優妃 讃良の着物についておもうこと
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2007/09/30(日) 免許更新ー二度目の着物姿
今日の雨は、寒いなと思ったら「11月頃の気温です」と天気予報が述べていました。
袷の着物に単の襦袢では肌寒い程でした。

そんな雨の中、免許の更新に行ってきました。
着物姿での免許更新は5年前に続いて2度目。
前回は、薄紅色の小紋に黒の紗羽織でしたが、今回は、縹色(はなだいろ)地に菊紋様の小紋にしました。
襟元がポイントになるので、珍しくも襦袢にプラ襟芯を入れました。

また、これで五年間、着物姿の免許証です。

2007/09/23(日) 酒田に帰省 −中日
こちらに来ると、さすがに、天気は良くても、日陰に入ると涼しい秋の陽気。
今日は、持参の縹地に菊紋様の化繊の小紋。菊の葉が丸紋状になって菊の丸と二重になっています。
菊は白抜きで花弁を描いて、その全体にボワっと浅黄という、若干渋めの薄い黄で丸を描いています。菊葉は逆に、濃縹を丸くぼかして、中に葉が浮き上がる染め方に。

これは、数日前に三越の秋の着物市で買い求めたもの。
化繊の着物でも、結構シャレた柄にお目にかかれることっもありますが、まさに一期一会。
今回も目に留まったのはコレ一枚っきりです。
八掛けも木賊色(とくさいろ)で渋いので「うーん、ババ臭いかなぁ」と思ったんですが、袴の色や帯に暖色使えばいいかなと。
明るめの小物を使うと、青磁系の色も悪くないって歳になってきました。歳取るのはいやだけど、こういった年配向きの色は、年配にならないと、顔映りがきまらないので、そういう意味では、憧れなのです。

それを着て出かけるさきは、清川郷。
酒田から最上川を遡ると清川郷という集落があります。
ここは、新撰組結成のモトとなった清川八郎の生地なのです。
清川記念館といって、清川八郎に関する資料館があるので、行ってみたいと思って、なんども門前までは着たのですが、まず盆暮は開館していないのです。お彼岸なので、ちょっとドキドキでしたが、幸いにも記念館は開いていました。

清川八郎については、「たそがれ清兵衛」で有名な藤沢周平他、何人かが歴史小説も書いていました。
「江戸にて浪士組を募り、京にて討幕の勅旨を得て、江戸に戻り、江戸にて惨殺」という点しかしらなかったのですが、彼は彼なりに、浪士組結成前の部分もドラマチックな生を生きていました。やはり、幕末の志士は誰をとっても、見事な生き様です。

そして、次は殿の番。
最上川沿いは、陸羽西線の走る路線でもあります。
清川郷の集落の上流側のはずれが、川の合流点。
そこにトンネルを出た直後に長めの鉄橋が架かっています。
1時間に往復で2本程度しか走らない単線。
先ほど、集落内の駅で見てきた時刻表を頼りにトンネルから出てくる気動車を待ちます。(ここは、架線もない、非電化区間。ディーゼル機関の車両が走るのです)
たら、背後からゴトンゴトン?
「え??」
トンネルに向かう列車をパチパチ写真撮り。

どうやら、上りと下りを間違えていたようです。危ない。
ところで、新庄と酒田って、どっちが上りなんだろう?

2007/09/22(土) 秋の酒田に帰省
今年は、お義母さんが、手を挫いて骨折してしまったことから、夏の帰省は遠慮したので、秋に帰省となりました。

大宮駅で下校してきたお姫さんと合流し、上越新幹線に乗車。
今回の切符は「三連休パス」。JR東日本全域とJR北海道の函館近辺迄が範囲の3日間のフリーパス。

この時期、酒田まで行く人は少ないのか、新幹線も、新潟で乗り継いだ 特急いなほ も空いていました。

酒田到着は21時近くになるので、いなほ車内で夕食にするべく、大宮駅で駅弁を購入しました。新潟駅では、乗り継ぎ時間が短いので、買い損なう恐れがあり、いなほには車内販売はありません。

おテツな優妃は、陶器製の新幹線はやて号型の弁当箱を発見!
中身無視でこれに決めてしまいました。
明けてみると、まあ子供向けなんでしょうね。チキンライスに鳥の空揚げなんかが入っていました。外は持ち帰るべく包みなおす。
「前にも、はやて号のアルミの弁当箱の買ってきたよね。」
と御姫さん。ある日の塾に持参した夕食がその弁当箱に入っていたので、塾内が沸いたんだとか。あれは、モロ真四角な、昔懐かしい「弁当箱」といった風情のものでした。あのときの中身は結構マトモなものが入ってましたけどね。

いつものように、袴姿。今日も30度を越す好天気なので、9月後半といえども、とても単の着られる気温ではありません。
というわけで、単の夏お召しに見える木綿の着物に黒紗の長羽織を重ねて、袴は、合いの萌黄の化繊という組み合わせにしました。向こうにつけば涼しかろうと、持参する着物は袷にしました。

2007/09/16(日) 着物の合う色柄、合わない色柄
着物はホントあててみないと「似合う」かどうかわかりません。

昨日の話の続き。
叔母とその娘である従妹はひどく似た顔立ちをしています。叔母の姉妹も、更に、従妹の3人の娘のうち中の娘も「瓜二つ」という程似かよっています。

ところが、似合う着物が全然違うんです。

叔母は、ふんわりした色合いをぼやーっとした柄であらわしたものが似合います。絹色綸子のに薄紅、薄花田、薄萌黄でピントの甘い写真で撮った花柄をあしらったような小紋をパーティ着にといって、実に似つかわしい華やかさを出します。

ところが、その娘がその綸子を着ると、どーみても「普段着小紋」の域を出ません。彼女に似合うのは、成人式の際に自分で色柄を選んで染めてもらった江戸小紋。赤地の梅柄で、ところどころの花に紫の丸が重ねてあります。「赤なんて、若い頃にしか着れない」なんて思いきや、四十路を越した今でも赤の色が良いのか、全く問題がありません。帯を歳なりに若干風格のある年配系にしていることもバランスの問題かもしれません。
畳んだままでは「これは普段着ぽいからダメね」って感じなのが、風格のある西陣系の袋帯にも負けることなく、実にフォーマルになります。なにより、顔映りが良い着物です。

中の娘は、更に違います。若いこともあって、もっとはっきりした色が合います。こちらには、くっきりと鮮やかな鶸色の総柄小紋に黒しゅすの半幅帯を。

しかも、畳紙開いただけでは、誰にどれが合うかとんと予測もつかない。
いや、私だって、そうなのです。「この色いいなぁ」と思った反物をあててみたら、全然似合わなくて「この色だけはパス」と思ってたのが「なんで、こんなに似合うのよ!」ってことも少なくありません。
「赤だから似合う」とか言うのではなく、同じ赤でも実に微妙に多彩です。似合う赤もあれば、似合わない赤もあるのです。

2007/09/15(土) 一夜漬けの着付け講座
本日は、碑文谷八幡宮の秋祭りです。
子供の頃から慣れ親しんだお祭り。
祖母の生存中は、「敬老の日」でもあるので、皆が集まりました。
祖母が亡くなったので、「皆が集まる日」ではなくなりましたが、その家には今も叔父夫妻が住みます。
お祭りだけ行って、家を素通りすると、「水臭い」なんて言われる位、田舎っぽい習慣の持ち主ですから、ありがたく、寄り道させてもらいます。

ここいら辺では、この八幡様のお祭りが、浴衣の着納めになります。現実、9月15前後までは残暑も厳しいのですが、ここから9月末にかけてはグングン涼しさがまして、10月1日には問題なく衣替えのできる気候になるのがよくある毎年の動き。

本日は、綿縮に正藍の長板中型染めの浴衣に黒紗紬の長羽織。
帯は、紗献上の半幅に夏組みの帯締めを添えて。

叔父の家についてみたら、「来る」といっていたこの叔父の娘である従妹も既に到着。別室でなにやらしています。
彼女の夫は、一時期パリの大学院で勉強していた時期があるのですが、その大学院の同窓会が何年かに一度あるのだとか。
子供もいるし、遠いパリの話なので、そうそう行けるものではないのですが、今回は子供達のスケジュールも調整できて同行可能とかで「行こうか」ということに。

そして、従妹に持ち上がった重大難関が発生!
ダンナがその同窓会のパーティで着物を着ると言い出したのだそうな。彼は良い大島のお対を持っているとか。同窓会なら、格好の着物です。こういう国際社交機会において、お国の民族衣装を着るのはよくあるケースです。

となると、パートナーとして同伴する妻としては、やはり着物を着ざるを得ません。
ところが、彼女は、祖母からも親からもきちんきちんと着物を誂えてもらってきたというのに、まぁ、着物敬遠組。
もちろん、祖母の葬儀だって法事だって洋装の喪服で通しました。
よくある、昨今の日本の女性の姿です。

ところが、夫に選んだ相手は、外資系社員でパリ留学も経験というインターナショナルに活躍する存在。意外にもインターナショナルな立場な者こそ、「和」とは無縁ではいられません。

というわけで「今回は着物を着よう」というお題目はよろしいが、妻は一人では着物を着付けられないのでした。
本日は、そんなで、親から着物の着付けのインスタント講習会。
もちろん、「一人着付け」ではなく、娘に後姿の確認や、帯の位置あわせなんかさせる形態。
幼い頃から、ウチの御姫さんの浴衣のお下がりなんかをすっごく喜んでいた、中の娘が衣紋役をかって出ました。
当人も着物を着たいというので、「浴衣でもいいから」というので「ちゃんとした着物、小紋に半幅帯で良いから」と叔母の箪笥から似合いの小紋としゅすの小袋帯を選び、文庫結びを教えました。やっぱり彼女は着物好き。あっという間に、一人で文庫結びができるようになりました。
もちろん、自分の親の着付けも彼女の手で行うのです。

「あなた達、着物着ないっていうから、派手な若い頃の着物なんか、みんな処分しちゃったのよ」と叔母は残念そう。
私の方に、処分しても値のつかないような普段着モノがきていたので、それは中の娘に譲ることにしました。
彼女、嬉しそう。親が面倒みてやらなかったから、着物を着る機会がなかったんですね。

ここに一人、着物好きが発掘されました。当年14歳 中二です。
ウチのお姫さんと並んで、次代を担う、着物好きさん達です。

2007/09/14(金) 袴がいたぞ
ここしばらく、構築場所が日本橋になります。
日本橋三越から少し歩いたところが仕事場です。

となれば、帰りの寄り道は、やっぱり三越。

なんかお惣菜の一つも買って帰ろうかと、デパ地下をウロウロしていたら、臙脂の女袴が視界に入りました。

はい?

よくみたら、お煎餅屋さんの店員の制服が、袴姿なのです。
うち一人が、売り場のコマから外に出ていたのでした。
上は、江戸小紋風の薄ピンク。かなりバレバレの化繊地。
下はウールっぽい無地臙脂の女袴。ウール100%の平織でも、卒業式用に大量に安価に出回ってます。
足元は草履。

印象からすると、着物を着慣れてそうな店員さんはいません。
そんなでも、袴って、サマになっちゃう。
お端折りのどうのもない。ひょっとすると、あの制服は「半着」と呼ばれる、短い着丈の着物で、そんな心配さえ無用な代物かも。なんせ、袴専用なんですから。

雇用者にとっては比較的安上がりで、店員にとっては着付けのノウハウも不要な制服でしょう。


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