優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/04/30(日) 百花繚乱
木蓮の重たげに花の開きたる
泰山木(マグノリア)の人の頭程の花の咲きこぼれたる
藤の花房、重く垂れたり
躑躅(つつじ)の花の赤く白く木々を被いたる様、艶(あで)やかなり
灯台躑躅(どうだんつつじ)の白き花の幾重にも下がりたる
花水木(はなみずき)の薄紅の白のさやさやと
山吹の黄なる色の目立ちたる

地を見れば

関東蒲公英(たんぽぽ)の腹ばう如く
あれは姫女苑(ひめじょおん)?いいえ、あれは春紫苑(はるじょおん)
あれは小手毬(こでまり)
黄色い花は・・・
名も知らぬ野の草にも花は咲きたる

街を出れば、田には麦の穂の天を冲(つ)く
代掻(しろか)きする田の脇には稲苗の柔らかき緑の伸びる

百花咲き競いたる
これぞ神の恵み
これぞ神の御業(みわざ)

2006/04/29(土) せっかく草履屋さんが来ているのに
先日、行った「さが美」のフェアのリターンマッチ。
なにせ「日替わり品」があるので、その日、その日に行かないとね。
今日の狙いは「サマー小紋千円也」。もちろん化繊のですが、普段は5000円で売ってるものですから、狙い目。
あと、先日とっておいてもらった草履の鼻緒で草履をすげてもらおうと。

たら、「サービス品の草履は、ここではすげないで、持ち帰ってすげて、納品します」とのこと。目の前ですげてもらわないと、ぴったりのすげ加減にならないんじゃないかと心配。
でも、草履屋さんが「「23cm、きつめ」って書いておいて」とコメント。大丈夫かなぁ。
出張してきてた草履屋さんは、おかげで暇そう。

今履いてきた草履も鼻緒が緩くなっているので、すげ直してもらう。
「これは、結び直してもダメだから、こういうの入れるの」とこよりをぶっとくしたようなのを裏側から引いた鼻緒の間に挟む」
「普通にすげたのだとダメなの。指がズボっとはいっちゃって、カパカパで」
「そーだろ、途中で止まるようにするんだろ」
わかってくれるじゃない。って、昔は、そういう履き方する人は結構いたので、当然なんだけど。
今の一般的なすげ方よりも前ツボの部分がずっと短いすげ方になる。
下駄や草履用にできていない足では履けない。
そんな話をしながら、引き出した鼻緒の結び目をまた中に詰め直して、ホチキスの針ようなコの字の釘をトントンと打って留めつける。
「踵、綺麗に上手に減ってるね。端から減っちゃってるのがよくあるんだけど」
靴は後ろから減るんだけど、草履は歩き方が違うみたい。

履いてみると、程よい具合に鼻緒が指を押さえて、前にノめるのを支えてくれる。歩くたびにぱたこんぱたこんと踵の部分が離れていたのがなくなって、ぴったり足裏にくっついてくる。そうよ、こうでなくちゃね。
きた時には、鼻緒がびろーんと膨らんで、いかにも「履き古した」風あったのが、ピシっと綺麗に。こんなんで、新品に戻る草履って、すごいわ。

2006/04/28(金) シネマ歌舞伎
月末で給料日の後の金曜日でゴールデン・ウィーク前の最終日。
会社の後、映画を見に行きました。
ものは「シネマ歌舞伎 鷺娘」なるもの。
歌舞伎座の試みで、歌舞伎を映画に撮っておこうというものの一つとか。
今回は、玉三郎を主軸に「日高川」と「鷺娘」の二本。

日高川は、安朕清姫のお話の中で、日高川に来た清姫が川を渡ろうとするが、船頭がナントカカントカ言って嫌がり、じれた清姫が蛇の本性を見せると船頭はほうほうの態で逃げ出してしまうので、姫は蛇に化けて川を渡り、対岸に着いて岸の木にからみついたところで、背景がポンと変わって、一枚の活人画に。
これを「人形振り」(浄瑠璃人形が動いているように動くこと。そう見せるために、人形師役や黒子役が後ろについて共に動く)

鷺娘の方は、一人芝居というか踊り。引き抜き衣装や、早変わりを駆使して、季節の移り変わりと着物で見せながら、雪の中に始まり、四季を踊ってまた、雪の中で傷ついて死に行くまで。
私が子供の頃から知っているので、玉三郎は結構いい歳な筈なのですが、白塗りしてるとはいえ、なんと愛らしい、ウブな15,6歳のような娘の表情を見せるのでしょう。舞台と違って、要所要所にアップが入ります。芸って、このようにも素晴らしいものなのか。プロの真髄を見た気がしました。

本日は、会社帰りなので、着ているものは仕事用の洋服。殿は背広だし、姫は学校帰りの制服です。
翌日から、姫は、熱出して寝込んでしまいました。
風邪みたいだけど、まさか「知恵熱」じゃないよね。

2006/04/27(木) エルメスの着物
今日は、「さが美」のセールに行ってきました。
「銀座物語」とか銘打った新しいラインを出したとか。
一緒に「鼻緒を選んでその場ですげる草履 大特価」だとか「日替わり特売品」なんかもあったりするので、私の狙いはそっち。
今日の特売品は「フクスケの白足袋390円」行くっきゃありません。

で、当然、着物も見てくるわけですが、面白い着物を見つけました。
黒地で、膝下から下にだけ、一面の幾何学花模様。同じ柄が袖口にも縦に10cm幅位。あとは真っ黒一色。かなり特徴のある柄配置です。

更に、多くの着物の中で、何故、それが目立ったかというと、「エルメスのスカーフ柄を持ってきたんですよ」とな。
よく見ると、着物には一般的に使われない色、そしてエルメスの特徴でもある色が数々使われています。
洋服、とくに海外製品の場合、着物とは徹底的に色系統が異なります。着物の場合は、トルコブルーとか、鮮やかなオペラ・ピンクって使いません。濃花田とか、牡丹色はかなり「近い」ですが、これが全然違う色なのです。

「いいでしょ?」って言うけど、帯や帯上げや帯締めをどーしろっての。
これを活かすには、鮮やかなトルコブルーの帯揚げやオペラピンクの帯締め、エルメスのブローチを改造した帯留めなんかが必要です。
チェーン店系の呉服屋さんの中にはこのモダン系の色に強い店がありますが、「さが美」さんは、まずそうじゃない。
んで、私は意識的にこの「モダン系」の色のものを避けています。というのは、草木染系(人工染料でも)の色とモダン系の色は一緒に使うとバラバラな印象になってしまって、まとまりがつかなくなるからです。

「着物に縁遠い人」に振り向いて貰う意図なんでしょうけど、、これは、ちょっとねぇ。

少なくとも、私は、「使いまわしのできない、着物、帯、小物」って買わない主義なのでパス。
「留袖にも小紋にも結城にもお召しいただける帯です」なんて方に軍配を上げる。(あったんだ、ほんとーに。京都の俵屋 喜多川氏の帯ってそーなの。高くて買えてないんだけど。)

2006/04/26(水) 「お好きな色は?」
チェーン店系の呉服屋さんって、どーして、「お好きな色な何色ですか?」とか「どんなタイプの服が好みですか?HANAKO系ですか?自然派系ですか」なんて聞くんでしょうか。

まぁ、「x色です」って言うと、その類の色の着物を見せたり、「こんな柄が好き」といえば、その系統の柄を見せたりするためなんですが、優妃がヘソ曲りなんでしょうか、どうもこういう質問は苦手です。
だって、好きな色があるって言っても、その色ばっかり着るわけじゃないし、好きな色のなら、持ってるから、逆にもういらないし。柄も同じことで、幾何学模様も着るし、花鳥風月も着るし。織物も着るし、染物も着るし。

どっちかというと、「私の知らない柄」「私の知らない色」なんかの方がビシっとハマってしまって手放せなくなります。

例えば、
「薄墨色の地に薄紅色の桜が写実的に描かれた長襦袢」
「鴛鴦色の地に秋桜がえもいわれぬ風情で描かれた羽織地」
「黒地に飛び柄の手書き友禅」
「西陣俵屋の有職文様の帯」裏に引き染めをするので、これも微妙な色合いになる。有職文様なのも、装束好きとしてはビシビシ

もうビシビシハマっちゃって、買わないで来るのが辛かったのなんの。そういう意味では、まず「色」ですねぇ。
「こ、こんな色、あるの!!」なんてのは、もうダメ。
逆に知らないから「何色」って言えないし。

というわけで、「何色が好きですか」って言われるのは、嫌い。

2006/04/23(日) 花や風物と季節感
優妃の住んでいるところは、まるっきりの田舎です。
場所によっては地平線までずっと田んぼだったりします。
近所には鉄剣で有名になった稲荷山古墳があり、弥生時代からの穀倉地帯です。今でも「関東地方」に限れば、随一の米穀産地らしいです。

というところなので、割と自然に恵まれています。
戸建の家も増えてきていますが、昔ながらの田舎屋もそこかしこにあります。
戸建と田舎屋の違いは建物そのものではありません。結構建替えて今風の家になっちゃっている所もありますから。違いは「庭の広さ」です。昔からある家は当然ながら、かなりの広さを持つので、必然的に庭も広いのです。ここに築山などを築き、四季折々の草木を配置します。

そんななかを通ると、「ああ、もう木蓮が咲き出したな」とか「ドウダンツツジがそろそろだ」なんてのが一目瞭然です。
桜は今は八重桜や山桜など、遅咲きの色の濃いの。
もうそろそろ藤が房を伸ばしてくる時期でもあります。
また、垣根の樹木が真っ赤なのも今。若葉が赤いのは紅葉だけではないと気づいたのも、ここに暮らすようになってから。

こんなのを見ていると、着物の柄を見ても、花や樹木を配したものは、いつ頃が頃合なのかというのはおのずとわかってきます。

都会って、やっぱり、そういった季節感に欠けますねぇ。
勤務地の赤坂では、今、通りやビルの前栽に配した木々が若葉を伸ばしたり、ツツジの赤い花を咲かせたりはしていますが、四季折々全ては揃いません。ツツジが終わると秋の落葉まで代わり映えのしない光景になります。
ビルの中なんか、一年中室温さえ大差ない状態だったりして。
こういう中に暮らしていると、細かい四季の移り変わりに鈍感になってしまうのも いたしかたないことなのかと。

着物の柄で「いつから着ても良いですか?」「いつまで着られますか?」という話題を見ることがありますが、実際にそういった花を見ていれば、「そろそろだな」から「もう終わりか」って頃合は自明なのです。それは着物の柄かどうか以前の話なのだから。着物にその「季節」を写し取ってきているだけ。

2006/04/21(金) 女袴の格に関する勝手な考察
ここ数年4月には夏日を更新したり、「例年より高め」だったのですが、今年はなんとなく、涼し目。普段ってこうだったかしら。

先日、「女性の袴姿は、袴下の着物の格に同じ」と書いたのですが、なんでなんだろうな、と思って、「こうかな」と思った一仮説。

殿の母の小学校のときの写真を見たときのことです。
卒入式ではないそうですが、なにやら、晴れの日のことで、全校生徒揃って写真を撮ったとのこと。「全校」といっても、それは田舎のこと。4,50人ってとこでしょうか。
洋装のワンピース、いかにも礼装な中振袖の子、それに袴を穿いた子、銘仙かなにか、それに袴を穿いた子と様々です。
これは、お家の財政事情に関係してるとかで、まぁ「お下がり、兄弟・親戚からの借り物」はたまた「晴れ着用の袴か普段着てる袴か」なんかもあるので、一概でもないんですが、これが全て「同格」の着物になるわけです。

今見る行灯式の女袴は、女子学習院の制服として制定され、以降類似レベルの女学校の制服として次々と制定されていったのですが、昭和の戦前頃には、制服ではないにしろ、小学校から女学校にかけて自前で袴を通学服として用いる者もいたようです。

とはいえ、「袴を買えない家」だとか「袴ははかない主義の家」なんかもいるので、「袴のあるなしは格に無関係」ってなったのかなと。

服飾史的にも、男性は礼装時、庶民であっても袴姿でした。これは、平安時代の絵巻に庶民っぽい男性でも貴族の袴とは大差あるものながら、袴状のものを着用していた歴史によるのだと思われます。
一方、女性は、貴族など上層では袴は常識ですが、庶民は湯巻程度のものを腰に巻くだけ。庶民の女性礼装としては、袴なしのものが昔っからという状況のようです。

これが、維新後は、公家も武家も庶民もゴッチャに一つの学校にいたりすることもあるわけですから、各自お家の主義を用いたがる。
はたまた、ちょっと余裕があれば、お公家さんのお嬢様と同じような袴姿をさせてあげたい、なんて思う。
そんなとこで、「袴ははいてもはかなくても格は同じ」ってなったのかなぁと。

ま、「勝手な考察」です。

2006/04/20(木) 雨の日の着物
仕事に出かけようと玄関を出たら、どんよりと曇った空は、薄墨を流したようで、「すぐにも雨」といいたげな、湿気を含んだ重たい大気が満ちています。
天気図の等圧線と見たら、随分と幅が狭くなっているのだろうと想像してしまうような、強風が吹き付けてくるのも低気圧の接近を知らせています。
ああ、いけませんね。地学特に気象・天文が好きだったものですから、こんな気候を見ると、すぐに天気図が頭をよぎってしまって。

仕事ですから、もちろん、着ているものは洋服ですが、こんな日にはどんな着物を着てくのがいいかというお話を。

「雨天」というと、まず直接に考えるのが「雨が着物に降りかかったら」という点でしょう。洋服でもレインコートを着ている人は少なくなりました。雨に濡れても問題のない服を着ている証明みたいなもんです。着物でも化繊の着物なら、同様に全く心配いりません。
でも、行く先のことを考えると、「正絹で行きたいわぁ」なんてこともありましょう。
という場合は、まずは「雨コート」の準備ですね。最近は化繊で袋入りの手軽なタイプもありますから、「今は降っていないけど降りそう」というときには、これをバッグにポイと入れておけば安心。
また、今日のような春から夏にかけての雨コートは正絹でも紗地など薄い生地を使いますので、これを小さく畳んでいってもOKです。
スケスケの雨コートって、「天女の羽衣」みたいでステキなの。
足元は雨草履か、草履に雨カバーをつけて。

で、裾からの跳ね返りを心配する場合は、着物の裾をまくりあげて、帯に挟んだりする人もいます。
雨コートに着物よりも長いという、十分の長さがあればこういった心配もしなくて済むんじゃないかと思うのですが、雨コートは対丈。既製品で問題ない裾丈になっているかは当然不明だし、着る着物の着付け丈によって、不十分じゃなくなってしまうこともある次第。
こういうのに向いているのは「二部式」下部の加減で裾丈を調整。
私の雨コートは、なんと「お端折り式」です。裾丈にでも、道中着風の膝丈にでも、なんでもござれ。

雨の日にはもう一つ気にしないといけないことがあります。
それは「湿気」
直接に雨がかからなくても、大気には水気が満ちています。
縮緬地の着物はこういうのに弱くて、例え家の中で着用してたとしても、縮んでしまうのです。裾をまくって帯に挟むのも要注意。普段皺にしないような妻に皺ができたりします。
最近の縮緬は縮みにくいものもあるのですが、判断がつかない場合は「縮緬は縮む」としてしまいましょう。
また、湿気た日には、気温の割には蒸すので、汗もかきやすいです。
帯下辺りを中心にかなり発汗しますので、夏場と同様に汗対策を。
つまり、帯の下はおぼろタオルを巻いておくとか、肌襦袢やステテコは麻とか綿楊柳とかに換えるなど。
帯下に褄を挟んで、皺で出来てしまうのも、この汗のせいです。

また、うかつにも、その格好で電車で座っちゃったりすると、まくって折り返したところは膝辺り、普段は折り目をつけないようなところが、お尻と足の重みでアイロン状態。
裾まくりして雨コートを着たら、その格好では座ってはなりません。

比較的雨に強い、縮みにくい生地は、綸子、大島、結城など。夏生地の紗紬、紋紗、絽も比較的縮みにくいです。
オデカケ程度でどうしても正絹を着たいならば、この辺かな。
結婚式に招待されてて、当日雨天。それなりの着物を着たいなら、これは現地で着る算段をする方が得策です。草履だって、祝儀用の金襴地の草履は雨の道を歩くのは×です。

私のやるもう一つの手は「化繊袴を穿く」。雨の問題はほとんど下半身です。ここが化繊袴でカバーしてあれば、後は羽織を化繊にすれば着物が正絹でも安心。
旅先のイデタチとしては、基本的にコレにしています。数日間雨の降らない保証はないですし、遠距離を移動すると天気も違ってきます。
一度、家人の意見を入れて「帰路は袴でなく帯付きで」としたら、バッチリ降られてしまい、件の着物は洗いに出しました。
以来、滞在中の中日で天気が保証できる日に帯付きにすることはあっても行き帰りは必ず袴。

母は「雨の日、雨の降りそうな日は着物は着ない」としています。
結構着物好きでいい着物を沢山持っている人程、同様に「雨降るから着物よした」って言います。

下の写真が、私の「おはしょる道中着雨コート」。丸ぐけの帯締めを内側に結んであって、そこに込み入れていくことで、裾上げをします。

2006/04/19(水) いちめんの菜の花
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
    :
と続く詩は誰のなんという詩だったか。
近所の川や畑の側で菜の花が満開です。

お雛様に桃の花と一緒に菜の花を供えるとか、京都の舞妓さんの3月のカンザシが菜の花だとかって「3月」のイメージがありますが、野生(?)の菜の花が咲き誇るのは桜と同じ4月です。

装束で菜の花重ねってあったかなぁ。あるとしたら、下萌黄に上黄ですね。(上下逆なら「萌黄」のかさね)その黄も山吹のように濃い黄色でなく、薄い系統の黄色。
山吹の重ねは下青(今の緑色)に上濃い黄色というコントラストの強いものですが、菜の花はそれに比べてずっとほわほわ色です。

春のイメージは「ほわほわ色」ですねぇ。

2006/04/18(火) 着物の習慣の変遷
当然なことだけれども、着物と言えども、変遷している。
維新以降は比較的現在の決め事に近いけれども、それでも、当時は丸帯が常識で振袖や留袖などは2つ重ね3つ重ねが当然だった。逆に名古屋帯とか訪問着というのは、ずっとこっちの話になる。
着る機会と着物の格も変遷している。
小説家の日記などから推し量ると、正月に黒紋付に仙台平の袴で年始に行ったらしい。今だったら庶民が「紋付袴」といえば結婚式の新郎以外が着ることはないんじゃないかと思う。
極論すると、イマドキ、「正月に着物を着る」という習慣すら、既に「普通にすること」ではなくなってきているように思う。電車に乗って初詣やお年始に行こうとしたときに、同じ車両に何人着物姿がいるかと数えてみると、下手すると「一人でもいたらすごい」って位に少ない。
あと数年もしたら「『正月』って程度で着物着るなんて、おかしいんじゃない?」なんて言う方が当たり前になってしまうのかもしれない。

女性の黒紋付の羽織は、私が小さい頃は、親が卒業式や入学式に来るときの定番だった。黒羽織の印象が強すぎて下に何を着ていたのか全く覚えていないのだけど、話によると「上は色無地、下は木綿でも可」であったという。つまり「黒羽織を羽織れば、下は何であっても略礼装」ってことだったようだ。
今はこの習慣はすっかり廃れてしまったように思う。
「子供の同伴時の父兄の格好」は「色無地」という話も聞いたことがあるが、現実に見たお母様方の着物は訪問着か同等模様の付下げばかりである。手持ちの着物が少なくなっているので、こういう場に着られる着物といえば訪問着位しかないという状態なのかもしれない。
それが続けば、「つきそい父兄の着物は控えめな柄の訪問着」なんてことに変わっていくのかもしれない。

そんなやってつきつめて行くと、着物は「冠婚葬祭に着るもの」「成人式に着るもの」「七五三に着るもの」「茶道や日本舞踊など、稽古上、着物を着るのが必要な場合」「浴衣は縁日や花火大会のみ」になってしまって、「これ以外の機会に着る人は、非常識なコスプレな人」ってなっちゃうかも。現実、ウチの殿の頭の中の着物って、既にそうだから。もちろん、それは殿の育った環境がそうだという事と同じ意味。
殿の袴感は「十二単と同じで、かつては一般的に着られていたものと認めるが、今着るには不適切なもの」です。彼にとっては卒業式に今では多くの女性が着るのですら「最近はコスプレな格好で卒業式するのが多いよな」とコスプレ扱いです。自分の親が小学校から女学校まで袴で通ったというので、その事実までを「非常識な格好」とは言わないわけで。同年代の私の母のいた辺りでは既に袴は廃れてたんですけどね。

確かに袴は今の復権が「卒業式の女性の衣類」であっただけに、多くの人が「女子卒業生の着るもの」とみなしています。いいとこ「卒業式に列席する女性教師」位は認めてくれてるってとこでしょうか。
少なくとも、私の幼稚園の卒園式とお姫さんの保育園の卒園式では園長以下女性教師全員が袴姿でしたし、私の小学校と高校の卒業式の担任、お姫さんの小学校の担任は袴姿だったので、私はこれはさすがに非常識と思う奴は居ないと思っています。

見事に「花嫁衣裳と同様に特異な衣装」とされてしまっています。
ウチの親なんか、もっと狭くて「師範学校(今なら、教育学部とか)の卒業生でもないのに袴は相応しくない」と言ってくれて、教育学科系でなく当然就職先も教師ではなかった私は大学の卒業式には念願の袴を穿けませんでした。

着付けも変遷しています。普段にも着物を着ていた頃には、礼装の留袖でも、今のようなグラビア並の着付けをするとは限りませんでした。ウチはその流れをくむので、結婚式でも葬式・法事親族なら留袖でも黒紋付でも自分で着付けます。もちろん、グラビア並でないことは言うまでもなく。
一方、殿の実家の方は、冠婚葬祭の礼装は全て着付け師に頼ります。葬儀の家にも着付け師が来て黒紋付を着付けたのには、すっごいビックリしました。そして「あなたは着物を着なくて良い」の理由の一つが「着付け人数の問題で時間内に着付ける人数を超えてるから」だったということ。(着物を着そうな人のうち)親戚の縁からは一番遠い私を外したとか。こっちはグラビア並の着付けで硬い襟芯や広い帯板を持っていない私を、着付け師はしっかりけなしてくれました。

家によって主義は色々なのですが、今後は、「着ない」理由から着付けのできない人が増えそうなので、「グラビア的着付け」が一般的になって、「自分で着付ける」しかも「ゆったり着付け」って非常識になっちゃうのかもしれない。そうなると浴衣でも補正が常識になったりして。^^)

着物のサイトで、色々なアドバイスが出たりするけど、「目からウロコ」なノウハウ程、真似ると、自分にとっては変だったりするかも。
でも、それなりに家に伝わるノウハウとかある場合は、それに従えば良いけど、全くない、親も既に伝えられていないなんて場合、そういった不足したノウハウをどう取捨選択すべきなのか、難しいなと。

最近「結婚式で留袖の場合、入場時、扇子は手に持つもの」だったと知り、「最近は差したままが多いようだ」とその筆者は嘆いていますが、こうなってしまえば「手に持つ」って方が非常識扱いされるのは必至。
別の理由で殿の実家の方でのお披露目の宴で扇をもって入場した姿を写真で見た私の母は「落語家のようだ」と非常識扱いにしてくれました。既にこの筆者の常識は、昨今の非常識に等しくなってきています。

また、「親から伝えられた習慣」ですら「昨今では、それは不適切では」とアドバイスされることもあるわけです。
これは、赤の他人のノウハウを取り入れるかどうかより、判断に迷うケースです。

4月絵日記の続き


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