優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/08/10(木) 着物の習慣は、昔にならっても大丈夫か?
例えば、こんな質問があったとする。

「親の箪笥を整理していたら、黒紋付の羽織がでてきました。どのような機会に着るのでしょうか?」
「黒紋付の着物は葬儀に親族が着用する以外に着る機会はないのでしょうか?」
「袴は卒業式以外に着用しても良いのでしょうか?」

大方の訳知りのサイトでの回答だと、次のようになるでしょう。
「黒紋付の羽織は、人を訪問する際や人の訪問を受ける際に着用しました。子供の入学式や卒業式にも着用しました。但し、現在、このような着方はされなくなっています
「黒紋付は、袋帯を締めることで留袖と同格となり、結婚式に用いられることもありました。但し、現在、このような着方はされなくなっています
「袴で女学校に通った女性は卒業後の勤務先やプライベートに着用することがありました。女性教師などはその良い例です。雪国では、降雪時に徒歩で着物着用しての外出の場合に、普通に帯結んだ上に馬乗り袴を着用する習慣などもありました。但し、現在、このような着方はされなくなっています。卒業式に卒業生や教師が着用する位です。

つまり、以前には、そんな着用習慣があったけど、今そんな風に着るのは好ましくないというわけだ。
でも、室町時代の着方をしようというわけではない。ほんの数十年前、私たちの親や祖母にとって、当たり前な着方だったことだ。
何故、いけないのだろうか?
何の権限をもって「いけない」と言えるのだろうか?

「あら、他に実際着ている人はおりませんでしょ。
 私(回答者)も、そんな着方をしようとは思いません」
という旨の返事が返ってくる。

でも、「そんな風に着る人はいない」なんていうのをつきつめていくと、
「冠婚葬祭でもないのに着物を着るのは変」
という殿の実家エリアにおいて、普段に着物を着るのは非常識なことになるし、子供の入学式や卒業式に着物を着るのも変だ。
トドメには、「正月に着物を着る」のだって、イマドキ、稀少。
他のケース同様に見る機会の確率で言うなら、十分に「非常識」。

変わったとこでは、着物の二枚襲ねや三枚襲ね。戦前くらいまでは、礼装の着物では常識的な誂え方で、留袖なども比翼仕立てではなく、白い着物と上の着物の二枚を着るようになっていたという。
暖房が不完全で、通気性のよい家屋にあっては、冬場には着重ねで暖を取るためには必要な着用方であった。
だから、寒い地方では、礼装じゃなくても二枚着る習慣はあったらしい。
現実、東北の田舎どころか、京都の底冷えには、正絹鬼縮緬の裾除けに袷の襦袢を着て、着物一枚に羽織と道行き(もちろん、全部正絹)位では、神社巡りやバス停に立っていることは辛い。二枚重ねてやっとまともに。
「昨今は、ビルや家屋が暖かくなったので、冬でも襦袢は単でも良いし、二枚襲ねの着物は不要になりました」と着付け本で書かれていたりすることもありますが、ビルの中が暖かくなったって、戸外の気温に差はないのだよ。地球が温暖化したといっても、着物一枚余計に着ないで済むほど気温が上がったわけではない。

着方にしてもそう。明治の写真はもちろん、祖母の写真なんかみると、普段の着方はかなりぐずぐず。夏だと、襟開きはかなり広くなる。涼を取るのに適した着方だが、「そういうのは昔の着方で、今はそんな着方はしません」という人もいる。
「今の着方」って誰が何の権威を持って決めたのよ!
着付け教室では、着付け教室毎に決めごとに従った着方があって、そのように着れないとお免状がいただけないのはわかる。
でも、それって、お茶道を習っていない人と習っている人が、神社の茶店でお抹茶頼んだときに、習っていない人が、変な飲み方したのを、習っている人が「そんな変な飲み方して!」といきり立つのに似ている。
お茶習っている人に聞いたら、きっと「そんな、習っていない人相手にそんなこと言っても意味ないじゃない、お茶碗壊さないように扱ってくれればいいと思うわよ」というだろう。
こと着物に関しては、着付け教室での着付けが至上で、そうでない着付け(親譲りとか独学とか)を不適切と言い切る人がいる。
片肩抜いじゃうとか、スリットよろしく足見せるなんて、ぶっとんだ着付けは置いておいて、いわゆる似たり寄ったりの範囲において、襟開きが広いの狭いの、小さいサイズを着てるだの、大きいサイズを着てるだのって、ババ臭いのを着てるだのって「わざわざ、しゃしゃりでてきて」人を「批難」するようなレベルだろうか?

また、そういう人に限って「私はこういう風に習ったんですが」と言っても、「昔はそういう習慣もあったようですが、私は見かけないですよ」と。自分が見たことなければ、それは存在しない、ありえないと断定しきれる程、異なる習慣ってものに出会ったことのない人には理解できないことなのかもしれない。
私は、夫の実家やその親達の実家の習慣が、ウチとは驚天動地に異なっている。だから、日本国内といえども、習慣が似通っているなんてこれっぽっちも思わない。国際結婚してもこんなに差異ないだろうって位様々に差異があった、勿論着物に関しても。
その前提で知人に話しを振れば、出てくるわ出てくるわ。「同一民族」なんて疑う程に多彩な習慣が存在する。


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