優妃 讃良の着物についておもうこと
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2010/08/18(水) BASARA その居住まい
戦国時代の居住まいなお話。
アニメのBASARAを見てて、気になるのが「正座」
当時は正座ってしないのですよ。戦国時代の武将や奥方の絵をよーく見てみてください。女性だって正座してません。
この時代、武家の女性は袴をはかないんですが、着物の身幅が、現在に比べて広いので、裾がはだけて足が見えるってことはないのです。
足の組み方は胡坐か、足を交差しない足の裏を合わせる式(お雛様がしてる座り方)です。

そもそも、「正座」というのは「膝を屈する」ことを意味し、服従、降伏を意味しました。座り方としては存在しましたが、そういうわけで、そう滅多にしない座り方。
正座が「正式な場の座り方」になるのは、江戸時代のある時点から。何代目かの将軍が、大名に服従の意味で正座を強要したことに始まるようです。
着物の身幅が細くなり、正座でないと、裾が割れてみっともなくなることと相俟って、正座は一般化していきます。
時代劇みてると、袴はいた武家は、同じ正座でも、膝をそろえず、間をあけますね。その方が袴が広がるので、格好良いです。

BASARAの衣装も、大概の人は甲冑なので、正座は無理があります。きちんとした対面の場でも、胡坐にするか、床机という、簡易椅子にすればいいのにと思いながら見るアニメ BASARA

だって、毛利元就、長靴のまんま、板の間に正座。さぞかし、座りにくかったことでしょう。

男性なら普通は肩幅に足を開くのが立ち姿の基本ですが、BASARA元就はなぜか、女性モデルのように、足を10時の位置に揃えてすっくと立ちます、動きでも、とかく、大股開きしないようなチェックも入っています。
厳島で待ち構える彼の座り方は、片膝立て。片方の膝を立てて、他方の膝を開いてつきます。これは、すぐ立てるようにする座り方。装束では女官も緋袴でこの座り方をします。
男性もする姿勢とはいえ、なんか、女性的な居住まい。
そういう彼に胡坐をかかせるって、「がさつな印象」と見られるのではって、ことなんでしょうね。
戦国BASARAのプレイヤーって、こういう時代のお約束は知らないのが普通ですから。

2010/08/17(火) BASARA その服装
今回は、BASARAの衣装の話。
「戦国BASARA」の登場人物が着用している服装は、鎧武者のアレンジ系と言えるのですが、かなり洋服っぽい。

実は、実際の歴史上でも、この時期、ポルトガルやスペインといった南蛮交易によって、西洋甲冑や、西洋衣料が日本にもたらされます。
現在、着物の下に着る「襦袢」、この「じゅばん」の語源は「ジバオ」、南蛮人達が衣類の下に着ていた、今でいうブラウスの類です。そのジバオそのものを着物の下に着ている絵図も残っていたりします。羅紗(毛織物)のマントもそう。雨具の「カッパ」は外来語「カパ」が転化したもの。
キリシタン大名やバサラ大名といわれる人達はこれらの南蛮衣装を着た絵が結構残っています。細い南蛮ズボン(いや、袴に比べてね)着用の絵だってあります。

一方、甲冑の下に着る「鎧直垂」と呼ばれるものも、源平の頃には、直垂と同じ形状でしたが、戦国時代だと、袖も袴も細身になっています。そこに腕や足には、防具を巻いて細くしますので、ほーんと、洋服と似た形態に。

甲冑の方も、源平合戦で平家や義経の着用していたのは「大鎧」と呼ぶ、華麗で一方、ちょっと動き難いタイプでした。
平家物語で謳うにはいいですけどね。「金伏燐の鞍置いて、萌黄縅の・・」と鎧のパーツをつなぐ紐の色合いにも懲りました。

これが、戦国ともなると、合戦といっても、300人とか4000人とかでやるわけで、大将とて戦陣を駆けるからなのか、大鎧の時代には、雑兵の着用品だった「腹巻」と呼ばれるタイプを着用するようになります。これは、腰の下のパーツが大鎧の4枚から6枚に分断されてより体に沿うので、動きやすかったからではないかとか、勝手に想像してしまいます。
外見的にも、鎧直垂に腹巻だと、より「洋服っぽい」印象になります。

という前提で、「戦国BASARA」を見ると、「まぁ、ありえるわな」というファッションだったりします。
一応、それぞれの家に伝わるゆかりの甲冑をアレンジしてたりするわけですし。
人気一番な伊達政宗は、西洋甲冑を加工したタイプ。これに陣羽織を羽織るのも戦国時代からの流行です。兜に三日月は、もう「伊達」のお約束ね。

さて、我が家注目の「毛利元就」ですが、彼の元ネタ甲冑は、自分で着た分ではなく、厳島に奉納した分です。兜は烏帽子をイメージ。
第二衣装が狩衣のアレンジなので、今川義元と並んで、お公家たしなみ系キャラと定義されているようです。
(実歴史の元就は、そういうお公家文化は隣に、現実逃避にお公家文化に逃げた大内がいるだけ、そういう系じゃないんですが)

描いた人は絶対に意識してやったんじゃないと思うんですが、元就の衣装、袴がいつでも白が多いです。これは、公家の習慣では「40歳以上の着用」というものです。子供は濃い紫で、段々薄くして、花田色(ライトブルーね)となり、白に至ります。現在の神官の服装規定でも無位は白無地ですが、最上位は白の織柄入りです。
21歳で初陣の元就ですが、戦国大名として諸国に知られるようになるのは40歳よりずっとあと。戦国BASARAの想定時点では、実際の彼は40歳を越えています。なので、「年齢不詳というが、袴でバレル40過ぎ」なのかと、勝手に思う装束好きのたわごと。

んで、元就だけ、西洋長靴ヒール有りを着用。
実歴史でも西洋ブーツ、渡来してます。

2010/08/16(月) BASARA 黒いわ、元就(2)
という状況の中で言えば、毛利元就って、至って「当たり前の発想の持ち主」でした。その前提の上に、人の心の移ろいやすさを知っていて、や、あきれんばかりの気長な長期展望を載せた人。

だけど、BASARAの登場人物のメイン・メンバーである、信長とか秀吉とか、伊達政宗や真田幸村っていう熱血漢系と比べると、「暗い、黒い」という印象になってしまいます。
10歳で父母に死に別れ、兄が応仁の乱で京都に行っている間に、城を家臣に取られて窮乏生活。この家臣を40年の後に一族抹殺って気長すぎ。その後、2歳の甥子の後見を19歳でする羽目になり、その子が9歳で亡くなると、異母弟と跡目争いで、この異母弟を抹殺。これが大内x尼子のせいだと知った元就は尼子派を鞍替えして大内派に。(これを、イマ的な「転職」的クールさでやる)
このとき、大内に手引きしてくれたのが陶氏です。意気投合したらしい二人で、毛利が尼子に攻められたときにも陶は大内の援軍として来ます。陶が軟弱化した大内を討ったときも、陶は「毛利は味方の筈」と信じてた。その彼を元就は、裏切り、厳島の戦いにて討ち取ってしまいます。ここはさすがに、彼の書いたものでも「現形なり」と書いています。これは「裏切り」の意味です。
果ては、息子達への書簡でも「毛利にいて欲しいと思う者は中国一円どころか、家中にもいない」と、誰も信用できないと言い切っています。うわー、うわー、なんて可哀相な人!!

でも、待って。当時の考え方に立ってみて。
当時の上下関係は、今のサラリーマンと同じ。勿論、年功序列のじゃなくて、転職と雇用カットがまかり通る世界の。
雇用側は、雲行きが怪しくなれば、雇用者を解雇し、雇用者はより有利な転職先であれば、それが昨日までの競合他社だろうと転職する。そういう、昨今の企業と雇用者の関係と全く同じだってこと。
「何もせずとも、雇用者が絶対の忠誠を誓うことなどない」と言っているだけ。

それなのに、それを、ストレートに書いているというだけで、なんで、こんなにも「黒く」感じてしまうのか。

「時代劇」のオキマリに染まってるんですね。
「義のため、はせ参じました!」「おお、よくぞ、来てくれた。来ると信じていた」
なーんて、時代劇のオヤクソクにジーンと来てると、戦国時代の真実は見えない。

2010/08/15(日) BASARA 黒いわ、元就
読んでみました、毛利元就

戦国時代も初期に属する人ですね。
「関が原の西軍総大将」をするのは、彼の孫の「毛利輝元」の方。
高校を理系選択して、日本史を選択しなかった私は、体系的強制強制知識は中学日本史までで、以降偏りがあるんで知らなかったんですが、毛利元就は「国人一揆」のキーワードで高校日本史に登場する人物でした。
「国人(こくじん)」なんじゃらほい?
「鎌倉幕府と室町幕府ってどっちが古い?」という位、日本史には疎い殿を笑えない。(殿も理系選択ですが、高校日本史は授業でやったという。でも受験にも大学の専攻にも関係ないので忘れたらしい)
「国人」はいわゆる、「地付きの地方豪族」のこと。鎌倉幕府でも、室町幕府でも、守護は幕府が任命して中央から送られてくる形態ですが、それではうまく回らないので、実際には地元の有力者が単位に分けて管理し、それをまとめるのが守護って形態に移行するのが一般化。戦国時代には、中央の力が弱まり、守護の力も結果的に落ちて、力をもった国人が守護を押し退けて、その立場に成り代わり「戦国大名」となる。

もう一つのキーワード「国人一揆」。
「一揆」といったら、「農民一揆」だの「一向一揆」だのと、庶民のするもんだと思ってたんですが、もう一つの「一揆」が「国人」のもの。「団体交渉」ってのは、別に庶民に限ったことじゃないという次第。力の弱い「国人」が一致団結して、巨大勢力に反論しようというのが「国人一揆」。農民一揆と違って、軍勢がわーっと押しかけてくるようなシーンは出てこないのも、国人一揆の特長。静かなもんです。
日本のあちこちで起きていたんですが、高校日本史では代表的例として「安芸国人一揆」を引いています。この1メンバーが毛利家という次第。

安芸の国というのは、今の広島県にあたります。毛利家の領地はその中でも中国山地の中、つまりが島根県とか岡山県とかの県境に近い「吉田郡山」にありました。中国地方には、大内家、尼子家という二大勢力がいて、安芸の国に限らず、中国一円の国人はどっちかに属していました。
大内と言えば、「応仁の乱」で西軍メンバーとして出てくる人。
大内軍のみならず、周辺の国人衆も率いて京都に上ったわけです。この辺も歴史のおさらい。応仁の乱は小学校の歴史から登場してますが、視点は当然、京都の足利家視点。
これを、西軍の大内から、さらに、それに参戦した国人衆の視点から見ると、いやいや、ああ、そうなってたのって感じ。

応仁の乱は、大内が自国に引き上げたことで、牽制力を失い、西軍が弱体化するんですが、その理由といえば、5年以上、自国を空けて京都に詰めてたら、尼子が力をつけてきて、自国を脅かし始めたと。今と違って、京都と大内氏の所領長戸、周防は、ほいほい行き来できる距離じゃありませんから、全く面倒みてなかったわけです。
(今、私の友人が、山口県下松市に在住。本社が東京にある会社に勤める彼は、寝台特急「瀬戸」を使って、東京と山口を「日帰り」してます。ああ、隔世の感)
同じことが国人衆にも言えてて、5年も自国を空けてると不安に。ここで、中学日本史では出てこない、武士と領主の関係が、江戸時代に一般的に説かれる「義」とか「忠」ではなく「御恩と奉公」という概念なことを忘れてはいけないのです。
このキーワードも高校日本史。記述式には出やすいとか。
簡単に言うと「給料くれるんだから、その分働くわ」という、実に割り切った関係。大内と国人衆の関係もこれなら、国人衆とその家臣との関係もコレなわけです。「家臣に自領を預けて」なんて、信頼できる関係はそこにはないのです。「金の切れ目が縁の切れ目」で、「自分が不利であろうと、友や主君のを助けに」なーんて、「どこの安ドラマ?」と一笑されそうな程です。
同じ時代、上杉謙信はその「義」を説き、その家臣の直江兼続や、人質として滞在していた真田幸村がその影響を受けて「義」を大事にするようになりますが、それが「目立つ」程に、当時はそういうのって、希薄でした。
今の私達が、転職して以前まで競合していた企業に入社して、全く良心が痛まないように、国人衆は頼る有力領主を換えることになんら躊躇いはありませんでした。

2010/08/14(土) BASARA爆発!
私の歴史上人物にハマったときのパターンは、大体、誰でも同じコースをたどります。
まずは、その人のことについて書かれている本をあたるんです。
今回はお姫さんの興味相手も含めて「毛利元就」「長曾我部元親」「石田三成」「大谷刑部」をおっかけました。
誰おっかけても、いつもそうなんですが、なんで、こう日本の出版業界って、絶版があきれる程早いの!!

「毛利元就」は、数年前に大河ドラマで扱われていて、そのときに、わーっと色々出たようなんですが、それのほとんどが絶版に。幸い、PHP文庫の歴史人物シリーズが絶版になっていませんでした。(「張良」のときは絶版してた)ここで「元就」「元親」「石田と大谷」でゲット。このシリーズは、正確な即席ではなく、フィクション混ぜ混ぜな「物語」系ですが、その分読みやすいので。

2010/08/13(金) BASARAが我が家にやってきた
ずっと、中国の歴代を上ったり、降りたりして軍師をおっかけてた優妃ですが、突然、海を渡り、日本に戻ってきました。
ハマった相手は「毛利元就」、戦国大名です。
中国の軍師にハマるにも、ゲームだのビデオがありましたが、今回はゲームです。
いや、世間的には「ゲーム」ですが、我が家的には「ビデオ」というべきしょうか。何せ、ゲーム本体は購入していないのですがから。

それは「戦国BASARA」、正確には「戦国BASARA3」です。
1と2の頃には、「ん、あるね、でも、ウチ、戦国無双派だから」なんて、言ってたんですが。
お姫さんは、一時期、友人の家に1があって、ちょっとハマったことがあったんだそうな。それが「この夏期講習に通う間、乗り換え駅に3発売の看板があって、毎日見ているうちに・・・」という。

もう一つあったのは、レンタルビデオ屋を換えたこと。
1週間380円の店から100円の店に鞍替えしたんですが、そこにあったのが、「戦国BASARA」のアニメ版のDVD。
結構人気で、ずっと誰かが借りてたんですが、この日、お目当ての巻が戻ってきました。
折悪しく、私の夏休みも後半の倦怠状態。殿は単独帰省して、受験戦争のお姫さんと私の二人所帯。憚る相手がいなければ二人は暴走する。

かくして、そういう状態のとこに、BASARAのDVD。夜中、何回リピートしてみて、コマ送りまでしたもんだか。
前に元就ファンだったお姫さんにより、どっぷり元就コース。
今回の「BASARA3」では、お姫さんは、石田三成の方に興味があるのでこの二人を追いかけていくことになりそうです。

2010/08/07(土) 宝塚100周年はどうなるのか
今日から夏休みです。
って、6月の宝塚観劇から、どっぷり宝塚にはまりこんでいます。
BS12って、ショッピングばっかって思っていたら、週次位で過去の公演を放映してくれます。
そうそう、NHKハイビジョンは今週は5日連続、宝塚放映。
デジタル化に向かっての作戦なのか、スターウォーズの一挙放映してみたりと色々やっているような。

んで、宝塚は今年96年周年、100周年まで、あと少しです。
公演計画って、どれくらい前からするのでしょう。
著作権承諾とかから始めるとなると、結構前から動く必要がある筈ですから、もう動いているかもしれません。

「ベルサイユのばら」の再演はあるかなぁ。
あれは、60周年記念作品として初演されました。それから40年経過することになります。最近は欧米ミュージカル的な舞台作りになっているので、再演するとしても、それっぽく変更されるのでしょうか?でも、あのオープニングがなくなるのは、残念だなぁ。ベルばらのオープニングは結構たっぷりあるので。

そろそろ「風と共に去りぬ」の再演もあっても良いかも。
「誰がために鐘は鳴る」た来年再演だそうで。ミュージカル・シーンは書き換えられるとのこと。
「風」も、まぁミュージカルっぽく改編しても許せる。
でも、やっぱり、「ベルばら」は、あれだなぁ。

後は、演出家や作曲家に女性が登場しているので、彼女らの活躍も期待です。以前は「男が作って、女が演じる」のが宝塚だと言われていました。80人が動く作品のシナリオを作って、演出するだけの力量を持つ女性は、かつてはおらず、いても、経営母体である阪急電鉄が、安パイを考えて、女性登用には二の足を踏んだようです。やっと、それが認められるようになって、修行を積んだ彼女達が、大きな仕事を任せられるようになってきたところ。

べるばらHistoryのDVDに浸りながら、100周年を考えるのでした。

2010/08/06(金) 鹿鼎記
レンタル・ビデオ屋に中国モノの新作が入りました。
以前に「楊家将」を5話で放映した、アンディ・ラウとトニー・レオンのペアがこの「鹿鼎記」に挑戦。
しかし、以前、名子役でTV化したDVDが出てなかったっけ?
あらすじみても、この二人の役どころは「少年」のようです。

30代や40代の筈のこの二人、結構ガキに演じてくれています。
しかし、トニー・レオンさん、「楊家将」の七郎に続いて、お茶目前回の小桂子、ますます、周ユのイメージから遠ざかるんですが。
他方、アンディ・ラウ、めっちゃ綺麗です。「ファインダーの向こうに美男子がいる」と形容した人がいるそうですが、ほーんと綺麗です。クサい台詞も、この美形で言うなら許せる。

舞台は清朝初期。「蒼穹の昴」と同じ清朝なんですが、当然ながら、衣装が安っぽいです。「蒼穹」はやっぱり、その辺もしっかり作っています。
冠の後ろに「ホワリン」と呼ぶ孔雀の羽を加工したものを垂らすのですが、「蒼穹の昴」だと、自然な「房」なんですが、「鹿鼎記」のは、モロ「孔雀の羽をくっつけてる」感じでした。位によって「単眼」「双眼」と区別があるのですが、三つぶら下がってる人いたりして。
武術シーンはすごいです。カンフー系も剣を使ったのも。

しかし、DVD一巻見てしばらくは、周ユ=アンディ・ラウ、孔明=トニー・レオンの役で、しかも、性格付けは「鹿鼎記」のまんまで、「レッド・クリフ」をやるとのが頭をめぐって、爆笑で死にそうでした。
アンディ・ラウが周ユやったら、さぞかし綺麗な周ユだったろうと思う次第です。

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後で、この鹿鼎記のオンエア年を調べたら、なんと1984年!!
アンディ・ラウ 23歳位のときの作品。トニー・レオン共々、まだ駆け出しの時代の作品です。
これだったら、10代の役は可能だわね。
とはいえ、二人共、12,3歳に見える程のガキっぽさを発揮してるのは、新進若手ながら、最初っから芸達者だったんだなぁ。
沈思黙考がキマるのは、やっぱり美形ならでは。
お肌ツヤッツヤで、アップもウットリ。

ほぼ似たメンバーでの番組「楊家将」が1985年。
鹿鼎記が好評だったので、続けての作品だったのでしょうか。

2010/08/05(木) インファナル・アフェア
アンディ・ラウが出ていたり、フー・ジュンが出ていたりするので、気になっていた「インファナル・アフェア」、とうとう借りてきました。
現代劇でもアンディ・ラウ綺麗です。

話としては、20世紀末の香港。
「マフィアに潜入する警官」(これがトニー・レオン)と「警官として潜入するマフィア」(こっちがアンディ・ラウ)というネジレ構図。二人とも、結構危ない橋を渡ってお互いの味方に連絡を取ります。
着目点のもう一つは、電子機器の扱い。携帯電話やPCが重要なグッズとして扱われています。携帯電話でモールス信号のやり取りなんて、すごい発想!着信履歴を使ったテクも携帯電話だから可能になったこと。
その一方で、オーディオは真空管アンプだったりする。メディアはCDなんですけどね。

トニー・レオンの役は比較的判りやすい役です。最初から最期まで「警官」として一貫しています。
一方、アンディ・ラウの方は、途中でマフィアの手先であることに疑問を持って、親分を撃ち殺してしまいます。が、その後、トニーに正体を知られ、更に終盤のどんでん返し。この間の心の動きをほとんど台詞なしで表現します。二回見て、やっと読めました。

タイトルの「インファナル・アフェア」は原題「無限道」であり、「無間地獄」を意味します。転生するまで苦しまなくてはいけない地獄をさし、現世で生きること自体を「無間地獄」に例えています。生き残った方が苦しみ続けるという話。


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