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2010/06/19(土)
劉邦と朱元璋
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宝塚版虞美人を見ていて、「あれ、そういう話だっけ?」というクダリがいくつかあったので、項羽と劉邦に関するいくつか文献をあたりました。
朱元璋は、劉邦を信奉していたといいます。実際に、が天下を取るまでの行動に類似した点がいくつも見られます。 そのなかで、「ここまで同じ?」と思ったのが、傀儡王の冊立。 項羽と劉邦は、最初、懐王を帝として戴いています。 この懐王、楚王の末裔ということですが、王として担ぎ上げられる前は羊飼いだったとか。朱は同じように、小明王を担いでいます。 ドラマ「朱元璋」で、劉伯温がそれを「所詮、羊飼いの息子よ」と揶揄するのは、小明王そのもの、というよりは、項羽と劉邦の懐王に例えて揶揄したのかもしれません。 朱元璋は当初、項羽的な形で頭角を表しますが、途中で劉邦路線を取り、仲間を武将とし、士大夫を軍師として迎え、団体戦で臨みます。単独でつっぱしり、軍師の言葉すら耳をかさなかったために失脚の道を歩んだ項羽の二の舞を避けたのでしょう。
劉邦は天下を取ったあと、韓信を失脚させ、それを怖れた軍師張良は、上手に引退をきめこみます。 同じ道を進むだろうと、故事に長けた劉伯温が、躍起になって引退しようとしています。 なんせ「我が子房(張良の字)よ」と呼ばれていた位ですから。 三国志では、曹操が荀イクをそう呼んでいますね。天下がとれましたから、やはり「子房」がいると、天下が取れるんでしょうか。
ただ、山の中に姿をくらましてしまった張良と違い、劉伯温は地主階層であったが故に、故郷の山に隠遁してもその所在はバレバレでした。「引退したのだから」と固辞しまくっていたそうですが、それで朱元璋が安心する筈もありません。色々あって劉伯温は都で命を落とします。
意外とこだわっていたんだと思う一方、「こうすれば、必ず勝てる」というパターンになっているあたり、不思議です。
但し、劉邦が失敗した「子供を王とする」だけは、「自分なら、失敗しない」と思ったのは不思議。やっぱり、失敗して、二代目皇帝であった孫は、叔父に負けてしまいます。
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