優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/07/17(月) 公立中学と私立中学の違い
夜半から土砂降りが始まり、昼には土砂降りはおさまったものの、強くなったり、弱くなったり雨は降り続いています。
でも、雨の降った分。今日は涼しい。

雨だと、正絹は要注意になるので、こういう日は木綿とか化繊ですねぇ。そんなに蒸さないので、雨をよせつけないし蒸しもしないシルックやセオαなんかが向いているかも。

久々に教育な話。
昨日、新聞の投書欄を読んでいたら「国、英、数が週に各3時間では足らない、もっと勉強したい」という中学生の投書が掲載されていました。その投書者の親の頃には公立でも毎日あったと言うので、私は私立でしたが、毎日あったのは、当時は大差なかった実体の様子。(といっても、知人の話を総合すると、「英会話や英作文も含めてのなにがしかの英語教科があった」というので、私のとこのように「教科書英語は毎日。英作文や英会話はそれとは別にあった」というのよりは少し少なかったようです。
んで、今はどうなのか?私立中学のお姫さんと公立中学に通うお姫さんの友人が丁度家に来ていたので、二人に聞いてみました。
友人「ウチは、やっぱり3時間かな」
姫 「ウチは毎日あるよ」

しかも、
友人「土曜休みだし、月金は5時間、他は6時間なんで、他の教科や選択授業を入れると一杯一杯」

とすると、28コマの授業になります。

姫 「金曜までは6時間だし、土曜も4時間あるよ」

こちらは、34コマ。上とは6コマも違います。国英数に限るならこの6コマを使えば月〜金の毎日授業を組めることになります。

昔は、土曜授業のあるのは公立で、私立、特にミッション系(キリスト教系等の組織が開校した学校)では、土曜は休みでした。
公立は、私立程粒が揃っていない分をコマ数で補填していたんじゃないかと。

「勉強させたい場合は、私立に入れる」なんて話を昨今は聞きます。それは「レベルの高い授業を受けさせたいのなら」と思っていました。どうも実態は、「子供が落ちこぼれでは無く、まともなレベルの教育を受けさせたりなら、私立に行くべきだ」という状態な公立中学というのは存在しそうです。
どの公立中学でもそうなのかはわかりません。
でも、投書の子の学校と、ウチの学区の中学と、既に2つはそうです。もっとあるとみても差し支えないでしょう。

「ゆとり教育」は過渡期で、随分ゆれているようです。
余りに「ゆとり=教える範囲を狭める」してしまって、問題となり、指導要領を改訂して様々な対応をしています。きっともっと変るでしょう。
でも、教育を受ける子供達に取っては、「あれは失策だった」では済まされないのです。日本においては、いやどこの世界だって、受けた教育は、一生を左右するのですから。
特に初等教育と中等教育、そして中学受験と高校受験の勉強はその後のその人の対処能力に大きく影響しているように思えてなりません。

今までの場合、それは「個人のクセ」程度で、公立を出ようが、受験戦争を勝ち抜いて私立に行こうが、進む大学も就職先も大差ないことも普通でした。
私の場合で言うなら、コンピュータ・エンジニアなのですが、
同じ職場は、大半は大卒ですが、公立中学、公立高校を経て私立大卒で来ているのがほとんど、専門学校や高専卒は同じ職場でもちょっと責任の低い仕事にあたることが多いですが、それだって、優秀な場合は同等の責務を与えられています。
私立中学に行ってたかなんて、仕事のデキには関係ないと言えましょう。
私の場合は、公立でありえない「ミッション・スクール」であることなどが重要だったので、「勉強したいから私立」ではなかったし。当時の卒業生も大学進学自体は他に比べて多いとはいえ、女子大だの薬科大だのって、そんなスゴイとこじゃありませんでした。最近、母校の卒業生の東大進学者数の増加に唖然です。

これからはどうなのでしょうか?
少なくとも、お姫さんを含めた数年の学年では、私立中に行った人間と公立中の人間では随分な差が生じるような気がしてなりません。この差は大学受験の際、就職の際に決定的な差異になって現れるような事態にはならないでしょうか?
「公立中学の遅れの分は塾通いでカバーしている」という子もいるそうです。でも、それって、塾代かかるわけです。学校外で塾に行く時間も必要なわけです。
私立の子に比べて、高い教育費(中学分と塾分)を払い、同じことを実現するのに放課後も使い、夏休みも講習で消え、実に不条理です。

「薬剤師になるの」そういっていた、姫の友人。
ノンビリ屋なので、中学受験はしなかったんですが、利発さは相当なもので、しごけばかなりなとこまでいけるタイプで、まぁ、しごかなくても、そこそこの薬科大に入って薬剤師の資格を取る位は苦労をしないクチだろうと踏んでいました。
が、こういったヌルい学校の指導で、楽勝な筈の学校成績まで落下しはじめ、「別に薬剤師でなくてもいい」と志望を下げる始末。「母親のように郵便職員になれればいい」なんて言ってるけど、地元の有料企業や地方公務員、旧公務員クラス(郵便局とかJRとか)って、高卒就職の場合は「学年成績10番以内」が学校推薦の基本だと言われています。市内で公立高校に通う生徒の半分以上が就職します。学年10番でも就職するんです。今から、こんなこと言っているようでは、「コンビニのバイト」が関の山。
彼女のお母さんは、ピアノが得意で音大卒。ピアノの個人教授もしています。高卒で就職ではお母さん以下なんだな。

実際はどうなるかわかりません。
でも、そうい危惧して私立に通わせようという親が増えているのが、あながち杞憂でもない気がしている昨今です。

2006/07/16(日) やまと 美裳会 「ルーブルの美」 (2)
空は曇り空ながら、蒸し暑さは昨日に変らず。
これ書いたら、ひと風呂浴びて、クーラー部屋に籠もろう。
自宅のPC環境はクーラーのない部屋。
多少なら、窓をあけておけば、結構涼しいんですが、蒸し暑いのには役に立たない様子。

そうそう、昨日のお出掛けの格好はコレ

白地の綿縮みに水墨画風に竹を描いたもの。
小紋に属するのでしょうけど、一柄が長いのでノッポ向きな柄です。誰かからのおさがりなんですが、祖母か大伯母か、叔母か母か、はてさて。
仕立は広衿の着物仕立て。麻楊柳地の半襦袢に、化繊絽の裾よけつけて。
帯は、金曜日に買った紗献上の半幅を早速に。
着物が白地に墨の濃淡ですから、紗献上の透けた水色が映えます。


昨日の続きです。
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「これ見せたかったんですよ」と担当さんにひきずられて行ったコーナーは、米沢織物のコーナー。職人さんはビシビシに山形弁。
「もじり織りと言います」と見せてくれたのは、紋紗にも見える柄の部分を透かし織りにしたもの。意外なことにあててみると、その透かし部分は下地を透かしません。コーナー専属の売り子の方が着ている着物もこのもじり織りなので、着付けたらどうなるかも判りました。透けるのは、袖口や動いたときに身から離れる上前の端。「スケスケは野暮ですよ。動いたときに『あれ?』って思わせる位が丁度良い」と。不思議な織物です。
「透けないから、単に仕立てて4月位から11月位まで盛夏を除いて長く着られるよ」と職人さん。
残念ながら、春先に、多分同じ工房のものなんだと思いますが、つばめさんの抜き柄のを別の店でかっちゃったんですよ。
ゴメンネ、担当さん。ホント、私の好みを知ってる人だわ。
同じコーナーの帯は珍しくも全通、つまり端から端まで柄織りの帯でした。柔らかさも絶妙。先ほどのように錦糸銀糸を入れないので、小紋やお召しを普段遣いに着るのにも良いです。
これは芯ナシで仕立てると扱い易いなぁ。
これはホント欲しかった。でもお値段が高すぎぃー!30万円!

他には、大島を白生地に織って、小紋や訪問着に染めたのもありました。いかに精緻でも絣柄の大島は、やはり「織物」であり、訪問着にはなりえません。でも、染めてしまうと、無遠慮に袖口をコシコシしてみなければ何の白生地かはわかりません。
染め柄の方に目が行って、そんなことすら考えないことの方が多いかもしれません。また染め柄もいいセンスです。
藍型か藍更紗風な総柄小紋のなんか欲しかったとこ。

というわけで、今回は収穫なしでした。

お土産はマリ・クレールのハンドバッグ。
後から、浴衣反物も来る予定。浴衣の柄もルーブルにちなんだモチーフ。白地に青系数色で柄付けした文様は、中国かなペルシャかな、花唐草というかアラベスク文様のお皿から。
今年は浴衣は白地の売れ行きが良いのだとか。
浴衣には、ヨーロッパなモチーフよりもオリエントな柄の方が似合うと思う私は伝統柄好み。

2006/07/15(土) やまと 美裳会 「ルーブルの美」
梅雨の晴れ間の良い天気です。
「五月晴れ」ってホントはこういう梅雨の晴れ間を指す言葉なのだそうです。だってホラ、梅雨は「五月雨(さみだれ)」でしょ。

休日に天気がよければ、洗濯日和。
共働きの我が家では、休日は洗濯必修日なので幸い。
なーんて、ほくほくと洗濯物を干したら、

ごろごろ、、、、ごろごろ

空が嫌な音を立て始めました。
「降ってきたよー」と殿の声。
えーん、慌てて洗濯物を取り込みます。
でも、今日のお日様はパワフル。ほとんどのものが乾いていました。今日の大物は普段着の白小袖が二枚。神主御用達の業務用は乾きも早くて便利です。

通り雨だったようで、雷様はすぐに遠くに移動していきました。
なので、バスタオルなど生乾きだったものは再度、物干しへ。

そこへ リーンと電話音
「今日のご予約でしたよね、いつ来られます?」
行き着けの「やまと」の担当さんからの電話でした。
夏の着物の展示会を今日で予約していたのを、綺麗さっぱり忘れていました。
「5時以降の来店ですと、今回限定の浴衣をプレゼントしますよ」と。
「んじゃ、5時以降に行きますね」

というわけで、5時半頃にでかけました。
ら、さっきより物凄い雨が降ってきました。
今度は本気の夕立です。すぐに止むタイプですが、10秒でずぶ濡れになるタイプです。
会場のホテルは入り口と屋内駐車場がつながっていないのが難点。あきらめて、車から傘を出してさすことにしました。
ものの5m程なんですが、傘なしで済む雨ではありません。

今回は、展示会は毎年開催されていますが、今回は90周年だとかで、パリのルーブル美術館で作品発表をしたんだそうな。
モチーフもルーブル収蔵の美術品から取って。

写真で見ると「こっちがいいな、あっちはイマイチ」って思っていたのが、実物を見ると、イマイチだった方がいい感じで、興味のあった方が意外と冴えない。写真と実物ってかくも違うんですね。

面白かったのは、帯。この展示会では、実に多彩な新技術を駆使した帯を見せてくれます。今回の新技法は「波型筬(おさ)を利用して折りあげた帯」でした。普通、織物といえば、糸は縦糸と横糸が直角に交わる形で構成されます。何本かとばそうが、部分的にしか糸をかけないとかいっても、所詮はこの「経緯は直角に交わる」ということから外れるものではありませんでした。
ソレくらい「当然」「基本」「それ以外はありえない」ってものの一つでした。
それを崩しちゃったんです。織り機で、横糸を揃える「筬(おさ)」は通常平らなんですが、これを波型にしてしまう。
もちろん、織る方も大変です。普通なら、きっちり横糸を引けば良いのを、多少緩めにしないといけません。Sと|では長さが違いますからね。そうやってちゃんと仕上げると、直角交差では見ることのできなかった不思議な色合いがでてきます。
勿論図柄は三角形を織ってもその辺が波によたっているので、味わいのある形になるんですが、それよりも発色が同じものとは思えない変りようを見せます。

ステキなんだけど、こういった錦糸銀糸の帯は留袖やパーティの訪問着用。私のように「普段、まちなかを歩く、小紋やお召し」には不適切です。嫁入り道具で母が誂えてくれた袋帯一本あれば十分足りてしまう位、フォーマル機会には疎遠です。

次の職人さんは、「帝王紫」を染める職人さん。
日本では紫は紫草を用いてきましたが、古代オリエント国家では貝の内臓を使っていました。紫草も数少なく貴重品でしたが、貝紫はもっと貴重。しかも、生きてる貝のでないと無意味なので、採取する海辺でしか染められません。
今でも、婚礼衣装にこの貝紫で染めた糸を使っている村があるそうです。なんと30kmも離れた山村から男が海に出かけて糸を染め、染めた糸を女が布に織り上げるという分担作業。
婚礼衣装など、大事な儀式のためにしか織らない、織れない貴重な生地です。
日本では「イボニシ貝」からこの貝紫の染料が取れるのですが、オリエントのに比べて貝が小さいのでより困難な染料です。
それを着物の紫に利用した品。今でも高価な染料ですから、エビ蔓をあらわす実の部分に注すだけといったポイント利用。
でも、いい色ですねぇ。自然の色って、なんでこう、ホッとする色なんでしょう。
(16日に続く)

2006/07/14(金) 玉川屋呉服店
2日間、ネットと離れておりました。
というのは2日間、仕事関係の講習会で職場とは別のとこに缶詰になっており、その場所が丁度、渋谷だったので、実家からの出勤にしたからという次第。
で、2日目の終了後、渋谷に来てるなら、玉川屋さんに行くっきゃありません。
渋谷駅からマークシティを抜けて道玄坂の中ほどに出ると、そこから少し坂を上った右手にあるのが、玉川屋呉服店。
いつ行っても、お客様がいるというのは、なかなか繁盛している証拠です。
お茶や踊りなど、お稽古事で着物を使う方が多く利用されているとかで、そういう方は頻繁に着物を誂えるからかもしれません。
しかし、そういう人が愛用理由といえば、

「自力買出し」

な点にあるでしょう。つい先日も、「来年の夏の着物の買い付けに新潟に行ってた」とか。夏物がソロソロ売りとしては終盤なこの時期、もう仕込みは来年なんですね。
京都にも足を運び、懇意の店に「こんな柄で」と気に入った描きをしてもらっているとか。この店独自の柄もなかなか。
織り物も現地で「こんなのを織って」と行って織ってもらっている反物はびっくりする程手頃な値段。

今日の店の中は夏物一色。
入ったすぐには浴衣の反物。ここは今はやりのプリント物よりも、中型藍染やコーマの注染めといった伝統的な手法のが主です。注染めは藍染めだけでなく、色物もあるのですが、プリントの色よりもなにやらほっとする感じなのは、何ででしょうね。

右手の展示コーナーには紋紗や紗紬。結構色々な種類があり、透け具合も随分と差があります。「透けの少ない紋紗や紗紬なら、単の季節からでも」という文章を着物の本に見ることがありますが、いやいや、本当に同じ手法とは思えないほど透け具合が異なります。
浴衣コーナーの後ろっ側にあるのが半幅帯のコーナー。
ありきたりじゃない半幅帯はどれもいい雰囲気です。
おや、横にあるのは、紗献上? 名古屋帯にする8寸幅のはよく見ますがこれは半幅。紗献上はいいですね。いかにも涼しげ。

なーんて、やりながら、奥の椅子のある席まで行くと、リクエストに応えて、棚から色々見せてくれます。

「こんなのどうですか?」
と見せてくれたのは、夏大島と夏塩沢。
あれ、こんな雰囲気だっけ。紗のようにも見えるけど、シャキっとしたハリのある生地はやっぱり大島や塩沢のもの。
わかりました。柄です。どちらも精緻な絣が最近の特徴。
これらの反物にはソレがありません。
夏大島は白糸と色糸を経緯共に縞に織り上げて無地に等しい格子柄。
夏塩沢は緯糸を白と黒とにした無地に見える縞柄。
絣を作るのはどこでも高度な技術です。その分お値段も張ります。それがない分、ものすごーくお買い得な値段に。
以前、ここで白鷹お召しを買ったときは、絣柄と縞柄では見事に値段が半分でした。絣ってそれくらい高いんです。

「夏は、冬と違って、こういったお召しや大島が、無地着物とほぼ同格に使えるんですよ」と女主人。
ほー、なるほどね。別に紗や絽である必要はないようです。
「法事などにも、これらなら十分に使えますよ」と。
殿の実家の方では法事が夏にあります。次の法事があるときには、こんな着物で行きたいもの。

「こんなのはどうです?」
次に出てきたのは白生地の紋紗。これから好きな色に染めてくれるという。流水なんかはそのまま着たくなるような雰囲気。
夏着物でも白じゃダメなんでしょうか。
萩はしっぶい二藍のすっごく薄い色か、挽き茶のすんごい薄いのをかけたい雰囲気。

「こんなのもありますよ」
今度は3本絽に両面染めの江戸小紋。表は漂(はなだ)色の極鮫で、裏は花か何かの錐彫りを影萌黄の薄い色で。
ひらっと裏返ったときに別の色が見えるなんてステキ。

「そうそう」と
後ろにつんであった、長方形に包んだ布は、麻地の襦袢生地でした。麻の紋紗といったイメージでしょうか。平織りの間に楓や桔梗、撫子の紋様を織り柄に。
楊柳のようにもこもこしていないので、絽や紗の下でも使えるとのこと。しかもお値段1万と5千円に税つけて。おー!

最後に見せてくれたのは、七宝つなぎの紗。萌黄の無地ですが、
実は、セッセと色挿ししてあるので、織りの濃淡以上の濃淡を実現。そうとは見せないあたり、色挿しも上物です。
これは、コートにしても綺麗です。そうすれば、3月から10月一杯位までの長い期間ずーっと着られます。
いや、こういった有職紋は、装束にすることも可能です。
夏生地だからか、ハリのある生地は、装束に使う生絹(すずし)と重ねても遜色ありません。
何を想定してるのか「3丈3寸」という長尺なのもうってつけ。
「もう数日で売り出しに入るので、コノ値段でいいですよ」と差し出す電卓に示された金額は「うっそぉ!」というお安い金額。
ああ、欲しいよぉ。でも即断する程はお安くありません。
一旦、帰宅して頭冷やしてから考えましょう。

というわけで、今日のお買い物は
水浅葱の紗献上の半幅帯
絽地に秋草の帯揚げ
桔梗の織り柄の麻紋紗の襦袢生地

これで、夏のボーナスの無駄遣いは終わりかなぁ。

2006/07/13(木) 着物は楽か、楽ですよー
この板は「一日1ページ」となっています。
だから、一日に何個も書きたいテーマがあったりすると、他の空いている日に放り込んでしまいます。

というわけで、この話は13日のことではなく、15日にやまとの展示会に行ったときのお話だったりします。

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展示会の玄関で迎えてくれた、いつもの担当さんは、今日のお世話係を紹介してくれました。
彼女はこの類の展示会では、世話係をしません。
こういった展示会で上手に買わせてしまうテクが低いからなのか、それとも、そういったテクのないワリに担当顧客が多く、一人に付いてしまうと、他の人の面倒が見れないというからなのか。

基本的には、着物の情報に通じた人が好きなんですが、彼女だけは別。そういったことには、つきあい始めてからもう随分になるというのに、あんまり着物知識に長けたとは思えません。
なのにねぇ、お気に入りなんですよ。
ヘタに知ったかぶりをせず、素直で、「こんなのをあわせるといいなぁ」なんてつぶやきに「ああ、それなら」と甲斐甲斐しく店の中や奥を移動して、らしいものを探してきます。
そういった人好きする性格なとこがお気に入り。

で、今日の世話係りさんは、情報に長けた人のようです。
担当の彼女から「普段から着物を着ている」といった情報も引きついでいる様子。
「お仕事から帰ると着物なんですか?」
「そうです」
「すごいですね」
「だって、洋服だと疲れるから、着物に着替えて、ゆったりしたいでしょ」
「えー、着物の方が楽なんですか?」
「ええ、そうです」
「もしかして、家事も着物でするんですか?」
「ええ、そうですよ」

私の普段着は神職御用達な業務用の白小袖。
ミートソースだろーが、醤油だろうが、どんなシミでも洗濯一発で真っ白無地に元通り。油いためだろうが鍋洗いだろーが、気にせずにバシバシしています。いっそ割烹着の方がシミが落ちないので、シミつけそうな危ないときには着用しません。

って、彼女の頭の中では、どんな着物姿が描かれていたのでしょうか?
少なくとも彼女は「着物は洋服よりも気張って、疲れるもの」だと思っているようです。
当日、私の着てた着付け見てて気づかなかったかなぁ。
綿縮みの着物を衿を若干広めにゆったりと(悪く言えば、ぐさぐさに)着付けてたの。
立ち居してたら木綿だからずり上がってきちゃって、姿見の前で腰紐解いて、裾丈を直したので、腰紐の位置はわかったみたいだけど。私の腰紐は腰骨位置。
「腰骨を歪ませることがある」とも言われていますが、それは他人さまに着付けてもらった場合。
知人の話では「歩けない程痛かった。着付けてもらうならウェスト位置だ」といっていました。でも、自分で結ぶなら、補正なしでもしっかり結べる腰骨位置はやっぱり便利です。
「昔風なんですね」
「この方が楽でしょ」
「トイレ問題ないですか?」
「いや、別に」
そう、腰骨で腰紐を留めると、この位置はパンティの上の線のよりも大方下です。だから、パンティを下げるときに腰紐の下を通過していくわけ。
昔の人は今のようなパンティを使わず、湯文字という裾よけの短いのみたいなのをつけていました。だから関係なかった。
でも、私の場合は、腰紐なのにパンティ上げ下げしちゃいます。
腰紐そんなにきつくないんですよ。それに、くずれたら直せばいいだけ。腰紐は帯下位置より下なので、腰紐といて結びなおしができるんです。
家なら、他のとこは、もっと緩いです。木綿や浴衣やなんかは、ぐさぐさに着てたって、そんなにずるずる着崩れてくるもんじゃありません。家でなら、ぎっちり着る必要なんかないんです。
伊達巻なんか、締めた状態で、拳骨一つ位余裕ではいっちゃう位。

だから、楽なんです。

洋服だって、鹿鳴館に着てたようなバッスル衣装で、下にはぎっちりコルセット、なんて洋服を「楽だ」なんて言わないですよね。「家では楽な洋服姿」ってのは、ゆったりTシャツにだぼだぼパンツみたいな格好を想像して言っている筈。

私の場合、勤務時間は、男性同様にネクタイワイシャツにタイトスカート、盛夏を除けば、ビシっとテイラードジャケットを着用です。勿論、下着はしかるべきファンデーション使用。
(タイトスカートに出腹ってみっともないことこのうえないの)
帰宅後も背広姿で寛ぐオッサンなんて聞いたことないでしょ。この辺をばーっと脱いで、ユルユルに着付けた着物ってのは、楽なんですよぉー!

留袖、振袖、訪問着なんかを主に扱い、もしかしたら、ご当人もそういった着物しか着ない店員さんには、そういった着方は想像もつかなかったのかもしれません。

2006/07/12(水) ペン先の太さとノートの罫幅
む、むし暑い。たとえよーもなく蒸し暑い!
こんな日にもビジネスマンは長袖のワイシャツにネクタイを締めて、夏物と思しいとはいえ、長袖の背広を羽織っております。

今日は客先に行く可能性もないしぃ
ま、万が一、突然に引きずっていかれてもこの辺ならいいか。

と、昨日買ったばかりの綿ピケの黒無地ワンピースにする。
半袖というには、ちょっと申し訳ばかりにも見える袖付き。襟はゆるーくS字を描いて若干広めに開いてる、胸下切り替えのタイトミニ。
胸下の切り替えのとこに黒白の縞のグログラン・リボンを結ぶ。
ちょっと 映画「踊るミカエル」(今夏公開予定)の学校の制服に似てなくもない。

って、今日は全然着物の話じゃなくて、ペンの話。

私は、仕事では、万年筆を使っています。インクはブルーブラック。
黒のそっけないのでもなく、ブルーのカジュアルっぽい印象でもない、なんか「正統派インク色」って気がして。この色は、中学1年で初めて万年筆を買ってもらってからのお気に入りの色なんです。
厳密にはパーカーの瓶入りのブルーブラックがいっとうお気に入り。
パーカーとかウォーターマンはスポイト式のインクカートリッジなので、好きなメーカーのインクが使えるんですが、日本製ななぜか専用カートリッジを消費していくタイプ。ゴミは出るし、好きなメーカーの使えないのでこの点は嫌い。次買うときは、やっぱりスポイト式であることを条件にしよう。

んで、最近、お気に入りなチェック点が「ペン先の太さ」
昔は小さい字のかける極細がお気に入りだったんですが、逆に年賀状の宛名書きのような際の文字がちまちませこせこして、みっともなくて。
そんなときに、「暮らしの手帖」のエッセイで、「太字の万年筆で悠々と書く」という話が載っていました。
その後、万年筆を買う機会に、気にしてペン先の太いのにしてみました。
今使っているのは何本目かで、セーラーの中字。
その前に使ってたパーカーの太字位のぶっとい字がかけます。メーカーによって色々なのね、

んで、次の問題がでちゃったのが「ノートの罫幅」

世間一般にはA罫、B罫のどちらかが一般的です。Bの方が細い。
私はB罫を使ってたんですが、この太字な万年筆を使うと、B罫じゃ上下の字がぶつかってしまって、ノート面が醜い。

なんで、ルーズリーフがなくなったのをいいことに、今度はA罫に換えてみました。
いつもは、隙間が多くて嫌いだったんですが、太字な万年筆だと、丁度良い空白になります。
ペン先が太いと、どうしても字が大きくなりますからね。

なーんて、カッコいいこといって、一方では、極細0.05なんて水性ボールペンも使っています。経費削減の折、A4に2ページ両面印刷した資料にちみちみとコメント書くにはこっちの方が向いているからです。
でも、力をかけすぎると、「ボールがつぶれて壊れます」なんていう超華奢な事務器具です。やりすぎじゃないの?
なーんて思いつつ、愛用している。

2006/07/11(火) 洋服は安いか
昨日は「チョイおしゃれレベルだと着物って、ちょい高めね」って話をしました。
んじゃ、洋服ってどう見ても着物よりも安いんでしょうか?

今日の通勤途上でみた一団。

髪のほとんど白いかなり年配の方が2人、中ぐらいの方、中年の方がまとまってどこかにいかれる様子でした。
4人のうち3人が着物姿。
年配の方は濃い紺の無地縦絽の一つ紋着物に白地の織り帯、名古屋かな、袋かな。
中位の方は薄漂(うすはなだ)の無地紗紬の一つ紋。こちらも白地の絽の帯。
中年の方は赤紫の暗い無地の、これは紗かな。こちらを向いているので、紋付きかは見えません。黒地の絽の帯。
残る洋服姿の年配の方はジョーゼットかシフォン地のワンピースをお召しでした。これらの生地は本来絹モノですが、町着のワンピースですから、化繊と見た方がよろしいでしょう。洋服における絹物地の化繊化はかなり一般的になっています。

こうやって見ると、着物が正絹だとすると、着物の方が高いです。
着物を化繊と見ると、トントンでしょうか。

なんか、洋服の方が全般的に安いように見えます。

でもねぇ、それは勘違い。
庶民は着物にはお金をかけるけど、洋服にはお金をかけないだけなんですねぇ。
私の勤務用スーツの中でも勝負服な一張羅はスーツで30万円近くします。冬の上等なウール、皺になりにくく、ハンガーにかけておけばついた皺も取れるという最上級な生地。その時用のワイシャツは1万円、木綿とは思えないなめらかさのを洗濯屋で糊付け仕上げ。靴だって3万円位のいいヤツ。
ネクタイは、ネクタイピンとカフスボタンはってもう言わないでおこう。髪飾りだって、イヤリングだって、こういう服着たら100均のは使いません。

型紙もカッティングも良いので、余計な皺もなく、ぴったりしているのに、窮屈でないデザイナーモノのプレタです。
「サイズ直ししないのは珍しい」ということでしたので、プレタといっても、サイズ直しして、マイサイズで着るのが普通なようです。
私はサイズなおしなしのラッキーな一人。

着物だと、小紋くらいの格付けのとこと対応します。つうことは20万円から30万円位。
おやおや、洋服と着物の価格帯が揃ってきましたね。

もっと高い洋服もありますよ。訪問着に対応するセミ・フォーマルや留袖にも匹敵するフォーマル・ドレスも。勿論絹や上質のウール素材で。
価格はまっとうにそういった着物を買ったときの相場とほぼ同じ。

洋服だって、お金をかければかかるんです。
何故か、着物にはお金かけちゃう人でも、洋服にはお金かけてないことが多い。洋服にもお金をかけるのは、本来もっと上質な方々のなさることなのでございましょう。

このように、実は、洋服だから安い、着物だから高いってことはないんです。
「洋服は安いの買うけど、着物は高いの買っちゃう」っていう現象があるだけです。
はたまた「結婚式に1万円の化繊ワンピで来てもいいけど、1万円の化繊着物で来るのはヤメテ」なんてのとかね。
(ここで結婚式の話をすると長くなるので、しないけど、この話は実話)

2006/07/10(月) 着物って「高価」な印象
例え、それが浴衣や安物ポリ着物、木綿着物だったとしても、「着物」というものには、「高いものを着ている」という印象があります。

ポリ如きでそんなこと言われたくないなーって思うけど、
ちょっとまって、洋服とホントに大差ないかな?

まず着物。究極の普段着 木綿の着物は仕立て込みで3万円位でしょうか。帯は木綿の帯として5000円位。
ポリの方がいっそ安くて、ミシンの仕立てあがりが1万円前後からあります。
ブランド物になると浴衣でもポリ着物でも4万円弱からかな。
正絹小紋だと一声10万かな。帯も5万円位のはしたい。

下着は不問にしましょうね。女の下着って洋服の方がいっそ高いと思うから。(9000円のスリップ、1万円のボディ・スーツ、5千円のブラジャー、この辺の価格帯はそう常軌を逸した高額品ではない)

さて、この程度の着物に対応する洋服といったら、

ワンピ―スかツーピースで、3,4万円というと、ちょっとしたよそゆきかな。ホントの普段着なら、上下で1万円いくかいかないかってとこ。
気軽なよそ行きとしては、着物の方がちょっとお金かけちゃうカンジです。
「私のはリサイクルだから安いのよ」はナシ。だって、それなら、
「中古のヴィトンだから安いのよ」ってのと同じだから。

ユニクロの普段着に対抗するのは、ミシン仕立ての安浴衣 1980円に500円の帯としましょうか。これなら十分値段的にも等価でしょう。
足はゴム底お祭り雪駄か、安下駄千円也、手持ちの巾着は百均で。

2006/07/09(日) 「きもの文化検定公式教本」 -キモノの歴史 
昨日の続き

「装束」というか公家の服飾に関しては、ちょっとひかかるぞ。

◆きものの歴史 −平安時代、公用以外は貴族も小袖姿?
現在着用されているキモノの原型は、平安時代に庶民の着ていた「小袖」や、平安後期に貴族が肌着として着用した「小袖」(庶民のとは別のルーツになる)に始まるとされています。
ですから「キモノの歴史」というと、大概の本は平安時代もしくは更に遡った古墳時代から書き始めます。
私は日本の服飾史は興味ある分野なので、いくつも本を読んでいます。特に平安時代の「装束」に関わるところはよりこだわって、些細な記載も見逃さないようにしています。
だから、ここに書かれた「他に記載のない記述」に関しては「本当か?」と。以下気になる部分の要約
- 飛鳥時代から、下衣に垂領(たりくび)式衣服を着、上に盤領(あげくび)式衣服を着ていた
- 貴族も公用時以外は外衣を脱いで小袖姿で過ごすことが多く

飛鳥時代から幕末に至る迄、公家の最高礼装は「礼服(らいふく)」と呼ぶものでしたが、これは、今「束帯」と呼ぶ衣服の上に今のキモノのように垂領式の上着と裳と呼ぶ、女性のオーバースカート状のものを着けました。
http://www.kyoto-ohtakougei.com/html/tenpyouhtm/tenpyou.html
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000016
このこの下に着ていた、後に束帯の袍(ホウ)と呼ばれるようになるものが、この当時は、袖が広くなく、筒袖状態でした。
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000018
この衣類を、上衣の「大袖」に対して、「小袖」と呼びました。
着物のルーツとなる垂領式のものでなく、後の束帯の上衣となる盤領(あげくび)式の衣類をこう呼びました。呼び名は同じでも別ものなんです。この辺がやっかい、いや、カンチガイの元かも。

これが簡略化されて平安時代には普段の政務には一番上の着用物を脱いだ「束帯」が用いられるようになります。
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000024
そして、袖が広くなって、今見る形状に至ります。
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000026

最高礼装はその後、幕末まで「即位式の衣類」として残ります。明治天皇の前の代の孝明天皇の着用した礼服が残されていますし、絵図に臣下の礼服も残されていますので、その形状は十分に推し量ることができます。「即位にしか用いない」ということで、ほとんど形状の変化は起こらなかったようです。

一方、公家の家の内での寛いだ姿は絵巻物に見られる範囲では、外衣(袍(ホウ)のことですね)を脱いで、『衣』を羽織ったりします。この『衣』は女性が着ているものとほぼ同型で、袖口が「大袖(おおそで)」と呼ぶ、袖下まで開いた形状になっています。

平安後期、この大袖の衣類を硬く張った生地で仕立てるのが流行り、定着し、肌から離れて寒くなったために更に下に、袖の詰まった柔らかい生地の衣類を着用するようになります。これが小袖のルーツの一つです。(もう一方が庶民の着用品なのは本の通り)
平安時代には、まだ小袖姿で寛いだとは思えませんし、他の本でそういうった記述も見たことがありません。しかも、通常、来客があれば、すぐに上を羽織るなど、大袖姿(こんな言葉ないけど)を極親しい家族以外に見せることはまずありませんでした。束帯姿は今で言えば背広にあたり、公用でなくても、しかるべき訪問先ならば着用しました。ラフに着用したのは上層では直衣、それ以下や若者は狩衣を着用していました。

もしかして、正しいのかもしれません。
しかし、今まで読んだ本や絵巻物で見たことのない内容なので、あれれ?と思う次第です。

公家の普段の格好といえば、こんな感じでしょう。

2006/07/08(土) 「きもの文化検定公式教本」に思う
殿は土曜出勤日、姫は学校で期末試験の最終日。
所在無い休日の朝、氷をたっぷりと入れてキンキンに冷やしたアイスコーヒーを片手に、昨日購入した「きものの基本」を読みました。

なんですが、

記載に気になる点がいくつもありました。
ムック本でもこんなにひっかかりはしません。
ムック本だと、ひっかかるとしても、「まぁ、そういう説もあるわけだ」と思うだけなのですが、今回は「検定『公式』教本」です。「こんな説もある」で済ますのは気になります。

決して、検定自体が公的な資格保証をするわけではありませんが、獲得した人としては、「一介の私立の着付け学校の教えてることなら、いざしらず、『検定』なんだから、この説が『正しい』んでしょ」って思うでしょうから。

キモノは、土地により、家により、様々な習慣を持ってきました。しかもそれが時代と共に変遷したり、維持されたりしています。売る側のキモノ業界ですら、土地によって、店によって、呼び名も何も異なります。
こういった点は、ある意味不便で、新しい店を開拓した際には、店も客も色々とカンチガイを起こしたりする原因となっています。が、それを「統一」する権利も権威もこの「検定」にはないでしょう。(将来的に、「業界標準」になるかもしれませんが)

気になった点をいくつか挙げます。
◆ キモノ姿でテーブルに腕をつく
 冒頭は「気軽にキモノを楽しもう」とグラビアから始まります。「表参道を散策し、店を物色し、カフェでお茶する」いいですねぇ。問題は、その際の立ち居。説明はもっと先で良いのですが、そういった点に気を配った立ち居をして欲しいのです。
カフェの紅茶のポットとカップが乗った小さい丸テーブルに肘から下をつけて座っていました。
キモノは正絹でしょう。いや、正絹でなくても、こういうことはクセですから、木綿だろうが化繊だろうが、そういうクセをつけてはいけません。一張羅のキモノのときにもやらかして、とんでもないメに遭います。テーブルなんて、しかもテーブル・クロスも敷いてないとこなんて、どう汚れているか判ったものじゃありません。しかも乗っているのは紅茶のポット。ふとしたはずみに腕に力をかけてテーブルが傾いたら? 紅茶って、染物に使える位染色力が強いんですよ。あーコワ!

◆袋名古屋帯
名古屋帯の仕立て方や呼び方は様々です。同じ呼び方が全く別の仕立て方を指していることも少なくありません。
その一番危ない呼び名が「袋名古屋」。ここでは、8寸名古屋の地をお太鼓の部分を引き返して縫い代を取らずにかがることを指しています。
が、我が家では「名古屋帯を裏をつけて『袋帯』のように仕立てたもの」を指しました。これは「開き仕立て」とも呼ばれています」別の場所では「長さが名古屋帯の長さと同じ(つまり短い)袋帯」を指すこともあります。これは「京袋帯」とも呼ばれます。
ある呉服屋サイトで質問した際には「このように色々な呼び方がされているので、形状を明確にした言い方で話をするのが、カンチガイを起こさない方法」と言っていました。
縫い代を持つのが九寸名古屋、かがるので縫い代を持たないのが八寸名古屋。これが一番確実な呼び名でしょう。
◆羽織やコートを着る季節
この本では「紅葉が色づき始めた頃に羽織り、桜が満開になれば帯付き(帯の上に何も羽織らない姿)になる」と書いています。
あるお家、もしくは地方ではこうなのでしょう。でも世間一般的に、初夏から夏場に羽織を羽織るのは決め事に合わないことなのか?
女性の場合、コートも羽織も「防寒」の役目と共に「塵除け」の役目を持っています。ですから、四季を通じてそれなりの生地のものを羽織るのは決しておかしなことではありません。
◆ゆかた感覚できもののおしゃれを
「ゆかた感覚」という語彙が理解できないからかもしれない。
キモノを着慣れない人から見ると「キモノ」と「ゆかた」は別物位に違っているってことかもしれない。プレタ(仕立上がりのキモノ)の紹介の記事なのだけど。
「ゆかた」=「仕立上がり、すぐ着られる」って意味なのか
「ゆかた」=「普段的おしゃれ感覚」って意味なのか。
◆喪服は弔時の第一礼装
最近、チェーン店系を中心に女性の黒紋付を「喪服」と称している。確かに今じゃ喪服としてしか着用しないけど、このサブ題のような言い方にすると、何か変。「喪服」ってのは、やはり用途の呼び名だと思う。「色喪服」も用途名。「喪服に使える色無地」であって、専用じゃない。色や地紋によっては慶弔兼用できるんだし。「黒紋付は弔辞の第一礼装」って記述の方が好き。
◆十三参り -全国で行われていて、最近関東でも行われるようになった行事
おい、関東って「全国」に含まないわけ?
多分、校正したときに中途半端に添削しちゃったんだと思う。
京都の嵐山の法輪寺の行事に始まるらしい。意外なことに京都に永年住んでいる人でも東山界隈の人間だとそんな習慣知らなかったという位地域行事だったらしい。(京都にはすぐ近所の人間を対象とした成長の祝いはあちこちの寺社にある)
最近では関東をはじめ日本全国の虚空蔵菩薩のお寺、更にそうでない寺社に詣でる位に広まっては来ている。

なーんて、色々ひっかかっちゃった本です。
「キモノについて初心者なんですけど、いい本ありますか?」という人に「これがいいよ」と私が薦めるには憚られる本です。

7月絵日記の続き


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