優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/05/16(火) 白生地からのおあつらえ(4)
4回目は「染めに出すと便利なこと」

染めに出すと、「八掛けの共色」が可能になります。
生地が十分にあるなら、「共生地ひきかえし」という手法も取れます。
昔は、八掛けは、別布ではなく、共生地を表地から引き返して使ったのを本義としたのだそうです。

既存の八掛けは、どうしても「似た色、近い色」が関の山。
後から「表地と全く同じ色に八掛けを染める」という方法も取れますが、これは、さすがに割高。表地+八掛とそれぞれ一品だけとは染めの染料や工賃に大差ないようです。

更にオシャレなのが「帯揚げまで同じ色」なこと。白地の帯揚げを一緒に染めに出すと、共色のができます。

2006/05/15(月) 白生地からのおあつらえ(3) 
さて、続きです。
「染められるのは無地染めだけなんじゃない」って話。

いえいえ、「型染め」も「型」を選んで同じように染めてもらえます。
代表的なのが「江戸小紋」最近は下地に色をかけておいてから染める「二度染め」なんかもあります。白地の部分が色になるんです。出来合いでは滅多見かけませんから、これは「お誂え」の醍醐味。
「伊勢型」と呼ぶ錐彫りの点々描写以外にも、「越後型」というのもあります。
京都に行くと「型友禅」もあります。印刷の多色刷りと同じ原理で、色毎に用意された型を使って染めていきます。

ちょっと高級なのが、「型糊友禅」(って呼び方でよかったかな)。友禅の色境界の糊置きを手ではなく、型で行う方法。
中の色挿しは手で行います。塗り絵みたいなもんで、「ここはこの色で」と見本の色とは違う色を指定することもできます。

「織り物」つまり、紬とかお召しとかですね。
これにも絣糸を染める「型」があります。好きな型を選んで、何色の糸を使うか指定して織ってもらうわけです。
絣をしないなら、縦糸と横糸の色を指定すれば良いわけで。
「織り分け」といって、右半分と左半分を別の色にしたりする指定もできます。

同じ「織り」といえば、「帯」もそう。
優妃は、色を指定して、つづれ帯を織ってもらったことがあります。
「織る」場合は、用尺の指定もできるので、「短くていい」とか「長くいるから」なんてのも指定できます。長さが価格に反映しない場合と
,反映する場合があります。
幅だって、業者によっては考慮してくれます。八寸はくけないので、帯幅がそのままです。これって、極端に細身や小柄な人、逆にふくよかな人には困っちゃうこと。こんなのにも対応してくれる場合もあるんです。

昔は、大島は高価なので1尺違ってもン千円とかン万円の差が生じるので、必要最低限だけ織ってもらうとかってした人もいたとか。
小柄な人の場合、経済的な方法ですね。
今だと大柄な人には割高ですが、割高でも、「着られる用尺が手に入る」なら、これは一つの選択肢。「用尺が足らない」では対象外ですものね。

2006/05/14(日) 白生地からのおあつらえ(2) 
週間予報では雨とも出ていたし、昨日は実際、じょぼじょぼと降ってくれましたが、今日は曇りっぽい晴れ。
共働きなので、週末は晴れてくれないとね。
遊びも洗濯もできません。

さて、昨日の続き。
次は「染め上がってるものと、染めを依頼するのでは」の話。
「モノが安くなる」の基本は「大量に一度に生産すると安くなる」「手間賃の安い人(機械)を使えば安くなる」です。
超廉価な化繊着物は、同じ柄の生地を大量に作成して、決めたサイズでミシン仕立で仕上げますから安価になるわけです。
でも、いわゆる反物から見立てて買う着物は、基本的に一品一品仕上げられています。「浸し染め」の無地の類は「1枚も数枚も染液は同じ」という場合もあり、同じ色をまとめて染めると割安になるのですが、「2枚染めたから半額」ってワケではありません。「ひき染め」といって、刷毛で塗っていくように染める方法の場合は、前もって染めようが、依頼されてから染めようが同じです。
というわけで、着物の場合は「染めを頼んでも、染め上がっているものと同じかちょっと高いだけ」ということになります。
ところが、実際には「同じか、いっそ安くなる」のが普通です。

何故か?

それは、ここに「流通」というものがあるからなんです。
出来合いのモノは、製造者から一つまたは複数の問屋を通じて小売店にたどりつきます。問屋がそれぞれマージンを取りますから、手を経た分だけ割高になります。
一方、染めを頼める店の場合、大方は染め屋に直行です。中間マージなしというわけ。
「でも、そういう店って、そもそも出来合いの反物も染め屋直行なんじゃない?」
そうそう、自分の店でデザインして染め屋に染めさせている意欲的なお店もあります。店の意向の活きたいい製品を、中間マージンのない値段で販売しているので、狙い目です。
でも、そういう店でも「後から依頼」の分には乗せない額を出来合い品には乗せていることがあります。
これが「倉庫代」とか「店舗代」というもの。
出来合いの品は、いつ売れるか判りません。ですから、その販売までの予想期間の分を割り増しして乗せるのです。まぁ利子ですね。また、銀座など地代の高い場所に店を構える場合、店舗にかかる経費が高くつきますから、安い場所に店を構える店よりも、この割り増し代を高くするケースがあります。ま、場所柄、品物の回転が良いので「利子率」は高くても「想定期間」を短くして「利子」が安い場合もあったりしまから、一概ではありません。
というわけで、「好きな色に染めて」もお値段は、ほぼ一緒なんです。「好きな色糸で織ってもらう」もこれと同じです。「織る」の方が、時間で言うと「染め」よりかかりますが。

2006/05/13(土) 白生地からのおあつらえ(1)
今日は「白生地からのお誂え」のお話。
洋服の場合、「生地を選んで好きなデザインで仕立てて貰う」というのは、とても贅沢なことです。生地自体も織らせて、染めてなんて言ったら、もー究極の贅沢と言えましょう。

というのは、今の洋服は「既製品」が一般的。しかも、大方の既製品は沢山同じものを作ることで単価を安くした「大量生産品」です。見目のワリに生地が沢山必要なカッティング(型紙の作り方)をしないことも、安価であれば安価な程普通にあります。
洋服は立体裁断なので、切り落としてしまうハギレがあちこちに出ます。なるべくこれを出さないようにするのが安価に仕上げるコツの一つ。
そもそも、前もって想定した体型で仕立てるので、着る人の体型ピッタリになることが稀なのは当然のこと。

という洋服に対して、着物は?
まず形。最高級品の生地を最高技量の仕立師さんが仕立てても、広幅生地の風呂敷き並の生地を雑駁にミシンでガーッと縫った廉価品でも、「形」は全く同じです。必要な生地の量も同じ。

次に縫い。ミシンで仕立てるケースも増えてきましたが、正絹モノはまだまだ「手縫い」が主流。仕立上がりのものも増えてきましたが、「反物を選んで仕立を依頼する」方がまだまだ多いです。

次はサイズ。形は同じでも、サイズは違いがあります。
女性の身長に大差の無かった昔は、着る人のサイズに合わせないで、一定のサイズ(これを「並寸」と言います)で仕立ててしまうこともありました。誰かに譲る際にも便利な方法。
ところが、最近の若い人と中心に、女性の平均身長の伸びは目覚しく、とても従来の「並寸」では、着付けで調整しようもないところまできてしまいました。
でも、着物はまだまだ「買ってから仕立てる」ので、着る人に合わせて仕立てて貰えます。
「お仕立上がり」とか「プレタ着物」といっても、所詮は同じように仕立てるしかないので、出来合いだから安いということは実はないのです。「お誂え」でも、安価な「海外縫製、ミシン仕立」を頼むことは可能なのです。

「えー、でも、仕立上がりと同じ反物を後仕立てで頼むと高いとこ あったんだけど」と思うでしょ。
実は、「ある一定のサイズで仕立てる」のと「一定ではないサイズで仕立てる」のでは、仕立にかかる時間が違ってくるのです。基本的に、「仕立賃」は「仕立にかかった時間」で計算されます。だから、時間のかかるモノは高くなるのです。
いつも慣れているサイズの場合、どこで反物を切れば良いか知っています。ところが、それより長かったら「足りるかしら」と一旦考えなくてはなりません。小紋でも柄がかさならないような配慮がありますので、違う場所で切ったら、柄が変なとこに出たりしないかとかも考えます。
至極稀に「3サイズのどれか固定な条件で仕立て代が廉価」というのを見ることがあります。仕立師さんの仕事を回すために呉服屋組合と協力して行うセールなのですが、「仕立て代を安くする代わりに短時間で仕立てられること」が条件になります。決まったサイズなら今書いたような、配慮は不要ですから、どんどん切って、さっさと縫い始められます。
また、慣れた仕立師さんになると、「縫う長さを覚えている」なんてのもあって、慣れたサイズはそうでないサイズに比べて同じ場所を縫うのでも速さが格段に違うのだとか。

さて、「仕立てる」までで、結構書いてしまいました。
まずは「仕立上がりでも、後仕立でも、結局値段は同じ」ってとこで、今日の分は終わり。

2006/05/12(金) 特集/新・きものにはまる女たち
季刊「Ki-mono」という雑誌があります。
着物業界の専門誌です。
大方、大概の職業には専門誌があります。着物業界も当然あるわけで。
業界誌は、なかなか町の本屋さんに並びません。
この本のこともタイトルは知っていたのですが、なかなか実物にお目にかかれませんでした。
が、昨夜のこと、買い物がてら寄った近所の本屋の着物のムックや雑誌の並ぶ中に、この「Ki-mono」を見つけたのです。1500!高い!

着物系小売店向けの業界誌だけあって、「縫製はうちへ」「丸洗いはうちへ」などの広告もあり、居並ぶ記事も「業界の現状と将来」や「店舗ディスプレイのアドバイス」など。

で、この巻の特集が「特集/新・きものにはまる女たち」でした。
解説では、「オタク的なはまり方をしている」とのこと。
「使える金額のほとんどを着物に消費し、他のもの(例えば無関係な小物とかアクセサリ)を見ても、着物とつなげて考えてしまう人のこと。ネットのサイトで情報交換し、同好の志と、着物で会合したりする」とか。「着物」を「アニメ」に替えれば、立派な「アニメおたく」ですから、まぁ、言っていることは、間違っちゃあいませんわな。

こういう人達のことを、業界的には「歓迎」しているようで、すでにそういう人達と対応している「先輩諸氏」の意見も出てました。
某大阪は船場の店とか、某東京は渋谷の店とか。
なんか、いきつけのサイトがゾロゾロと。

うーむ、私も「そういった人」に属するようです。

私の場合、装束とかコスプレ、鉄道なんかがありますので、「着物」に「だけ」「可処分金の大半をつぎ込む」ことはありません。
着物に限らずもっと広範に買い求める「本」達の代金だってあるし。
私の場合、もっと広範な「オタク」であって、着物もまた、その一構成物に過ぎないってだけですが。

「オタク」が判らないと困るからか、「オタクとは」というページまで
ありました。経済活動的に、オタクを考慮した方がずっと商売繁盛になるというのは、どの業界でも共通だとか。

記事読んでいて、「こういうことを考えてくれる店が増えたら、呉服屋には行きやすくなるし、着物に親しむ人も増えるだろうな」と思いました。ある時期で、「着物を買う」という習慣が親から子へ伝えられるのが断絶しました。現在、着物を欲しいと思う人間は、従来の習慣を持たずにいるわけです。そんな人達が、どのようにして情報をもとめ、どのような状態で来店するのか。呉服屋は考えないといけないのです。

そうやって「行きつけ」の「好きな店」を評価してみると、やっぱり、そういうことをしている店なんですね。

2006/05/11(木) 三四月の紅梅の衣 −勝手な考察 −
枕草子の「すさまじきもの」の段には、「三四月の紅梅の衣」があげられています。
訳せば「格好のつかないもの」といった段でしょうか。
旧暦だから、時期は今の4,5月にあたります。
紅梅の季節は今なら2,3月。縁起ものとしては、正月から着ます。
という初春から春の柄を初夏に着てるなんて、流行に鈍感よね、ってのが筆者の言い分。

でも、ちょっとまって、単なる「色柄」の問題でしょうか?
平安時代って、服地に「梅柄」のような明示的な柄を織り出したりすることは稀でした。だから「梅の衣」といっても、それはかさね色目のことだったと思うのです。
色の重ねで言えば、蘇芳、赤、紅梅、薄紅などを使ったものになります。(重ね方は諸説)
でも、これらの色は5月なら、躑躅や撫子の色目に使う色です。
同じ色目の衣でも季節によって呼び方を変えるのが当時でした。
だから、同じ色目を「紅梅」って呼ばずに、5月の色目の名前で呼べば問題ない筈なのに・・・・

というところで、実は、紅梅の衣と躑躅の衣には大きな違いがあったんですね。
というのは「仕立て方」
紅梅の季節は冬から初春。寒い季節ですから、練り絹に綿入の着物です。四月一日を「わたぬき」というのは、この綿入の着物の綿を抜いて、綿なしの着物を着るからなんですね。

装束の場合、4月にもなれば「初夏」で、一番下の単は「生絹(すずし)」という透けた生地を使うようになり、上も袷とはいえ、生絹のソレになります。

同じ色目といっても、片や「練り絹に綿入」、片や「生絹でスケスケ」ですから、その違いは一目瞭然。

って、考えると、初夏の爽やかな気候の中を、もこもこの冬物着て来る人って、どんな事情の人だったのでしょうか?

今なら、夏の透けたシフォンのワンピースなんかがいる電車の中にフラノのオーバーコート着てる人が乗ってきたら?って感じかしら。
そりゃー、すげー違和感!

清少納言の思惑がこの意味だったかはわかりません。
ま、「勝手な考察」ということで。

ここ数日、涼しいというか、寒い日があって、家では、ストーブなか焚いちゃう日もあるんだけど、電車にフラノのコート着ている人を見て、「寒いって言っても、もう5月なんだからねぇ」と思っちゃった次第。

よく質問に出てくる「紅葉は初紅葉扱いできますか?」も、秋の紅葉は11月で袷の季節、初紅葉は5月から6月で単の季節です。青紅葉って言う夏から初秋にかけては薄物の季節。生地見ると、いつの季節用のかわかってしまう次第。

2006/05/10(水) 若いから着れるもの、歳いって着れるもの
着物のTPOはなかなか不可解なものがある。
ときには「どこから、そんな話を聞いてきたのだろうか?」と思う程、自分の知っている習慣とかけはなれたものもあったりする。
自分の習慣が必ずしも正しいとは限らないが、「違う」と思うことに間違いはない。

そんなネタの一つが「それは独身の着るもの」とか「年配になってから着るもの」といったもの。
「振袖は独身の着るもの」と言えば、大方の人は納得するだろう。
海外において、外国人の多い(日本人の少ない)ような場合に、既婚女性であっても振袖を着用するというケースはあるようだが、日本国内で日本人同士の場での着用では「独身に限る」とか「20代一杯」といった辺りは、誰もが納得するところだと思う。

「??」と思うのを上げると次のようなもの。
・不祝儀で色無地の着物は隠居(おおかた60歳以降位)してから
・丸組みの帯締めは独身に限る
・更紗は年配になってから
・女袴は、師範学校卒業式の卒業生か、学校全般の卒業式での女性教師に限る。

特定の地方、特定の集落内、とある一族といった中では、世間一般とは異なる習慣があったり、昔からの習慣が残っていたりします。
こういうのは、きっとそういった習慣なのだと思います。
それを守るべき集団の中では、その習慣は尊重すべきであり、そことは別の集団に参加する場合は、必ずしも遵守義務はなく、そして、絶対にそこに参加する他人様をそのモノサシで計って非難してはいけません。
って、守ってる人間自体は「世間一般にそういうものだろう」と信じてたりすることもあるので、ウッカリ口にしちゃうことがあると思いますが。
「卒業式の袴」は今じゃ、教育学部だけのものではなくなってきていますから、「学部限定」は、個人的な感覚でしょう。
「卒業式以外にも着られるか」「既婚が卒業式以外に着られるか」は、「着ない方がいいと思うわ」とアドバイスする人が多いでしょう。
その理由といえば「誰も着ていないから」程度でしかない筈なんですが、日本の場合は、この理由でかなり確実な理由だったりすることも多いのも実際です。
ちなみに、男性の礼装の袴姿も、公家と武家以外での着用が可能になったのは明治10年だそうです。太政官令にて告知されました。一般庶民にとっては、男性の袴だってものすごーく歴史が浅いんです。

私としては納得してるけど、昨今の色柄を見ると、必ずしもそうじゃなくなってきてるなって思うものは
・赤や暖色は若いうち(30代位まで)、寒色は年配になってから
・濃い色は若いうち、薄い色は年配になってから
・鮮やかな色は若いうち、渋い色は年配になってから
・大きな(厚みのある)お太鼓枕は若いうち、薄いのは年配になってから

現実的に、40歳を過ぎた辺りから、大方の人は、顔の造作も薄ぼんやりとしてきて、強いコントラストのある色よりもふんわりとした色が似合うようになってきます。従来の草木染め系の寒色系が似合うようになるのもこういった頃合です。
私自身も寒色系の顔映りがイマイチだったのですが、最近やっと似合うのが出てきました。そんな年頃(?)なんでしょう。

紫式部日記でも、お祝いの席に着用していた装束が「ちょっと鮮やかすぎて、若作りっぽくなってしまって、やだわ」旨を書いています。
平安時代でも、濃い色、赤形を中心とする色は若い人のもので、40歳もすぎれば、薄漂(うすはなだ)など色の薄い寒色を好んで着用しました。

とはいえ、最近の合成染料系の鮮やかな色の寒色は、七五三の着物から成人式の振袖にまであふれています。こういった色柄は年配のものではなく、若い人のものでしょう。

「更紗は年配」という説も、更紗は地味な色柄や寒色の色柄があるので、その辺から「年配向き」と見る方がおられるのだろうと。

ただ、個人の個性というのもありまして、歳の割に年配柄の顔映りの良い人や逆に、歳の割に華やいでおられる方など、色々といるわけですから、色柄は歳に合わせるのではなく、当人の雰囲気、顔映り、好みに合わせるのが良いと思います。

うちのお姫さんは、キリっとした傾向の上にピンクだのパステルだのが嫌いですから、黒地とか紺、赤でも蘇芳に近い濃い色のとかを好みますし、似合います。濃い色が似合うのは若さもあるでしょうけど、寒色の似合うのは当人の個性でしょう。
家だったら、「色柄より防寒」とばかりに、裏の紅絹ばかりが赤い地味地味大島地の綿入れ着物だとかも平気で着ています。
なんというか、見慣れてしまうと、それもそれなりって思えてしまう。

お太鼓帯の枕は、私なんか歳からするともう薄くしてもよさそうなものなんですが、母から「みっともないから、そんなちっさいの使わないの」と言われています。どうやら、身長とのバランスのようです。
歳がいってばーちゃんになると、昔の人は小柄な体が更にちっさくみえるようになってくるので、大きなお太鼓がアンバランスなんですね。
ところが、イマドキの40代なんて、まだ、「老人」なんてはるか遠い年代ですし、しかも、私はかなりの長身。ちっさい枕ではアンバランスという次第。
まぁ、こんな話が常識だった頃には、40歳を越えた168cmもある大女しかも、仕事してる影響からか、昨今の化粧品の効果か、少しは若く見えるらしい、なんてのは想定外でしょう。
化粧すれば、パステル系の似合う顔からコントラストの強い色の似合う顔に変身できますし。

昔並に結婚年齢の早いうちの近所では、40歳をいくつか過ぎれば、もう孫のいる年齢です。

2006/05/07(日) コスプレも着物
今日は、Pop'n Music のオンリー即売会に行ってきました。
「天麩羅兄貴U」、熊谷のさくらメイトで行われたもの。
北関東勢にとって、地元で開催のイベントは嬉しいもの。
駅からは遠いのですが、地の利を得た地元勢は、車で家から現地まで。

「Pop'n Music」というのはアーケード・ゲームと家庭用プレステ・ゲームで有名な音楽系ゲーム。
そのゲーム限定の即売会です。

参加料を払って、まずは更衣室へ。
姫も私もコスプレです。
お姫さんは、前回と同じ「壱の妙」に。私は、前回までは「ムラサキ」でしたが、今回から「ハナオ」に。
ハナオは、青緑の袴に黄色の着物、衿のレースと腰の赤紐、ハイカラさんな髪型が特徴。
ハナオさんはこんな感じ。
http://www.konami.jp/am/popn/music12/ から、Music&Characterを選択して「トーキョーロマン」を選択してね。

青緑はないので、松葉色の袴で代用。黄色の着物って手持ちがないので、どうしようかと思ったのですが、ありました、装束用に仕立てた正絹縮緬振袖地のが。
腰の赤のリボンはどうしようかと思ったんですが、今回は帯揚げを畳んで使うことに。うまい具合に袴本体の紐が帯揚げで隠れてくれました。

「前、ムラサキさんしてた人でしょ」
前回の「天麩羅兄貴T」(昨年の夏だった記憶が)で会った人達が覚えていてくれました。
同じコスの人あり、替えた人あり。
「わぁ、ハナオさんだぁ!もう一人いるのよ」
と顔を向けた先に、似たような袴姿が。
向こうもこちらに気づいたようです。
「きゃー!二人になるとは思わなかった」
飛んできた彼女は、カントリーマアムを進呈してくれました。

カタログ本によると、前回は台風で交通にも支障が生じてたとか。そうでしたっけ。確かに参加者は少なかった。
今回は、小雨の降る中でしたが、交通の便には問題がなかったからか、二回目ということからか、前回より参加者が増えていました。といっても地方のツネ、そうギュウギュウではないです。
こじんまりした雰囲気が良い。

本やグッズ販売の方も、前回は随分と下手なのが多かったですが、今回は上手になっていました。一年のウチに腕を上げたかな。

「また会おうね」
閉会して、三々五々散ってゆきました。

2006/05/06(土) こどもの日コンサート
「読響のチケットあるんだけどいかない?」
殿の友人からの電話。
チケットを受け取ってみて、ビックリ「春日部市民会館」
どこですかい?

調べてみたら、東武線春日部駅から徒歩10分、クレヨンしんちゃんでも知られた街。ロビンソン百貨店の隣にあるようです。

東武線なので、秩父線で羽生に出て行くかなと思ったのですが、路線検索をしてみたら、大宮から東武野田線が一直線に春日部に。
大宮までは定期がありますので、こちらが交通費的にもオトク。

というわけで、大宮から野田線に決定。

着物は、この休み中の虫干し(?)で見つけた、薄漂(うすはなだ)に漂一色で描き絵をした付け下げに袴にしました。
着てみたら、アレ、なんかタグがついています。
「ポリエステル100%」
どひゃー!大伯母の着物だったのですが、一枚化繊の付け下げがあるのを見つけていたのですが、これもそうだったとは。
ほっほっほ、これなら安心して着ていけます。汚れたら洗濯機だ。

シルックなど高級化繊のようです。若干汗ばむ日ですが、絹に近い通気性があるようです。よしよし。

「こどもの日コンサート」といっても、対象は小中学生でしょうか。
子連れが一杯。
演目も、難解な大曲でなく、わかりやすい小曲を多く並べて、合唱作曲家である青島氏の司会で進みます。休憩時間にはロビーで自著にサインの描きまくり。

私はかつて、読売交響楽団でクルト・マズワ指揮の「エリア」を歌ったことがあります。なので、ここの腕の程は知ってます。日本のオケとしては、なかなかのレベルな筈。

が、始まった曲はなんか、覇気がありません。管楽器の紹介の小品「ファンファーレ」も不揃いで出だしが音ボケで。
会場の音響環境も最上とは言いがたいようです。残響がなさすぎ。
モーツァルトも期待するようなノーテンキなキラキラ感がなく、子供の発表会の演奏を聞いているような感じ。

が、ブラームスの大学祝典序曲を聞き、終曲のエルガーの威風堂々を聞いて判明。
「指揮者が手ぇ抜いたな!」
小品が何曲もありました。しかも、アレコレ聞かそうと、色々なジャンルので。指揮者の勉強が足りなかったのか、オケとの練習回数が取れなかったからなのか、力を入れた曲とそうでない曲ができてしまったようです。
指揮では有名な桐朋音大で斎藤門下で小澤征爾にも師事したというなら、練習回数が足りないなら、なお、踊って指揮すれば良いのに。
合唱団の指揮をチョロっと経験した私は、その当時、小澤の出るTVも見たし、斎藤門下系の指揮法の本も読んだし、斎藤門下の指揮者(これが、小松一彦先生。当時は駆け出しの若造)の下で合唱経験もあり。この系統の指揮者の指揮のしかたって、大体想像がつく。

しかも、大学祝典序曲は、大学の卒業式と入学式にオケ部が演奏した曲。合唱奉仕してた私はこれを4年間聞いてた。
オケの練習から聞いて、しかも何回も聞いてる曲なんて、そうそうないですから。
こらー、手を抜くなぁー!

終曲の威風堂々は、さすがに「終わりよければ全て良し」にしたいのか、一番気をいれてました。ちゃんと「踊って」指揮してた。
そうそう、ちゃんとやれば、オケがこんなにも綺麗に響くじゃない。
出だしの音のパシっと揃えるところも、小気味良い。
金管のファンファーレ部分も誇らかに。
読響はいいオケなんだから。

曲のデキの善し悪しのかなりの部分は指揮者一人の責任だって、どれくらいの人が知っているでしょうね。

クルト・マズワ氏が指揮台に上った瞬間に、代振りのときと打って変わって、オケの音色が見違えるように光り輝いたことを思い出しました。 
そして、「こんな下手な合唱団使うんだったら、帰る」とまで言われ、マネージャがなだめすかして公演にこぎつけ、でも、終演後には「あと1週間一緒にいれば、この合唱団は世界一上手い合唱団になるだろう」とまで言ってくれる程に上手に歌えたことを誉めてくれたことを。
マズワ氏だから、こんなにも歌えたのですョ。

ホントにオケは、合唱団は指揮者次第。

2006/05/03(水) 麹塵染め
呉服屋さんで、「麹塵染め(きくじんぞめ)」なる反物を見ました。

「麹塵(きくじん)」といえば、天皇の袍の色もしくは、それをお下がりして貰っている蔵人達の袍の色。
日本の麹カビの色の青緑色から「青色(あおいろ)」と混同された時期もあり、また逆に「中国の麹カビは黄色だ」と黄櫨染と混同された時期もあります。

その黄櫨染は、「室内にいるときは、暗い褐色で、戸外に出て太陽の光を浴びると、黄金色に光り輝く生地」だったのだそうです。
今は、その技術が失われたとも言われ、展示されている端切れなども、黄金色に光りそうにはありません。

という予備知識で、問題の呉服屋の「麹塵染め」です。
店員の話では、「室内の蛍光灯、白熱灯、戸外、戸外太陽光で色が違って見える生地」とのこと。
戸外は無理でしたが、蛍光灯と白熱灯でその違いを見せてくれました。
よくみかける無地萌黄に染めた紋意匠縮緬地。
これが白熱灯の下では、黄色くなりました。太陽光ならば金色にみまごう色にまでなると。

これは、粒子の異なる染料の二度がけで可能にしたのだとか。
他にも「紫無地地が華やかな薄紅色に」など、いくつかの色の組み合わせがありました。
昔の黄櫨染の「日の光の下で光り輝く」というのとは、似て非なる技術なのかもしれませんが、まさに、それを彷彿とさせるものでした。

紋柄も意味深にも桐と竹をびっしりと細かい柄でちりばめて。
着物の世界では、桐も竹も禁止柄ではありません。
装束の世界でも「麹塵」の方は、遠慮する色には含みません。

というわけで、何の問題もない色と柄ですが、

「この色で、この柄」

さすがに、煌々しく、美しいものです。
色無地は比較的気楽に着られる着物の一つなのですが、これは、さすがに着ていく場所を選んでしまいそうな。

って、ウィンドウ・ショッピングに終わっただけなので、残っているのは思い出のみ。


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