|
2007/02/18(日)
公家の人数
|
|
|
平安時代、京の都は10万都市でした。 そのうち、お公家さんはどれくらいいたかというと、 宮仕えしている人のうち、5位以上を「貴族」と呼びますが、このランクにいる人達の数は家族も含めて1000人位だったそうです。この下に下級役人がいたし、大家には女房や家司など下級貴族が仕えていましたから、その総数は2,3倍と見て3千人位でしょうか。京都の人口の3%に過ぎません。 江戸時代になると、今の京都御苑の場所に「公家町」といって、天皇家以下公家の家を集めてしまいます。この中に何人位が住んでいたのでしょうか?家自体もかなり整理され、石高も減らされていたので、雇用人なども絞っていたらしいです。ま、仮にそれでも3000人位いたのだとしても、江戸時代の全人口(江戸末期に約3000万人)に比較すると、0.01%に過ぎません。1万人に一人です。 公家は「士農工商」では「士」に分類されますが、「士」は全人口の約1割、「士」の中でも1%、100人に一人に過ぎません。 しかも、京の都の公家町にしかいなかったわけですから、見かけることは非常に稀有なことだったでしょう。 京以外の土地では「絶対に見たことない方々」だったに違いありません。
数で見ると、すっごく少ないんですね。
|
|
|