優妃 讃良の着物についておもうこと
ご感想は掲示板 http://bbs1.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/12019/まで
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2012年3月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新の絵日記ダイジェスト
2017/01/22 着物買うのに、いくら以上だと「高い」?
2016/11/27 着物を頼むなら呉服屋で
2016/11/26 夏は暑くて、冬は寒い
2016/07/10 はいからさんが通る の 時代の袴
2016/07/09 はいからさんが通る

直接移動: 20171 月  201611 7 6 5 3 月  20159 8 7 月  20149 8 7 6 1 月  20139 8 7 6 3 2 1 月  201212 11 5 3 2 月  201112 11 10 9 8 7 5 月  201012 11 10 9 8 6 5 2 1 月  200912 10 5 3 月  20085 4 3 2 1 月  200712 10 9 8 7 6 5 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 11 10 9 月 

2012/03/04(日) 着物の裄
先日、娘の着物の採寸で「1尺9寸5分の裄はないだろ!」と騒いだのであるが、着物雑誌の某会合に出ていた着姿の写真を何気なく見たら、下げた腕が手首まですっぽり覆う程の着姿があった。それも一人二人ではない。しかも、若い子だけではない。着物歴はわからないが、そこそこ年配の人でもそんな裄である。
あんなポーズを取れば、私の着物はどれも、にょっきりと腕が出る。

いつから、そうなっていたのだろうか?
この着物雑誌を見始めた頃はそうではなかったように思う。
その頃は茶髪に合わせる着物もなかったし、レースやラメをあしらうこともなかった10年程前のことだが。

そういえば、女性モノの反物にも1尺5分や1尺2寸といった広幅の反物をよくみかけるようになった。逆に柄幅を8寸しかとっていない手紬絣は稀にすらみかけなくなった。

流行は変遷する。
着物がかつて「小袖」と呼ばれた頃は、肘下程度の袖だったことが、戦国時代や安土桃山の絵画からは見て取れる。
京都の時代祭りの衣装でも、その辺りの小そではちゃんと短めに仕立てている。
これが段々と長くなってきたのだ。その延長に今の裄があると思えば、そうおかしな変遷ではない。

で、私が、それに合わせて裄を長くするかというと、それはまた別の話。裄や袖丈は、慣れというものがあり、普段と違う長さにすると、ひっかけたり、袖をとりそこねたりする。
「慣れている」からこそ、変えるのはマズい。

お姫さんも、もう並寸の裄に慣れている。
彼女が、老年となる頃には「えー、そんな短いの着てるの?」となるかもしれない。

2012/03/03(土) 着物はばばぁのもの?
雛の節句である。
古い言い方ならば、上巳(じょうみ)の節句。奇数月で1月の人日(じんじつ)の次に来る節句である。
桃の節句とも呼び、災いを防ぐ桃の花咲くこの季節に、桃で穢れ落としをするという次第。
次は5月の端午(たんご)の節句。菖蒲で厄払いだ。

最近、あちこちの着物ブログとか見ていて出てくるキーワード。
「着物を着ると歳よりも上に見られる」
大人っぽいということではない、ばばぁに見られるという。

「着物=祖母年代なのかなぁ」という言い方もされているが、そうなのだろうか?
私の小学生の頃、「日頃から着物姿」と言えば、祖母達の世代だった。その頃なら「祖母=着物」と言えた。
サザエさんのアニメだって、その頃のフネさんは着物姿だった。

が、昨今、70歳の女性(20歳で初産するこの辺では曾孫もいる年齢)の女性だって日常的に着物を着ている人はいない。
下手すると、「着付けが出来ない」というのすらいる。
戦後のドタバタに育ったこの年代は、着物をそろえてもらうのも「当然」ではなくなった世代の初めの頃にあたる。

というわけで、昨今「年配=着物」は成り立たない。
10歳以下の子供達なぞ、「おばあちゃんの着るものは着物」なんて絶対に思わないだろう。

だとすれば、何故「着物姿=年配」となるのだろうか?

もう一つ話をしよう。

私が成人式の際、父母の双方の実家から着物が届けられた。
京好みの母方の祖母からは薄紅と薄紫のぼかしの訪問着。
関東勢である父方の祖母からは、伝統的な柿色に染めた江戸小紋。
成人式の日、この二枚の着物で写真が撮られた。
顔から上は同じ髪型、同じ化粧であるにも関わらず、柿色の江戸小紋の方が年上の印象に写っていた。

柿色はオレンジの仲間に見えるが、実際はブラウンの仲間である。しかも、江戸小紋という一色染め。

この色を選ぶにあたって、個人的にはグリーン系やブルー系の色に染めたいと希望したのだが「それは、ばばぁの色だから、もっと歳がいってからにしろ」と言われた。
江戸小紋や無地系で寒色は年配ムキなのだという。
その念願の寒色系に属する鼠の江戸小紋がサマになると思って入手できたのは40代も後半。40代前半ではまだダメだった。

もう一つの例。新しく開店した着物屋でプレタ化繊の着物を娘に選ぼうとして、「これ似合いそう」と目をつけた藍地に花のとび柄小紋を試着してみたところ、実に『よく似合った』のだが、何の疑問も抱かずに「40代ですね」と思えた。20歳前の娘がである。

同じ形なので、うっかりしやすいが、着物には「年配向きの色柄、若者向けの色柄」というのがある。色柄で年代を表わすのである。
江戸時代にも「40代が若娘のような着物を着て」と批難する本が残されているから、当時から、若者向け、年配向けと色柄に差があったようである。

平安時代の装束では、歳が若いほど、赤みの強い色を用い、柄は小さめで間隔がつまったものを使う。逆に年配は青が強くなり、更に色を薄くしていく。柄は大きくなり、間隔が開いていく。
実際の装束を並べてみると、赤紫で小さな丸紋をびっしりとしたものと青紫のもの、薄い水色で大きな丸紋がとんでいるのでは、前者が若く、後者にいく程年配な印象になる。

さて、現在の着物の話に戻ろう。
昨今、洋服感覚で着物を選ぶ傾向があるという。
そこで言う「洋服感覚」というのは、LISLIZAのような華やかな色柄の意味ではない。ダーク系である。
かつて私が注意された「ばばぁ向けの色」である。

「ダーク系の洋服感覚でもお召しになれる着物」として織られた着物ならいざしらず、親や祖母世代の箪笥からでてきた品な同年代のリサイクル品でその系統の色柄といえば、間違いなく「ばばぁ向け」である。

私が祖母から習ったのは「30代までは赤系を着なさい」だった。
洋服よりも、着物は暖色系がメインの時期が長いのである。

とかいいながら、そのお姫さんの成人に向けて、最初に選ばれたのは、紺地格子の大島紬である。
「ばばぁ色じゃないですか!」
とツッコミも来よう。そんだけ、知ってて娘に選ぶ色はそれなのかと。
ポイント。「裏地を真っ赤にする」
昔は紅絹(もみ)という真っ赤な胴裏があった。私の銘仙などは、皆、この紅絹が使われている。
その紅い色を使った。
店にあった色見本の赤みでは飽き足らず、別の業者の見本を取り寄せてまでして選んだ。
「裏が赤なんて、古臭い」という人もいるかもしれないが、それくらい紅くなくては、若い感じにはならない。
もちろん、どんな生地でも裏を赤にすれば若者向けというわけではないが、総じて若い人の裏地は暖色系である。
「この生地なら、八掛けは薄紅か、浅黄か、抹茶か」と迷った場合、40歳以下なら、抹茶は外す位が丁度良い。
同じ表地なのに、裏が寒色系だと、とたんに年配向けになってしまうのだ。裾や袖口からちらりとしか見えないクセに裏地の持つ効果は絶大である。

洋服と同じ感性で着物を選ぶ人、そして、紬や木綿など、カジュアル系を選ぶ人は要注意である。

ホント、面白いことに着物は、簡単にババァに変身できるのである。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.