優妃 讃良の着物についておもうこと
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2010/02/14(日) 中国史:科挙登第な人たち
「蒼穹の昴」でも「朱元璋」でも、科挙の話が出てきます。
本屋に行ったら「科挙」の話についてのブックレットが出ていたので買って読んでみました。

科挙というのは、中国で唐代〜清代まで行われた官吏登用試験です。
名目では「誰でも受けられる」となっていましたが、「受験勉強が可能」「試験中の旅費、滞在費が工面可能」となると、金銭的に余裕のある士大夫層が中心となり、また、ここが次世代士大夫の再生産サイクルを作ってもいました。
といっても、地方の試験を受かると、科挙を受ける子用の「専用田からの年貢」を支給してもらえたり、養子縁組の依頼がきたりと、生まれが裕福ではなくとも、科挙を受けることは可能になっていたようです。

とはいえ、大きな問題になるのが、「勉強のできる子」だけではなく、「品性があり、字が綺麗なこと」等も評価対象とされます。
自身が儒学の教えを実践できているのみならず、動作、居住まいといったこと、そして何よりも大きな問題が「官語を話せること」です。中国は今でも地方によって言語が異なります。なので、官吏は中央で取り決めた言語で話すことを義務付けられていました。士大夫層では、家の中でも官語で会話してたかもしれませんが、庶民の家ではこれは聞いたこともない言語なわけで、これが一番の障害だったそうです。

さて、「朱元璋」に登場する劉伯温。彼は科挙に合格し、「進士登第」した人です。生家も地主層ですから、一族からは定常的に進士を出していた家柄でしょう。
とすると、彼が普通に話すのは「官語」だったかもしれません。
朱元璋の周りを取り囲むのは准西人。進士はこの中にはいません。准西人は准西の言葉で話したでしょうから、官語を話す劉伯温を「お高くとまってる」と思ったかもしれません。建国につれ、他にも元代の官吏などが引き抜かれて官語を話す人は増えていったでしょうが、その官語派は官語派で固まっちゃうのは、こういった言語の関係もあるんじゃないかなぁ。

劉伯温は、史実でもドラマでも、とかく、郷里に帰りたがる人とされていますが、この言語の問題があると、さもありなんと思う次第です。

回が進むにつれ、劉伯温役の人の着付けや居住まいはよりエレガントになっていきます。
両脇スリットの官服で跪けば、下の袴や、下手すると、下衣の裾が腰辺りで脇から見えてしまうのは、ほぼ確実な筈なのに、彼がすると、袴すら見えないことも多い。
何度もみていてわかりました。前後の布を脇でタックを取り、更に重ねていました。この重ねと箱襞によって、歩く際に脇から見えるのを防ぎ、さりげなく、後ろの布を膝で引いて跪くことで、跪いた際に見えるのを防いでいたわけです。
着付けと居住まいの両方で成り立つ美!

これらがなかなか身につかない准西出身の武将たちからすると、すっごく不愉快だったろうなと思うと、劉伯温の身の置き所のなさを感じるのでした。


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