|
2010/08/17(火)
BASARA その服装
|
|
|
今回は、BASARAの衣装の話。 「戦国BASARA」の登場人物が着用している服装は、鎧武者のアレンジ系と言えるのですが、かなり洋服っぽい。
実は、実際の歴史上でも、この時期、ポルトガルやスペインといった南蛮交易によって、西洋甲冑や、西洋衣料が日本にもたらされます。 現在、着物の下に着る「襦袢」、この「じゅばん」の語源は「ジバオ」、南蛮人達が衣類の下に着ていた、今でいうブラウスの類です。そのジバオそのものを着物の下に着ている絵図も残っていたりします。羅紗(毛織物)のマントもそう。雨具の「カッパ」は外来語「カパ」が転化したもの。 キリシタン大名やバサラ大名といわれる人達はこれらの南蛮衣装を着た絵が結構残っています。細い南蛮ズボン(いや、袴に比べてね)着用の絵だってあります。
一方、甲冑の下に着る「鎧直垂」と呼ばれるものも、源平の頃には、直垂と同じ形状でしたが、戦国時代だと、袖も袴も細身になっています。そこに腕や足には、防具を巻いて細くしますので、ほーんと、洋服と似た形態に。
甲冑の方も、源平合戦で平家や義経の着用していたのは「大鎧」と呼ぶ、華麗で一方、ちょっと動き難いタイプでした。 平家物語で謳うにはいいですけどね。「金伏燐の鞍置いて、萌黄縅の・・」と鎧のパーツをつなぐ紐の色合いにも懲りました。
これが、戦国ともなると、合戦といっても、300人とか4000人とかでやるわけで、大将とて戦陣を駆けるからなのか、大鎧の時代には、雑兵の着用品だった「腹巻」と呼ばれるタイプを着用するようになります。これは、腰の下のパーツが大鎧の4枚から6枚に分断されてより体に沿うので、動きやすかったからではないかとか、勝手に想像してしまいます。 外見的にも、鎧直垂に腹巻だと、より「洋服っぽい」印象になります。
という前提で、「戦国BASARA」を見ると、「まぁ、ありえるわな」というファッションだったりします。 一応、それぞれの家に伝わるゆかりの甲冑をアレンジしてたりするわけですし。 人気一番な伊達政宗は、西洋甲冑を加工したタイプ。これに陣羽織を羽織るのも戦国時代からの流行です。兜に三日月は、もう「伊達」のお約束ね。
さて、我が家注目の「毛利元就」ですが、彼の元ネタ甲冑は、自分で着た分ではなく、厳島に奉納した分です。兜は烏帽子をイメージ。 第二衣装が狩衣のアレンジなので、今川義元と並んで、お公家たしなみ系キャラと定義されているようです。 (実歴史の元就は、そういうお公家文化は隣に、現実逃避にお公家文化に逃げた大内がいるだけ、そういう系じゃないんですが)
描いた人は絶対に意識してやったんじゃないと思うんですが、元就の衣装、袴がいつでも白が多いです。これは、公家の習慣では「40歳以上の着用」というものです。子供は濃い紫で、段々薄くして、花田色(ライトブルーね)となり、白に至ります。現在の神官の服装規定でも無位は白無地ですが、最上位は白の織柄入りです。 21歳で初陣の元就ですが、戦国大名として諸国に知られるようになるのは40歳よりずっとあと。戦国BASARAの想定時点では、実際の彼は40歳を越えています。なので、「年齢不詳というが、袴でバレル40過ぎ」なのかと、勝手に思う装束好きのたわごと。
んで、元就だけ、西洋長靴ヒール有りを着用。 実歴史でも西洋ブーツ、渡来してます。
|
|
|