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2006/04/17(月)
男性の袴着用時の格
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先に女性の袴のお話をしましたので、今度は男性の袴のお話。 三十石様とお話しておりましたら、そういえば、こちらも、一筋縄ではいかないなと。
まず、着物の本にある一般論だと、 ・男子は、袴を穿くと着流しに比べて格上げになる。 ・正装は仙台平の縞、略装には無地紬(普段なら木綿も可)を用いる。 ・「袴+着物」<「袴+着物+羽織」で、羽織付きは更に格上げ。 ・「袴+着物」>「着物+羽織」で、袴の方が格上。
これは、町方の流れを汲むドレス・コードと考えられます。 農民の場合は、「普段の着用着=野良着」なので、長着自体の着用で既に「なんらかの勤務時間外の状態」となります。 このため、着流し姿の用途例よりも、一気に「冠婚葬祭=紋付羽織袴」に飛んでしまうように見えます。 また、この冠婚葬祭への列席でも紋付羽織を着られるのは席上の立場や家(庄屋だとか本百姓だとか、檀家総代だとか)で制限があったようです。
一方、「武家」の場合は、「着流しは自宅で寛ぐ姿」であり「来客時、外出時には袴を穿く」でありました。江戸時代の繁華街で、着流しなら町人、袴姿なら武家とわかりやすかったわけです。着物はショボい木綿の継ぎ当てのだろうと、武家は袴を穿いていました。(この袴もショボければ木綿だったようです) 「正装は縞、略装は無地紬」というのは、この武家の流れを汲むものでしょう。 サラリーマンの背広みたいなものですから、勤務先には袴と並んで羽織ないしは裃を着用しました。だから、袴だけってのは、「勤務外でのカジュアルな外出」ってことです。時代劇の浪人って羽織とか着ていませんね。これは勤務先がないからです。
衣類のもう一つの流れが「公家」。平安時代の服飾としては認知されている一方、武家社会になって維新に至るまで彼らが何を着ていたのかって、ちょっとその辺の服飾本を紐解いた位じゃ出てきません。
様々な情報源をあたってみたところ、勤務服としては平安期以来の衣冠か直衣、束帯の一方、自宅や私事においては、差袴(さしこ)という指貫袴を裾丈で切った袴を着用したり、直垂を着用したりしていたようです。公家にとっては、「小袖=下着」と認知していますから、上着は必須です。というわけで、狩衣、水干に始まり、直垂だとか直トツ、羽織と何らかのものを上に着用しました。外出時、来客時には、どのレベルに居住まいを質したかはまだ資料不足にて。でも、少なくとも「袴と上着類は、格上げどころか、人前に出る最低レベル」と見ていたと思われます。
そんなこんなの服飾史的流れがありますが、今としては、着付け本に多くある「礼装は縞袴に羽織、略には無地袴に羽織、更に略で着物に袴」という順番な辺りが、一般的かと思われます。
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