優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/08/27(日) 田舎におけるご近所つきあい
先日、殿の実家に帰省したときのこと。
ひょんな話から「ここへ戻ってきて住むとしたら」なんて話になりました。
現実的には、この辺は、ものすごーく就職難で、地元勢の若いのですら仙台に移住しちゃったとか、「働きながら学ぶ」つもりで留学してきた中国人留学生が、バイト先(?)が確保できずに、退学するのが相次ぎ、それを当て込んでいた某短大が倒産(?)するなんて事態にもなった位の就職難。定年以前に移住は現実的ではないのですが。

そこで「ヨソから来た者の受け入れ状況はどう?以前は、かなり排他的だったけど」と殿。
「かなり変ってきたよ。嫁さんでもヨソから来た方が多くなっているしな」
「ヨソ」というのは、「近在より遠く」という意味でしょう。
恐らく以前なら、隣村程度が婚姻範囲だったのかもしれません。
地域で習慣や食事献立は異なりますから、願うなら、似たような習慣のお家が良いのですが、昨今、代々そういう習慣を保ってきた家でも娘には伝えていないことも多く、事情を知っているだけに、そういった習慣にこだわる家に嫁がすのは控えるor当人が敬遠するわけで、「近在の農家の娘さん」を迎えることは難しくなっています。本家だ分家だという意識も強く、これが災いして「農家の本家の長男」は更に結婚縁は希薄。
都内のサラリーマンと違って、お見合いオバサンはいない訳ではないでしょうけど、いかんせん、こういった状況ではタマがありません。
こういった事態によって、幸運にもお嫁さんを迎えた家でも、お嫁さんの実家は近在ではないということのようです。
殿の親族でも、私は東京だし、向かいの伯母さんちの息子のとこは茨城、本家の長女は岡山に嫁ぎ、長男の嫁さんはなんと中国から迎えました。下の伯父の息子の嫁さんは、隣の市という比較的近くで、実家は梅干も味噌も自家製という伝統習慣をきっちり守る家だというのに、その娘は、おせち料理すらからっきしだそうな。
殿の従兄弟に話を聞けば、どこによらず、地域の節会の伝統料理を自作する家は、殿の実家位なもので、普通はスーパーで買って食う。若い世帯を中心にして、それすらもしなくなっているとか。

そんなこんなで、「守らなくてはならない風習」はかなり減ってしまったこともあって、「敷居は低くなった」ということらしいのですが、それでも、農家の嫁さん以外を集落内に入れたことのないこの集落では、閉鎖性はまだまだ高いように思えます。
ここは母方の生地で、義父は「ヨソ者」になるわけですが、引っ越してきて30数年、自治会活動等も積極的にこなしてきたというのに、「やっと、最近、向こうから声かけてもらえるようになった」と聞いたのは昨年だったか一昨年だったか。
義父は、農家を継いだわけではなく、市街地の方で機械工業系の零細工場を営んでいました。「職業が異なる」という点も、馴染み難さの要因だったのかもしれません。
この集落は、大体同じ位の規模の第一種専業農家が住んでいます(プラス、神社とお寺)。江戸時代からの「本百姓」なのだそうです。江戸時代には小作人なども使っていたそうですが、小作人達の集落は別なんだとか。(今は、そっちも歴とした農家集落です)。
これだけ、全く同じタイプの家が延々と引き継がれてきたのですから、異なるタイプを受け入れることが難しいんだろうなとは思います。「親の代にも祖父母の代にもお目にかかったことのない、現在の近所でも見たことのないモノ」なんて、「存在しないのと同じ」か「異星人か外国人」って思ってもおかしくない。

私は、その異星人並の人間ですからねぇ。
東京23区内生まれ。
中学からのミッション系私立から大卒で、正社員の共働き(しかも、コンピュータ・エンジニア)、
しかも、「女子校」で想像できる「お嬢様「良妻賢母教育」どころかその真反対な主義の教育をするので有名な学校。
宗教は親も含めてクリスチャン。
先祖を見れば、お武家さんで、先祖の宗教は真言宗。
親族の職業は、繊維系小売業(昔風に言えば、商家)が主。

更に、今では「平素から着物を着る」人物。この集落は伝統的には「冠婚葬祭は着物。それ以外は全く着ない」ってとこ。
市街地は商業で栄えた町や、武家のいる城下町で、着物は問題ないらしいので、農家集落だからということらしい。
室内と集落外への車での外出はOKだけど、徒歩圏は着物で出歩かないように言われている。一番ぶつかりそうな点。

強いて言えば、父方の祖母が茨城の農家出身なので、かなりのアドバイスはこの祖母から得ていた。
更に、この祖母が、きっちりと伝統習慣を守って、ウチなりの節会料理や行事を守っていたので、ウチなりのことはできる。
クリスチャンだというのに、般若心経も唱和できる。(日本におけるキリスト教では、親族や知人がキリスト教で葬られるとは限らないので、どんな宗教の葬儀・法事でも出るのが普通)
伊達に帰省はしてないわけで、殿の実家特有の節会料理も舌で覚えているし、作り方も聞いている。
集落で行われる葬儀にはつきものの女衆の歌う「御詠歌」もサワリは習った。忌避感はない。

なんで、やらないといけない、なんて言うことは、やれなくもないんだけどねぇ、なんか、忌避されそうな気がしている。
もっと個人的に「肌に合わない」って感じられるような気がする。女性って、そういうので区分けしちゃうから。

親族の嫁さん達で集落に住んでいるのは、結構市街地に遊びに行くとかって、逃げてるみたいだからなぁ。
私もそのタイプになりそうな気がする。


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