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2006/04/21(金)
女袴の格に関する勝手な考察
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ここ数年4月には夏日を更新したり、「例年より高め」だったのですが、今年はなんとなく、涼し目。普段ってこうだったかしら。
先日、「女性の袴姿は、袴下の着物の格に同じ」と書いたのですが、なんでなんだろうな、と思って、「こうかな」と思った一仮説。
殿の母の小学校のときの写真を見たときのことです。 卒入式ではないそうですが、なにやら、晴れの日のことで、全校生徒揃って写真を撮ったとのこと。「全校」といっても、それは田舎のこと。4,50人ってとこでしょうか。 洋装のワンピース、いかにも礼装な中振袖の子、それに袴を穿いた子、銘仙かなにか、それに袴を穿いた子と様々です。 これは、お家の財政事情に関係してるとかで、まぁ「お下がり、兄弟・親戚からの借り物」はたまた「晴れ着用の袴か普段着てる袴か」なんかもあるので、一概でもないんですが、これが全て「同格」の着物になるわけです。
今見る行灯式の女袴は、女子学習院の制服として制定され、以降類似レベルの女学校の制服として次々と制定されていったのですが、昭和の戦前頃には、制服ではないにしろ、小学校から女学校にかけて自前で袴を通学服として用いる者もいたようです。
とはいえ、「袴を買えない家」だとか「袴ははかない主義の家」なんかもいるので、「袴のあるなしは格に無関係」ってなったのかなと。
服飾史的にも、男性は礼装時、庶民であっても袴姿でした。これは、平安時代の絵巻に庶民っぽい男性でも貴族の袴とは大差あるものながら、袴状のものを着用していた歴史によるのだと思われます。 一方、女性は、貴族など上層では袴は常識ですが、庶民は湯巻程度のものを腰に巻くだけ。庶民の女性礼装としては、袴なしのものが昔っからという状況のようです。
これが、維新後は、公家も武家も庶民もゴッチャに一つの学校にいたりすることもあるわけですから、各自お家の主義を用いたがる。 はたまた、ちょっと余裕があれば、お公家さんのお嬢様と同じような袴姿をさせてあげたい、なんて思う。 そんなとこで、「袴ははいてもはかなくても格は同じ」ってなったのかなぁと。
ま、「勝手な考察」です。
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