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2006/04/06(木)
和裁の流派は
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洋服・・縫います。 和服・・縫います。 装束・・縫います。
なんて、書くと、なんか、すごいことのように見えます。 でも「縫えます」って、どの位のウデがあれば言えるんでしょうか。 ちょっと前までは、よそゆきの衣類を除けば、普段モノはお母さんが縫うって普通でした。だから、昭和の時代なら嫁入り道具にミシンがあるのも一般的で、大方のおうちにはミシンがありました。 もっと前なら、普段の着物や浴衣、寝巻きが縫えるのは女性の常識で、家族のこういったものは、家の女達が縫っていました。生活が逼迫すれば、他人様のものを縫えば、口に糊する位は手にできますので、色々な面で有用な技能でした。
父方の祖母は、母親から習ったクチのようですが、振袖の仕立てすら請け負っていました。 「お嬢様」な母方の祖母はおいておいて(家族のモノは縫ってたようです)、母は洋裁学校を出してもらいました。 殿の母君も「これからは洋裁」とかで、同様に洋裁学校。 親達の世代は「洋裁は学校で習う」ものだったようです。といっても、和裁は親が教えてくれますから、浴衣や単モノ位はとちらも縫えます。 今はどれほど売れているのか、「スタイル・ブック」といって型紙が掲載される本は貴重なパターン・ブックでした。 手の届かない超高級ブランドの服もこれに載ってしまえば、自分で作れます。上等な絹紗で作られた何十万円もするパーティ・ドレスも、100円の綿紗で作れば、千円も買えば余る程に。
今では、ミシンも針箱も結婚の際の必須持参品ではなくなりました。 「ここ一本、まっすぐ縫うだけ」といっても、それすら、道具も揃わずに不可能という人もいなくはありません。
そういう人に比べると、ミシンもあり、それなりの中身の揃った針箱を持ち、和裁専用にはくけ台や尺寸ものさし、専用の絹針、待ち針を持つ私は「着物の形につながっている衣類」を作ることができます。
もちろん、プロの和裁士には遠く及びません。他人様のモノを縫うなんてもってのほかって腕ですが、自分の分、子供の分位ならってとこで。
和裁の道具は祖母からの譲りモノ。ミシンは母が使ってたのを私も使い慣れていたので、結婚時に同じものを買い求めました。 洋裁道具は小学校来の家庭科の授業用のを拡張したもの。とはいえ、既に針も針山も別物です。裁ち鋏、糸きり鋏は結婚時に新調。ナントカってブランド品。
洋裁の基礎は中高時代の家庭科と、伊藤茂平式の母の指導。 このせいか、型紙は文化式系か伊藤式系が理解しやすいです。 ドレメ系と御茶ノ水系はちょっと苦手。
※ 女子校とはいえ、良妻賢母教育とは程遠い、キャリア・ウーマン育成系な指導方針と大学受験教育ながら、家庭科の時間は各学年週に2時間と豊富で、しかも、利用価値高い実習重視。前期の裁縫は実際に中一のスカートに始まって年毎に高度化、後期の調理実習も家庭料理に使えるメニュー重視。使った型紙は今でも各種自作品の基礎パターンに活用。
和裁は、母の指導と、祖母の指導と、本のくびっぴき。 洋裁の基礎があれば、どうにかなるもんです。
装束は、本だけ。 和裁がわかれば、どうにかなるもんです。 (和裁やる前に、こっちに手を出して、理解できず、和裁の本を開いた人。和裁がわかってないと、どもなりません。)
メシの種にする気は今のとこないので、今のとこ、誰かに習いに行く必要はないかなと思っています。
「縫える」って、ま、そんなレベル。
今、マイ・ブームなのは、「袴下帯の自作」 雛人形用の有職生地とか、帯地のハギレとかを使って、二部式の胴だけを作る。袴下ですから、後ろのお太鼓要らないんですよ。短くて済むし、単純まっすぐ。キセかけるから、多少曲がってても、縫い目は見えないから、ヘーキ。
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