優妃 讃良の着物についておもうこと
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2012/11/25(日) 伝言ゲーム
人は「着物」というといかなるイメージを持つのか。

以前、年明けの始業日に大島を着て行ったことがあった。
その会社は初日に振袖を着て行くという風習のない会社だったが、大島位なら、デスクワークである仕事に支障はなかろうと。

で、大島とはいえ、着物姿は全社で唯一人だったとみえ、電子メールで昼前には全国にその情報は伝わった。
当時、写メはなかった。故に、文字情報だけの伝聞である。

しばらくして、支社を訪れたとき「正月に振袖着てきたんですって」と言われた。ここでは「着物=振袖」と思われたらしい。

最近は、正月に着物を着ることも珍しくなり、着物姿をみかけることも滅多になくなった。
ゆえに、地味な格好なら「何のお稽古かな(日舞とか、茶道あたりを想像)」、振袖や訪問着なら「結婚式かな」、1月の振袖は「成人式だね」3月なら「卒業式かな」といった感じ。
お子様が着ていれば「七五三かな(時期的に早いけど、とかでも)」

こういう環境で、幼い子供が着物に関してどう捉えるようになっているかというと、さらに面白い。
「おかあさん、お雛様だよ!」「大人なのに七五三なの?」位は当然の帰結。
笑えるのは「冬なのにユカタ着てるよ!」
ユカタが夏のものだということはわかるらしい。しかし、冬には着物があることは知らないらしい。

平安装束が誤解されるのは、これに比べたら可愛いものだろう。
お姫さんのクラブでは、クリスマスは恒例の仮装があるという。
弓道部なので、その格好で弓を射るので、それが可能な格好ではあるが、サンタや女子高生の格好(男子が)など様々らしい。
今年、お姫さんは、家にある狩衣を着ることにしたのだが、「狩衣」という単語がどれほど理解されたのか、それをどう説明したのか、しばらく経って言われたことには


「十二単着るんだって」


であったという。

2012/11/24(土) おもてなし武将考 弐
おもてなし武将の話。

ネットを調べてみたら、おもてなし武将は様々な形態をとっていることがわかった。

最初にやったのは、いまや不動の人気を誇る名古屋城のもの。
名古屋開府400年のイベントの一環と、雇用対策で募集されたという。市役所が、臨時職員として雇用したり、草むしりとか、駐輪場の番人とかと一緒である。

他にも、こういった雇用対策を兼ねた募集はあるようだ。
ということは、この場合は市内在住に限るわけだ。

他には、コンテストをして優勝者がその後1年間の城主を勤めるタイプ。これは全国から応募OK。

はたまた、「自前衣装のこと」という条件で自薦式なところも。
その城は結構な人数の武将が登録されている。

ちょっとブキッチョそうな年配の男性は、いかにも無骨な武将っぽくて、雇用対策としては、なかなかいいものだと思う。

もっとも、人気の城では、高齢者雇用対策から、タレント志願の若手にバトンタッチされつつあるようだ。
寸劇の上手いイケメン武将隊の方が、確かにリピーターは多いようだ。

先日、忍城にやってきた関が原武将隊の三成と大谷もそういう系統。ザコ武将な我々のところにも、きちんと挨拶に来るし、待機の間に写真を一緒に撮ってくれるしと、サービスに率がない。
たしかにこれは人気が出ると納得である。

2012/11/17(土) サブカルチャーとは何ぞ?
先日の忍城時代祭りで「おもてなし武将隊の存在について、サブカルチャーの研究をしている」という博士に出会った。
てっきり「サブカルチャー的界面からの研究」だと思っていた。
「ところで、『サブカルチャー』って何ぞ?」と思って、ネットを引いてみたところ、メインの説明は良いとして「昨今、文学や歴史といった、本来ハイカルチャー(サブカルの対語)に属していたモノを志向することもサブカルチャーと捉えられるといった反転現象が起きている。特に、日本文学、日本史において著しい」旨の記述を見つけた。

曖昧に言っているが、つまりが、歴女のような存在をサブカルと定義するのだろう。彼女らは、アニメのキャラと同じに歴史上の実在人物を愛してやまない。(キャラ化された人物像を愛している場合も往々にしてあるが)

以前、娘の小学校の夏休みの宿題に菅原道真を取上げ、「SMAPの歴史や出版物を研究しても宿題にならないけど、道真だとなるんだよね」と、ハイカルの分類で言っていたが、何のことはない、現在、それは立派なサブカルである。
当時、娘は、同級生がSMAPのナントカ君のことを語るのと同レベルで道真を語り、机にブロマイド(道真の場合は、絵図レプリカ)を飾っていた。

もっとも、日本文学や日本史の大家である学会や博士様は、そういったサブカル人種と己等は同一カテゴリではないとおっしゃることが多い。
そういったサブカル人種をうっかり受け入れてしまった某学会から、研究者達が他の類似学会に移行してしまったという話も聞く。

気持ちはわからなくもない。実在の歴史人物の話をしていたと思ったら「xxx(ゲーム名)だと、ここはこういう設定だったんですよね」とつながると、そちらを知らない者としては反応できなくなる。
先日の忍城祭りで、昼食時にだんご串を咥えていた武将に「ゲージ回復?」と突っ込んで「わかります?」なんて会話は、サブカル人種同士ならではのものだろう。その一方で、「武者座りはね・・」とか「兜を目深にかぶる意味はね・・」「狩衣は戦国時代じゃないとか、無知だよねー」「この間、xx家文書が発見されたんだって」なんてハイカルチャーな会話も並行して出てくる。サブカル扱いされている者の方がカバー範囲が広い。

思うに、日本文化は、サブカルがハイカル化する形で推移してきたように思う。
例えば、現在では歌舞伎も能楽もハイカルに属する。
しかし、江戸時代、歌舞伎は大衆演劇であり、歴史考証も無茶苦茶なサブカルだった。対して能楽がハイカル扱い。
その能楽も、室町時代は猿楽、田楽といった庶民芸能だった。その時期のハイカルは今でいう雅楽、舞楽だろう。
平安時代の女流文学も、当時の同人誌と見ることもできる。
当時のハイカルは漢文学である。
その漢文学をパロって楽しんでいたサブカルな記録が『枕草子』だと思うと「『枕草子』はハイカルかサブカルか?」って状態。
「源氏物語が大好き」な某日記作者は、源氏物語をパロったとしか思えない作品も残している。
ある全国模試で、その一部分が出て「下線を訳せ」という設問に、余りにBLな部分に頭がパニックしたお姫さんが、答えをかけなかったのも記憶に新しい。
その下線部、要約すると「妻の夫が妻の病気見舞いに来た。それを妻の兄が見ている。このような(容貌美しく、優れた)男に想われているとは妹はなんと果報者だろうか。『私も女だったら、言い寄られてみたい。いや、男であってもそう思う』」というもの。『』内が下線部。
日本部文学の平安ジャンル研究の先生が「平安女流文学はなまじなエロ本よりもエロい」とおっしゃていたし。
「男もすなる日記(にき)というものを女もしてみむとてすなり」と女のフリして書いたことにしている『土佐日記』も冒頭からして、何をかいわんや。サブカル風を気取ったというべきだろう。

ちなみに、本来のサブカルチャーの定義だと、メインカルチャーがマジョリティ(多数派)が嗜好するもので、サブカルはマイノリティ(少数派)のものを指すという。
この定義では、一般的な知名度を得た時点でサブカルではなくなる。

2012/11/12(月) おもてなし武将隊考
忍城には「おもてなし武将隊」がいます。今や、全国各地の城のあるとこなら、大概いるんじゃないかって位、いる気がします。
最初は某旅行会社が、観光誘致のためにそういう扮装の人物を置いたら、どうかと試み、それが当たったことから、全国に広まったというのは嘘かホントか。
まぁ、「あたったから、他の土地でも真似した」ってことには間違いないでしょう。

織田や豊臣、伊達など歴史にそう詳しくない人でも知っているような有名武将を有する城は楽々と。
はたまた、ゲームや歴女の注目の的の真田幸村を有する長野の上田城や、石田三成を有する彦根城も。(いや彦根は、ひこニャン、みつにゃン、さこニャンの方が有力かな)「そこに城あったの?」と思う「キャラが先ですか」の片倉小十郎を有する白石城なんかも健闘しています。

忍城は「豊臣の小田原攻めで、唯一陥ちなかった城」として有名ですが、しかも、ビックリなことに、忍城を攻めてたのは、あの石田三成で、「石田堤」なんてのまで残っている。
が、つい最近まで、そんな事実は地元民しか知らない話でした。
この地が日本史的に有名なのは、埼玉古墳群と稲荷山鉄剣です。
これは小学生の日本史でも教えます。

その埼玉古墳群だって、問題の三成が本陣を構え、その前には上杉謙信も陣を構えた場所です。
ちなみに、国道17号線というのは、謙信がこの地に攻めてくるのに都合が良いように整備した道路だそうです。
この謙信と小田原の後北条、常陸の佐竹が関東の戦力争いをするその三角境界線にあるのが、ここ忍城。

なーんて、どれだけの人が知っているのやら。

いっくら、その辺中に立て札立てて説明書いたって、お城の資料館で貴重な史料と共に説明図解したって、案外と記憶に残らない、っていうか意識されない。

松本城行って、「そういや、ここの城主って誰だっけ?」と思った。残る城としては姫路城に並んで名高い城ですが、高校生までで習う日本史程度では松本城は出てきません。

そこにおもてなし武将登場。「石川数正です」と名乗ると、これが簡単に頭に入っちゃう。
人の記憶機能の妙です。嘘っこでも、そこに人物がいると、その甲冑姿と共に人名がお城に結びついて記憶される。
これが、同じおっちゃんでも、ショボい普段着姿で「この城は石川数正が城主で・・・」と説明してくれても、その場は「ほぉ〜」と聞いても、城門出る頃には記憶に残っちゃいません。
それが人間の記憶というものです。

でもまぁ気になるのは、なんで、どこに行っても甲冑姿なのかってこと。
肩衣でも、裃でも、直垂でもいーじゃない。

実際、昨今、どこの城でも、登場人物を「戦国時代」に絞ってきていますが、以前は、江戸期や鎌倉、足利期と様々でした。
この辺は、いわゆる「戦国ブーム」なんでしょうか。
そして、戦国は甲冑姿の中でも、軽量化と行動快適さと経済性を考慮した結果の賜物である当世具足というもの。
洋服を着慣れた現代人でも、容易に着用でき、行動できます。
もちろん、着付けも、紐で結んでいくだけなので、一枚、説明用紙でもつけておけば、特定の着付け士を必要としません。
肩衣や裃は着物の仲間ですから、着付け士さんが必要になります。その分、主催者の負担が大きくなり、来た方も、立ち居を心得ている必要があります。ボケっとしてると裾踏みます。
それに、シミつけたら、雨に降られたら、とメンテも大変。
甲冑は、単価は着物よりも高いですが、こういった総経費で見ると安価になることがわかります。
まぁ、甲冑姿でも、立ち居は心得ている方がサマになりますが、「できてなくてもOK」は敷居を下げてくれます。

というのが、お手軽なる「おもてなし武将隊」なんですが、最近は、おっかけが付いていて、他地域の城の武将と交流会イベントするのにも追いかけていくのがあるとか。CD出すとこや、ステージで寸劇以上のことを演じる武将達まで現れました。
こうなると、中の人も「素人のおっちゃん」じゃ済まない。
それそれの技量を持つ人を求めることになるかと。
昨日の忍城祭に応援にきた関ヶ原東西武将隊の三成&吉継は、1時間、延々と関が原や行田のPRを含めて延々と面白おかしくトークします。近日中に関が原にある公共大ホールで芝居をするとか。芸達者な人間です。もちろん、おっかけがついてきました。
こうなると「三成」って言うより、中の人ファンかなとも思える部分を感じます。

彼のお蔭で関ケ原町に人がやってくるという意味では、充分にその役目を果たしていますけどね。
「おもてなし武将」ってそこまでアイドル化していいものか?
逆にそこまで個人に依存すると、次代の三成役が比較されるとか、そういうレベルを要求されるとか出てくるのではと。
今の三成は何年もその役をできるとは思えません。あれだけの技量があれば「おもてなし武将石田三成役」を足がかりに更に高みを目指すでしょう。そうなると、次の三成役は?
ギャラは高くならないか?町の予算はそれを支えられるか?
町の観光牽引は一過性のイベントではありません。
「継続できるか」それは、何よりも重要な事項です。

優妃は実は経営学部を出ているので、こういうとき、どうしても、経営的観点でモノを見てしまいます。
おもてなし武将に関しては、サブカル視点など色々な視点から研究が進むでしょうが、私としては、経済戦略としての位置づけで、思うままにつれづれと。

2012/11/11(日) 忍城、時代祭りじゃ!
本日は、行田商工会主催の「忍城時代祭り」です。
今年で33回になる祭りですが、今年は11月3日に「のぼうの城」が公開された影響で、例年にない人出でした。
「テルマエ・ロマエ」による伊香保温泉の活性化といい、映画の影響力、侮れないものがあります。
ここ、行田市もその恩恵に預かるべく、市長率先で「おもてなし武将隊の設置」「JR行田駅に観光案内所の設置」「貸し出し自転車の設置」「市営バスの観光路線の充実」と着々と整備を行なってきました。
この週末は運行バスの無料開放。誘致に務めます。

JRがタイアップした「駅からウォーキング」は北鴻巣駅をスタートですが、早朝、おもてなし武将の一部がお出迎え、帰路の秩父栓行田市駅にもお見送りが立ちました。

この日のおもてなし武将隊のスケジュールはなかなかハードにタイト。昨年までは一般公募されていた野外寸劇をおもてなし隊が主要配役を務め、さらに関が原東西武将隊から石田三成と大谷吉継を迎えるという華やかさ。ストーリーは今年はやはり「のぼうの城」ストーリーで、例年にはない「農民」が一般公募で集まりました。
その一方で、「自前甲冑隊」と呼ばれる自前の甲冑で敵役を務めてきた武将達も、今年は随分と人数がいました。
北は秋田から西は岐阜からまで集まったとか。「先月の関が原で以来だね」など、武将の方々、どこかのゲームもかくやの転戦ぶりです。

その中を、今回は狩衣姿で。「何の役ですか?」と聞かれたら「今川義元です」と名乗ります。
「戦国時代」というと、皆、甲冑姿か、麻の肩衣(後世、裃となる前身)を想像しがちですが、由緒正しく、朝廷からしかるべき位を得ている国主は狩衣を用います。戦国を扱ったTVでは、そういう点をきちんと考証することもありますが、一般的な印象を重視して、直垂や大紋に留めることの方が多いです。おかげで、勘違いが更に助長されていくんですが。
今川義元は「後継なき場合は、足利幕府の将軍になる候補」とされた者であり、輿の使用も認められていた者でした。
ゲームでは「麿でおじゃ」などと、公家っぽい軟弱ぶりを誇張した狩衣アレンジ服で登場してきます。
彼は確かに公家文化に精通し、お歯黒など公家の服飾を用いる者でしたが、その一方で、家康の幼い時代に三河を平らげ、織田家中も、今川が上洛のために尾張を進軍すると言えば「戦わずに降伏しましょう」と信長を説得する方が大多数だったことからも判るように、戦国武将としても有能な人物でした。
信長に有利にかかれた桶狭間の戦いの話ですら、義元は、本陣に討ち入られると、自ら刀を抜き、ばっさばっさと切り倒しと書かれています。最期は首をとられたとはいえ、無為に討たれたわけではない。

甲冑については質問しない観光客も「なんで平安時代?」と思うからか、質問が来ることがあります。その都度、こんな感じに軽ーく説明するんですが、覚えていてくれるかな。「嘘だよねー」とか思われたりして。

「振袖って、成人式だけに着るものだよね」と同じく、本来とは違う認識が一般的な戦国時代の服装です。

ちなみに、振袖は未成年のものなので、「成人の儀」であれば、この時点を以って、袖を切り(つまりこれを「留袖」と呼ぶのですが)髪も成年の髪型に換えます。
判り易いのが、京都の舞妓さんと芸妓さんの違い。未成年が舞妓、成年が芸妓です。簪も髪型も着物も違うでしょ。
昨今の成人式のように「振袖につまみ細工の下げ簪」じゃ、未成年姿ってことなんですが、華やかさを追求するとこうなるのかなぁと。がっつり下がりのついた簪は同じ舞妓でも年少組さん。年長の舞妓は同じつまみ細工でも小さめになっていきます。

時代祭りから振袖に行ってしまった。
例年、この日は11月15日に一番近い週末なので、忍城の通り向こうが東照権現様なので、振袖姿の3歳児や7歳児もよくやってきます。
女児は甲冑武将は怖いのか、狩衣姿の私は人気です。
今年は一杯姫だっこしたなぁ。大きくなってその写真見て、何を思うかな。

2012/11/04(日) 「のぼうの城」
11/3公開の「のぼうの城」を早速見に行ってきました。
なんか、地元民には「1000円で見られる券」が配布されておりまして、はい、前売り券より安いです。
そのせいなのか、何なのか、熊谷の上映館は、その回「全席満席」でありました。
ここんとこ「真ん中の数席だけ人がいる」なんてのばっかだったので、満員なんて、シネコンで初めてです。

お衣装は、染め結城に紺袴。袴下の帯は萌黄木綿の独鈷柄。

で、肝心の映画ですが、久々に、「いい娯楽映画」に出会えたと思いました。
TVフレームもどきのアップの連続とかもほとんどないし、CGはすんなり画面に溶け込んでいる。
役者は達者な演技でいい味出してるし。

瑣末な所作が「おお、戦国!」という感じなのは、歴女をくすぐりたいためなのか?
もっとも、装束的にはツッコミ満載でしたが。
戦国の女性の衣類は、今の着物よりも身幅が広く、逆に袖は短いのです。この広い身幅があればこそ、ガラシャ夫人やお市の方の絵図にあるように、女性も胡坐で座ることが可能に。
身幅が細い、今回の衣装では、姫様は正座するしかない。

「歴女なら気付いて」なポイントはコレ
1)右脇に置いていた刀を「開戦」といった瞬間に左に置き換える。右で抜くので、右手にあるということは「抜かない」ということを意味します。逆に「左に持ち替えた」ということは、「いつでも抜ける」つまり、戦をするという意味になります。
2)キンチョウ:えい、漢字が出ないゾ。刀を腰に挿したまま、1寸程抜き「チン」と音を立てて挿しなおします。
これは「武士の誓い」で二言はない固い誓いを意味します。

って、1)は漫画「風光る」に登場、2)は「あさぎ色の伝説」に登場と、新撰組の漫画で知った知識です。
実写で見ると、「チョーかっこいい!!!!」

そういうとこをカッコよく見せてるってとこが、この映画の「娯楽映画」たるとこらしい。

アクションシーンは「レッド・クリフ」もかくやのできばえ。
原作シナリオでも、柴崎和泉と正木丹波がカッコ良く立ち回るのですが、その通りにバッチリきめてくれました。
酒巻は「イケメンの若手」なんですが、原作以上にオチャメに決めてくれました。
そして、主役ののぼう様は「野村万斎なら、こう演るかな」と思った通りにいい感じ。狂言師ならではのうまい間の外し方、口調の急展開、そして、所作の滑らかなる美しさ。
甲斐姫でなくとも、ホレてしまいますわ。

そして、「昨年9月公開を一年延期」にした原因の水攻めシーンの迫力。津波を彷彿とさせるシーンは、昨年公開は辛い。
それ位、迫力に満ちており、そこから逃げ惑う農民達の恐怖、逃れた後の朦朧とした様子は、津波の避難民をイメージしました。

そして、その1年があったからこそ、入れ替えたというエンディング・ロールの背景。
最初は、「石田堤の現在。現代人が行きかう。」それは「あのときの興亡も時が過ぎれば、残るものはこの堤ばかりなり」というメッセージ。それに「桜満開の丸墓山古墳に幼稚園児の遠足」と「早苗の田んぼを行きかう小学生の下校列」が加われば、「あの戦で荒れ果てた場所も、時が経てば、かく回復する」という庶民のささやかな幸福が回復したことを指し示します。
一つカットが増えただけで、メッセージはかくも変わるとは、なにか、映画論、演劇論を見る思いです。


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