優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/04/18(火) 着物の習慣の変遷
当然なことだけれども、着物と言えども、変遷している。
維新以降は比較的現在の決め事に近いけれども、それでも、当時は丸帯が常識で振袖や留袖などは2つ重ね3つ重ねが当然だった。逆に名古屋帯とか訪問着というのは、ずっとこっちの話になる。
着る機会と着物の格も変遷している。
小説家の日記などから推し量ると、正月に黒紋付に仙台平の袴で年始に行ったらしい。今だったら庶民が「紋付袴」といえば結婚式の新郎以外が着ることはないんじゃないかと思う。
極論すると、イマドキ、「正月に着物を着る」という習慣すら、既に「普通にすること」ではなくなってきているように思う。電車に乗って初詣やお年始に行こうとしたときに、同じ車両に何人着物姿がいるかと数えてみると、下手すると「一人でもいたらすごい」って位に少ない。
あと数年もしたら「『正月』って程度で着物着るなんて、おかしいんじゃない?」なんて言う方が当たり前になってしまうのかもしれない。

女性の黒紋付の羽織は、私が小さい頃は、親が卒業式や入学式に来るときの定番だった。黒羽織の印象が強すぎて下に何を着ていたのか全く覚えていないのだけど、話によると「上は色無地、下は木綿でも可」であったという。つまり「黒羽織を羽織れば、下は何であっても略礼装」ってことだったようだ。
今はこの習慣はすっかり廃れてしまったように思う。
「子供の同伴時の父兄の格好」は「色無地」という話も聞いたことがあるが、現実に見たお母様方の着物は訪問着か同等模様の付下げばかりである。手持ちの着物が少なくなっているので、こういう場に着られる着物といえば訪問着位しかないという状態なのかもしれない。
それが続けば、「つきそい父兄の着物は控えめな柄の訪問着」なんてことに変わっていくのかもしれない。

そんなやってつきつめて行くと、着物は「冠婚葬祭に着るもの」「成人式に着るもの」「七五三に着るもの」「茶道や日本舞踊など、稽古上、着物を着るのが必要な場合」「浴衣は縁日や花火大会のみ」になってしまって、「これ以外の機会に着る人は、非常識なコスプレな人」ってなっちゃうかも。現実、ウチの殿の頭の中の着物って、既にそうだから。もちろん、それは殿の育った環境がそうだという事と同じ意味。
殿の袴感は「十二単と同じで、かつては一般的に着られていたものと認めるが、今着るには不適切なもの」です。彼にとっては卒業式に今では多くの女性が着るのですら「最近はコスプレな格好で卒業式するのが多いよな」とコスプレ扱いです。自分の親が小学校から女学校まで袴で通ったというので、その事実までを「非常識な格好」とは言わないわけで。同年代の私の母のいた辺りでは既に袴は廃れてたんですけどね。

確かに袴は今の復権が「卒業式の女性の衣類」であっただけに、多くの人が「女子卒業生の着るもの」とみなしています。いいとこ「卒業式に列席する女性教師」位は認めてくれてるってとこでしょうか。
少なくとも、私の幼稚園の卒園式とお姫さんの保育園の卒園式では園長以下女性教師全員が袴姿でしたし、私の小学校と高校の卒業式の担任、お姫さんの小学校の担任は袴姿だったので、私はこれはさすがに非常識と思う奴は居ないと思っています。

見事に「花嫁衣裳と同様に特異な衣装」とされてしまっています。
ウチの親なんか、もっと狭くて「師範学校(今なら、教育学部とか)の卒業生でもないのに袴は相応しくない」と言ってくれて、教育学科系でなく当然就職先も教師ではなかった私は大学の卒業式には念願の袴を穿けませんでした。

着付けも変遷しています。普段にも着物を着ていた頃には、礼装の留袖でも、今のようなグラビア並の着付けをするとは限りませんでした。ウチはその流れをくむので、結婚式でも葬式・法事親族なら留袖でも黒紋付でも自分で着付けます。もちろん、グラビア並でないことは言うまでもなく。
一方、殿の実家の方は、冠婚葬祭の礼装は全て着付け師に頼ります。葬儀の家にも着付け師が来て黒紋付を着付けたのには、すっごいビックリしました。そして「あなたは着物を着なくて良い」の理由の一つが「着付け人数の問題で時間内に着付ける人数を超えてるから」だったということ。(着物を着そうな人のうち)親戚の縁からは一番遠い私を外したとか。こっちはグラビア並の着付けで硬い襟芯や広い帯板を持っていない私を、着付け師はしっかりけなしてくれました。

家によって主義は色々なのですが、今後は、「着ない」理由から着付けのできない人が増えそうなので、「グラビア的着付け」が一般的になって、「自分で着付ける」しかも「ゆったり着付け」って非常識になっちゃうのかもしれない。そうなると浴衣でも補正が常識になったりして。^^)

着物のサイトで、色々なアドバイスが出たりするけど、「目からウロコ」なノウハウ程、真似ると、自分にとっては変だったりするかも。
でも、それなりに家に伝わるノウハウとかある場合は、それに従えば良いけど、全くない、親も既に伝えられていないなんて場合、そういった不足したノウハウをどう取捨選択すべきなのか、難しいなと。

最近「結婚式で留袖の場合、入場時、扇子は手に持つもの」だったと知り、「最近は差したままが多いようだ」とその筆者は嘆いていますが、こうなってしまえば「手に持つ」って方が非常識扱いされるのは必至。
別の理由で殿の実家の方でのお披露目の宴で扇をもって入場した姿を写真で見た私の母は「落語家のようだ」と非常識扱いにしてくれました。既にこの筆者の常識は、昨今の非常識に等しくなってきています。

また、「親から伝えられた習慣」ですら「昨今では、それは不適切では」とアドバイスされることもあるわけです。
これは、赤の他人のノウハウを取り入れるかどうかより、判断に迷うケースです。


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