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2008/03/29(土)
同窓会でみつけたものは
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今日は高校のクラブの同窓会。 同期会のある学校は普通ですが、高校でクラブの同窓があるのは珍しいようです。しかも、ここんとこ毎年という律儀さ。 場所は、学校に隣接する同窓会館。以前は構内にあって利用が制限されていましたが、建替え時に外から出入り可能な形態に変り、同期会にもよく利用されています。
学校は明治初期をスタートとしています。ウチのクラブも昭和37年が記録されている第一期クラブ員です。「報告欄」では「もう60歳で仕事辞めて悠々自適」なんて書かれていたりします。 そうかと思えば、卒業一年生は当然大学入学報告。ここ数年の卒業生の進学先って東工大とかゾロゾロいて、なんかスゴいです。 といっても、同じクラブの上と下。話していると、そんなすっごい感じは全然しないんですけどね。
会館の廊下には、かつての卒業生の写真とか貼ってあったりします。やはり昔は袴姿。
被服史からおっかけたところ、この学校の初期時の女生徒の着てたものは、男袴に黒っぽい着物。その後、女袴に移行しています。教師は最初の女子生徒を男子と間違えていたのもさもありなん。(契機となる最初の場所は、女子校でなく男子向けの英語塾。その女子の存在から女子向け英語塾が開校されます。) 江戸幕末頃から、男子に交じって学問する女子は男袴を着用したそうです。明治初期、英語を習う女子は同様に男袴を着用したそうです。「袴姿=勉学する姿」とみなされていました。
いや、あれ、これって、昭和20数年。戦後じゃありませんか! 袴の写真はここで最後。トビトビなので、この年を最後に袴が消えたのか、また卒業式だけ袴だったのかは不明です。色は不明。白黒写真に濃淡がないところをみると揃いではあるようです。 何色だったのでしょうか。
数えると、戦時中に中高を過ごして、戦争終了数年後に卒業した計算の方々です。当時は着るものにも何にも不自由した時代の筈。学校にいける程余裕のあった人だけの特権とも言えますが、また「戦後、何をして生きていくか」と積極性に燃えた方々でもありました。私がいた時期の先生の中でこの時期の卒業生がいて、話してくれています。明治の最初の開校の際に「明治になって、何をして生きていくか」と同様に。 建学の精神が他の女子校と異なるだけに、とても「お嬢様学校の卒業生」とは呼べない女性を今も輩出しています。 特に、男性ばっかりの職場や学校でも平気の平左なのが揃っているのはこの学校の特徴でしょう。
結構最近(?)まで、この学校は袴だったことを知ることになった日でした。
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