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2006/12/11(月)
帯締め何が正式?
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8寸幅の帯をお太鼓に結ぶのが、昨今の着物の基本の帯結びです。 そのお太鼓結び、歴史は浅く、幕末の頃に亀戸天神のお祭りに近在の芸者が結んだのが始まりなのだそうです。 結びの関係から、お太鼓をふくらます枕を包む「帯揚げ」や、帯のほどけるのを防止する「帯締め」が「お太鼓結び」にはセットになってきます。
現在の帯締めには実に様々な種類が存在します。 「組紐」という糸を組みあげたものと、「丸ぐけ」という、中に綿を入れて絹生地で包んで断面が円のひも状にしたものとがあります。
更に組紐は大きく分けると「平打ち、平組み」と呼ぶ、きしめんのように平たく幅のあるタイプと「丸組み」と呼ぶ、断面が円状のものとがあります。丸組みには、断面の四角い「角打ち、角組み」というものがあります。一方、平打ちには、若干厚みのある組み方や、二重に重ねたような組み方をしたものが含まれます。この厚みのあるタイプは、ある厚みを超えると断面が長方形になるわけで、角打ちと区別がつきにくくなっています。実際、この断面が長方形のタイプは丸組みに入れる人と平組みに入れる人といるようです。
個人的には、断面長方形は丸組みの仲間に入れています。 というのは、平打ちと丸組みは、前の結び目の作り方、紐の納め方が異なります。 私の場合はこれで分けているんです。 丸組みは、玉に結んで紐は二本上下に並べます。玉は、礼装用などには二回、3回ひねって長細くて大きな結び目にすることもします。 平打ちは、折り紙のように、結び目が平たくぺっちゃんこになるようにします。紐は前後に重ねて1本に見えるように並べます。 こうやって考えると、長方形の断面の帯締めは丸組みと同じ結び方になるわけです。
この帯締め、当時は、お太鼓に限らず、丸帯の結びが解けそうな結び方の場合に補強に結んでいたりしたようです。 また、男性も細帯の上に結んでいることも多かったとか。こっちは、補強というよりは「取り合わせのお洒落」だったのでしょう。 向島の芸者は、羽織を着たりと男性ぽいコーディネートをしましたので、「お太鼓結び」を考案した人も、男性の帯締め利用を模したのかもしれません。
この頃の帯締めに使われていた紐は、真田紐や刀の提げ緒ほか武具関連の紐だったそうです。とすると、今の組紐では「平打ち」と呼ばれる仲間になります。 高麗組みがその代表的な組み方です。
これが、明治になって、日本各地に広まって、成人女性の一般的な帯結びの一つになる頃には、各種の組紐が使われるようになっていったようです。
「丸くけ」という、中に綿を入れた絹製の紐を用いたのは、お公家さん系統の女性ではないかと思われます。 十二単とも呼ばれる装束を、外出用に端折るのに使う紐が丸くけでした。 同様に丸組みや角組みといった断面が丸や正方形の組み方の組紐は、もともと、男性装束の冠の紐、衣装を留める隠し紐として使われていました。太鼓や鼓など和楽器に使われている紐もこれらの丸組み系統の紐です。これらが、帯締めとして使われるようになるのも、やはりお公家さん系統から始まるのではないかと思われます。
明治を越えると、元の用途である武具の紐も公家装束も和楽器の紐もほとんど需要がなくなります。 組紐の職人は新たな需要先として、女性の着物の小物としての帯締めに市場を求めたのでした。 昨今見られる、多彩な組み方は明治以降に発展したものが多いそうです。帯締めとしては「装飾品」ですからね。
と、ここまで、ルーツとしてたどってきたのですが、さて、この始まりの時点と、現行の「礼装の帯締め、カジュアルの帯締め」と区分するに至った辺りがまだよくわかっていません。
現行では、留袖には、白か白に金銀入りの高麗組み(平組み系)か、太い丸組み、成人式の振袖には、太い丸組みの華やかな色のもの。 小紋やお召し、紬には、個性的な色合いの、若干細めな平組みや丸組みを合わせるのが一般的な慣習です。 文化圏で分けると、平組みをヨシとするのが関東圏、丸組みは京都圏のようです。
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