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2012/12/14(金)
『女信長』
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【『女信長』ネタバレ情報あり】
本屋に行くと、チェックするジャンルの一つが「文庫本:歴史関連小説」です。ある日、そのコーナーに野積みされていたのは『女信長』TVで正月時代劇でやるそうな。 ハードカバーのときに気になっていたこともあって、購入しました。 信長役は天海祐希。こういう男役が絡む役は宝塚出身者がうってつけ。 ネット検索すると「ヒゲは違和感どころか、女のなりをしているときの方が違和感」とまで言われてるらしい。
ただ、原作を読んでみると、天海さんにはやって欲しくないイメージの人物でした。 なんというか「悪い意味で女である」という人物な印象。 同人誌では「女体化」というジャンルがあるのですが、そのレベルなイメージ。 ストーリーの元ネタは、同作者によるジャンヌ・ダルクらしい。 西洋の男女の位置づけは日本とは異なる。中世フランスやスペイン辺りを得意とする作者の女性イメージは恐らく、その辺。 神聖ローマ皇帝の座をドイツ内の選挙制からハプスブルグ家の世襲にしてしまったマリア・テレジアや大英帝国を築いたエリザベス一世を見れば西洋にあっても国を統べる女傑はいる。 日本にあっては、公然と娘を跡継ぎにした立花道雪、「尼になりたい?なるなら僧侶になれ」と言われた井伊直虎など、女城主もおり、妻という立場で夫出陣の留守を守る女性は有名無名に多数。フィクションと言われるものの、「のぼうの城」で有名になった忍城の甲斐姫は、領民に不埒を働いた武士を一刀両断したという。歴史を遡れば、天武天皇の皇后は夫と共に戦線に立ち、後に持統天皇として皇系を守り続けた女性。 洋の東西を問わず烈女がこれほどいるというのに、何故にこの信長の性格はこうなのか?
信長は史実でも短期な性格ですが、それが「女のヒステリー」として描かれてしまうと浅はかこの上ない。 史実でも妹まで嫁がせた浅井長政に裏切られるのですが、それが「女性として恋した相手に裏切られた」となると・・・ 果ては、男という立場を装うことに疲れを覚え、天下統一という大事業を投げ出してしまう。 余りにも『女』でありすぎる。 確かに、女性の基本性格にはそういった部分がある。 信長を女性としたからには、信長はそういった男性であれば悩まずとも済む、そういった「女性的な考え方に流されそうになること」に悩まされたに違いない。 しかし、それを乗り越えた人物として書いて欲しかった。
これは「ベルサイユのばら」の映画化の失望と同じ感覚。 原作でも、宝塚でも、革命の勃発にあたってオスカルは貴族であることを捨て、更にアンドレの妻となることを選びます。 が、軍人であることは止めない。共に民衆側についた衛兵隊を指揮し続ける。オスカルを庇ったアンドレの死への哀しみも抑えて指揮を取り、銃弾に倒れる。 ところが、映画では、アンドレの死に革命も何もかもほっぽらかして彷徨うオスカルがラストシーン。 アニメでも、出崎さん担当の後半パートは、民衆のパワーを感じて良かったんですが、その分、オスカルが女であることに悩み過ぎてしまった感あり。 男が書くとそうなってしまうのかと「女が男の立場で動く」系にそういった共通意識を感じる次第。
あとTV化として気になるのは、小説ではやたらに男と寝るシーンがあって、しかもそこがストーリー上の根幹でもあること。 斉藤道三と、柴田勝家と、浅井長政と、そして明智光秀、羽柴秀吉と、どういった濡れ場を演じるかが物語の運びに重要。 昨今「ことが終わった男女が寝床に伏しているシーン」や「まんまのシーンも布団の上から撮影」程度はR18に入らないようなので、出るかもしれない。
クライマックスの本能寺の前、秀吉に「ワシの女になれ」と襲われそうになるシーンはきっとある。
んで、ドラマの方なのですが、小説よりはマシな信長像になっているかもしれない、という期待もあり。 小説では、父親が娘信長に託した思いは、信長の口からしか語られないのですが、父娘のシーンがあって、そこで西田敏行扮する織田信秀が娘に家の将来を託すようです。 「屋根の上のバイオリン弾き」など、芸達者な役者となった彼ならば、娘に託す想いを「魅せて」くれるだろうと。
はたまた、小説では単なる伝言人でしかない服部半蔵に扮するのは「のぼうの城」で正木丹波を演じた佐藤浩市。もっと意味ある役になるのか?
で、音楽はジブリもので有名な久石譲。さぞ聞き堪えがあるかと。
ここからは自分の話。 私は、現代のサラリーマン。まぁ、戦国でいうなら武士なわけです。ITエンジニアなんて、かつては男子の巣窟。いまでこそ、IT業界への女子就職率も上がりましたが、それでも、ハードと格闘するインフラ部門の女性率は今以て低く、紅一点になることは多いし、その紅一点でリーダとして男性を部下に従えてプロジェクト遂行なども経験。 職場で倒れて付き添ってくれた事務の女子に「女の身で、なぜにそこまでするのか?」と舞台並みの台詞を吐かれたこともあり。
なので、女であっても、任された仕事、部下の期待は裏切っちゃいけないと思うわけです。 リーダーという立場であれ、部下として一翼を担う身であれ、一人でコトを為しているわけではない。皆と共にそれを進めていく。どの一角が欠けても、いけない。また、一人で無理せずとも、仲間が助けてくれる。
「人間50年」今年、私は50歳を迎えました。 過去を振り返り、そう思う次第。やっと、そう思える次第。 『女信長』は最後まで一人でした。それが哀しい。
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