「あいち戦国姫隊」、「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」

特別ゲストに「よしもと剣喜劇」
司会は二階堂絵美(テレ玉アナウンサー)

映画「のぼうの城」はとうとう3月8日をもって封切り上映は終りだそうです。

引き続き、忍城および行田に観光くださいませ。

2013/03/03(日) 正しい雛衣装は?
本日は、雛の節句。5月5日が「端午の節句」というのは知られていますが、3月3日も同じ言い方があります。「上巳(じょうみ)の節句」。端午の「午」が「五」に通じるように、上巳の「巳」が「三」に通じるとか。

人形(ひとがた)の撫で物を体にすりつけて穢れを移し、それを水に流すという「流し雛」を行なう日です。

基本的にこの奇数月の節句は「穢れ祓い」です。
三月の桃、五月の菖蒲と蓬(よもぎ)、七月の笹、九月の菊、どれも穢れ祓いの意味を持ちます。

さて、流し雛がどこで今のような雛飾りを飾る風習になったのかは判りませんが、今や、様々な色柄の衣装をまとった雛達が登場。

「源氏物語」にも幼い頃の若紫が、このような人形で遊ぶシーンがでてきます。「これはお兄様」とか言っているので、男性の人形もあったようです。
つまり、「節句のための飾り物」ではなく、遊ぶための人形。
古いお雛様には、こういう用途であったのではないかと思われる、様々な衣装の雛人形がいます。
男性のでは狩衣、直衣、束帯があり、女性のでは小袿、裳唐衣など。

今節句の雛人形は「ぽく見える衣類」から始まったようですが、今では「うちの衣装は、ちゃんと五枚仕立だよ」とか「脱がせるとわかるが、人間の着るのとまったく同じ」といったものまであります。
生地では「有職生地使用」がいかにも「俺様正しい」というイメージ。
といっても、「使っただけ」で、女雛に狩衣用の柄を使ってたり、表生地だけで、重ねや一番下の単衣はいい加減なものもあります。

また、「どの時点の時代の装束を模したか」で大雑把に2系統に分かれています。江戸時代、女房装束には「掛け帯」といって、裳の紐を帯地のような素材で作り、肩から襟のように掛けるという風習があり、お雛様の衣装の一パターンはこれです。
対するは平安時代のタイプで、単純にいえば、この掛け帯のないタイプです。

この時期、菓子売り場などにも内裏雛が飾られています。
今年「あれ?」と思ったのは、その某売り場にあった雛人形。

黄櫨染(こうろぜん)の桐竹鳳凰麒麟(きりたけほうおうきりん)紋の生地の男雛が太刀を佩いていました。

この生地は帝のみが使える紋と色目なので、この男雛は帝を表わしているわけです。しかし、帝は太刀を佩きません。というわけで「あれれ?」と。

で、「そういえば、雛人形の想定位階ってどれ位?」と。
男雛が太刀を佩いているのが普通なので、どうやら武官クラスのようです。

呼び名から推測するのも一つです。
といっても、最上段に並ぶのを「お内裏様」というので、そうすると帝でしょうか?
「親王飾り」という言い方もあります。これだと親王様ですね。

下に並ぶメンバーから上を推察するのも一つです。
御殿のような凝った段飾りの場合、母屋(もや)にあたる部分にお内裏様が並び、廂(ひさし)の間というその前室になる部分に三人官女、縁側に五人囃し、ここで階(きざはし)が入って、階の脇に随身(ずいじん)が左右に並びます。その向こうが衛士。

そもそもこの呼び名なんですが、私の手持ちの雛人形では「随身」なんですが、「雛祭」の童謡では左大臣と右大臣と呼ばれています。
でも、人臣の最高位である左右大臣が階の下は変です。
それに、彼らは武官を意味する冠を被り、背には矢を負い、手に弓、腰に佩刀。どう高くみても右近衛大将、左近衛大将です。
生地の柄の差はあれど、彼らは高齢と思しき白鬚の方が緋色の衣装、若者と思しき方が紺色の衣装なので、緋色は四位相当、紺は五位以下です。とすると中将クラスと少将クラス。

衛士(えじ)は仕丁と書かれているものもあります。
丸笠、長笠、沓台を持っています。
衣類は水干に膝までの袴。狩衣に指貫を着ている場合もあります。平安時代、位階のない私的使用人は雑色(ぞうしき)と呼ばれましたが、これは、様々な色の狩衣を着ていたからです。
狩衣姿の場合はこの雑色を模しているのでしょう。

官女は白地の小袖に緋袴か、それに袿を羽織っただけが一般的。
江戸時代、仕える女房達は緋袴すら窮して、複数人で持ち回りという状態だったそうです。とすると、江戸時代想定か。
平安時代には、主人の前に出るには裳唐衣は必須でした。
女主人が裳唐衣とつけているからには、配下が裳唐衣は当然。
もちろん、生地のレベルは主人より下です。染め色は薄い、地紋はない。裳は無地とかになります。

ところで、この雛を模す対象、「公家」と想定して書いていたのですが、実は「江戸時代の武家」と想定することもできるのです。
何せ、徳川の将軍は代々内大臣です。水戸は中納言。会津は中将と、それぞれに位階と朝廷役職を持っています。
こういうランクの人々、そしてその奥方の最上位の正装はやはり、こういった装束なのです。正月元旦の拝賀のような公式行事では将軍は黒の束帯、以下、決め事に従い位階の色の束帯を着用。その妻は裳唐衣姿。

武家は内大臣である将軍といえども太刀を側に置きます。
一番多く出回っているお雛様は、この「某高ランク大名の正装」とするのが一番収まりがよさそうです。

とすれば、男雛の衣装は黒の束帯に垂エイの冠です。
女雛は許しが出ていれば赤の唐衣(許しは出ていることにしましょう)。これで赤と黒で見栄えも良く。

まぁ、雛それぞれが様々な人を想定していると考えれば、何もただ一つの「正解」となるわけではないです。

私の雛壇飾りは、どうやら、江戸時代の有力大名クラスの正装想定。
「お雛様は平安時代のだから」とお道具揃えでは駕篭を買って貰えなかったんですが、このお雛様には駕篭はあってもよかったようです。逆に牛車があった方が変。

2013/03/02(土) 正しいイメージ、一般的なイメージ
「女信長」のオンエア日程が発表されました。
4月4,5日とな。「2013年春公開」というにはちょっと遅いのでは?まぁ、BGMが久石譲になったりと、後から手を入れることを増やしたようなので、その分の遅れとも言えるでしょう。
当初、もう少し、安直な仕上げで出すつもりだったのを、折角なら、もっとちゃんとやろう、という気になった風にとれます。

それと同時に発表されたのが、キャストの追加公開。
今川義元と幼い日の徳川家康。

原作にはない桶狭間戦が登場すると。
幼い日の徳川家康は、原作で家康の回想シーンに登場しますが、あれが台詞だけでなく画像になるということか、それとも、もっと長いカットを貰うのか。

史実では、家康が織田の元に来たときは、信長は既に元服しているので、原作にある「気の強い女の子」ではないです。
という史実は捻じ曲げても、最終シーンの家康の純ラブっぷりは結構好きです。

史実でも「裏切りが普通の同盟関係で、最後まで破られなかった稀有の同盟」です。史実的に家康がどのような思いで、この同盟を維持し続けたのか謎です。本当に、信長の一声に、家臣でもないのに、押っ取り刀でどこにでも出陣してきます。
それなのに、武田に攻められて苦戦していて助けを求めても中々来てくれない。(いや、信長自身、動こうにも動けない時期ですが)
これだけは、ホント「恋ですね」の一言で説明つけて充分に納得の。従来のタヌキな家康イメージからは想像できませんが。

逆に、従来のイメージ通りにやっちゃう気らしいのが今川義元。
昨今の研究では「公家かぶれのおじゃる丸」じゃないと言われるようなってきているのですが、時代劇でそのイメージで演出されたものはまだないような。
今回も「公家かぶれの軟弱男」キャラだそうです。
桶狭間シーンだけ入れるとすると、こうせざるを得ませんね。

大河ドラマで「今川義元」とかってやってくれないかな。
マロ眉も輿の利用も「軟弱」なのではなく、彼のプライド。
信長公記でも、本陣まで討ち込まれても、無為にやられてなんかいません。最初の一人は膝を斬られて敗退。後に家康が「東海一の弓取り」と言われますが、この時期の「東海一の弓取り」は今川義元。種子島に鉄砲が伝来して6年で戦にこれを持ち込み、信長のとーちゃん、信秀はこの鉄砲に大敗を喫したことすらあります。伝統も最先端技術もどちらも取り入れる、とんでもないパーフェクト人間。領地の生産力アップ、軍事組織の考案、この考え方は、義元の側に人質として暮らしていた家康にソックリ伝えられています。そういや家康の隠居場所は駿府。ここは今川館のある土地。生まれた三河でなく、駿府を隠居の地に選んだということは、そこが一番思いでの地だということなのでしょうか?

こういうパーフェクト義元はまだ一般化していないイメージ。
TVで「あ、今川だ」と思わせるには出しにくいですね。
この辺がTV化の難しいところだと思います。
見ている人が、そうと判ってくれるイメージでないと困る。
だから、平家もので二位尼が「尼そぎ」というおかっぱ頭ではなく、尼頭巾姿になるとかもそういう次第。
信長も短気じゃないけど、短気ぽい方が「らしい」

そうそう某健康茶のCMの信長は線の太いごっついタイプではなく、よくみる掛け軸絵や後裔に似た線の細い美男系。
「おお、珍しい!」と感激。でも短気です。
って、「高血圧の方に」ってドリンクだし。

逆にイメチェンに成功しちゃった可哀想な人物は秀吉。
昨今、とみに、悪役です。
日本ではほぼ唯一の「一介の庶民から関白まで成り上がった男」として立身出世の憧れのイメージが、いやはや。

来年は「黒田官兵衛」。本能寺の変から秀吉軍の中国大返しを采配した軍師が彼。さて、秀吉はヒーローか、悪役か?

3月絵日記の続き


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