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2006/11/08(水)
七五三
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来週が七五三ですね。 早撮りだとかで、先週あたりから姿を見かけるようになっています。 着物の掲示板では、「子供に何着せよう」「兄弟に何着せよう」「母親の着物は?」と盛りです。
そんな話を殿にしたら、「ウチの方、七五三ってないんだよ」とな。 ウチのお姫さんの3つのお祝いも7つのお祝いもしましたから、そんな習慣がないなんて、全然気づかなかったんですが、ウチの殿自身は七五三してないんだそうです。
「七五三って、江戸の習慣だって聞いたよ。酒田って上方系の文化だからないんじゃない」と殿。 うーん、七五三の元は、公家の髪あげ、着袴、帯解きですが、これを武家がならって同等のものを行うようになり、時期も11月15日になったので、11月15日に祝う七五三は武家系の節会です。ひいては江戸系の文化と言えるのかもしれません。 とはいえ、元は公家の習慣。情報自体は酒田にだって流れてきていた筈。 もう1つ考えられるのは、殿の実家は農村地帯であること。江戸時代から綿々と続く農村地帯です。良くも悪くも、農家としての文化を今に伝えています。 というとこで、七五三の本義を考えてみると、髪揚げはともかく、着袴は「この日より袴を穿く」という儀式です。この日以降次の日もその次の日も、ずーっと袴姿になるんです。武家や公家の子なら絵巻でもそんな姿で遊びに興じる場面が出てきますから、きっとそうだったのでしょう。帯解きは、ここから帯を締めるようになるという儀式。次の日以降も以下同文。 って、農民には、袴や帯は、冠婚葬祭でもなければ登場しない衣類です。だから、そういった衣類を身につけるようになる儀式もまた無用なことだったのでしょう。 明治以降、町場では、武家や公家の習慣を真似て七五三をするようになっていったのですが、農村では、そういった真似をしない土地もあったということかと。
日本全国、どんな家でも、やるもんだと思ってた(やるもんだと思ってても、しない家があるとしても)んですが、いやいや、そんなことはないとあらためて知ったのでした。
そういえば、殿の実家は正月に晴れ着(着物とか)を着る習慣がありません。由緒正しく「寝正月」なのであります。 親族同士のお年始訪問でさえ、こざっぱりとはしていますが普段着。 先祖が武家だからか、元旦の朝は晴れ着で打ち揃うという習慣だった私は、結婚後初の正月に目一杯カルチャー・ショックしたのでした。 (わたしんちでは、お年始は晴れ着や背広といった正装です)
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