優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/06/17(土) 父の日の贈り物 −ふっふっふー
土曜日なので、近所の総合スーパーにおでかけ。
「父の日セール」とかって、何故か黄色のカーネーションが乱舞。
女性モノのコーナーでも既成浴衣が並び始めました。
ここのスーパーは衣料品がメッチャ安いのが取り得。
どうやったらできるのか、5千円未満で浴衣に帯に下駄までついちゃってたりします。
いっそ、「下着セット」とかいう「浴衣肌着、腰紐、伊達締めセット」が同じ位なのが割高感を強くしちゃう位に。
そういえば、女性モノって、こういう風に安いけど、男性ので安いのってないなー、と思ってたんですが、もしかして、ここなら。
と男性衣料品の階に移動。
さすがに女性ほどではありませんが、1列浴衣を吊るしたコーナーがありました。甚平は2列ですから、甚平の方が人気なんでしょうか。
で、お、あるじゃないですか、「帯と腰紐付きで2,900円!」下駄もついたのは7,800円、ちょっと高くなりますが、生地もこっちの方が良さそうです。
とはいえ、家で着るだけですから、下駄はなくても良いし、安くても麻混なので、コーマ地よりさらに涼しそうです。男の下着は背広の下に着ている半袖シャツとステテコで十分です。
「父の日ラッピング無料」というので、ちゃっかりと箱に詰めてもらって帰還。

夕食の際に渡しました。

「甚平か?」と箱を開けて一発。
「あ、浴衣だ」と。

夏場は、暑がりの殿はまともに服を着なくなります。
5分丈のしじらのズボンとか、甚平とか試してみたのですが、どうも「おっさん 丸出し」でみっともさが抜けません。
それすら「暑い」とかって着ないこともあるし。

紺がすりのような、紺地に細かい白抜きの入った柄は、ちょっとカワイイかなと思いましたが、意外にも似合っています。

何より、ちょっと出腹な腹の下に沿って帯を締めると、おーいい感じです。男の着物はこの出腹がなくては「美しく」ありません。
後ろ姿もスッキリと。
姫も見ながら「うん、似合ってる。カッコいい」

ふっふっふ、これで「家族全員着物計画」が一歩進みそうです。

2006/06/16(金) 【図書案内】 きもの
今日の紹介は タイトルがずばり「きもの」幸田文著。
この本を買ったのはずーっと前の話。しかも古本屋。
あまりにまんまなタイトルなので、ずらりとならんだ背表紙の中からするりと手に取りました。

これが、幸田文氏との出会いでした。

半分が黒(しかし、黒で亀甲花菱)、残りは可憐な小花柄の表紙も優しい。
実は、これは、幸田文さんが、娘の玉さんの嫁ぐにあたって誂えた黒羽織の柄だったのです。黒羽織が似合った文さんに対して、地味な玉さんには借り物にしか見えなかったので、文さんは一計を案じ、袖先に花柄を描いた生地をはめることを思いつくのでした。
この話は玉さんの書くエッセイの中で語られています。

さて、本編。
主人公は、冒頭では小学生の「るつ子」銀行員を父に持つ四人兄弟の末っ子です。色柄や地質の格よりも「着心地」を最優先する末っ子は、親兄弟から呆れられるような事を次々に起こしていきます。
唯一の理解者は同居する父方の祖母。これは文氏にとって、母親にこうあって欲しいと願った理想像なのだとか。

私の祖母がこんな感じの人でした。私の着物は結婚するまで、祖母が全て縫っていました。私の娘の一つ身の数着はやはり祖母の手縫いです。
茨城の農家出身でしたから、田舎の風習なんかを教えてくれたのも祖母。「独身時代に東京に出てきてバスガールしてた」ので、意外にもハイカラで、なんとコミケに一緒にいった事もあります。
そういう「全く知らないことを知る」のが大好きな祖母でありました。

さて、閑話休題。
話は、るつ子の新婚の新床で終わっています。
「あれ、終わり?」納得できるような、できないような。
と思ったら、「キリが良いので、一旦お休みしよう」と筆を置いたのだそうです。再開する意志はあったようなのですが、色々な事情から、「きもの」は再開されることなく、著者は鬼籍に入ってしまったのでした。

結婚後のるつ子がどうなったのか。実家が田舎だという夫の実家と、どんな話を展開したのか、結婚前のつきあいでも「もっと綺麗な色の着ないの?」と言っていた夫と結婚後は、どんな言い合いをしたのか。
書かれなかったエピソードのいくつかは想像できるだけに、読みたかったなと思います。

ともあれ、何度読み返しても、飽きない本です。

2006/06/15(木) 【図書案内】 昭和のキモノ
今日の図書紹介はコレ
「昭和のキモノ 和服が普段着だったころ らんぷの本」

「昭和の・・」ってシリーズの一つです。
「昭和のくらし博物館」というのが、東京の城南、久が原というところにあるのですが、そこの企画展示の資料をまとめたものだとか。

この本の中では、他のくらしの博物館の収蔵品同様に「昭和の終わりとともにキモノも終焉した」とまとめています。

私が子供の頃に住んでいた東横線沿線でも、昭和30年代から40年初辺りまでは、商店街で一番大きいのが呉服屋で、それも何軒もありました。
それと別に小間物屋だとか履物屋があり、化粧品屋は暮れになれば、カンザシや鹿の子を並べ、美容院の店頭には、日本髪のカツラが置かれていました。練り切りなどの高級和菓子屋、お団子や草餅のお団子屋、お煎餅屋とあられ屋は別だったなとか。飲食店はお寿司屋さん、鰻屋さん。夏には、鳥屋の店先に炭火の焼き台が設けられ、焼き鳥や鰻を売りました。甘タレの焦げた匂いが商店街を流れていきます。

って風に「和」と「着物」は至って身近なものでした。
おじいちゃんおばあちゃんが着物姿なのは「常識」だったし。

それが昭和40年代の最初から最後に向かって、急速に消えていきます。
昭和45年、万博のあった年、学芸会に七五三の振袖を持っている子は、桜の踊りを、持っていない子は男子と一緒に体操着で花びらを踊りました。持っている子は女子の半分位だったように思います。
六畳一間の貸間住まいや零細工場の従業員もいましたから、そんな余裕のなかった世帯もあったと思います。が、昔は、余裕がなくても、そういった通過儀礼はしたと言うので、「着物でなくても良い」「しなくても良い」という考え方が始まった頃でもあるのだと思います。

そんな時代の記憶を書き綴ったのがこの本。
余り語られることのない、普段着や農村や漁村の衣類にもふれています。「腰巻2枚に半襦袢で帯して、前掛けしたのが夏の普段着」とか「半幅帯は今よりもっと細かった」「湯上りは腰巻一丁」といった、着用習慣も語られます。
冷房の無かった、当時、今のようなヒートアイランド現象はなくとも、夏場に畏まった格好をするのは、やはり暑かったわけで。
普段着に関しては、今では絶対しないような格好があったようです。
でも、洋服だって、下着だった筈のTシャツやタンクトップ、シミューズ・ドレスが夏には跋扈します。着物において、下着の扱いの腰巻や襦袢のままで家事仕事してるのは、そう思えば、とんでもなくおかしなことではありません。

コラムでは「着物着用時の着圧」を測定しています。
着付け師に着付けてもらった振袖が、いかに「息するのも苦痛」な状態かを証明しています。
着物が一般的だった頃にはこんな格好補正だらけの着付けは花嫁さん位しかしてませんでした。「普段着物の終焉」=「ゆったり着る着物」=「自力で着る着物」の終焉でもありました。
「楽だよー」と私が提唱する袴姿すら、この実験では「苦痛の着付け」になっています。やはり着付け師に着付けてもらうと、袴ですら苦痛なんだと、納得した次第。

2006/06/14(水) 【図書案内】 着物あとさき
今日の図書紹介は 青木玉 著 「着物あとさき」です。
青木 玉さんは、幸田露伴の娘である幸田文の娘さん。
着物好きだった母親 文さんの箪笥の中の着物を引き出しては、思い出のエッセイを紡がれています。
最初、もっとお若い方なのかと思っていたのですが、玉さんが昭和一桁のお生まれ。私の母ほどの世代の方です。

昔の着物好きの人って、すぐに「こういう絵を描かせよう」と、自分でデザインしちゃうんだなって思います。
この本の冒頭の話は、玉さんのご婚礼の衣装。「赤にしよう」と言ったら、いい色のいい生地のを選んで、更に「この赤なら、白で描き絵しよう」と進める文さん。「花嫁衣裳用にできあがっている色柄から選ぶ」なんて今の人には考えもつかないような発想で進みます。

文さんは、女子学院卒。大胆な発想と行動力はこの学校で培われたものと思われます。大正時代のご卒業だと思うのですが、そんな昔からJG生ってJG生なんだなって実感の言動です。

玉さんは女子学院ではないようです。だからなのか、個人の性格なのか、母親の積極的な行動に圧倒されつつ引きずられているような印象を受けます。でも、こんなにも文さんのことを表現できるのは、それはそれで素晴らしいと思います。

青木玉著の本で、注目は他にはコレ
「幸田文の箪笥の引き出し」 これも文さんの思い出の着物
「上り坂 下り坂」     キモノだけでなく、近所界隈の話

今ブームの「昭和30年代モノ」なんかより、私にとっては、ずっと、「なつかしの昭和」を感じさせ、思い出させてくれるエッセイ達です。

2006/06/13(火) 傘は・・・
傘は、柄の長い、細身が良い。
丈の低い傘のがっしりとした柄のついているものなぞ興ざめである。
手のひらを柄の上に乗せて、地につく位が良い。

日傘には、金属柄のうんと細いのが長く伸びているものに、縁にレースのついたもが良い。
木の柄にスワトウ刺繍のも良い。

和傘風な傘の骨の多い、赤の濃い無地などは着物にうってつけである。

照る日は夕方に降ることもある。晴雨兼用はまことに便利な傘である。

降ったり止んだりの日には、邪魔にならない傘が良い。
小さい傘の柄が伸びる傘が便利である。
かつて仏蘭西より持ち帰りたる傘は、柄も十分に伸びたが、日本のソレは余り長く伸びないのが、ちょっと残念。
とはいえ、新幹線の席のテーブルにチョイとかけて邪魔にならないのは便利。

降るか降らぬか判らぬときに「念のために」と持参する傘は、折りたたみ傘が良い。小さければ小さい程良く、薄ければ薄い程良い。
最近は、筆箱のように平たく畳まれるものもあり、通勤鞄の隙間に入れておけば、いざというときに慌てないで済む。
このように便利な傘は、いっそ手頃な500円のものに多い。
色柄の選択の効かない点が難点と思っていたが、最近は、実に多彩に揃っている。
やたらに丈を詰めて傘部分を10cm程に折りたたんでしまったタイプもある。カエルやアヒルなどの可愛い柄の造作が楽しい。更にキティが柄についたのまで見つけてしまった。傘の色が多彩はことは言うまでもなく。
しかし、カエルなら500円なのに、キティだと法外に高いのは、いただけない。

2006/06/12(月) 【図書案内】 昔のきものに教えられたこと
今日の図書は 石川あき著 「昔のきものに教えられたこと」です。AMAZONでは青木玉著の「着物あとさき」と一緒に買う人が多いと評しています。

キモノ・エッセイ系のコーナーで、この本はひときわ目を引きました。
白地に赤い花が点点と。迫力のある装丁です。
なんと、著者のお姉さまの婚礼衣装の下着(二枚がさねの下に着る分)の柄なのだとか。反物一幅いっぱいの巨大な花柄。著者のお母様のセンスってものすごい。

関西の裕福なおうちに生まれた著者は、親が着物を見立てたり、色や柄を指定して染め、描きさせたりするのを見て育ち、長じて、自分でもそのように着物を誂えたり、デパートの呉服部に属した際にそのセンスを活かして、商品開発に携わったりしてきました。

「手軽な普段の着物」に対して、この本は「豪奢な誂えの着物」の話。
でも、着物の話は、どちらの話でも、知恵とセンスを生かして、かくも華やかな女の思いを物語ります。

2006/06/11(日) ALWAYS -三丁目の夕日 -
殿が、一人で見にっていて、騒いでいた主題の映画がDVDになりました。
レンタル屋に行ったら既に全て貸し出し済み。
この辺でも、興味のある人は少なくはないようです。
「どうせ、何度も見るんだから買えば?」
と言って、販売コーナーに移動。当然ながら、こちらには十分ありました。
初回得点なのか、店独自のおまけなのか、古い雑誌の表紙を模ったメモ帖と原作マンガの抜粋がついてきました。

舞台は1958年の東京(って、いうけど、東京タワーが年末にほぼ完成ってことは、昭和33年3月3日に稼動し始めたので、この映画の日は1957年(昭和32年)なんじゃないかと思うんだけどね。

狭い意味では、神谷町界隈。

私が、新卒入社した会社が、神谷町にありました。
表通りは国道一号(つまり、東海道ね)だから、今はより頻繁に車の行き来する通り。裏は今でも、ちみちみした家が並ぶ界隈もあります。
表が高層ビルが増えつつあるのに、その裏は、ビックリする程、昭和33年なまんまだったりします。
そんなのを考えながら見ると、ちょっと身近な感覚。

私の育った商店街は、新興住宅地を控える私鉄沿線の駅から伸びる商店街。一歩外れれば住宅地どころか、田畑も点在していました。
空き地って不思議となくて、あちこちの公園とか神社やお寺の境内が遊び場でした。この映画の舞台亜である自動車修理とか駄菓子屋のある界隈は表の商店街ではなく、金物屋とか荒物屋更に大工、畳屋などが建ち並ぶもう一筋隣の界隈でした。

この作品は、各所にこだわりが盛り込まれてあって、記憶にある人は、話の筋とは全く別に「そうそう、これだったんだよー!」なんてのに感激してしまうんだそうな。布団皮なんかも、当時子供には垂涎だった柄なんだとか。
私がひっかかったのは、話も終わりの辺り、師走の商店街に紅白の引き幕を垂らした売り出しや、街灯に結ばれる季節の花の模造品。
春は桜、夏は七夕、秋は秋祭り、紅葉ときて、歳末はなんだったかな。餅花だったのようにも思うのだけど、これは商店街によって違うかもしれない。
注連飾りを売る店はこの時期の風物だけど、これが出てくる日はシナリオでは大晦日の夕刻。江戸では、「一夜飾り不可」なので、大晦日に注連飾りは売っていないんです。30日迄に買っておくの。

なんか「わー、懐かしい」と思う一方で、ツッコミも見つけてしまう悪い癖。でも、そういうこと思い出すのも「なつかしさ」かもね。
だって、今じゃ、この辺に商店街がないから飾り物自体見られないし、注連飾りは鳶職の売るものでなくなり、スーパーで年越しても売ってる。

「なんで、なんど見ても泣けるんだろう?」と殿は不思議がる。
でも、BGMも「泣け!」って盛り上がってるじゃない。
そりゃ当然。

2006/06/10(土) 学園祭で − 意外な人に出会うこと
今日はお姫さんの学校の学園祭。
生徒は開会式に出席するので、いつも通りに登校。
今日の一般公開は午後から。
別の中学に行っている、お姫さんの友人と待ち合わせて、出かけました。

今日の着物は、ツバメを織り出した紋紗。生地は薄いですが、絽や紗のようには透けないので、単の時期から着られる便利物。
そもそも「ツバメ柄」って自体、今頃よね。色は薄いサーモン・ピンクのベージュ寄り、ちょっと地味目の色目ってとこ。
帯は木蓮を描き染めしたベージュの帯。季節遅れだけど、袴下でどうせ柄は見えません。地色だけ頂戴します。
袴は松葉の無地。足袋はニ藍地に麻の葉模様の柄足袋。で草履。
校内は上履きなので、上履き用のゴム裏草履を持ちます。

お姫さんと合流し、校内を巡っていると、「あの人、見たことある」との声。
声は学生っぽかったので、自分に向けられた筈はないと、そのまま進もうと思ったら、
「あの、この間の熊谷のPop'nのでアッシュしてた奴です」
と高校生位の子が声をかけてきました。
あらま、先日の同人誌即売会で会った人でした。
その時の私のコスは黄色の着物に今日と同じ松葉の袴。頭は地毛なので、やはり同じ。しかも、このタッパ(長身なこと)。
この条件を満たすとなると、二人といるなんて考えるより、同一人物と考える方が良いでしょう。
「壱さんも一緒だったので、きっとそうだと」
「壱」というのはお姫さんのコスしたキャラ「壱の妙」のこと。
私たちはPop'n系では「母娘参加のコスプレイヤー」で知られています。
お姫さんは、学校の制服のスカートに、クラブで揃いにしたTシャツをきていましたが、最近じゃそういう風にはこしらえない顔つき+髪型はバレバレ。(「壱ノ妙」風に、横分けにしたロングを片方だけ顔線に沿ってサイドでカット、ってイマドキまず見ない髪型)

聞けば、彼女の友人がこの学校の子で、その子に招かれたのだと。(後で、高校美術部の展示教室で再開したので、その子は美術部の子なのだと判明。因みに、お姫さんは中学美術部)

やー、ビックリ!
意外な人に出会う日でした。

2006/06/09(金) 進化する化繊 −セオα―
入梅との説もあります。
紛れもなく雨天。レースのような雨がシトシトと降っています。

折角、夏服になったのに、まだ半袖はちょっと辛い。
といっても湿気ているので、長袖も暑かったりする。

先日、横浜で仕事した帰りに横浜そごうで着物を見てきました。
そのときはまだ5月の末だというのに、既に「浴衣コーナー開設」とな。まぁ、気の早い。もっとも、仕立てるんだったら、この時期でないと間に合いませんけどね。
といっても、コーナーのほとんどは仕立てあがりの浴衣。
「蕪松庵」が店を持っているので、やってきた次第。
真ん中は浴衣ですが、壁に沿ったハンガーには夏着物(もちろん、ここのは化繊や木綿)が下がっています。
なんか、いい色柄のあるかなーっとパタパタとひっくりかえしていると、「こちらにあるものは、吸湿性が良くて洗濯の乾きも早いんですよ」とな、話を聞くと、素材はセオα。夏下着の素材として注目され、数年前から浴衣の素材としても登場してきていると、話には聞いていたのですが、実物を見るのは初めて。
大きな矢絣の夏お召し風のがありました。
浴衣で手ごたえを感じたので、今年は夏着物にも進出なんだそうな。
「あててみます?」
「肩かけるだけで雰囲気はわかるからいいわ」
「??」
店員さんは不思議な顔。
姿見の前でかけてみると、茶と紺なんて地味地味な色の割には顔映りは悪くありません。となると、やはり裄が心配。
店員さんは慣れた風に裾をすらないようにしてお端折りの腰紐を結んでくれました。
裄は表示で66cm、1尺7寸5分ってことね。(裄は寸尺でないと判らない私) マイサイズには1寸(約4cm)足らないって程度。
指先で袖口をつまんで、ピっと引く。
「もしかして、裄が足らないかしら」なんて心配してた店員が、「あら、ぴったり」なんて嬉しそうな声をあげる。
襟元の柄の出方も悪くない。

というわけで、買ってしまいました。

会話で「毎日着物は着ている」という話になって「やー、失礼なこといっちゃったかも」なんて店員さんが言ってたけど、仕事帰りのスーツ姿では、「着物着たことがある」かどうかすらも想像するのは無理だものね。

で、後日談。セオαの着心地。羽織った感触は化繊です。シルックのような「あれ絹?」という印象はありません。
私の買った生地の質感は、夏大島か夏塩沢辺りの印象です。
シャッキリした生地は「絽」「紗」といった染物系より「お召し」「上布」の夏織物系です。
が、着ていると涼しい。今年は若干涼しいので、なおのことかもしれません。カラっと暑い日にどうなのかはまだ未体験ですが、涼しいとはいえ湿気てるこの時節は普通の化繊だと、蒸して不快なんですが、そんなことはないって点、普通の化繊とは違うよう。これはちょっと期待です。

2006/06/08(木) 後援会の着物はー 「あらえちゃん」って
本日は、お姫さんお学校の後援会総会です。
学校法人に属する学校全てで一つの会を結成しているので、なかなかな人数です。下は小学校から上は大学、短大、専門学校とあり、中学高校に至っては学力と進路志向で4校もあります。生徒数は総勢1万余名とか。これに近在企業や卒業生社会人も加わっているので、財政規模はすさまじいです。

昨年は着物で、今年も着物にする予定だったのだけど、なんと「6時から客先いい?」とお願いがきてしまった。
総会は途中抜けして行くしかありません。
しかも、客先行くんだったら、着物着られない!ぶぅ!

しかたないので、ミッチのセミ・フォーマル ワンピに、同じくミッチのテイラード・ジャケットを重ねることに。総会ではワンピで、客先ではジャケット着てればサマになるでしょう。

受け付け済ませて椅子に座って開会を待っていると「えーっ、今日は着物じゃないのぉ!」と同じ学年のお母さん。こちらは下のお子さんも商学部に入れているというおうち。
今日は、髪もアップにして着物姿。
「着物だと思ったから、着物着てきたのに」

「ごめんね、この後、仕事に戻らないといけないの」

「わー、忙しいんだ」

(全く!)

彼女の着物、単に絽の帯でいい感じの取り合わせ。
柄と地質からすると夏大島かなにかでしょうか?
「これ夏大島?」

「ううん、これ、『あらえちゃん』」

「あらえちゃん」=「洗えちゃん」
あ、化繊の洗える着物ですね。

「雨降りそうだったし」

しかし、いい色柄に質感です。触らせてもらうと、確かに化繊です。
が、普通はそんな不躾なことはしません。
触らないと、近くで見ても、ソレとは判りません。
染め(というかプリント」も精緻にできているので、「織り」でないと決め付けるのは隣の席に座っていてすら難しい。ソレと判った状態でみていても、やはり絣糸にしか見えない。

他人の化繊を見る機会って、そうそうなかったんですが、やはり化繊は進化しています。

6月絵日記の続き


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