優妃 讃良の着物についておもうこと
ご感想は掲示板 http://bbs1.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/12019/まで
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2013年1月
前の月 次の月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新の絵日記ダイジェスト
2017/01/22 着物買うのに、いくら以上だと「高い」?
2016/11/27 着物を頼むなら呉服屋で
2016/11/26 夏は暑くて、冬は寒い
2016/07/10 はいからさんが通る の 時代の袴
2016/07/09 はいからさんが通る

直接移動: 20171 月  201611 7 6 5 3 月  20159 8 7 月  20149 8 7 6 1 月  20139 8 7 6 3 2 1 月  201212 11 5 3 2 月  201112 11 10 9 8 7 5 月  201012 11 10 9 8 6 5 2 1 月  200912 10 5 3 月  20085 4 3 2 1 月  200712 10 9 8 7 6 5 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 11 10 9 月 

2013/01/03(木) 謹賀新年
新春のお慶びを申し上げます。

昨年度は、お読みいただきありがとうございました。
今年も、よろしくお願いいたします。

と、正月のご挨拶には「新春」と言って、この日は「春」に属するのだと口にします。
でも、どう考えても、季節は「冬」。「春」といったら、やはり、うららか、のどかな3月とか4月をイメージしますよね。

そもそも、「春」といったときに、「夏」の仲間だと思いますか?それとも「冬」の仲間?
衣類の区分だと「春夏物」「秋冬物」と言うように、春は夏の仲間で、薄手の印象です。

季節との違和感は、もう一つあります。
「紅葉」といったら、「秋」のイメージですが、紅葉のもっとも美しい季節といったら、11月です。11月も後半になる11月の23日の祝日には、京都・奈良は宿が取れないわ、日光のいろは坂は大渋滞だわ、と。11月の後半って「秋」って思ってます?

1月を「春」と呼ぶのは、旧暦の四季区分によります。
春:1月〜3月
夏:4月〜6月
秋:7月〜9月
冬:10月〜12月

旧暦で1月1日が来るのは、今年の場合、新暦の2月の10日です。
ここまで来ると、寒い中にも、暖かい日もやってきて、「ああ、春だなぁ」なんて気にもなりましょう。
旧暦の4月1日は、新暦の5月10日。夏服着て、なんらおかしくない季節でしょう。

「秋」の終り、旧暦9月30日は、今年の新暦では11月2日。
紅葉は結構色づいています。

公家装束では、夏と秋が仲間で、生地を「生絹(すずし)」という、通気性を優先した生地を用います。一方、冬と春が仲間で、こちらは「練絹(ねりぎぬ)」という保温性を重視した生地を用います。
年によって寒暖がありますので、夏の初めは寒いこともあるかもしれないし、秋の終りも肌寒い時期に入ってしまうかもしれません。
公家の決め事の場合、その辺が寛容で「寒い場合は、下に練り絹を重ねててもよし」と定められていました。

武家の場合は、そういう曖昧な決め事にはせず、きっぱりと区分してしまいました。
なので、公家が旧暦4月1日をもって「更衣」として夏服にしたのに対して、盛夏となる旧暦6月1日をもって「更衣」とし、この日からは暑くても、寒くても、麻の上布を用いました。
もっとも、その武家も旧暦4月1日には「綿抜き」といって、それまでは、着物の間に真綿を挟んでいたのを、真綿を挟まない衣類に換えます。冬場には、下に何枚も着重ねていたものも、枚数を減らしていきます。
現代で言えば、コートを着なくなり、セーターを着なくなりといった時期に合わせた変遷をしているわけです。

これが、明治の世になって、西洋の暦を採用した際に、どうしたわけか、衣替えの決め事は、旧暦と同じにしてしまった。
なので、6月1日の衣替えは、新暦の6月1日にズレこんでしまったわけです。
もっとも、これだけならば、新暦は1ヶ月位早めに来るので問題ないわけですが、これによって、4月1日の「綿抜き」がとんでしまったのが問題な気がします。
旧暦の4月1日は、新暦の5月初旬ですから、「初夏もの」を用いようという気になる季節です。
ところが、新暦の4月1日となれば、まだまだ「薄いコートがあってもうれしい」位の時期。衣類はまだまだ冬物です。

ということから、盛夏にさきがけて、夏の初めの薄着となる季節への対応が消滅してしまったのでしょう。

もっとも、私の子供の頃、つまり昭和の40年代には、「合い衣服」という区分がありました。「合間」の「合い」です。
これが5月と9月の衣服です。
学校や役所・企業の制服にも、これはあり、簡単に言うと「夏物の生地で長袖」または、「その上にサマーウール等、薄手の上着類を着用」といった衣服です。
旧暦の衣服歴とのズレを、誰かがこんな形で解消しようとしたのだと思われます。
最近、これがあちこちで復活しているようで、警官の制服も5月には冬服と同じ形でありながら薄手の生地に変わっています。

一番、よくわからないのが、夏冬2パターンしか制服を定義していない、公立の中学・高校や企業。
冬は暖房があるのでそう着込むことはないので、冬服といっても、江戸時代までのがっつり冬物に比べて格段に薄手なのはわかりますが、それでも端境期となる5月にそれを着用せよとは、かなり無謀。5月は修学旅行の季節でもありますが、教師はポロシャツの軽装で、詰襟の男子生徒に「着崩すな!」などと叱責しているのは、そりゃ、無茶というものでしょう。

そして、誰が提唱したのか、旧暦の着物の変遷を新暦に移行してしまった考え方。
5月一杯までは縮緬の袷の着物とか無茶ぶりも甚だしいのではないかと。
これは「地球温暖化」のせいではなく、人災というものでしょう。
洛中では「加茂祭の往路は冬物、復路は夏物」といい、この期間をもって夏物に変わります。
江戸では、神田明神の氏子は、祭の日にその年の浴衣を下ろします。もうこっから夏物です。
これらは、どちらも新暦5月初旬の話。
今でも、この習慣で着物系の更衣をする人はいます。

と、こんなわけで、本日は旧暦の11月22日。明日が、新嘗祭です。平安時代にはここから数日間行なわれる新嘗際を「五節の祭」とも呼び、「五節から春までに着る衣服」という季節区分の衣服に移行します。梅の襲(かさ)ねや椿、山吹がこの季節のコーディネート例。今の時代にもってきても、なんら違和感のないものです。

まだまだ、寒い日が続きます。暖かくしてお過ごし下さいませ。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.