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2006/08/11(金)
着物の習慣は、昔にならっても大丈夫か(2)
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8月10日の続き
私の場合、着付けは祖母や親譲り、仕立て方法も自分の仕立て寸法も祖母から習った。それは、現在和裁学校で教えている方法や、着付け学校で教えている着付けとは異なるのかもしれない。
でも、じゃ、それって、「間違ってる」の?
「違う」なら理解できる。でも、色々あっていいではないか? 家の主義、地方の習慣、江戸時代のご先祖が農家なのか武家なのか、お大名なのか、公家なのか、職人なのか商人なのかで、衣服に限らず、反転する程に習慣は異なる。着物の仕立てや着付けが一通りしかないとは到底に思えない。いや、着てる生地や着方で職業や立場が判っちゃうという位違っていた。 今の着付け教室の着付けは、誰がどういう立場でどういう場面で着用するときを想定しているのだろうか? 「今は、そんな差なんてないのよ」というかもしれない。
とはいえ、人にアドバイスするときは、問題なのよねぇ。 自分はそれでいいんだけど、着物が着たいと思って入ってくる初心者さんには、どうアドバイスしたもんだかと。 「誰もが認める案が知りたい。他にそういう風に着る人がいないなら着ない」というタイプには、無難な案を言った方が良い。 逆に「過去に習慣があって、着てもいいし、他に着てるケースがあるなら着ることも検討する」というなら、「こんな風に着る習慣が昔は(とか、とある土地にはとか)ある」と紹介するのも良い。
浴衣も、一時期、斜陽の一途だった。どうしたわけか、いまやスーパーでも売ってる位に、安易にそこら辺中で売られていて、縁日や花火大会ともなれば、浴衣姿がゾロゾロと。 補正して着てる(暑そう)のもいれば、下着もつけずにダレダレに着てるのもあり、そんなのを見て、「襟はきちんと!、寸胴体型じゃない人は補正して!寸法の合わないのを着てるなんてみっともない!」なんて怒り狂ってる人がいたのだろうか。 このブームの最初の頃には私ですら「浴衣で電車乗るの??」とか「縁日や花火大会でもないのに、レストランの食事するのに浴衣で行くの??」なんて思っちゃいました。今は見慣れた。いまや浴衣ってそういうものかと。
袴も浴衣みたいに、一般化してくれるといいと思う。 着付け的には、浴衣の簡便さから袷着物にお太鼓結びはステップが高すぎる。半幅帯ではカジュアルに限られる。 が、袴は黒紋付であっても帯は半幅帯(浴衣は単帯だが、こっちは、小袋帯という袷の帯)を使う。この点、浴衣と一緒だ。 その上に袴を着用すればあがり。 着物にあって唯一、ブーツやパンプスが使えるのも楽な点。
現時点、「大學の卒業式の卒業生、幼稚園や保育園の卒園式の教師、小学校や中高の卒業学年担当の教師の卒業式に着用するケースもある」程度で、これ以外の機会や職務での着用は「非常識だから止めた方が良い」と言う人はかなり多い。
ちなみに、私が出た幼稚園も娘が出た保育園も、参列した女性教師は全員袴姿で荘厳だったが、他のところでは、必ずしも、そうではないらしい。 小学校以上になると「教師のうちの1人位は袴姿なこともある」程度。 大學短大における女子卒業生の袴着用は学部を問わずかなり多くなってるらしい。 私が大學を出た頃は、まだ、教育学部か、せめて文学部の範囲だった。 そろそろ、卒業式以外の着用機会も出てきてくれていいと思う。
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