優妃 讃良の着物についておもうこと
ご感想は掲示板 http://bbs1.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/12019/まで
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2010年2月
前の月 次の月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            
最新の絵日記ダイジェスト
2017/01/22 着物買うのに、いくら以上だと「高い」?
2016/11/27 着物を頼むなら呉服屋で
2016/11/26 夏は暑くて、冬は寒い
2016/07/10 はいからさんが通る の 時代の袴
2016/07/09 はいからさんが通る

直接移動: 20171 月  201611 7 6 5 3 月  20159 8 7 月  20149 8 7 6 1 月  20139 8 7 6 3 2 1 月  201212 11 5 3 2 月  201112 11 10 9 8 7 5 月  201012 11 10 9 8 6 5 2 1 月  200912 10 5 3 月  20085 4 3 2 1 月  200712 10 9 8 7 6 5 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 11 10 9 月 

2010/02/14(日) 中国史:科挙登第な人たち
「蒼穹の昴」でも「朱元璋」でも、科挙の話が出てきます。
本屋に行ったら「科挙」の話についてのブックレットが出ていたので買って読んでみました。

科挙というのは、中国で唐代〜清代まで行われた官吏登用試験です。
名目では「誰でも受けられる」となっていましたが、「受験勉強が可能」「試験中の旅費、滞在費が工面可能」となると、金銭的に余裕のある士大夫層が中心となり、また、ここが次世代士大夫の再生産サイクルを作ってもいました。
といっても、地方の試験を受かると、科挙を受ける子用の「専用田からの年貢」を支給してもらえたり、養子縁組の依頼がきたりと、生まれが裕福ではなくとも、科挙を受けることは可能になっていたようです。

とはいえ、大きな問題になるのが、「勉強のできる子」だけではなく、「品性があり、字が綺麗なこと」等も評価対象とされます。
自身が儒学の教えを実践できているのみならず、動作、居住まいといったこと、そして何よりも大きな問題が「官語を話せること」です。中国は今でも地方によって言語が異なります。なので、官吏は中央で取り決めた言語で話すことを義務付けられていました。士大夫層では、家の中でも官語で会話してたかもしれませんが、庶民の家ではこれは聞いたこともない言語なわけで、これが一番の障害だったそうです。

さて、「朱元璋」に登場する劉伯温。彼は科挙に合格し、「進士登第」した人です。生家も地主層ですから、一族からは定常的に進士を出していた家柄でしょう。
とすると、彼が普通に話すのは「官語」だったかもしれません。
朱元璋の周りを取り囲むのは准西人。進士はこの中にはいません。准西人は准西の言葉で話したでしょうから、官語を話す劉伯温を「お高くとまってる」と思ったかもしれません。建国につれ、他にも元代の官吏などが引き抜かれて官語を話す人は増えていったでしょうが、その官語派は官語派で固まっちゃうのは、こういった言語の関係もあるんじゃないかなぁ。

劉伯温は、史実でもドラマでも、とかく、郷里に帰りたがる人とされていますが、この言語の問題があると、さもありなんと思う次第です。

回が進むにつれ、劉伯温役の人の着付けや居住まいはよりエレガントになっていきます。
両脇スリットの官服で跪けば、下の袴や、下手すると、下衣の裾が腰辺りで脇から見えてしまうのは、ほぼ確実な筈なのに、彼がすると、袴すら見えないことも多い。
何度もみていてわかりました。前後の布を脇でタックを取り、更に重ねていました。この重ねと箱襞によって、歩く際に脇から見えるのを防ぎ、さりげなく、後ろの布を膝で引いて跪くことで、跪いた際に見えるのを防いでいたわけです。
着付けと居住まいの両方で成り立つ美!

これらがなかなか身につかない准西出身の武将たちからすると、すっごく不愉快だったろうなと思うと、劉伯温の身の置き所のなさを感じるのでした。

2010/02/12(金) 朱元璋:字(あざな)は何?
今週の朱元璋は11巻と12巻。楊憲が頂点を極め、そして失脚しました。
「怠ける」「くすねる」といった官吏の悪事にはチェックの厳しかった朱元璋も、「昇進のためには、手段を厭わない」タイプの楊憲の悪事は見抜けず、発覚後にはものすごーく落ち込んでしまいます。
楊憲は、明建国、国土復興にあたって、朱元璋の夢をかなえてくれた人物でありました。それが実は虚実であったとは!

というわけで、この辺り、楊憲と彼が対応する相手の一人称、二人称が様々にでてきます。

で、前から気になっているのが「字」です。

劉基は字(あざな)を伯温といい、「伯温」「劉伯温」と呼ばれています。
これに敬称をつけて「劉大人」「劉先生」または「伯温爺」といった呼び方も出てきます。
三国志時代からそうなのですが、中国では、通常、字で呼び合い、正式な公文書の記載や、父親や主君からの呼び以外には「名」は持ちいません。

だから、「伯温」と呼ばれるのは正しいのですが、問題は他の人。 宋濂(そうれん)は、景濂(けいれん、かな)という字があるにもかかわらず、誰からも「宋濂」と呼ばれています。

戸部尚書の呂昶(リュチャン)と楊憲が言い争うシーンで、激昂した楊憲が「呂昶!」と呼び捨てるシーンがあるのですが、ここは、元が字+敬称でないと、呼び捨ての衝撃って薄いなぁと。

もっとも、李善長になると、「善長」は字なのか、名なのか。
今のところ、調べても「字は・・・」の記述にいきつきません。

当の朱元璋も、「改名」はしていますが、字の記述がない。
劉備だって「玄徳」という字があり、「自分でつけた」という説もありますが、関羽にも字があります。

字幕は、アテになりません。日本では字と名や各種の呼称が混在するのを避けるために、原文通りの訳にしていないことが多いです。これは中央電子台の「三国志演戯」でも見られました。
耳をそばだてて、それらしき音を拾うのです。
もしかして、ちゃんと字呼びしているかも。
三国志の人物ほど、登場人物の全てが有名人ではないようなので、字が不明な人の方が多いので、音だけでは拾い難いんですが。

さて、「劉伯温」は「リゥ パオン」が読みになるようなのですが、「リュバオン」と聞こえるのは良いとして「ハォイェ」とか「ホーエナー」って何の接尾字がつくのだろうか?
「ハォイェ」は「伯温爺(ハオン イェ)かなぁと思うのですが、「ホーエナー」ははてさて?

「爺(イェ)」は、年配者を尊敬をこめて呼ぶ場合の接尾字だそうです。
「劉大人(リゥ ターレン)」の「大人」も尊称
「劉先生(リゥ センション)」の「先生」も尊称ですが、ドラマの朱元璋は教えを請う儒者などにししか用いていないので、日本語の「先生」に等しい感じです。

2010/02/11(木) 蒼穹の昴:名前が中国読みになる
中国モノの日本語訳や日本語で書かれる小説の場合、現地読みでなく、日本語の音読みに等しい読み方で振り仮名がつくことが多いです。

「劉伯温」なら「りゅう はくおん」とかかれます。
北京語による読みだと「リゥ バオン」がカタカナでは近いかな。

「蒼穹の昴」は現地読み系のカナ表記です。
日本史や中国近現代史では日清戦争の清側全権大使として有名な「李鴻章」は「りこうしょう」でなく「リフォンチャン」となり、「西太后」は「せいたいごう」でなく「シータイホー」。

ここんとこ、「朱元璋」のDVDでも、名前の音を拾おうとしていることと相俟って、中国モノの人物の読みが現地読み系になりつつあります。

「蒼穹の昴読むとね、そうなるんだよ」
とは、先に読書済みのお姫さんの談。
受験生、漢字がかけないとマズイんですが、「リフォンチャン」と読んでいても、漢字も問題なく書けるのだと。
「"愛"よ"愛"」
これも「二次元コンプレックス」と呼ぶべきなのでしょうか。
NHKの「蒼穹の昴」の李鴻章役ではなく、白黒写真で残る、李鴻章当人の写真見ての、ホレ具合。

お姫さん、およそ、キャラには惚れない口なんですが、最近はどうしたことか、趙雲に始まり、李鴻章、朱元璋と惚れています。
役者の方は、レッドクリフで趙雲をやった胡軍(フー・ジュン)に。芸達者な良い役者ですけどね。
「顔だけいい、のには惚れない」と豪語してたのに、アンディ・ラウが楊六郎を演じた「楊家将」に登場する藩虎役に顔だけで惚れこんでしまいました。このドラマでは脇役になるのでテロップに役者名の出ない人。あれは一体誰?

「李鴻章って、カッコいいね」
「でしょう、XXのとこなんかさぁ・・・・」
「そうそう、XXXって返すとこなんか」
とまるで、人気アイドルか何かと同じノリ。

しかも、読みは中国読み系になるので、既知の人物すら、未知の名前。
リィフォンチャンだ、ユァンシーカイだ、シータイホーにワンソイエ・・・・

家族の中で蚊帳の外にいる、お殿さん。
「実在人物でも、『冬ソナ』と一緒だぁ!」と叫ぶ。

2010/02/10(水) 朱元璋:左前な人たち
朱元璋の9巻10巻で、馬皇后が劉伯温に「あなたは、私が迎えに行った人だから」と言ったり、劉伯温が李善長に「初めて言い争いをしたときのことを覚えていますか」などと、妙に過去のことを持ち出すシーンが続き、「あれ?そんな話あったっけ?」と思い、ちょうどそれが4巻目に集中していたので借りてきました。
ちょうど、借りる間が開いた時期だったので、忘れてたよう。
また、ここまで劉伯温にハマるとは思ってなかった時期に見たからでもあり。

こんな長い、間をおいての前のことを持ち出すなんて。

は、いいとして、劉伯温は、史実でも、頻繁に職を辞して実家に帰っちゃう人なんですが、ドラマでも、一度、やっていました。
それを馬夫人が迎えに行く次第。

で、実家の庭先で、竹製のリクライニング・チェアに寝転がる劉伯温の着ているものは、筒袖の腰丈の上着に細いズボン丈の袴。当時は「元の衣類」とされていたものです。
んで、襟合わせが「左前」!!
双方の腰の腰紐などもあるので、着付けで間違えることは恐らくないでしょう。
着替えて、長衣に帯した姿はもう右前です。

このドラマで、元軍の衣類は、左前に着付けられています。弓を引く騎馬民族は左前の方が都合が良いのです。
漢民族の「中国」では、これを「胡族の卑しい習慣」と読んで、右前の着方をしました。刀を振るう漢民族の場合は右前の方が都合良いからでもあります。

これが日本にも伝わり「胡族をみなされるとイヤだから、右前にしよう」なんて勅令が出たのが、奈良時代より前の話。

なんで、自宅の劉伯温は元の衣服を着ていたのでしょうか?
それも、元式の左前の着付けで。

同類の衣類は官服の下衣や、寝巻きなどとして、劉伯温や朱元璋が着用しているシーンがありますが、この場合は、右前の着付けです。

さりげなく、意味深なことしないで欲しいなぁ。

2010/02/09(火) 仲間がいるぞ
昨夜、殿と夕食の買出しに出かけたときのこと。
行く先は近所のスーパー。

「お仲間がいるぞ」と殿。
「何?」

既に、視界からは消えてしまったのですが、着物姿の人が買い物していたとのこと。

「着物着ている人」=「仲間」とはこれ如何に。

しばらくスーパーを徘徊していたところ、今度は私の視界に入りました。
萌黄地の小紋に紅の濃淡で花を一杯に描いたこちらも小紋地の長羽織。側には幼稚園か小学生位の子供。
いいですねぇ。今風なカジュアルなおしゃれ姿。

声をかけたわけではないので、どんな理由でスーパーの買い物に着物姿でいたのかはわかりませんが。

私と言えば、薄紅色の桜の江戸小紋に紺無地の袴、黒地に百花の長羽織。

もっと増えてくれるといいなぁ。

2010/02/08(月) 朱元璋:ちょっと気になる中国服飾
「朱元璋」と「蒼穹の昴」で我が家は、相変わらずの華流ブーム。

お姫さんは、相変わらずに胡軍まっしぐら。
私は鄭暁寧(チェン・シャオニン)にはまりつつあります。
この人は「朱元璋」で劉伯温役をしている役者さんです。
先日も「彼一人だけ、ベルトの下でダーツとっている」という話をしましたが、ほかにも、彼一人だけ、所作がいろいろと違います。
「劉伯温は、進士及第して、元朝に使えていた官吏経験があるので、礼儀を知っている」役だからなのか?それとも、彼だけ、そういう細かい所作にこだわって演じているのか?

三跪九叩頭で、前裾を踏まないように持ち上げる動きも、余人と比べて、僅かに遅く、かつ優美に流麗です。
「蒼穹の昴」2/6放映分で、宦官の新人教育で出てきた「主君の前では、斜めに前傾して俯くが、背筋はまっすぐ」も、劉伯温だけがやっています。

はたまた、自宅シーンで、帯を外すのも彼だけ。
もっとも、お客人が来れば、彼も帯します。
気の許せる下仕えや息子との会話シーンが出てくるのは彼だけだからかもしれません。
「朱元璋」の後半、朱元璋にいいつけられるのを恐れた劉伯温は、仕事関係者には決して本心を明かさなくなります。とはいえ、思うところがないわけではなく、愚痴は息子が聞く羽目に。
というわけで、帯を外す程の場所でもなければ、彼は本心を語らないのです。
とはいえ、そのラフな格好がサマになるのも、彼ならでは。

朱元璋の前では、襟を詰めて着ているのが崩れないようになのか、内側から何かで留めているようなのですが、帯を外したときにはそれも外して、襟元は若干ゆるゆる。うっかりすれば、べろんと見えてしまいそうなのですが、不思議とそうはなりません。

広い筒袖は、腕を上げるときには、袖口を持って落ちないようにするのはどの役者さんでもすることですが、劉伯温だけは、袖の内側が見えません。そこからは、襟から見えている下衣の袖口が見える筈なんですが。官衣や長衣よりも袖幅の狭い筒袖が、彼の場合はみえません。

鄭暁寧の他作品の出演を検索してみたのですが、現代モノしかひっかかりませんでした。彼はどこでこれほどの所作を身につけたのでしょうか?苦悩しながらクルクルと動く顔の表情も見事で、芸の奥深さを感じます。

2010/02/07(日) 歴女と腐女子が結託すれば
あいかわらず「朱元璋」なわけですが、DVDは1週間おきにしか借りない(レンタル屋が火曜日は半額サービス)が、とうとう我慢の限度を越えました。
1枚に3話入っているんですが、なんか、すごーくいいとこで切れてしまうのは気のせいなのか?

そーだ、本で読もう!

三国志だって、李世民(唐を作った人)だって出ている位です。朱元璋だってある筈。
と思って、本屋のサイトを検索して返ってきたのは「絶版」のインフォ。ぐぇ!
いえいえ、絶版本なら今度は図書館です。県立図書館を検索したら、おー、あるじゃないですか!

そして、歴史上、今後どうなっていくかが判明しました。
同時に判ったことには、「彼の性格は矛盾するところがあり、古来、歴史学者と劇作家にネタを提供してきた」のだという。
という問題の矛盾点なのですが、お姫さんにかかれば「彼って、ツンデレそのものじゃない?」と一刀両断。

この用語は2005年頃から一般化してきた用語ですが、そういった性格の人物は当然、それ以前にも存在している筈です。
「歴女や腐女子にとっちゃ、フツーの萌えキャラよ」とな。

歴女:歴史上の人物にアニメキャラへの如く愛を注ぐ女性のこと。
   もっとも、実人物ではなく、某ゲームで描かれたキャラ像に愛を抱いているのみの場合もあり、実像にはあえて目を背けていることもある。
腐女子:アニメやゲームのキャラに愛を注ぐ女子高生のこと。
   そのキャラは大概男性キャラであり、ストーリーにはない道ならぬ恋を妄想することを前提とする(らしい)
萌え: 英語でも「モエ(どういうつづりなんだろう?)」という位、英語圏にはない観念。
    「愛らしい、好みの」といった概念を含む語彙。

「朱元璋」における胡軍(フー・ジュン)は、彼なりに、矛盾しない人物像を作り上げています。「気さく」な一方「近寄りがたい」という矛盾キャラも彼なら、違和感なく一人の人として甦らせています。

「腐女子と歴女が結託すれば、卒論が書けるかな?」というお姫さん
まぁ、学士論文なら、行けるでしょう。朱元璋:洪武帝は比較的研究対象としては、余り掘られていないジャンルですから。
「三国志とゲーム」は既に論文が出ましたが朱元璋なら間に合うでしょう。

お姫さんの研究対象は「歴史上の人物が、何を考えてそんなことをしたのか」の予定。

2010/02/06(土) 漢服とは
中国史をおっかけて東奔西走
とある中国語講座の雑誌を手に取ったところ、「中国では、漢服がはやりつつある」という記事が目に留まりました。
俗に中国を示す「チャイナ服」は、清代のものが現代的に変化したもの。厳密には、満州族の服が元になっています。
中国は民族毎に、当然ながら民族衣装があります。本まで出てます。しかしながら、その本の漢族の衣服はどうみても、単なる現代服。はて、「漢服」とはいかなるものぞ。
写真から窺うに、明代の衣服に似ています。

明は、中国最後の漢民族の王朝です。今目にすることのできる多くの「漢民族的中国」は、この明代のものです。
鎧や武将衣装もこの時期華やかに細緻になり、三国志演戯もこの明代に成立したことと相俟って、明代の衣装で演じられることもよくある話。NHKの人形三国志なんかモロ明代衣装。

日本で言うなら、「時代劇」というと、江戸時代後期〜末期の衣装で演じられるのと似たようなものでしょう。
例えば、水戸黄門。江戸時代初期なので、着物の袖も帯もTVで使われているものとは全く違います。
勿論、水戸光圀が諸国漫遊しちゃうなんてありえないわけですが。
でも、「時代劇」って、「だからナンなの?」でいいかなと。

ああ、そういえば、劉伯温の漫遊記見たいなぁ。

2010/02/04(木) 朱元璋:ちょっと気になる中国服飾
毎週、着々と借り進めている朱元璋、先日「誰か、脱げー!」と書いていたら、揚州知事、楊憲(北京語でヤンシェンと読みます)が官服でやってくれました。
丸首のソレは、生地の関係で縫い目や、合わせ目が非常に見えにくいのですが、右肩口に紐があり、ここで片輪結びしています。
ここから、斜めに脇へと合わせが流れます。
日本の装束のあげ領の作り方と同じです。
下前なんですが、どうも、上前と同じ幅ありません。
オクミをつけない幅という感じ。
中国の各民族の衣装で、同形態で残るものが同じように、下前にオクミを持ちません。とすると、この形態なのかな???
チャイナ服や、ベトナム服にも下になる部分は最低限しかないし。

日本の装束は、今の形態では、下前にもオクミをつけて、左右対称にしています。古いものでは、オクミに非対称なものがありますが、下前のオクミは正倉院の御物にも存在しています。
正倉院の衣服は、かなり唐服そのもの近い状態なので、唐代には下オクミはあったのかもしれまでん。
でなければ、なけなしの生地を使う日本では、無意味な模倣無視をしないでしょう。

もう一点、「椅子の座り方」
現在の日本の着物でも、羽織の裾なぞ、場合によって尻に敷いたり、後ろにはねたりしてるわけなんですが。

第四王子の婚礼に招かれた官吏達が座る様子でよくわかりました。
背もたれのある椅子では、後ろの裾をそのまま敷いて座ります。
背もたれのない椅子では、裾を後ろに流して、敷き込みません。
うーむ、なるほど。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.