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2006/06/15(木)
【図書案内】 昭和のキモノ
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今日の図書紹介はコレ 「昭和のキモノ 和服が普段着だったころ らんぷの本」 「昭和の・・」ってシリーズの一つです。 「昭和のくらし博物館」というのが、東京の城南、久が原というところにあるのですが、そこの企画展示の資料をまとめたものだとか。
この本の中では、他のくらしの博物館の収蔵品同様に「昭和の終わりとともにキモノも終焉した」とまとめています。
私が子供の頃に住んでいた東横線沿線でも、昭和30年代から40年初辺りまでは、商店街で一番大きいのが呉服屋で、それも何軒もありました。 それと別に小間物屋だとか履物屋があり、化粧品屋は暮れになれば、カンザシや鹿の子を並べ、美容院の店頭には、日本髪のカツラが置かれていました。練り切りなどの高級和菓子屋、お団子や草餅のお団子屋、お煎餅屋とあられ屋は別だったなとか。飲食店はお寿司屋さん、鰻屋さん。夏には、鳥屋の店先に炭火の焼き台が設けられ、焼き鳥や鰻を売りました。甘タレの焦げた匂いが商店街を流れていきます。
って風に「和」と「着物」は至って身近なものでした。 おじいちゃんおばあちゃんが着物姿なのは「常識」だったし。
それが昭和40年代の最初から最後に向かって、急速に消えていきます。 昭和45年、万博のあった年、学芸会に七五三の振袖を持っている子は、桜の踊りを、持っていない子は男子と一緒に体操着で花びらを踊りました。持っている子は女子の半分位だったように思います。 六畳一間の貸間住まいや零細工場の従業員もいましたから、そんな余裕のなかった世帯もあったと思います。が、昔は、余裕がなくても、そういった通過儀礼はしたと言うので、「着物でなくても良い」「しなくても良い」という考え方が始まった頃でもあるのだと思います。
そんな時代の記憶を書き綴ったのがこの本。 余り語られることのない、普段着や農村や漁村の衣類にもふれています。「腰巻2枚に半襦袢で帯して、前掛けしたのが夏の普段着」とか「半幅帯は今よりもっと細かった」「湯上りは腰巻一丁」といった、着用習慣も語られます。 冷房の無かった、当時、今のようなヒートアイランド現象はなくとも、夏場に畏まった格好をするのは、やはり暑かったわけで。 普段着に関しては、今では絶対しないような格好があったようです。 でも、洋服だって、下着だった筈のTシャツやタンクトップ、シミューズ・ドレスが夏には跋扈します。着物において、下着の扱いの腰巻や襦袢のままで家事仕事してるのは、そう思えば、とんでもなくおかしなことではありません。
コラムでは「着物着用時の着圧」を測定しています。 着付け師に着付けてもらった振袖が、いかに「息するのも苦痛」な状態かを証明しています。 着物が一般的だった頃にはこんな格好補正だらけの着付けは花嫁さん位しかしてませんでした。「普段着物の終焉」=「ゆったり着る着物」=「自力で着る着物」の終焉でもありました。 「楽だよー」と私が提唱する袴姿すら、この実験では「苦痛の着付け」になっています。やはり着付け師に着付けてもらうと、袴ですら苦痛なんだと、納得した次第。
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