優妃 讃良の着物についておもうこと
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2010/06/20(日) あれ、宝塚な
昨日の「蒼穹の昴」で。
皇帝は西太后の命を狙ったことで、捉えられてしまいます。
連行される途中で、同じく捕らえられた后たちの一行とすれ違います。
場所は回廊。そこで側室珍妃が皇帝と抱擁する。
いきなり、舞台っぽいシチュエーションに。
そこで、跪く珍妃の片足がすっと後ろに。おや、これはベルばらでよく使われたポーズの一つ。スカートや裳がストンと落ちずに長く引くので、大きく見える。裾つぼまりな着物じゃできませんけどね。

偶然かな。さて

2010/06/19(土) 劉邦と朱元璋
宝塚版虞美人を見ていて、「あれ、そういう話だっけ?」というクダリがいくつかあったので、項羽と劉邦に関するいくつか文献をあたりました。

朱元璋は、劉邦を信奉していたといいます。実際に、が天下を取るまでの行動に類似した点がいくつも見られます。
そのなかで、「ここまで同じ?」と思ったのが、傀儡王の冊立。
項羽と劉邦は、最初、懐王を帝として戴いています。
この懐王、楚王の末裔ということですが、王として担ぎ上げられる前は羊飼いだったとか。朱は同じように、小明王を担いでいます。
ドラマ「朱元璋」で、劉伯温がそれを「所詮、羊飼いの息子よ」と揶揄するのは、小明王そのもの、というよりは、項羽と劉邦の懐王に例えて揶揄したのかもしれません。
朱元璋は当初、項羽的な形で頭角を表しますが、途中で劉邦路線を取り、仲間を武将とし、士大夫を軍師として迎え、団体戦で臨みます。単独でつっぱしり、軍師の言葉すら耳をかさなかったために失脚の道を歩んだ項羽の二の舞を避けたのでしょう。

劉邦は天下を取ったあと、韓信を失脚させ、それを怖れた軍師張良は、上手に引退をきめこみます。
同じ道を進むだろうと、故事に長けた劉伯温が、躍起になって引退しようとしています。
なんせ「我が子房(張良の字)よ」と呼ばれていた位ですから。
三国志では、曹操が荀イクをそう呼んでいますね。天下がとれましたから、やはり「子房」がいると、天下が取れるんでしょうか。

ただ、山の中に姿をくらましてしまった張良と違い、劉伯温は地主階層であったが故に、故郷の山に隠遁してもその所在はバレバレでした。「引退したのだから」と固辞しまくっていたそうですが、それで朱元璋が安心する筈もありません。色々あって劉伯温は都で命を落とします。

意外とこだわっていたんだと思う一方、「こうすれば、必ず勝てる」というパターンになっているあたり、不思議です。

但し、劉邦が失敗した「子供を王とする」だけは、「自分なら、失敗しない」と思ったのは不思議。やっぱり、失敗して、二代目皇帝であった孫は、叔父に負けてしまいます。

2010/06/18(金) なんてピュアな項羽と劉邦
今までの舞台つくりと余りに違ったので、とっつきにくかった改訂版「虞美人」、慣れてくると、これはこれでやっぱり「宝塚の基本のお約束は外してないなぁ」と。

主役は基本的にピュアで疑うことを知らないタイプ。
今回は、項羽のみならず劉邦までそのタイプです。
その分、ここでは張良が「クロい」です。

楚の人というのは、土地柄、ピュアで熱い、ノリの良い人物が多いとか。項羽はモロその人ですが、劉邦も楚の出身です。
劉邦の軍が「四面楚歌」で楚歌を歌えるのは当然のこと。
という意味では、劉邦だって、ピュアで熱い人な筈。
後代では、三国志で孫策と周瑜も楚の人。
明の始祖、朱元璋も、中華民国の孫文もこの土地の人です。
確かに、ピュアで熱いわ。

鴻門会で劉邦を殺そうという范増の言葉よりも、「義兄弟であることを違えたつもりはない」と言う劉邦を項羽は信じてしまいます。劉邦も劉邦でピュアですが、項羽よりも周りのオシに弱いタイプ。軍師張良や武将の韓信、妻の呂妃に押し切られて項羽と対立する羽目になっていきます。
それでも、劉邦は項羽が大好きなのですが、そういうことを表に出せない状況にどんどん追い込まれていきます。
「漢王よ、だまし討ちとは・・・」と、項羽の隙を狙った筈の50万の漢軍に、たったの3万で項羽が押し寄せるシーンは、その極致。
史実でも劉邦は、ここで家族すら馬車から振り落として逃げます。
一人になった劉邦は「私は誰も愛していない・・」と歌い上げます。本当は「愛しているのは項羽だけ」と歌いたいでしょうが、その項羽を裏切る羽目になった劉邦はそれすら言葉にすることができなくなっています。
戦いは続き、項羽は「国を分けよう・・・」と申し出、劉邦はそれを了承します。そのままであれば、義兄弟の仲を取り戻せたでしょうが、劉邦の部下達はそれを許しません。またしても劉邦は項羽を裏切ることとなり、軍を進めます。
項羽の軍師范増を引き離し、「四面楚歌」の策に項羽の軍勢はガタガタに崩れていきます。
項羽軍を追い詰めながら、劉邦はどんな思いでいたのでしょう。

その一方、部下を失い一人になった項羽の最期、やっぱり劉邦を恨んでいる節はありません。
劉邦がそういう弱い性格であること、自分たちの義兄弟の誓いを守れない立場にお互い立たされてしまったことを、もう悟ってしまったかのように。

しかし、項羽は虞美人と仲良く昇天しまいます。
それでも、死ぬまで劉邦は項羽の俤を追い、義兄弟の誓いとして切った手の甲の傷に思いを重ねます。
この物語では出てきませんが、この後に、項羽を攻めた者達、韓信も呂妃も遠ざけていくのは、そのせいなのか、と思わせる。

「うっわー、BLまっしぐら!」とはお姫さん
1幕冒頭の劉邦の死去場面「項羽が迎えに」と口にする後には、項羽と虞美人の愛のデュエット。
「項羽、虞美人とデキてるから、絶対迎えに来ない!」とお姫さん。
「劉邦の片思い」の思い出語りなのか今回の「虞美人」は、と思うことには、確かに合点な。

2010/06/17(木) 「虞美人」衣装
「虞美人」のお衣装なお話。
白井版の「虞美人」では、明代の衣装が使われました。
鎧として一番美しいのは明代なんです。日本にある仏像で四天王の武将姿でも明代の鎧姿のものは多いです。
三国志も明代に三国志演戯が成立するので、演義の衣装は明代衣装が多いです。
まぁ、日本で言うと、「時代劇」というと、江戸幕末の服装になっちゃうのと一緒です。中国は近代化直前は清という異民族国家で辮髪と旗服という、従来の漢民族の服飾とは異なる時代なので、一番新しい漢民族というと明代になります。

日本では、中国の歴史的服飾情報が入りにくかったことや、日本の時代劇ですら、そういういい加減な時代考証だったので、見栄えのする京劇などでつかわれた明代衣装が使われたのでしょう。

今回の衣装は項羽と劉邦時代の形態を基本としています。
生地はもちろん、舞台なので華やかで色鮮やかで煌くものです。
当時、直袍という、裾のまっすぐなものと曲袍という、バイヤス仕立のものがありましたが、舞台では曲袍で統一されています。
武人は、膝丈位で下袴の見える形で、文官は膝下20cm位の長めか、更にそれに下裳をつける形態。
項羽と劉邦、懐王は、少し形態が異なります。直袍系かな。前が開いていて、下裳をつけていたり、前掛(正しくは何というのだろう)をつけていたりします。偉い人用衣装。

女性も曲袍です。下裳付き。男性のよりも周りが深く、脇でなく、後ろ中心までいきます。

今は、当時の中国服飾もよくわかるようになったからこその衣装デザインでしょう。

面白いといえば、稽古風景。昔は木綿の浴衣でしたが、今は、カラフルな浴衣に並んで化繊の着物も使われていました。
女性の稽古姿は着物か浴衣の上にロングスカート。裾や袖さばきが近いようなものを着用するようで、まぁ近いですね。
男役は、シャツとズボンの上に衣装の丈に近い丈にお端折りしてます。劉邦は裳姿が多いので、裾丈ですね。

2010/06/12(土) 銀座をぶらりん
まだ、宝塚に行ったときの話は続きます。
といっても、今日の分は、宝塚を離れ、開演時間まで過ごした銀座のお話。

本日のいでたちは、紗地に江戸小紋風のポリに、黒袴。小扇は金黒、たとう紙の表は薄萌黄の貝合わせ柄の千代紙にウコンの黄と深萌黄の無地和紙を重ねて。

人には、「ショッピングするならここ」といった行きなれた場所って一般的に持つものなのでしょうか。
私の場合、そこは銀座。
中学・高校と通った学校の定期で行ける場所なので、そうでない池袋、新宿、渋谷、原宿といった場所ではなく、ここが行きやすかったということに起因します。
そして、母の行き着けもまた銀座でした。母は神田の大叔母の元で専門学校時代を過ごしていたので、やはり近い日本橋や銀座が行き着けであったわけです。
ウチの殿は巣鴨の辺に住んでいて、都電一本で行ける池袋がメインだったというので、案外とそういうのってあるようです。

銀座も随分様変わりしました。昨年はこの晴海通りをバスで通り抜けて通勤していたので、それは感じていましたが、今日はそこを歩いて。海外の知られたブランド店がいくつもあります。
表参道もそうですが、こういう店はちゃんと門番がいて、うやうやしく開扉してくれます。それにびびっちゃうようでは入れません。「呉服屋さんにいくと「本日はどのようなものを探しで」と店員が寄ってきてうるさい」と言いますが、こういうブランド店も一人でウロウロなんてさせてはくれません。
必要があれば、そんな壁のような敷居だって跨ぐ位、ヘでもないですが、今日は冷やかす興味もないので。

おお、千疋屋です。ここでおつかい物を買っていけたら、お嬢気分だなと思ってみたら、そうそう、翌日か翌々日に実家に行く予定ではありませんか。これはもう手土産をここで選べば。
といいながら、やっぱり生の果物には手が出ません。
ああ、貧乏人。
で、ジャムを選ぶことに。パン食でジャム大好きな実家には、ジャムを選んでおけば、おつかいものには間違いがありません。
味もさることながら、色目も気にしたい。
モノがモノだけに、赤やオレンジ色が多いですから。
杏は個人的にジャムとして一オシ。でも王道のオレンジ・ママレードも千疋屋のものなら、一食の価値ありでしょう。ああ、既にオレンジ系が2つ。キウィのグリーンを加えましょう。赤は苺も良いですが、さくらんぼに。4つを箱詰めにしてもらうと、綺麗な包み紙に更にセロハンを巻いて、同じ柄の紙袋に入れてくれました。ちょっと古風に見える蒼緑色地の包装紙は昔からのものでしょうか。千疋初心者には判りません。が、実家で父が本の表紙に使うだろうと容易に想像のできる紙質と図柄です。
さて、それをぶらさげて、銀座四丁目の交差点へ。
そうそう、ANA SUIの限定品が6/3から販売。というわけで銀座三越へ。ポーチとバスケアセットなのですが、15cm角のサイコロ状の箱はちょっとかさばる。
増えた荷物をぶらさげて、銀座コアへ。ここに伊勢由が入っていて、今年こそはここの浴衣地を買ったる!と意気込んでいたのですが、なんと、撤退してました。幸い、来る電車で読むようにと「七緒」(着物関連雑誌)の最新号を持っていました。確か伊勢由がでてた筈。住所をチェックすると、銀座6丁目。番地からすると、ほとんど有楽町です。これは、東京宝塚に戻りしなに寄ることにしましょう。
と4丁目から6丁目に移動していくと、目に入ったのは「くのや」という呉服屋さん。店先から入ったすぐに手ぬぐいが沢山並んでいるのを見て、おもわず、ふらふらと。

「浴衣地もありますよ」と店先にあったのですが、店内には仕立上がりの作務衣がある程度。キョロキョロしていると「本日は何をおさがしで?」と店員さん。年配のオバサマです。
「浴衣の反物を」というと「それは4階なんです。ご案内します」と店の奥のちょっと見えにくくしてあるエレベータで4階に案内してくれました。
お店が狭いので、入りやすい1,2階を小間物売り場にして、その上の階で反物を扱うようにしたようです。一見入りやすい店ですが、反物を見るとなると、敷居は高い。
まぁ、気に入ったものがなければ、帰ってしまいますけどね。
チェーン店と違って、こういう老舗は変な引きとめはしません。
「また今度」で大丈夫です。

と上ってくると、4階は畳のフロア。6畳かな。8畳あるかな。
ここは浴衣だけのフロアにしているようで、夏着物は別フロアなのでしょう。
藍染の紺地、白地、薄藍地と地色ごとに分けて積んであります。
白地も捨てがたいのですが、昼間着られないのと、すぐ汚れて室内着にするしかなくなっちゃうかと思うと。まぁ浴衣の本来の着まわしサイクルなんですが、惜しくて。
と紺地から物色しはじめます。生地はコーマ、綿絽など。
うーん、悪くはないけど、バシっとこない。
次に薄藍地の山へ。こちらには、紬地の黒い斑点の飛ぶ生地に染めたのもありました。これなんて言うんだっけ。襦袢着て昼着物に着れるタイプだったはず。
広げると、蝶の図柄、2柄程ありましたが、なんか若い子向けっぽい印象の図柄で「うーむ」とやっていると、「こちらも蝶ですよ」と衣桁にかけてあった反物を下ろしてくれました。畳に座り込むと、立ち目線用のディスプレイ分は視界に入り難いようです。先の2柄とは、異なる蝶の図。しかも、それが、一幅に1つ、ゆるーく蛇行しながら縦に続いている。変わった柄です。
でも、気に入ってしまいました。
それでも、そこで何分、深吟してかな。店員さんは、気にする風でもなく、話の合いの手を入れながら、それにつきあってくれていました。
で、買いました。
ここで浴衣反物をかっちゃったので、伊勢由の反物はまた向こうの年にいっていしまいました。

宝塚の買い物とあいまって、来月のカード明細はこわいな。

2010/06/11(金) 宝塚(過去)へ
いくつ買ってきたんだと言われそうな宝塚土産の山
「ベルサイユのばら Grand History」などという、かつての公演がDVDでパック売り。しかも、かつてのプログラムの縮小版もついてるなんて、見本を見ると、広告全部抜いてますが、写真もシナリオも全て掲載。やーん、買うしかないじゃない。
当時は売ってるのはレコードという音だけ、NHKでの放映はありましたが、家庭にVideoも普及していない頃の話。
当時、完全にファンではなかった私は丁度受験時期とぶつかったこともあって、公演を見てはおらず、従ってプログラムも全く持っていないのでした。

収録物には公演作品に加え、NHKで作られた「プロジェクトX」や「ベルサイユのばらのできるまで」といった、ベルばら関連番組も収録。「プロジェクトX」は好きで結構見ていた筈なのに、なぜにこの宝塚のを見事に見逃していたのだ?

本などでも何度も掲載されている情報もあったのですが、知らなかったのは「ベルばら」以前の宝塚の入場者数は満席の2割程だったとのこと。宝塚首脳陣はその打開策を日夜考え続けていたのだと。(おー、これはモロに「プロジェクトX」のシチュエーション。)
個人的には、宝塚の盛り返しはこの「ベルサイユのばら」より少し前に始まるように思うのですが、ここは「プロジェクトX」的にはフォーカスを絞りたいところであり、様々な打ち手の結晶として、決定打となったのが「ベルサイユのばら」であるのは、私としても依存のないところ。

そして、宝塚の「ベルばら」といえば、あの「背骨のねじれるポーズ」といわれる「見た目は綺麗、演ずる方は悲鳴」という歌舞伎様式を取り込んだ長谷川一夫の演出です。
ファンはそのポーズを真似で遊んだものが多かったらしく、ベルばら再演の際には、ファンが、丁度トップその他になる時期ということもあって「出演者の方が良く知ってる」と驚かせたとか。

「プロジェクトX」でもこれは重要視。長谷川一夫は当時美形スターでもてはやされた俳優でしたが、暴漢に襲われ顔に傷を受けてしまいます。その彼に再起の機会を与えたのが小林一三、阪急の創始者であり、宝塚歌劇の創始者。その恩に報いるために彼は宝塚の演出に参画し、彼が舞台や映画で培ったノウハウを使って演出を一新しました。
「目に星の光らないオスカル様なんて、いやー!」というファンの罵倒の言葉をちゃんと実現してしまうのは、ビックリ。
これは、顔に傷を受けた長谷川一夫はその傷が目立たないようにポーズや照明を研究してきたそうで、そのノウハウから、少女マンガのごとき「目に星」まで実現してしまったのでした。
タネあかしといえば、目に星を入れているのは照明さん。オスカルの立ち位置と目線でこれが目に星を実現すす。
別な記事で、このライトを直視する手法はものすごーくまぶしくて、「長谷川ポーズ」と同じで辛いことだそうですが、歌舞伎と同じく見得のシーンでは、これをこらえて、まばたきもせずにライトを見つめるのだという。

こうやってみると、学芸会に過ぎなかった少女歌劇を白井鐵造がパリ留学で培った「オペレッタとレビュー」で「白井ミュージカル」を打ちたて、その後「ベルサイユのばら」で一新するに至ったのだと感じます。今、また次の様式に移りつつあるのを新演出「虞美人」で感じ、宝塚はまた変わっていくのだと。

古い画像は、ハイビジョン録画でもないので、かなり痛んでいました。
ざっと見てみると、やっぱり、マリー・アントワネットは初風淳が好みです。フェルゼンは鳳蘭も良いですが、紫苑ゆうも捨てがたく。
オスカルはいかにも宝塚な役なので、榛名由梨に始まり涼風真世に至るまでいづれ劣らず、それぞれに良いですね。まさに、氷のようなオスカル、花のようなオスカル、月の如きオスカル、星の煌くが如きオスカルと様々に。

2010/06/10(木) 宝塚(仮想空間)へ
宝塚観劇の際に先月の公演「虞美人」のDVDを買ってきました。
「虞美人」は宝塚初の一本立て作品だったそうで、初演時に史上空前の観客動員数を記録したと言います。
作・演出の白井鐵造は、パリ留学後に、宝塚にレビューとオペレッタを持ち込んで「白井ミュージカル」を確立させた人。
私の知っているのは、鳳蘭の項羽で再演されたときのもの。
ツレちゃん(鳳蘭)の項羽がカッコ良いのは、『大漢風』の胡軍の項羽の比じゃありません。

今回は、この白井版ではなく、作・演出。音楽に至るまで新しく書き下ろしたものとのこと。

全体の傾向として、「スカーレット・ピンパーネル」で見られた演出傾向が見られました。歌が多く、会話の大半も歌。かなり脇の役までスポットが当たり、ソロ・シーンがあります。
同線としては、奥行きを活かした舞台奥からの縦方向の動きをよく活かしています。宝塚の誇る周り舞台とセリという舞台機構と大道具さんが動かすセットのスピーディな動きで転換もスムーズ。欧米ミュージカル上演の為に培ったノウハウを全部門使いまくっている。

項羽と虞美人がトップなのは同じく、劉邦が二番手男役に割り当てられました。脇役の演ずる重厚な劉邦からうって代わって、ぶっとびにノーテンキで女好きなお軽いキャラに変転しました。見目はイケメンの若手。「蒼天航路」の劉備を若手イケメンがしてるイメージ。
なので、韓信は三番手に。架空の殷桃娘も韓信の相手役として健全。
昔はそんなに絡む機会のなかった范増(項羽の軍師)と張良(劉邦の軍師)が師弟の間柄となって、二人の場面をいくつも持っています。范増は組長の夏美ようが演じているのですが、なんとソロまであります。組長がここまでやるのは、かつての舞台ではなかったことです。
もっとも、周りにこれだけの熱演の機会を与えた分、項羽の出番は減っているわけで、ちょっと影が薄い感じがしました。
お姫さん曰く「この項羽、強そうじゃないね」とな。
線が細い印象ですから、さもありなん。鳳蘭のだとまだ勇壮なんでが、「大漢風」で胡軍の項羽見ているお姫さんとしては「頼りがいのない、細っこい奴」と見えるのはしかたないことか。
今回は、「勇壮」よりも「ナイーブ」な面の方がクローズ・アップでしたし。「四面楚歌」のシーンは綺麗でした。あの「すい行かば・・」を謳うのです。そして「虞よ虞よ君を如何にせん」は、白井版と同じ主題歌で。あの歌が過去のファンとをつなぐ縁(よすが)とするものですが、完全に様変わりした展開の中でこの歌がすんなり入り込めるのには、当時の作曲家の能力に脱帽。
歌詞は「史記」に残される漢詩にある通りですが、このメロディを新たにおこすのは案外至難かも。この主題歌は名曲の一つです。

いつから、宝塚のオリジナル作品が、このように様変わりしたのかはわかりません。2005年辺りにはまだ従来の傾向だったように思います。少なくとも、今後の演出傾向になるとみます。

「虞美人」の作者 白井鐵造は「白井ミュージカル」を完成させ、一つの様式を打ち立てました。それを次に改定したのが植田 紳爾と長谷川一夫で、「ベルサイユのばら」に始まる、様式を打ち立てました。私の見ていた頃はこの全盛。戦闘シーンやフィナーレのトップのデュエットなどは良きマンネリでした。

この「虞美人」はそれを更に変える演出形式になるでしょうか。
これが始まりではないにしろ、ここで見た形式が今後の宝塚の傾向となるとすれば、また一つの飛躍をしたということでしょう。
それを「虞美人」でやったとは、また、なんというか・・・
新作版も公演記録を打ち立ててるというので、この変化は認められたわけです。

満員でチケットが取り辛いのは困るけど、閑古鳥でスカスカだと、存続が危うくなるのでもっと困りモノ。
家でのゲームでも、DVDでもなく、TVでもなく、ネットでもなく、はたまた、劇場で見る映画でもなく、宝塚を見る。
宝塚歌劇の競争先は増える一方。最近は劇団四季も強い。ディズニーランドのショーとパレードはかなり手ごわい強敵でしょう。
その中で、多くの劇団が消えました。宝塚と雄(^^)を競った松竹歌劇も消え、東宝が抱えていた日劇ミュージック・ホールのメンバーも消えました。東宝ミュージカルは帝国劇場に移ったけど、東宝歌舞伎は?芸術座で公演してた分は?
実物を舞台で見ることは必ずしも望まれなくなっています。
そんな中で、オーケストラをオケボックスに詰め込んで、生オケで常時公演してるなんて、日本じゃクラシックのコンサートになって望めないこと。ウィーンでは国立歌劇場とフォルクス・オパーが毎日上演してますが、宝塚はそれに匹敵するわけで。
それってすごくない?

着物と違って、お姫さんは、あの「宝塚調」にドン引きで、こっちには乗ってくれません。しくしく・・・

2010/06/09(水) 宝塚へ
さて、休みも今週一杯。こういう機会でもないとできないことといえば・・・・

  宝塚を見に行こう

会社帰りでは時間が保証ができない上に、定時の17時半上がりでも開演に間に合わないことも問題で。
さて、空席状況をネットで確認してみると、前売りは全て売れきれ。

「うそだろー!」

以前足しげく通っていた頃には、そんなことはありませんでした。といっても、それは、東京宝塚劇場が建て替えられる前の話。そう、TVでのチェックは続いていましたが、劇場へはそれ程足が遠のいていたのです。

一因は、座席数を減らしたこと。昔のように「多くに機会を提供する」ことは、TVもDVDもネットもゲームもある状況では無意味なのでしょう。
ディズニーランドに見られるように「いつも一杯、行列状態」を作ることが、より顧客心理をくすぐるということも取り入れられているかもしれません。

翌日の当日券情報では40枚程あるとのことなので、それを狙って8日にでかけました。12時過ぎに劇場に着くと、16時開演の空席は「最後の一枚です」と、一番最後列の一番左端から2つ目が提示されました。後は立ち見。それを買い求めて、時間潰しに銀座へ。(この分は後日日記へ)

演目は「スカーレット・ピンパーネル」の一本立て、イギリスの作家バロネス・オルツィの原作をブロードウェイ・ミュージカルとして上演されたものを宝塚版として上演するもの。
宝塚ではかつて「紅はこべ」の題名で、独自脚本・演出で上演していますので、あらすじは知っています。
今回は、ブロードウェイ版なので、主題歌も何も全く別物です。

見ていて気づいた変化のいくつか
 歌の挟み方が以前と変わりました。オペラで言うなら、オペレッタのように、台詞と歌がはっきり区分されているのではなく、イタリア・オペラのように、会話の一部が歌となり、そのまま歌に流れ込んでいく。そして歌の比率がやたら多い。
 大劇場も東京宝塚も建て替えられました。(大劇場の方は観劇済み) この際に、舞台の形状として、奥行きのある形態に変更したことも関係するとは思いますが、舞台奥から客席に向かって縦方向の動きを活かした振り付け。奥行きを持つオペラ座ではオペラの振り付けではよく行われるものですが、奥行きのない昔のブロードウェイ・ミュージカルや日本で上演するオペラではこの奥行きを使った演出は見られませんでした。
今は、ブロードウェイ・ミュージカルも「王様と私」や「マイ・フェア・レディ」の時代から変遷し、このような演出が出てきたのでしょうか。

 その一方で、「主題歌覚えづらいな」と感じました。音程に無茶はありません、音の流れにも。それなのに、口づさみ難い。
一因には、かつて売られていた主題歌集の楽譜がなくなったことにもあるかと思いますが、口づさみやすいメロディには、一つの法則があります。それに則っていないのだと思われます。(それが、曲として良い悪いかは別の話です。) ブロードウェイ版なので、これはしかたないかなと。

最後列での観劇は、こういった変化点を見るには都合良かったです。舞台全体が見渡せるからです。

回り舞台やセリを多用したシーン展開は、きっと宝塚ならではのものでしょう。世界的にこの舞台機構は屈指のものです。
暗転の暗闇にポツポツと白い光、赤い光もあるようです。
赤い点はセリが下がっているときのもの。白は立ち位置ポイントでしょうか。昔の舞台にはなかったもの。よりスピーディな舞台転換で急ぎ足で裏方や出演者が暗転の中を動き回ります。彼らを守る大事なマーキングです。これが見えるのも一番上から見下ろしているから。

歌も踊りも皆素晴らしく、うーっとりと夢のひと時に酔います。

2010/06/08(火) どこでも高齢化、どこでもデフレスパイラル
着物業界は高齢化していると言います。
着る人も、売る人も、織ったり染めたり、縫ったりする人も。
業界的に縮小方向にあり、修行期間の長いワリに実入りの少ない
職種なので、若い人としては敬遠方向だとも。

でも、昨今は、どこの業界でも似たような話を聞くように思います。安価販売のしわ寄せは当然原価に響き、それに携わる人件費も買い叩かれます。一社位なら「あんたんとこの仕事はしない」とも言えますが、そういう店の方が大多数を占めては、働くほうもそんなこと言えなくなります。
「若手が少ない」って、はい、私のことですか?
さすがにこの歳ですから、一人も年下がいないってことはなくなりましたが、随分長い間、最年少が続きました。
昨今、かなりの働き手を抱えるコンピュータ業界の一員で若手もガンガン入っていますが、ある特定分野においては、若手が入り難い状況にあります。
って、昔は当然だった「アセンブラが読める、ハードのメッセージ・コードを読める、タスク・スケジュールを組める」ってことが、若手では経験を積み難く、そんな機会があるとオジン、オバンの絶好の機会となります。
今は派遣ですから、コンペになったら、若手だろうと叩き落します。こっちの生活かかっていますからね。
かくして「すぐに身につく、誰でもできるような仕事」ができる位では、コンピュータ業界でも、仕事にあぶれます。
買い手側でもできる人の方を採用するので、どちらを採用するかといえば当然に。
でも、これも行き過ぎているような気がします。
二人一組で募集がある場合、ベテランと若手を組ませて、若手に経験を積ませようとしても、若手だけ落選しちゃう。
これでは、若手は経験を詰めません。
それどころか、ベテランの経験はそこで潰えてしまいます。

着物業界どころか、コンピュータ業界ですらこんな状況なのです。下手に安価なニーズが多いだけにより酷いという気がします。
似たところでは、食品スーパーですね。この近辺は「引っ越してきた人間が、特売と勘違い」する程、平常値の低い場所です。
交通網が発達していない農村地帯なので、車で移動するからか、ちょっと位遠くても買い物に行ってしまうので、競争相手の圏がやたら広い一方で、収入が低い人が多い。
それが、昨今の不況で更に抑えられたところに、近隣店舗の上を行く激安スーパーが出店!どこから引いてくるのか、もやしは10円、秋刀魚は60円、豆腐は35円mお茶は2リットルボトルが98円。
買い物客の流れが一気に変わったようで、従来の激安を謳うスーパーも応戦。小規模経営のスーパーは力尽きて倒産や撤退。
こちらも年収カットされていますから、安い方が良いのですが、生産者の売値がどうなっているかと思うと寒いものが・・・・
結局、人件費を節約し、雇用者の給料が下がって、購買能力が下がり、更に安い値でなくては売れなくなる。モロにデフレ・スパイラルを感じます。
景気は回復しているといいます。余り多くを望まない土地のせいか、年末にはごったがえした職業安定所も、今は落ち着きを取り戻してきました。それでも、収入は0よりはマシってとこ。
近所の安売り戦争はまだまだ激化の一途です。

2010/06/07(月) 格付け
梅雨前のお天気です。

さて、夏になると、お茶のお稽古などで、着用する着物にお教室によって、差がでてくるようになりました。

着物の格や季節にこだわるのの筆頭は、やはりお茶道だと思っています。
舞踏系も発表会や昇級試験の際の着るものにはこだわるようですが、普段は浴衣というところは多いようです。
それに比べると、お茶は、毎回のお稽古には、月次(つきなみ)のお茶席は、なんとかのお茶席は、と時節と会の趣旨に合った着物が必要になる分、結構大変だなと。

といっても、お教室によっては、または、まだそんなに上級(?って言うのかな)に進んでいない場合は、厳密でなくても良いという処もあるようです。
知人の通っていたところは、ものすごくこだわる先生で、月次の茶席は、従来通りの厳格な決め事に従っていました。
この友人は、季節に合わせてさまざまな花柄の着物をいくつも持っていました。
別の知人の通っている処は、びっくりする程大らかで、「夏の茶会は浴衣にしましょう」と浴衣の茶会があったりしました。

それでも、区分しにくい着物が最近は、いくつもでてきました。
例えば、紬の絵羽。先染めの糸で柄を描き、絵羽になるように配分して織ったもの。普通の絣紬よりも手間がかかりますから、当然高額品です。絵羽ということもあって「訪問着として使えます」と謳うところもあるわけですが、人によって評価はわかれるところ。昨今は「パーティ等では、訪問着と等価とみなして良い」位の認知はされましたが、お茶や舞踏では難しいところでしょう。個人的には、柄付けがどうであれ、紬は布地として硬いので、袖の取り回しが縮緬や綸子とは違いがでてきます。その辺から、やっぱり「違う」なのかなと。
お茶で紬を使わない理由は「生地が硬いので、道具にあたったりする」という話を聞いたことがあります。

紬系は「先染め」が基本なのですが、昨今は「後染め」のものも出てきました。白生地に織って、これを縮緬などと同様に染めるわけです。織りの絵絣に比べれば染めは安価です。
白生地の大島紬に後染めしたものなど、業者さんは「後染めだから、縮緬の染めたのと同格だよ」と言いますが、うーむ。
手触りはやはり大島紬。私的には「絵柄の良い大島紬」だなぁと。

そして、装束地のような織り柄生地。京都の帯屋さんは、装束用の反物も手がけていますから、その延長なのでしょうか、稀に出てきます。西陣では、「風通お召し」というのがあり、本来絣糸で描く図柄を装束で使われる二倍織物の手法を使って糸の浮き沈みで描きます。織り柄生地は、二倍織物ではなく、装束の単衣や五衣に使う無地の先染めもしくは後染めの淡色ものです。
「紋意匠縮緬」に近いんですが、さて、そうみちゃっていいものか?
手元にあるソレは、先染めモノで、横糸でグラデーションして「影かな」と思う位淡い差異で薄紫と薄紅の横だんになっています。
買わなかったけど、薄花田の夏用の紗に3cmほどの丸紋の織られた生地も「色無地扱い可能」と店で言われました。この店の場合は、踊りの方やお茶の方も多くこられる店なので、信用しても良いのかなとは思いますが。(チェーン店系の場合は、その辺疑ってしまう私)
お召しクラスかなか。

というお召しの格付けもなぞなのですよね。
絣、縞、無地とありますが、無地か、無地に見える程こまかい縦縞モノは絣よりも格上とも聞きます。
夏の無地お召しは無地紗と同格という話も聞きます。冬ものと異なり、夏着物では、夏お召しも無地紗も張りのある透ける生地です。ちょっと目、区別のつきにくい生地です。それこそ、先染めか後染めかの違いで、しかもそれが生地質にほとんど差異を与えない。仕立てた着物で区別できる人っているんでしょうか?
って、だから、同格なのか?
無地紗は、冬の縮緬や綸子の色無地と同格の夏の生地です。
ってことは、夏お召しは色無地と同格ってこと?

結構、こういう区別に迷う着物って、色々とあります。

でも、誰の言葉を信用する、信用しない、じゃないんですよね。
結局、「一緒に集まる人がどう思う?」とか、「お茶の先生がどう思う?」で決まるのかと。
お茶の会なら、お茶の先生か、先輩のお弟子さんに確認すればよく、結婚式なら、主催者に。
観劇なら、流派の能楽堂なら、ばっちり合わせの方が気分も出るけど、市民ホールで開催される能や歌舞伎の地方巡業なら、気候と自分の感性で格決めても良いかなと。

熊谷会館の夏の歌舞伎巡業だと、着物姿はさまざま。
浴衣に文庫結びがいる一方で、絵羽の訪問着に夏袋帯まで。
熊谷会館なら、どっちもありで良いかなと。
勿論、染めの大島だろうが、絵羽の絣紬だろうがOKで。

今は歌舞伎座でも、某能楽堂でも、夏の浴衣もOKだし、冬の木綿着物や絣に半幅帯の文庫もいるそうです。
そりゃ、洋服だと、めかした人の隣はGパンだったりしますからね。

6月絵日記の続き


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