優妃 讃良の着物についておもうこと
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2010/10/29(金) 戦国鍋TVを見た
冬将軍、居座っちゃいましたね。きっぱり冬です。

新聞に「のぼうの城」の行田ロケの話が載っていました。
やはり、石田軍のシーンでした。
この映画では、石田軍は赤のイメージなんですね。
「畳胴具足」と呼ばれる、小さい長方形の板をつなぎ合わせて胴にした鎧を身に着けていました。この板の部分が赤、つなぎは黒。
これも「当世具足」の一種で、折畳んで携帯可能という便利鎧です。動きやすそう。

って、昨夜は「戦国鍋TV」を見ました。
うん、良くも悪くも、予想通りの番組でした。
強いて言うなら「この場で歴史の勉強になる」というよりは「歴史を知ってないと、笑えない」というとこかな。

この日、アイドル・ユニットは「堺衆」でした。今井宋久やら呂宋助左衛門などの6名ユニット。
私はNHK大河ドラマの「黄金の日々」で彼らを知ってるけど、お姫さんだと「今井宋久はテストに出るよ」」という程度。
既にここから、堺衆について、ちゃんと知っていないと、「お話をうかがいましょう」と言って出てくる呂宋壷(ルソンつぼ)のネタにも笑えない。
このアイドル・ユニット、シスガタケの七本槍での歌聴いて「いい声してんなー」と思ってたんだけど、今回のもいい声でした。
次が「家紋を覚えよう」コーナー。現代衣装の中に、一人違和感な折り烏帽子にヒゲ面のKYなオッサン。服がジャージで、着こなしバッドなその男は、ケータイゲームのブロック崩しに挑戦して「あんた、やったことないでしょ」とバカにされる。
この折烏帽子とヒゲの形状が誰かを思い起こさせるが、頭はそれを拒否する。
ブロック崩しは終盤にいって、ボールがバーを越えて下に回りこみ、三ツ星を作る。

   ―
   ∴

「もうやだ、毛利元就!」

気分を害した、ケータイの持ち主は席を立つ。
やっぱり、このKYオッサン、毛利元就だったんだ。
家紋入り直垂に折り烏帽子の肖像絵図通りのヒゲ面。
予想通り「特定のキャラに思い入れがあると、石投げたくなる」

NOBUバーは、伊達政宗と片倉小十郎がオカマで登場。
伊達ママは隻眼でピンときたけど、相方は誰?
姫と「ここは小十郎しかいないけど」と言いながらも、特定できる呼び名もほぼ最期というとこまで登場しない。
(相方が小十郎だと思うのはゲームの影響だが、やっぱりそれで当り)
「海外派遣から外れたい」という客の愚痴に「伊達政宗は、逆に目立ちまくって上司に気に入られ、海外派遣から逃れられた」と助言。これは伊達が派手して朝鮮遠征を回避し、名護屋城で後詰めを賜った話。毛利輝元だって朝鮮に渡ったというのに、利巧な奴!
というとこに「ママ、戻ってきたよ」
と浮浪者のようなナリの男が登場
「あなた、ハセクラ・・・」
「ほら、肖像画も描いて貰った、ローマ市民権ももらった」
愚痴ってた社員「海外派遣って、こうなるんだ!!」と絶望。
歴史知っていないと、もうここは笑えない。
浮浪者のような男は支倉常長。伊達政宗がローマに派遣した使節。彼はローマ教皇に謁見し、肖像画も市民権も史実。
伊達ママは朝鮮どころかローマなんて遠くに部下飛ばしてた。
もう、予め知ってるか、予習か復習しないと判んないってば!

でも、なんとなく、毎週見てしまいそう。

2010/10/28(木) 「のぼうの城」キャスト発表
うー、さぶさぶ。もう冬の氷雨です。

「のぼうの城」映画のキャストが追加発表されました。
配役衣装での発表も今回が初ですね。

タイトルトールののぼう様役 野村萬斎、『陰陽師』でも「他の人と違うヘンな人」を演じていましたが、今回もやっぱり「他の人と違うヘンな人」を演じるようです。

どっちも「他の人には見えていない何かが見えている。皆と同じになりたいのに、同じにはなれない」っていうものを背負っています。
これは、狂言師を生業(なりわい)とする彼そのものにも通じることなのでしょう。TVや映画にも出演する彼ですが、一緒の仕事する俳優さんやスタッフの人達と「違う」ことを感じているわけで。
『陰陽師』の撮影中秘話でも、「付き人にあたる人がお弟子さんらしく、朝早くに稽古をつけてた」なんてのが出てて、そういうとこからして、もう他の出演者とは違う一日や気配りをしてる。

今回のインタビューでは「同じになりたいと思ってたけど、同じにはなれないのだということを40になって理解しました」旨が出ていました。
私もそうだったかな。40歳は「不惑」と言いますが、努力してどうにかなるものと、どうにもならないものが見えてきちゃうのが、その歳なのかな。

写真を見ると、色白の萬斎さんは遠めにも周りの武将役と「違う」印象に映っています。
立ち姿からして、狂言役者の癖なんでしょうね、ちょっと違ってる。

と、いくつかのサイトを回ってみたら、腰より下まで写ったのがありました。
他の男性武将役は肩幅に足を開いているのに、萬斎は足をそろえています。違いはここにあったか!
おっと、これは「戦国BASARA」での毛利元就の立ち姿!!
萬斎扮するの元就様姿をちょっと妄想。
舞を舞うような足運びをするゲームの元就様。俗に「モデル立ち」と呼ばれていますが、それよりは能や狂言の立ち姿という方が、納得の。

公開は来年の秋。まだ1年近く先なんですね。

2010/10/27(水) 「忍城おもてなし甲冑隊」に会う
ピーカンの天気ですが、「冬の晴天」です。
昨夜は赤城おろしがピープーと音を立てて荒れ狂っていました。

今日は、古墳公園で「のぼうの城」のロケやる予定ですが、参加者さん、寒くて可哀相に。
古墳公園にある丸墓山古墳は、石田三成が実際に陣地を構えたところです。すぐ側に「水攻め」に用いた石田堤の残骸も残っています。

雑兵役のエキストラ募集してましたが、丸墓山の場となると、三成軍側かな。芝生も広くあるので、交戦場面も撮れますが。
行田市として「ロケ誘致」活動してるとかで、今後もロケがあるかもしれないです。

さて、そういう日だからなのでしょうか、つまりが、ロケ見に来た人がついでに行田観光してくれんじゃないか、って思惑なのか、平日にも関わらず、「忍城おもてなし甲冑隊」が忍城に出張るとスケジュールされていました。
土日メインで出ているのですが、土日って、意外と時間がつくれず会えずしまいでした。
本日は、成田長親どの、正木丹波どの、酒巻 靱負(さかまき ゆきえ)どのの3名。他の2名は別場所でサービス中と。
って、ロケ地の方かな。

こちらは、黒の江戸小紋に黒袴で。
寒くなると、やっぱり正絹袷が有効です。長じゅばんも正絹の袷の。昨今、袖だけ袷で胴は単のものが増えていますが、ベージュにぼーっと白ぼかしでウサギを描いた地の襦袢は胴も袷仕立のもの。こういう寒い戸外だと「寒いですか?」ってなもんです。

武者姿の仔細については、丹波どのが一番お詳しいようで。
「座るのは胡坐ですか?」と聞いたら、「武者座り」という座り方があるそうで、実演してくれました。
「小笠原流ですか?」と聞くと、もっと古い古流だとか。
こういう立ち居の作法も色々あるのですね。
私の知っているのは公家装束による作法の一例なので、武家系がまた違うというのは、新鮮でした。

「夏は暑かったですよ」との話。
そりゃ、衣装は通年同じ。逆にそろそろ寒いかも。
本来ならば、下帯に下衣つけて、麻の鎧直垂を着用し、その上に防具をつけて、鎧となるわけですが、本日のいでたちによれば、見えるとこプラスα程度の襟に、篭手を着用。

洋服を着慣れた人は「着ない方が涼しい」と思い勝ちですが、汗の吸収の良い下衣を着ている方が涼しいのです。
なので、篭手を直にはめるよりも、その下を布類で覆っていた方が涼しいのです。木綿も良いですが、麻はもっと効果覿面。
鎧直垂は錦地は礼装用。本義は麻です。つまり、夏だって結構すっずしいわけ。

しかも、昔は大きなパーツが作れないので、金属を使うのでも、小さな断片にしてそれを縫い合わせる形態でした。これだと、パーツ間で空気の出入りがある。
が、安い昨今のモドキ品だと胴なんか、一体成型ですからね。樹脂のそういうのは、暑いすよ。
戦国だと胴は金属の一体成型の「当世具足」が登場します。
それだと樹脂と同じで結構空気の流れが遮られて暑苦しかったのではと感じますが、そこはチョッと待て。
当世具足なんて、最新流行のものを着るのは大将格位。
討ち合いしないときは「具足姿」といって、鎧は着用していないのです。雑兵はすぐに出るので着用しっぱなし。着用時間が違うのです。ここポイント。

「のぼうの城」のキャスト発表で、長親役の野村萬斎はこの「具足姿」で写真に写っています。「合戦に出ないですから」ということでした。この映画の間、長親の鎧姿って見られないのかも。
三成に会う「城引渡し」の場面だと、もう武装解除ですから、具足ですらなく、直垂姿かもしれません。

おもてなし隊と、何を話しているんでしょうね、私ってば。

2010/10/26(火) もう冬ですか
「10月入っても、夏物単衣でないとやってらんないわねぇ」なんて、言ってたら、今日の夕刻からは、冬型低気圧が寒気団を引き連れて南下してくるとかで「山間部では雪になる可能性も」という寒さ警告が出た。

今年は極端ですねぇ。
もう室内でも、浴衣の着流しじゃ寒くて、化繊の白小袖に化繊の半襦袢、袴姿になりました。
日曜はその格好で、50cm四方のミニ・ホットカーペットの上に鎮座してました。我が家の初冬の暖房器具です。これに薄掛けをかけて足のせてると「台のないこたつ」という次第。

外出はもう長羽織も袷です。10月最初だと、紋紗の単羽織でも暑かったのにね。

重ねが可能になると、色々と取り合わせができるので、着物は冬がやっぱり楽しいです。

2010/10/25(月) 戦国鍋TVって、なんじゃー
某戦国関連情報を検索してて付随的に出てきたキーワード「戦国鍋TV」。
キーワード検索してみたら、ホントにTV番組でした。
「空前の歴史ブーム」に対応してできた「かるーい感覚で歴史『も』わかるようになる番組」らしい。
如何せん、週に一回の深夜番組では、今のとこ、サイト掲載されている写真位でしかわからないので。

「シズガタケの七本槍」だの「天正少年使節」「浅井三姉妹」といったアイドル・ユニットまでいる。
このユニットも含めて、登場役は、他の番組やゲームに登場する人物とは全く異なる。特定の作品のあるキャラ設定に思い入れのある場合は見ると仰け反ると思う。実在人物そのものに思い入れのある人も駄目。かるーく、冗談と受け流そう。

ちょっと見てみたい、気になる番組。

2010/10/24(日) 受験は団体戦じゃー、というが
ウチのお姫さんの学校では、「受験は団体戦だ!」と気合をかけます。
同じ学校を志望するもの、同じ学部群を志望するもの、と各グループので切磋琢磨しあい、励ましあって、受験戦争を生き抜くのだと。

なんですが、お姫さん「別に、誰がどこ行こうと思ってるかなんて、どーでもいーしー」と、既に「絆」脱落。
んで、友人に「駄目だよ、そんなことじゃ。同じとこ受ける子の情報位仕入れとかなきゃ」などと言われたとか。

お前はどこの元就じゃ
(って、「戦国BASARA3」の毛利元就ね。絆だの友情だのを解く徳川家康や、切磋琢磨の伊達政宗x真田幸村と一線をかくし、「我は一人で良い」などと言い張るキャラ)

ま、しょうがないんですが。ここ関東の学校なのに、第一志望が関西地区の国立ってとこで既に希少集団状態。
文系理系揃ってる大学なのに、この学校からはもっぱら理系からの志望者しかいないのはこれいかに。
(理工系の方が注目の大学ではありますが、なんでかね)
更に、学部としても、実学系がやはり増えているので、「文系」といっても、経済・経営か教育学部、心理学系が多数を占める。
お姫さんの狙うのは「哲学」の一分野「美学」。この冗談のような名称の専攻が実在すると知ったのはここ数年。純粋数学と並んで「実学から一番遠い学問」の仲間。すでに、この分野狙った時点で、お仲間が消滅。

駿台行けば、同じとこ受けるのがヤマといるので、某大学向け講座なんかは、モロ「同志よー!」ですけどね。

残念なこと、学校じゃ孤立状態。

まぁ、「みんな、同じ受験生」でいいじゃないね。

2010/10/23(土) 彩球オーディオ倶楽部発表会
本日は、彩球オーディオ倶楽部の発表会です。
久々に受付を担当

「お、久しぶり」
幹事や常連の方々が再会を喜んでくれます。

本日は、今年の冬用に誂えた江戸小紋です。
黒地の小紋ですが、白抜き分が広いので、「白地に黒」な印象の染めえす。型彫りなんでしょうか、変わったデザインのです。

正絹なので、袖丈は1尺5寸に。並寸の袖幅と袖丈のの比率を、私の袖幅9寸5分で実現すると、袖丈は1尺5寸なのです。
袖幅に限らず袖丈を1尺3寸にするのが一般的ですが、こうすると、袖形状は正方形に近づいて、ちょっと間抜けな印象。

袴は黒に桜の刺繍の。化繊袴は刺繍は桜柄しかないのよねぇ。
帯は、着物と袴が黒なので、蘇芳地に白レースをかけた兵庫帯。
かけ襟は萌黄の紋織り。ちょっと広めに出しました。
長羽織は、薄花田の花織り風の化繊。

今回は、会場には入れる時間がなかったので、視聴していないのですが、舞台袖が開けっぱなしだからか、結構音が響いてきます。「2番目のアンプの音の伸びいいなぁ」と思っていたら、やはり、他の人の評価も良かったようです。
ヴォーカル曲はパーツも回路もリキ入れなくてもそこそこ聞けるのができるのですが、クラシックの楽器、しかもオケ編成だと音域が広いし、音の強弱も大きいので、大変なのです。
今回の発表作品は、定評のあるパーツの上に、ちょっと凝った回路設計だったとか。回路図集は事前の売り上げよりも、帰り際の方が売れました。「これは、回路みときたい」と思った人がいたってことかと。

人数は「主催者発表」って言い方だと200名って感じかな。
いつもより、少し多かったです。

2010/10/22(金) 忍城 mononofu5グッズ
忍城 キャラ・グッズであるmononofu5に新グッズが出ていました。
缶バッチ。ガチャポンで一回100円。
甲斐姫のバリエーションが多いので、出現頻度は高いそうな。
金のパックが出たら、当り。当りグッズである下敷きがつきます。

ウチは狙いの酒巻 靱負(さかまき ゆきえ)を一発で出す。

おーっし、運いいぞ。

タカラッシュのゴール地点の一店、シャロンというケーキ屋さんは、「甲斐姫のおやつ」シリーズに、2枚いりのラスクを追加。
ラズベリー味の甘酸っぱいソースがグーッド。
タカラッシュでも「抽選でラスクの詰め合わせ」が当るのだけど
ここのラスクって美味しい。甲斐姫シリーズはこのタカラッシュからのお目見得えの新商品。

マドレーヌの「甲斐姫のおやつ」は7個入りの箱入りの場合は、mononofu5の甲斐姫キャラカードが添付。ピンクのマドレーヌを背景に甲斐姫がニッコリ。

もう一軒のゴール地点「タシロ」の方では、木綿のスカーフが登場。今までは、甲斐姫はピンクかマゼンタだったのだけど、ここでは赤が甲斐姫カラーに。赤は正木丹波じゃなかったっけ?

2010/10/21(木) 結構いるんだ、武将の末裔
車の運転の最中にぼーっと聞いていたNHK第一

「ゲストは明智・・・さんです」

ほぇ?

「あの、明智光秀のご子孫です」

死んだのではなかったのか?
否、その妻と子供は逃げたんだっけ。

「某コンピュータ企業でエンジニアとしてご活躍の後、現在は某IT企業の取締役」

「御歳 62歳」

ぶっ!
イヤ、いくつでもいいんですが。
以前、誰だったか、戦国武将の末裔がやはりIT関連でエンジニアしてた記憶が。末裔の戦場は今はITが戦場か?

私も足利の末裔なわけで、ITエンジニアなわけなので。
お客様ゲットのための攻略だの、システムを構築するときの高揚感って、ゲームなんかよりずっとゾクゾクします。

(親より、最新情報によると、足利本家からは超遠い血筋になるんですが、幕末時点でも、本家紋と同じ「七つ割二引き」を引き継いでいます。分家すると、僅かでも差異が入る(外側の丸の太さが違うとか、丸と二引きの間に線があるとか)んですが、それが一切なく、足利尊氏と全く同じ家紋なんだそうです。一体、足利んなかでどういう立場だったんだ、我が家?
ちなみに、足利尊氏が歴史に登場した時点で、ウチのご先祖様は田中氏を名乗り、足利じゃないです。まぁ足利氏ってのは足利という土地に住んでいた源氏であり、ウチはそのとき田中庄を本拠地にしてたんだそうです。だから二引き紋は尊氏より以前の代に設定されてたんでしょうね。)

戦国時代って、随分昔な気がして、しかもそこで討たれて歴史から姿を消した武将達って、そこで絶えてしまった気がしてたんですが、結構生きてるんですよね。
もちろん、幕末に藩主だった人達は当然、ほとんどが叙爵されて、今に至っているわけですが。

毛利に討たれた尼子氏、なんと、毛利は、広島に連れてきて、挙句、長州移住の際にも同伴して、千石を与えます。この尼子は後に佐々木と名を変え、幕末まで、長州の禄を食んでいます。その末裔もどうやら現存しているようです。

織田信長の子孫。スケーターとして有名ですが、幕末には、奥州の弱小藩として生きていました。「織田の末裔なるぞ!」とばかりに頭の高い藩だったとか。
奥州の真ん中なのに、奥州列藩同盟に逆らい、官軍についたので、藩主かついでホウホウの体で逃げ出す羽目に。

佐竹氏。戦国時代は常陸の辺りにいましたが、徳川時代に秋田に転封。この辺は、毛利や上杉の転封と一緒ですね。
減封なので、連れて行ったのは家中のうちたった千人。残りは帰農させたってことなんでしょうか。そこが水戸藩になります。
なんと、この佐竹のお殿様は今の秋田県知事です。秋田県知事って、ずーっと佐竹氏がやってきたってホント?
なんか、武士の時代が終わっていないって錯覚に陥ります。

首相にまで上り詰めた細川のお殿さんも、熊本県知事してました。
他の地方でも、元藩主が県知事っていそうな気分。

現住所である忍城の戦国時代のお館様、成田氏も現存しています。徳川時代は、忍藩は家老を勤める松平氏が治めていました。
成田氏は、秀吉の小田原征伐で北条の敗北により城を明け渡していましたが、現在では、隣の市に住んでいるとのこと。
忍城時代祭で武将役を勤めることもあるそうです。

私が子供の頃の近所には「土岐さん」という人が住んでいて、これも、守護大名であった土岐氏の末裔だそうな。
祖母が親しくしていた関係で三つ襲ねの着物を頂いたのですが、そのうち1枚を私の成人式用にと染め直した際に出てきた反物の端に織り込まれた和紙に書かれていた年号は江戸末期のもの。
昔は「お古じゃん」と思っていましたが、最近は「なんか、スゴイものなんだろうな」と思うように。
ありふれたような一越縮緬(にしてはちょっと粗め。1.5越位なイメージ)ですが、年号からして高機であっても手織りですよね。

勤務先の親会社には、冷泉家の方がおられました。
あの、京都の冷泉家のご当主。武将でなくお公家さんですが。
戦国時代、徳川時代を生き抜いてきた家系です。
親会社、やっぱりコンピュータ企業です。

2010/10/20(水) 戦国BASARA 毛利元就の服の地
戦国BASARAの毛利元就の服、バサラなので洋服ぽいのはいいんですが、鎧と思しき部分は肩から袖を覆うもののみ。

戦装束としては軽装すぎません?

と気になっていたのですが、とある番組にヒントとなる情報がありました。
英国のガーター騎士団の話をTVでやっていました。今も騎士がいるのだそうで、その一人が正装してくれました。
真っ赤な生地は当時、日本で「羅紗」と呼ばれていたフランネルでしょうか?

「正装といっても、戦に出られるようになっている仕立てなので、結構重いですよ」と言う。普通の腰までの赤の上着に白のズボン、長靴にしか見えないですが、生地は目の詰んだフランネルを重ねたもののようです。

戦国時代、南蛮交易によって、このフランネルこと羅紗は日本に到来していました。バサラ武将達は南蛮染料による色鮮やかな染めのこの羅紗で陣羽織やマントなどを仕立てさせ、身に着けていました。

ということは、戦国BASARAの毛利元就の服の生地は羅紗?
だとすれば、戦装束としての理屈もつきます。刀が薙いだ程度では生地は切れません。ズボンも羅紗かな。鎧なら、膝上にも防具がつきますが、元就サン、防具つけてないし。表地は織り紋が浮いているので、今では帯地になる固織地なわけですが、袴は重ね穿きは普通なので、下に羅紗地の袴を身に着けているのかも。

戦国BASARAのキャラ設定した一がそこまで考えて、デザインしたってことは、ぜーったいにないと思っているんですが、こちらとして一人合点がいったという次第。

10月絵日記の続き


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