優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/08/28(月) 【図書案内】「美しいきもの 秋号」
今度は、着物季刊誌の双璧の一方「美しいきもの」です。
こちらは、正統派な掲載記事。
「TPOにあわせたナントカ」といっても、上は留袖、訪問着や振袖、下も、「パーティに絵羽紬を着てみる」といった格上ランクの話。
一応街着の記載もあったりするけど、大島など良いもの中心。
着こなしは、年代別のはあるけど、体型別には余り注力されていない。

私的には、「役に立つ情報」というより「着物の夢を満たす本」といった位置付けです。でも、「情報」よりは「夢」の方を毎号買うのよね。
夏の薄物を駆使した婚礼衣装の記事もステキだったけど、秋は、袷の本番。華やかなブライダル・シーズンでもあります。
色目、柄目も、山の紅葉や収穫物を反映して、色鮮やかにとりどりに描き競う着物は、春のふんわりイメージに対抗して良いものです。

源氏物語で「秋が良いか春が良いか」と春の御殿と秋の御殿で競う場面があります。某訳では、「秋のわびしい様が良い」などと付け足しているのもありましたが、京都の秋は、紅葉がぱぁっとした赤に橙に黄に萌黄に緑に色鮮やかに木々を染め、「侘しいなんて、どこの話?」という程、絢爛豪華な状態です。六条休息所は、華やかな人だと書かれていますが、娘の秋好中宮も母に似た秋の紅葉のように鮮やかに華やかな人をイメージされているのでしょう。

さて、今月号、「第一回きもの検定、模擬問題」が掲載されていました。着物としては、基本のキな問題が並びます。
しかし、「平安貴族の小袖に始まる着物」の記述は、やっぱりなぁ。
いや、確かに、庶民の小袖と並んで、平安貴族の下着として着用されていた小袖が着物のルーツ。現在の着物が絹なのも、貴族の小袖が絹だったというところから取りたいのかも。庶民の小袖は葛や藤でした。
貴族が小袖を着用するようになるのも、庶民の小袖を真似てのこと。
でも、着用習慣からすると、庶民から武家や町民が成り上がることによって、自らの衣類の生地を上等化し、今の着物に至るって方がソレっぽいと思っている次第。
平安時代の庶民の小袖は、既に現在の着物とほぼ同形状です。
既に襟もオクミも袖も現在の形です。反物の幅の変遷、裁断手法の変遷を経て、今の反物幅と縫製に至るわけですが、出来上がり形状が変わらないというのも、なかなか面白いと思っています。

2006/08/27(日) 田舎におけるご近所つきあい
先日、殿の実家に帰省したときのこと。
ひょんな話から「ここへ戻ってきて住むとしたら」なんて話になりました。
現実的には、この辺は、ものすごーく就職難で、地元勢の若いのですら仙台に移住しちゃったとか、「働きながら学ぶ」つもりで留学してきた中国人留学生が、バイト先(?)が確保できずに、退学するのが相次ぎ、それを当て込んでいた某短大が倒産(?)するなんて事態にもなった位の就職難。定年以前に移住は現実的ではないのですが。

そこで「ヨソから来た者の受け入れ状況はどう?以前は、かなり排他的だったけど」と殿。
「かなり変ってきたよ。嫁さんでもヨソから来た方が多くなっているしな」
「ヨソ」というのは、「近在より遠く」という意味でしょう。
恐らく以前なら、隣村程度が婚姻範囲だったのかもしれません。
地域で習慣や食事献立は異なりますから、願うなら、似たような習慣のお家が良いのですが、昨今、代々そういう習慣を保ってきた家でも娘には伝えていないことも多く、事情を知っているだけに、そういった習慣にこだわる家に嫁がすのは控えるor当人が敬遠するわけで、「近在の農家の娘さん」を迎えることは難しくなっています。本家だ分家だという意識も強く、これが災いして「農家の本家の長男」は更に結婚縁は希薄。
都内のサラリーマンと違って、お見合いオバサンはいない訳ではないでしょうけど、いかんせん、こういった状況ではタマがありません。
こういった事態によって、幸運にもお嫁さんを迎えた家でも、お嫁さんの実家は近在ではないということのようです。
殿の親族でも、私は東京だし、向かいの伯母さんちの息子のとこは茨城、本家の長女は岡山に嫁ぎ、長男の嫁さんはなんと中国から迎えました。下の伯父の息子の嫁さんは、隣の市という比較的近くで、実家は梅干も味噌も自家製という伝統習慣をきっちり守る家だというのに、その娘は、おせち料理すらからっきしだそうな。
殿の従兄弟に話を聞けば、どこによらず、地域の節会の伝統料理を自作する家は、殿の実家位なもので、普通はスーパーで買って食う。若い世帯を中心にして、それすらもしなくなっているとか。

そんなこんなで、「守らなくてはならない風習」はかなり減ってしまったこともあって、「敷居は低くなった」ということらしいのですが、それでも、農家の嫁さん以外を集落内に入れたことのないこの集落では、閉鎖性はまだまだ高いように思えます。
ここは母方の生地で、義父は「ヨソ者」になるわけですが、引っ越してきて30数年、自治会活動等も積極的にこなしてきたというのに、「やっと、最近、向こうから声かけてもらえるようになった」と聞いたのは昨年だったか一昨年だったか。
義父は、農家を継いだわけではなく、市街地の方で機械工業系の零細工場を営んでいました。「職業が異なる」という点も、馴染み難さの要因だったのかもしれません。
この集落は、大体同じ位の規模の第一種専業農家が住んでいます(プラス、神社とお寺)。江戸時代からの「本百姓」なのだそうです。江戸時代には小作人なども使っていたそうですが、小作人達の集落は別なんだとか。(今は、そっちも歴とした農家集落です)。
これだけ、全く同じタイプの家が延々と引き継がれてきたのですから、異なるタイプを受け入れることが難しいんだろうなとは思います。「親の代にも祖父母の代にもお目にかかったことのない、現在の近所でも見たことのないモノ」なんて、「存在しないのと同じ」か「異星人か外国人」って思ってもおかしくない。

私は、その異星人並の人間ですからねぇ。
東京23区内生まれ。
中学からのミッション系私立から大卒で、正社員の共働き(しかも、コンピュータ・エンジニア)、
しかも、「女子校」で想像できる「お嬢様「良妻賢母教育」どころかその真反対な主義の教育をするので有名な学校。
宗教は親も含めてクリスチャン。
先祖を見れば、お武家さんで、先祖の宗教は真言宗。
親族の職業は、繊維系小売業(昔風に言えば、商家)が主。

更に、今では「平素から着物を着る」人物。この集落は伝統的には「冠婚葬祭は着物。それ以外は全く着ない」ってとこ。
市街地は商業で栄えた町や、武家のいる城下町で、着物は問題ないらしいので、農家集落だからということらしい。
室内と集落外への車での外出はOKだけど、徒歩圏は着物で出歩かないように言われている。一番ぶつかりそうな点。

強いて言えば、父方の祖母が茨城の農家出身なので、かなりのアドバイスはこの祖母から得ていた。
更に、この祖母が、きっちりと伝統習慣を守って、ウチなりの節会料理や行事を守っていたので、ウチなりのことはできる。
クリスチャンだというのに、般若心経も唱和できる。(日本におけるキリスト教では、親族や知人がキリスト教で葬られるとは限らないので、どんな宗教の葬儀・法事でも出るのが普通)
伊達に帰省はしてないわけで、殿の実家特有の節会料理も舌で覚えているし、作り方も聞いている。
集落で行われる葬儀にはつきものの女衆の歌う「御詠歌」もサワリは習った。忌避感はない。

なんで、やらないといけない、なんて言うことは、やれなくもないんだけどねぇ、なんか、忌避されそうな気がしている。
もっと個人的に「肌に合わない」って感じられるような気がする。女性って、そういうので区分けしちゃうから。

親族の嫁さん達で集落に住んでいるのは、結構市街地に遊びに行くとかって、逃げてるみたいだからなぁ。
私もそのタイプになりそうな気がする。

2006/08/26(土) ノッポさんのお太鼓
「きものサロン」の記述にほぼ近いお太鼓結び。
そんなに大きいとは思わないけど、この本のふくよかさん向きのお太鼓はもっと横長なお太鼓。
ずっと正方形に近いと思っていたけど、標準体形だと横長みたいね。

2006/08/25(金) 【図書案内】 「きものサロン秋号」
本の紹介が続いたりして。
「きものサロン」「美しい着物」共に秋号が発売されました。
着物専門雑誌として季刊で定期刊行しているのは、この2つが大手ですね。
私は「美しい着物」の方が好きなのだけど、たまに「きものサロン」も買います。

今回、目についた特集は「ノッポさん、ふくよかさんに似合う、着物と着付け」(タイトルは厳密には違うので注意)。

私がゴチョゴチョとグチってたのを見たのかしら。いやいや、ノッポさんだって、ふくよかさんだって、ミニモさんだって、着物は綺麗に着たいよね。そして、洋服だって、似合うデザインや素材、サイズ取りが違うんだから、着物だってやっぱり、そういうのってある筈よね。

というわけで、買ってしまいました。

ふむふむ、ノッポさんに似合うのはっと

■柄: 大柄は良い。縦長の縞に図柄は体型が強調される
腰から下が長く取れるノッポさんは、大きな柄を見せられる特権がある。
一般には、片寄せた縦長の図柄なんかも似合うって言われているけど、「体型の強調」は確かに否めないかも。
今回の特集は「かわゆく見せる着こなし」だから、「シャープにすらりと大人っぽくみせる」のは×って見てるからかも。
ハリのある織り物の縦縞柄は、○。ノッポさんは、柔らかものよりシャープな柄でハリのある織物の方が似合うらしい。
■着付−襟元: 標準は襟元のくぼみから、バストトップを通る線で、長襦袢の襟と着物の襟は揃えて細くだが、ノッポさんは、長襦袢はこの線で着付け、長着は若干縦長にし、襦袢襟がV字に見えるように。
おやおや、バスト・トップ通過ラインが無理だなぁと思っていたら、ノッポさんは、私が普段着付けているV字襟で良いとは。
■着付ーお端折り: 標準は帯下5cm程度、ノッポさんは若干長めの方が良く、7,8cm位に。5cm以下だと、背が強調されてみっともない。私は、お端折り下端は腰骨線より若干下でないと落ち着かないんですが、そこから逆算するとお端折りはどーしても長くなりがち。なんだ、こっちも長くていいのね。
■着付−裾位置: 標準は床丈、ミニモやふくよかさんは、更に若干長めな一方、ノッポさんは、逆に2,3cm短めが良い。これも、長身を見た目で緩和させるテク。
ほー、これは初耳。ウチのお家流は、礼装は裾丈ですが、街着や電車を使っての親類訪問では訪問着ですら裾上がり4cm位です。
これは足捌きを優先させるためと聞いていましたが、女系では細身ノッポの続く家系。既知のことだったのかも。「裾丈に着付ける」は母がどこかで聞き込んで来て導入された着付だったし。
■着付−帯幅: ノッポさんは位置は若干下目、幅は半幅より広めに。もし半幅帯ならば、ずらして巻いて幅を確保する。但し、斜めにせず前は平行に揃える。斜めだとイキか蓮っ葉になってカワイサ半減。細いままだと、大型体形を強調して×。
帯揚げも広めに出す。(これも帯幅への貢献か?)
ノッポさんは胴長なので、お端折り下端と、帯の上端を決めると、必要な帯幅は通常の帯幅4寸では足りません。我が家のお家流では、名古屋帯でも「開き仕立」という袋帯のような仕立にして、胸高に結ぶ礼装なら6寸幅に結ぶことすらあります。「帯幅4寸」というのは、女性の身長が150cm程度だった頃、胸下から腰骨上までが4寸しかなかった頃の想定なのですから。
■お太鼓の縦サイズ: 余りに生物的で笑いそうな記載だけど「お太鼓の上端は肩甲骨の下端、下端は第五腰椎(ウェスト線)、垂れ端は腰骨位置」
ノッポさんは胴長ですから、お太鼓は縦長になるわけです。

なーんだ、いつもの着付でいいんだ。
本に書いてあるからなんて言うわけではないですが、自分以外にも「ノッポさんはこういう生地や着付の方がいい」って言う人が他にもいるって、嬉しい。

着付写真も掲載されているので、「ホラ、こう着ると貧相に見えるでしょ」というのも判り易いです。

ノッポさんは、立ち読みでいいから、必読! なーんてね。

「縞の織物」っていうとコレかな。
いや、化繊の紗紬にお召し風プリントですが。

2006/08/24(木) 【図書紹介】 にしくむ侍
久々に図書紹介。
大和和紀作の「にしむく侍」

以前にコミックスの単行本が出ていたのですが、文庫本で登場。

舞台は、花のお江戸。感じはいかにも「江戸の捕り物帖とかの時代劇の時代」って感じ。江戸期後半でしょうか。
江戸時代も爛熟期も過ぎ、倦怠期でまだ幕末のきな臭さはないって辺り。

現在の千葉の辺りの藩士の次男が、庄屋の娘と結婚した持参金で、遠縁のお徒歩(かち)役から株を譲り受け、妻と赤ん坊を連れて江戸に上京してきたところから話は始まる。
将軍様でもなければ、お大名でも代官でもなく、さりとて町民でも農民でもない、武士の最下層って、意外と小説のネタとしても稀少。

弱小藩の足軽(これが多分、ホントの最下層)に比べれば、将軍様のじきじきのお抱えなのだから、なにやらカッコよさそう、、、、と思ったのは、読者だけではなく、主人公も同じ。

お徒歩組は、天下泰平の世にはやることもない、暇な職だと。
とはいえ、それなりに涙ぐましい様々な話が毎回展開。ホロっとさせる。
かなり調べたと見えて、髪形や着物、着付けなどが、武家の中でも格の上下での差、もちろん、職人、商家の描き分けもシッカリで「ふーん」と目が行ってしまう。
男性の仕事時の着るモノ、オフに着るものから、お徒歩組の奥方の着物と旗本の奥方やお嬢様の着物との差異まで、よく描き分けている。

更に、「奇抜なカンザシ、変な柄の着物を変な着付けで着て、おまけに高下駄履いて、ジベタリアンして買い食い」って、ちょっと、ソレって、最近の若者の話じゃないの?
いつの時代も若者ってのは、親の頭が沸騰するようなぶっとんだ格好や仕草で町を闊歩するのね。

時代劇好き、特に江戸の捕り物帖とか、遠山の金さんとか好きには、ちょっとたまらない話です。

2006/08/23(水) ちょんまげ天国
本じゃないです。CD。
TV時代劇のオープニング&エンディングのセレクションCD
何本か出ています。
帰省が車だったので、行き帰りのBGMに買ってみました。
一時期、東京では毎日のようにどこかの局で時代劇をやっていました。
月曜のナショナル劇場(「水戸黄門」「江戸を斬る」「大岡越前」)に始まり、金曜の「遠山の金さん」、日曜のNHK大河ドラマと切れ目なく。
銭形平次、半七捕り物帖、伝七捕り物帖、新七捕り物帖と岡引系事件簿もいくつもありました。暴れん坊将軍とか桃太郎侍、鬼平犯科帖のようなお偉いさんがお忍びで活躍するタイプとか。
影の軍団シリーズ、始末人シリーズも忘れてはいけない。
変り種では、昼メロの「大奥」も。風邪ひいて寝てるとコレが見られるので、病気するのも楽しかったなんてね。
舞台中継タイプは「てなもんや三度笠」とか。今だとNHKの「お江戸でござる」につながるかしら。いっそ、カキワリバレバレで役者の腕だけで舞台を維持するタイプって好き。

最近はめっきり番組数減りましたねぇ。
いい役者さんも減ったし。
水戸黄門も、昔の方がスタジオバレバレな撮影なのに、今の妙に明るすぎる撮り方よりよかったなぁなんて、撮影や大道具さんの腕も気になったり。カメラからビデオ撮影に変わったので、同じにしてると同じには映らないらしいんだけどね。
「江戸時代って言っても、そんな着付けや、そんな建物違うわ」「将軍様がお忍びなんてありえない」とか、厳密には大ウソ満載だったんだけど、なんというか、「想像上の江戸の町」ってので別に問題なかったって思う。

一番好きな時代劇は、「伝七捕り物帖」。
黒門町の伝七親分が主人公。銭形平次だと「黒門町の親分」はライバル役なんだけど、こっちでは主役。丸っこい人懐っこい雰囲気が好き。
神田と上野広小路の間位に「黒門小学校」というのがある。神田ッ子に聞いたところ、その辺が黒門町だったんだそうな。今は地番改正で町名が消えました。平次は「明神下」といって、神田明神のすぐ前が管轄。黒門町とは隣同士だったんですね。

2006/08/21(月) チェーン店に反物を取りに行くと
夏休みも最後の日。
暑苦しい午後は、くじけて居間のクーラーに漬かる。
そこに電話。

「先日の展示会の景品の反物が届きました」

行き着けのチェーン店の担当さんから。
先日の展示会に夕刻から行くと、浴衣の反物をプレゼントだった。
選んだ柄は、オリエント文様の皿の柄からとった、白地に薄藍で唐草風の柄を染めたもの、。
普通なら、お仕立ての請負ができるわけだが、私は持って帰っちゃう。担当さんもいつものことで、既に聞きもしない。
浴衣にしようかなって思ったけど、「摺り染め」ということで、夏装束にして小袿にしてもいいかも、。ワクワク。

夕刻の買い物のついでに引き取りに行くと、実際の生地は、かわり織りでかなり薄い。つまり「ばっちり透ける」系統。その中でもかなり透け度の強いタイプ。これは、浴衣下どころか長襦袢が要りそうだ。
図柄は、比較的長い繰り返しだが、真ん中に一定して続いているので、あまり柄合わせには気を遣わなくても良さそうだ。

今日の着物は、エメラルドの浴衣に松葉の化繊袴の緑系揃え。
中に薄ピンクの紗のプチへこを結んでいるので、そこが胸元のアクセント。

そして、やっぱり、お決まりの「商品紹介」
「丁度、大島が入ってきたとこなんですよ。見ていってくださいな」
逆だろうね。秋物の大島の入荷に合わせて浴衣の反物が入荷するように仕組まれているに違いない。

「大島とかお好きですか?」
「黒っぽいのが多いし、柄が幾何学的でシャープなので好みでない」
いや、ホント。染め小紋系の曲線に比べると、絣柄はシャープにならざるをえない。
更に、大島って「高い」から。
そういう着物でないとマズイ場所もあるので、母譲りの一枚は持ってる。もってるから、後はいいと思っちゃう。
「それじゃ、こんなのはどうですか?」
担当さんは、奥に入って、風呂敷包みを大切そうに抱えてきた。
中から出てきたのは、「トキエモン」なる人が織り上げたという極上の大島。既に亡くなった方だそうだが、蔵に在庫が積まれており、少しづつ出荷されているのだという。
白大島系に属する白地のベースに、精緻に染め分けた多色染めの絣糸で、ゴブラン織りの如き華やかな花々の咲きこぼれる反物。
こんなのに駅ですれ違ったら「あれ?何織りだろう?」って思いそう。

「こちらへどうぞ」と担当は着付け台の上にいざなう
お得意の着せ付け攻撃だ。
「これは、自分で着たら、見えないじゃない」
サラっと逃げる。
仕方がないので、担当さんは、近くにあったマネキンに着せ付けを始める。
みっちりと詰まった柄は、思ったより、一柄が大きい。柄合わせには工夫がいりそうだ。

なーんて、思いながら、「上で家族が待ってるからぁ!」と浴衣の反物抱えて、さぁーっと逃げる。

2006/08/17(木) 羽黒山に登ること
今日も良い天気、台風は、まだ九州で停滞中。
今日の行き先は、羽黒三山のうちの羽黒山へ。
三つのうち、一番低く、ここに三山の合祀殿があり、三山に詣でたことになります。
行き方は2通り。
一つは、随身門から入って、2500段余りの石段をひたすら徒歩で歩いて登る方法。
もう一つは、有料道路を上がって、社殿脇の駐車場迄行くこと。ここからだと、徒歩で水平に200m程歩けば社殿に着きます。

醍醐味は石段のぼりですから、お姫さんの友人もいることだし、こちらを使うことにしました。
「着物で行くの?」
ああ、早速、チェックが入りました。
岩登りをするわけじゃありません、ちゃんと石段で舗装されてるんですから、帯つきでだって問題ないし、袴穿いたらズボンと一緒です。
でも、実家でゴタクサするのは面倒なので、準備してきた洋服を。

羽黒山の開山は、スシュン天皇の皇子、蜂子皇子によるものだとか。
敷地内には、蜂子皇子の陵とされるものがあり、そこだけ、ちゃっかり宮内庁管轄でした。(皇子なら、天皇家の親族ですからね)
蜂子皇子のお堂は、開け放った扉から風が吹き込んで涼しい。
でも、せっかくあげたお灯明はすぐに消えてまうのが困りモノ。

帰りは駐車場前のみやげ物屋を物色して、有料道路を通る路線バスで、下の随身門へ戻ります。こうすると片道だけで済むので楽。
でも、下までで一人530円という高額料金! ああ、田舎!

一旦帰宅して、綿縮みに着替えたら、お土産買いに外出。
なんせ明日は帰宅の日です。
バイパスのジャスコは、清川屋という大手みやげ物屋が入っているので、便利。会社向けの茶菓子や親への土産などを買い、帰路での飲食用にお菓子や飲み物も調達。

帰宅したら、フロに入って、コーマ地の浴衣。
コーマ地って、ホント風呂上りに最適だって思う。

2006/08/16(水) 滝巡り
帰省先で夜は明けて
今日は、海へという予定でしたが、ピーカンの晴天。
九州辺りには台風が頑張っていますが、東北の日本海側は影響なし。
こんなに暑くては、海辺にいるのは危険です。
海は夕刻に行くことに。
んじゃ、ということで、日中は、滝巡り。
御滝神社と玉簾の滝を見に行こうということに。

今日のいでたちは、長板中型小紋の正四藍染めの綿縮みに薄縹の紗献上の半幅帯。薄縹は藍の薄い色ですから、濃淡コーディネートという次第。

まずは、御滝神社に。ここは、毎年初詣をする神社です。
義母の伯母が助産婦試験を祈願したことに始まるつきあいだそうですが、ウチのメンバーでは願を立てて、落ちた人間はいないという神社。
もちろん、お姫さんの受験も祈願しています。
受験日に雪が降ったのは、このお滝神社のせいじゃないかとか言ってたりします。(ちなみに、この御滝神社の不動尊は、お姫さんの学校の茶室前のミニ滝の前にも座していて、定期的に法要が行われている)
初詣のときには、雪深い、暗い道を登っていって、雪の中に灯されたロウソクの灯りを頼りに社殿に入るのですが、夏の日中の今は、するすると登って神社前へ。社殿は閉じています。
社殿を回りこんで後ろにあるのがご神体の滝。流れは細いのに、滝の部分は、岩肌広く、白くしぶきを上げて落ちるサマは見事。
みてくれこそ、「村の鎮守サマ」の風体な神社ですが、中に安置された不動尊は、羽黒三山が神仏混合体から、神社オンリーになった際に廃仏稀釈の騒乱を避けて運び出された仏像のうちの一体という由緒あるもの。

次は、更に奥に入った玉簾の滝。今年は夜にはライトアップもしているそうで、広い臨時駐車場と、付属の地場産土産品を売る店があります。
こちらの神社は、御嶽神社。同じ滝をご神体とするのに、こちらは山の神社です。先の御滝神社に漂う五行の気は「水の気」ですが、こちら御嶽神社の後ろの玉簾の滝に漂う気は「木の気」です。不思議です。

※ どこででも判るわけではないんですが、神社のように強く気の満ちているような場所だと、陰陽五行の気を感じる場所があります。
京都だと貴船は水の気、鞍馬は下は木の気、奥の院は金の気とかね。

滝から流れてくる水に足をつけていると、茶色のかじか(蛙の仲間。声が綺麗)がいたりして。

お昼は、松山というところの、地場産センターで麦きりと蕎麦のセット。業者がやっているわけじゃないからか、ものすごーく一杯盛り上げられてきます。並盛りで普通の大盛り位。全部食べたら、死にそう。
麦きりというのは、一種のうどんですね、細めのきしめんのように切ります。僧侶の精進料理として伝えられたものだそうです。
蕎麦も同じ切り方なので、少し幅のある麺です。

そこから車に揺られて一旦帰宅したら、すさまじい眠気。

海はお子様方に行って貰うことにして、私はお布団で休憩。

夕刻はまたエメラルドの綿コーマを着て夕食に参加。
あちこち歩いて疲れたかしら。

普段は炎天下を歩くことなんてないから。

2006/08/15(火) 帰省します
盆帰省です。
といっても、下りラッシュを避けて、今日にしました。
1週間休みを取れる人は同じようにズラしているのか、普段の休日よりは沢山の車が東北道を埋めていますが、渋滞する程ではありません。
トンネル前や坂道前でチョイチョイと詰まる程度で、無事に着きました。
今回は、後ろの席は2名。
お姫さんのほかに小学校来の友人も同行。
彼女は、親戚が同じ県内に父方母方双方ともいるので、「泊りがけの帰省」をしたことがないのだとか。更に、海から遠いこの地に住んでいるせいで、海水浴もしたことないと。
というわけで「帰省して、海水浴しよう」という魂胆。
まぁ、この二人、しょっちゅう泊まり会ってる仲で、寄ると触ると一緒にいたがるから、そんなのもありかと。

いつものように、車帰省の場合は、飲み物やお菓子の類を後部座席に積むし、お姫さん達の手荷物(本だのCDだの)も普段の倍だから、「狭いね」なんて状態。でも、まだお子様ですから、どうにかなりました。

本日の私の着物:
 トンボ柄の紋紗の単に正絹絽の袴。襦袢は、先日の突貫工事の麻襦袢。足元は焼桐の下駄に足袋。向こうでは浴衣の予定なので、下駄の方が都合よかろうと。

ご挨拶が終わった後は、着替えて、エメラルド色の色コーマの浴衣に紗献上の半幅帯。ずぉー!楽ぅ!涼しい!

8月絵日記の続き


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