優妃 讃良の着物についておもうこと
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2007/07/18(水) 縮緬風呂敷と唐草風呂敷の関係
東京駅のコンコースに、東京職人展が出ていました。
過去何回か開催されていますが、メンバーは微妙に入れ替わっているようです。今回は、風呂敷屋さんがいました。

出ていたのは、縮緬のよくあるサイズ、化繊の薄手の大判、更に大きな木綿の風呂敷などなど。名入れサービスしてくれるとか

で、親方の言うには、「よそ様にお遣い物を持っていくには、こっちの縮緬風呂敷。結ばないんだ。包むだけ。それじゃ持って歩けないから、更に外側は唐草の木綿風呂敷で包むんだ。
実家や親戚のとこ行くのに菓子包むなら、こっちの化繊(平織り紬風)のでもいい。旅行先に持ってく服を包むのもこのサイズが手頃。包むものの大きさ考えてサイズを選ぶんだ。」

なーるほど。縮緬の風呂敷って、結ぶとボテっとした結び目になって美しくないなーと常々思っていたんです。
でも、縮緬は木綿よりも絡みつきが悪いので、包んだだけでは、するりとバラける。なので、冬は紬地、夏は絽地を愛用してたんですが、なるほどねー、外を木綿風呂敷で包むんですね。
最近は、緑の唐草木綿の風呂敷を持ち歩く人を見かけることはありませんが、昔は、もっと頻繁に見かけたんでしょう。

「今は、風呂敷の代わりに紙袋だぁなぁ。紙袋か風呂敷かで、その人のタシナミがわかっちまぁわなぁ」

昔は、デパートなどで買い物をした場合、風呂敷を出すと、それで包んでくれたんだそうです。今で言う「エコ・バッグ」は昔は普通にあったわけです。
(この話は、私が受験勉強をしていた頃、ある模試で国語の長文読解に出たエッセイにありました)
日本橋三越の風呂敷の包み方はそれは上手で、結び目が花のように美しかったと母が話していました。きっと、新人教育には、「風呂敷の包み方」は必須講座だったに違いありません。

結構、自己流に愛用してる優妃ですが、「お遣い物は、縮緬と木綿で二重包み」ってのははじめて聞きました。
でも、利に叶っています。

親方も「親戚なら、化繊平織りの一枚を結んでっていい」という程。私はここまでの習慣までしか知りませんでした。
親戚以上のところに、何かを持参したことはなかったので。
覚えておきましょう。

2007/07/09(月) 通過儀礼のありやなしや
「通過儀礼」、人が成長するに従って、ある一定年齢を越えたことを祝う儀式。
幼児死亡率の高さを物語るのが幼児期の通過儀礼。
「お七夜」「五十日(いか)の祝い」、一つの祝い、三つの祝い。
生まれてすぐに死んじゃう子、1歳まで生き抜けない子。昔は当たり前のようにいたらしい。次のハードルは3歳。「3歳までは神様のもの」という言い方もある。

五歳辺りからは、「人間として社会に交わる儀式」が増えてくる
。「袴着」といった衣類から「文初め」という勉強の話、成人としての準備を整えていく始まりを祝う儀式となる。

地方によっては、地元の子供会から青年会に移る祭がある。京都のどこだったかの町内のお祭りなんかそう。
15歳位で、この日から、地元では大人の会合に参加できるようになる。この日の衣服は、お子チャマな肩上げ腰上げの服から、大人の着流しに羽織を着た姿になるという。

江戸時代の商家の丁稚奉公でも、元服して「手代」になると着流しと羽織なので、商業地の「オトナの姿」ってこうなのかもしれない。京都の舞妓さんも、昔は12,3で店出しし、16,7歳で「衿かえ」といって芸妓さんになった。舞妓は「お子ちゃま」で「見習い」なのだから、芸妓こそが「オトナ」で「本職」という位置づけになる。(今は中学を卒業してから「仕込み」に入るので、店出し自体が16,7歳になってる。)
元服は人によって違ったらしい。15歳前後が最も多かったらしい。

というわけで、成人式に至るまでの儀式は、基本的に家庭内、親族内の「内輪の行事」になっている。
元服は、そこからオトナとして「勤務」することになるので、公の席の祝会もあるけど、家や一族でそれを祝うパートもあった。

今のどこの自治体でも成人式をするようだけど、あの位置づけは何か辺だなぁと思う。農村の自治会が、今まで「お子ちゃま」だった子達を一人前の男として、会合に参加を許す初回を「祝い」とするのはわかる。同じように商業地や職人の世界でもあったと思う。いわば入社式のようなものだ。
けど、そういった共同体でもないただ「住民票を置いていた場所」の成人式ってなんなんだろうかと。

案外とビックリするのが、七五三にしろ、成人式にしろ、「家(一族)での祝いの儀式」がない家があるって事実。

最初は「怠けてる家だなぁー」と思ったが、日本全国儀礼が統一だったものなどない。とすれば、全階層において七五三や成人式があったと思う方が変だ。ちょっと探して出てくるこれらのルーツは、皆、公家や武家の習慣。
七五三で親族と親しいご近所に親と共に千歳飴を配り、成人式には自力で親族宅を回って菓子折りを配らされた我が家の先祖はしがないながらも武家の筋。

商家で丁稚が手代になるのは、店の主人の判断だし、丁稚の衣類も手代の衣類も店の支給だ。それを祝って宴を張ってくれたのは親親族よりも店であったろう。もちろん、七五三の祝い着を用意できたとは思えない。
前に書いたが、武家や公家は人口の1割、商業職人で1割。残りの8割が農林水産業者だったのが江戸時代の割合。
9割弱には、七五三も成人式のお振袖も無縁だったわけだ。

「なにもしない」
案外と、それは「由緒正しい習慣」なのかもしれない。

「晴れ着を着て、お宮参り」だけを真似るのって、「七五三だね」と言われるのはさもありなん。

2007/07/07(土) 新暦七夕
病院にいく日です。
七夕だというのに、曇りです。雨が降りたそうに湿気ています。

本日の着物は、絹紅梅風に織り格子を配した生地にプリントした化繊の着物。下は京都で仕入れたシルックの二部式襦袢。
袴は紺無地、足元は、紺のソックスに黒パンプス。
検査&健診の工程では、採血検査があり、診察では、胸元と手首、膝下が対象。着物の場合は、ほとんど衣類を緩ましたり、する必要がありません。袖や裾だって、まくりはしますが、手を下ろせばストンと元に。この診察工程では、洋服よりずっと診察向きなんです。

表参道ヒルズができてから、表参道の駅は随分込み合うようになりました。それどころか、近在であるこの病院の待合室迄急に混むようになりました。なんかお供が増えてるんす。ばぁちゃんが通院するんだから、一人くらい若いのが付いて来るのはよくある光景ですが、それが赤ん坊と未就学児連れた母親とその夫とどちらかの姉妹らしき女性、くわえて夫らしきじーちゃんとなると「付き添い多すぎ!」
決して狭くはない病院なんですが、患者さんも結構多いので、待合室の椅子は患者さんの分だけでかなり満杯。付き添い必須の人の同伴は認めるけど、若いおねぇちゃんの隣に彼氏らしきのが座っているのは、その後デートなのかしらとか。

病院は、患者と付き添いだけにして、他の関係者は外にいるとか、終わる頃を目安に待ち合わせにするとかして欲しいなと思います。

私ももちろん、診察が終われば、青山散策。
お昼の定番はアニヴェルセル・カフェ。まだ暑すぎないので表も使えます。
Bambooも好みなのだけど、結婚式が入ると貸切になってしまう。

ショッピングはまずはカワイ楽器。銀座の山野楽器、渋谷のヤマハ楽器程ではありませんが、ここの楽譜売り場もそこそこのもの。特に輸入楽譜が豊富なのが嬉しい。最近は「お父さんのピアノ事始」だの「のだめブーム」だので、大人の初心者が弾けるようにアレンジしたピアノ譜も豊富です。
私はエレクトーンから来ているので、ピアノ的には「超初心者よりは上」って程度。(楽譜読める分上だ えっへん!)
なので、こういう簡単アレンジのは嬉しい。しかも、「親父世代向きのレパートリー」というのもいい取り合わせだし。
シャンソンとかクラシック、TV番組のオープニングも、昨今の子供向き用や若者向き用でなく「シャボン玉ホリデー」「新日本紀行」なんか入っちゃってたりするものね。
次は声楽系。プロ向きでなく「懐かしい愛唱歌」にシューベルトの歌曲が入っています。中学高校の音楽の時間にこの辺を歌ったので、私にとっては懐かしい曲。
外国曲は訳詞が違うと歌いにくい。同じ訳詞の歌詞のを見つけると嬉しくなります。津川氏、堀内氏などが、外国曲の訳詞を多く手がけたようです。歌いなれているのは彼らの訳詞分。
訳もよく、メロディとも合っているレベルの高い出来のです。
歌いつつ、いつも「すごいなぁ」って思ってしまいます。

土曜日の明治通りと表参道の交差点には、着物の古着屋台(?)が出ます。レンタル屋も手がけていて、そのレンタル落ちを流すのもあるこの店はサイズの大きいのもあったりして、古着屋としてはねらい目です。
今回は、二藍に染めた紋紗を手に入れました。地紋は紅葉。透けは結構強い方なので、一枚なら7,8月ですね。無地ですから、下から絽の柄のいい着物を透かす「紗あわせ」に着ると6月9月って感じでしょうか。
最後は、竹下通りを抜けて、ダイソー。
このダイソーは地下1階地上3階という他のダイソーより大型店なため、他の店にない品があって面白いのです。

「表参道ヒルズは?」

そう、私は表参道ヒルズには寄りません。なんか、ファッションも好みの感覚と違うし、その他雑貨類も同様に感性が違います。
なんで、あそこは寄り道ルートには入っていない。

2007/07/02(月) オレって頭古い?
昨夜のTVの話
TBS局で「パパと娘の7日間」(だったかな)をやっていました。
予告編が数日前から報映されてて、ひょんな事故から父親と娘が入れ替わってしまった。さて・・・という話。
この手の話は、シナリオで各人のキャラクターがはっきり現されており、かつ役者さんが動きや口調で人物を作り上げ、トドメにそれを交換して演じてみせるという、高度(?)な作品です。
高校生の娘の動きを見事にオッサン姿で演じてみせるパパ役が予告編で出ていて、これはちょっと面白いかもと楽しみに。

ところが、番組が始まって、お定まりに事故が起き、中身が入れ替わっちゃったというあたりまできて、お姫さんが「この番組、みたくないなぁー」とぼそっと。

なんでかと問えば「あそこまで、親父がないがしろにされてるのって、見ててやだ」

事故が起きる迄の場面では、「世間でよくある父と娘」を象徴するかのように、「父親の後のフロには入れないと、先に入る」やら、電車の中で「隣に座るな!」やらが続きます。

娘曰く「親って、ウザくてもなんでも、枝葉末枝に許せない記憶があっても、本質的に、子供って親から生まれたことに対する恩を忘れてはいけないと思うわけよ」と。

はぁ〜 なんか、親の方がビックリするような発言。
先日は父親と仲たがいするような事件があったし、私となんかサボテンのトゲのようなイサカイは日常茶飯事。姫の逆鱗にふれて蹴りを入れられる。とはいえ、一緒にTV見たりと仲の良いこともあり。会社の先輩同僚の話で聞く「中学になったら、親と行動なんか共にしないわよ」というのとは一線を画すお姫さんではありました。

「オレ古い?」

「いいか悪いか、じゃなくて、『古い』ね」と私
「いや、いっそ『新しい』んじゃない?」と殿。

人の思想って、巡りめぐっているのかもしれません。
昔のような「全幅の信頼」でも、今典型的に言われる「全般的拒否」でもなく「友達親子」でもなく、「根本の畏敬と、枝葉各個での同異」って、新しいのかも。

2007/07/01(日) 後半突入
年も半分過ぎました。
昨日が晦日で「夏越しの祓え」をする神社さんがあちこち。
今日から、京都の祇園さんは「吉符入り」といって、祇園祭りの始まりです。優妃の家に近い熊谷でも、20日のうちわ祭に向けて、今日から「献灯」といって、提灯を大きな井桁枠に組んだものに吊る下げたものが市街のあちこちに立ちました。
週末は七夕なので、七夕の笹の揺れる処も。

梅雨の明けるのは、うちわ祭の頃でしょうけど、このあたりから夏のウキウキ気分が始まります。


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