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2010/10/21(木)
結構いるんだ、武将の末裔
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車の運転の最中にぼーっと聞いていたNHK第一
「ゲストは明智・・・さんです」
ほぇ?
「あの、明智光秀のご子孫です」
死んだのではなかったのか? 否、その妻と子供は逃げたんだっけ。
「某コンピュータ企業でエンジニアとしてご活躍の後、現在は某IT企業の取締役」
「御歳 62歳」
ぶっ! イヤ、いくつでもいいんですが。 以前、誰だったか、戦国武将の末裔がやはりIT関連でエンジニアしてた記憶が。末裔の戦場は今はITが戦場か?
私も足利の末裔なわけで、ITエンジニアなわけなので。 お客様ゲットのための攻略だの、システムを構築するときの高揚感って、ゲームなんかよりずっとゾクゾクします。
(親より、最新情報によると、足利本家からは超遠い血筋になるんですが、幕末時点でも、本家紋と同じ「七つ割二引き」を引き継いでいます。分家すると、僅かでも差異が入る(外側の丸の太さが違うとか、丸と二引きの間に線があるとか)んですが、それが一切なく、足利尊氏と全く同じ家紋なんだそうです。一体、足利んなかでどういう立場だったんだ、我が家? ちなみに、足利尊氏が歴史に登場した時点で、ウチのご先祖様は田中氏を名乗り、足利じゃないです。まぁ足利氏ってのは足利という土地に住んでいた源氏であり、ウチはそのとき田中庄を本拠地にしてたんだそうです。だから二引き紋は尊氏より以前の代に設定されてたんでしょうね。)
戦国時代って、随分昔な気がして、しかもそこで討たれて歴史から姿を消した武将達って、そこで絶えてしまった気がしてたんですが、結構生きてるんですよね。 もちろん、幕末に藩主だった人達は当然、ほとんどが叙爵されて、今に至っているわけですが。
毛利に討たれた尼子氏、なんと、毛利は、広島に連れてきて、挙句、長州移住の際にも同伴して、千石を与えます。この尼子は後に佐々木と名を変え、幕末まで、長州の禄を食んでいます。その末裔もどうやら現存しているようです。
織田信長の子孫。スケーターとして有名ですが、幕末には、奥州の弱小藩として生きていました。「織田の末裔なるぞ!」とばかりに頭の高い藩だったとか。 奥州の真ん中なのに、奥州列藩同盟に逆らい、官軍についたので、藩主かついでホウホウの体で逃げ出す羽目に。
佐竹氏。戦国時代は常陸の辺りにいましたが、徳川時代に秋田に転封。この辺は、毛利や上杉の転封と一緒ですね。 減封なので、連れて行ったのは家中のうちたった千人。残りは帰農させたってことなんでしょうか。そこが水戸藩になります。 なんと、この佐竹のお殿様は今の秋田県知事です。秋田県知事って、ずーっと佐竹氏がやってきたってホント? なんか、武士の時代が終わっていないって錯覚に陥ります。
首相にまで上り詰めた細川のお殿さんも、熊本県知事してました。 他の地方でも、元藩主が県知事っていそうな気分。
現住所である忍城の戦国時代のお館様、成田氏も現存しています。徳川時代は、忍藩は家老を勤める松平氏が治めていました。 成田氏は、秀吉の小田原征伐で北条の敗北により城を明け渡していましたが、現在では、隣の市に住んでいるとのこと。 忍城時代祭で武将役を勤めることもあるそうです。
私が子供の頃の近所には「土岐さん」という人が住んでいて、これも、守護大名であった土岐氏の末裔だそうな。 祖母が親しくしていた関係で三つ襲ねの着物を頂いたのですが、そのうち1枚を私の成人式用にと染め直した際に出てきた反物の端に織り込まれた和紙に書かれていた年号は江戸末期のもの。 昔は「お古じゃん」と思っていましたが、最近は「なんか、スゴイものなんだろうな」と思うように。 ありふれたような一越縮緬(にしてはちょっと粗め。1.5越位なイメージ)ですが、年号からして高機であっても手織りですよね。
勤務先の親会社には、冷泉家の方がおられました。 あの、京都の冷泉家のご当主。武将でなくお公家さんですが。 戦国時代、徳川時代を生き抜いてきた家系です。 親会社、やっぱりコンピュータ企業です。
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