優妃 讃良の着物についておもうこと
ご感想は掲示板 http://bbs1.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/12019/まで
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2006年11月
前の月 次の月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
最新の絵日記ダイジェスト
2017/01/22 着物買うのに、いくら以上だと「高い」?
2016/11/27 着物を頼むなら呉服屋で
2016/11/26 夏は暑くて、冬は寒い
2016/07/10 はいからさんが通る の 時代の袴
2016/07/09 はいからさんが通る

直接移動: 20171 月  201611 7 6 5 3 月  20159 8 7 月  20149 8 7 6 1 月  20139 8 7 6 3 2 1 月  201212 11 5 3 2 月  201112 11 10 9 8 7 5 月  201012 11 10 9 8 6 5 2 1 月  200912 10 5 3 月  20085 4 3 2 1 月  200712 10 9 8 7 6 5 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200312 11 10 9 月 

2006/11/29(水) 人間でないもの
全然着物と関係ないけど、COSMODEという本を買いました。
んで、毎回、性格診断的占い(?)が載ってるんですが、今回のは「似合う小物」。
んで質問の中にあったのが
「やるコスプレのキャラは?」
1.男性キャラが多い
2.女性キャラが多い
3.人間でないものが多い

うーん、って、お姫さんのやってるキャラって、直近が「Pop'n Music」の「壱の妙」、次にやりたいのが同じとこから「バウム」
その前には、「Bleach」のイヅル、その前は「鋼の錬金術師」エンヴィー。前から「人形」「魔物」「死神」「ホムンクルス」なので、どれも「人間」じゃないです。

「人間じゃない、になるんじゃない?」
「いや、ヒトガタだから、「男性」でいいんじゃない」
「二足歩行してれば人間か?」
「それじゃ、フラミンゴも「人間」か?」
「は・・・・・・」

いや、どーでもいいんですが、面白かったから。

最近は「ゼルダの伝説」にもハマってるんですが、あれって、主人公のリンクからして耳が大きかったりして、地球人とは異なる体型で、他の種族になると、もっと異型のものも出てくるんですが、あれも「人間」でくくるんでしょうか。
ゾラ族のルト姫なんか好みですが、水生種のゾラ族は、足あるけど、魚っぽいし、腕に羽根が生えてる空飛ぶ種族もいる。

2006/11/25(土) 伊勢丹紫織庵展示
新宿の伊勢丹は、京都の老舗(?)と密にしているのか、私の京都の行きつけのお店の幾店かが、定期的にフェアを開催しています。
一つは、「よーじや」さん。一般にはあぶらとり紙で有名ですが、私の狙いは「京紅口紅」というもの。貝殻にへばりついた京紅のように真っ赤、紫系、ブラウン系と三色しかないラインナップ。
真っ赤はやはりキモノに映えます。特にお装束のときには必携。
茶髪系やブラウン系の服を好む人にはオフィス服向けにはブラウン系、紺や黒系好みのオフィス服には紫系の。自然な艶とひかえめな色遣いが好感度高し。

もう一店が、今回の「紫織庵」。11/24迄のフェアで、昨日、最終日に行ってきました。
キモノの反物問屋さんですが、京都の本店では、京都でも希少となった大壁造りという自社の建物を博物館として公開しています。キモノの反物はそこに即売会の如くに積みあがっています。博物館でもあるので、いくらひっくり返していても、「買え買え攻撃」は来ません。
また、ここは、老舗の強みを活かして、大正や昭和初期に流行った色柄を復刻した生地を扱っています。襦袢なんて、昔はホント大胆な柄のを着てたんですねぇ。錦紗という羽二重に似たもったりした生地の肌触りがなんとも言えません。でも高くてまだ手が出ない。
もっぱら、私の狙いは、「羽裏」。羽織の裏地のことです。
キモノの胴裏と異なり、ドッキリ柄を付けるのが流行したのも昭和初期迄のことでしょうか。今はなかなか面白い柄には出会えません。
紫織庵は長襦袢と同じ生地を羽裏の長さでも売っています。長襦袢地の半分以下でしょうか。値段も半分以下なので手が出しやすい。

今回は、昨年、道中着にしようと思って買い求めたコスモス描き絵の生地の羽裏の調達。表がコスモス柄なので、裏も植物柄にしました。
普通の道中着のような小袖にせず、装束の小袿タイプに作ってみようと思っています。そうしたら、どっちにでも使えるかなって(欲張り)

キモノと装束の違いは寸法はともかく、袖口と襟の部分です。
なーんか根性なくって、なかなか手がつけられないんですが、
そろそろ形にしたいとこ。

紫織庵の方が、「フェアは今日で終わりですが、見本帖はいつでも、ここに置いてありますので、それを見て、ご注文いただければ、伊勢丹さんの方に納めさせていただきますので」とのこと。
ほー、フェアが来るのを待たなくて済むということ。
これは良いことを聞きました。
フェアでもコーナーは狭いので、狙いの色柄が来ているとは限らないし、売れきれちゃうかもしれないので、このサービスは嬉しい。

2006/11/24(金) つけ帯の作り方
私のつけ帯のつくり方。
って、私は帯地では作らないので、帯から作る人の役には立たないかも。

使う生地は、レリコさん(http://yusoku.com/sale.html)の布地。
鳥襷紋の生地です。
この生地は幅が1尺8寸、丸帯の幅があります。
長さ2mを調達。

まず、タテに半分に切ります。
9寸幅の生地が2本になります。

この一方をタテに折って、4寸5分幅に
更に、端5分を折って、幅4寸にします。
これが前帯というか胴部になります。
コの地にくけていきます。
生地を裏返すと縫うのは楽なんですが、裏返しで生地が痛むのでこれは厳禁。チクチクと表のままくけ縫いします。

もう一方の生地に行きます。
今度は、横に折ります。
但し、襷紋のキリの良い部分で折り返します。
9寸幅で長さ1mの状態になります。
これも、端を5分縫い代に折って、幅8寸にくけ縫いします。
クチのところに8寸x2寸の固めの不織布を芯に入れます。
これがお太鼓部分です。

最後に紐付け。
お太鼓分は、折り目と反対の端の両端に紐をつけます。
できたところは、越中ふんどしみたいです。
胴は、縫い代を上、折り目を下にして、右端下に一本。
左は、端でなく、端から50cm位のところに一本つけます。

これは、私の場合、お太鼓の「テ」を胴部から取るので、端から50cmが「テ」になるんです。

お太鼓部の裏や、胴部の一巻き目を別布にするなら、この鳥襷地はこの半分で済みます。

着付け方:
まず、お太鼓部を取って、布が上方向になるように、芯地部を背中に当てて、紐を前で結びます。芯位置に帯揚げを巻いた帯枕をあてて帯枕の紐も前でしばります。
このとき、単太鼓に結ぶ場合は、帯は上にあげたまま、
二重太鼓に結ぶ場合は、お太鼓部を下げて、お太鼓の垂れの位置を決めて帯の上から枕を乗せてしばります。

この後、胴を巻きます。巻き終わりの最後50cm位がテの位置になるように、巻き位置を加減して、胴部の紐をしばります。

最後に、お太鼓の背中を形作って、「テ」を通し、帯締めをします。

お太鼓部はまったいらな通し柄の8寸幅ですから、お太鼓や二重太鼓以外にも、様様な変わり結びも可能です。

私の場合は、袴下の帯として、この胴部だけを巻いて、帯締めで留め、帯揚げ付きの帯枕で背中のふくらみを取ります。
旅行の場合は、かばんの中にお太鼓部を入れて行きます。帯締め、帯揚げは袴下のときも利用しているので、お太鼓部だけで済む次第。

ホントは、付紐つけてないんです。胴は帯締めで、お太鼓は帯枕で留めてるから。でも、他の人が着用するには難しいかと、一般的なひも付きを解説として加えました、

つけ帯の作り方は色々あるようです。切らない方法や畳むときには、普通に畳める方法から、きっちりとお太鼓に仕上げてしまう方法まで。
私のもそんな方法の一つだと思って下さい。

※ 帯は4m以上が普通なのに、こうやって作る帯は3mで済む。
  後の1mは結ぶときには、どこに行くのだろうか?

2006/11/23(木) 「美しいキモノ」「きものサロン」冬号
「美しいキモノ」と「きものサロン」の冬号が出ました。
同日発売なんですね。
ここんとこ、「美しいキモノ」は正統染物キモノ、「きものサロン」は紬などカジュアル系を表紙に持ってきています。

「きものサロン」の今回の注目点は、付録の「帯に強くなる」です。
秋号の付録が「小物に強くなる」で帯揚げや帯締めについてのでした。
夏号は買わなかったので、「キモノ」だったのかしら。いや次の春号に「きものに強くなる」を載せてくるのかしら。

帯というものについて「形状」「生地・素材」「柄」と多角的に区分し、それぞれをどういった着物をどういった場面で着るかを解説。「着物ムック」はどうしても着物中心になり、帯は付けたりで、ここまで十分に書かれないので、なかなか読みごたえあり。
昨今の注目の手法の「浮き織り」や「組み帯(技法は古いが、本当に帯として使うように市場に出回ってきたのはここ数年な気がする)」まであるので、店先で見せられても、安心。

「美しいキモノ」は、意外にも「つけ帯礼賛」特集。
つけ帯愛用のキモノ生活者さん達のナマの姿とコメントで。
しかも、各自の使うつけ帯のつくり方が載っているのも注目。
結構色々な方法があるんだなぁと。
私が使うつけ帯の作り方は更に違うんだけどね。

2006/11/22(水) 着物の防寒対策
今日はちょっと暖かくてショール位で済んでいますが、月曜日なんて、ビシビシに寒くてもうコートをひっぱり出してきました。

こうなると、化繊の着物は寒いんですよねぇ。
同じように見えて正絹の着物はやっぱり暖かいです。

東京の場合、正絹の長襦袢に正絹の袷の着物なら、肩先程度を被うショールがあれば1月位まで寒いと感じることはないです。
2月は日によってさすがに寒い日はあるかな。

「防寒」というよりは、塵除け目的な羽織や道行を重ねても暑くはありません。
結婚式や七五三といった訪問着以上でのお出かけなら道行を着用していきたいものです。

無難路線は「留袖までOK、小紋、お召し、大島でも可」という朱〜牡丹色の織り紋無地の道行き。リサイクル屋でも沢山出るので、安く買い叩かれるとか。サイズが合うならラッキーもの。
不祝儀用は、黒とか鼠、寒色系を利用します。上の赤系統のは×。

道行は移動途中での着用衣類なので、到着地では脱ぎます。
葬式や七五三の祝詞などで、寺社殿に上がる場合、ふきっさらしで寒いことがありますが、こういった場合も脱いでるのが基本です。
故人を送る際に外に並ぶときも道行やショールは着ません。
女性の正装は帯付き(羽織などを着ない姿)なので、羽織は通常は不可なのです

京都なんか「底冷え」しますから、行きすがらだって、道行にカシミヤのショールした位で全然不十分です。

こういうときには、着物から下で防寒対策するしかありません。
かなり効くのが「着物の二枚重ね」です。正絹の袷を二枚重ねるとかなり暖かいです。昭和の始め頃までは盛装の着物は2枚重ね3枚重ねとしていましたが、元々は防寒対策でした。
下に着るのは、白か江戸小紋や色無地等表地とケンカしない色柄のものを。
喪服の場合は、重ねるなら下は白と決まっています。さすがに白の着物を持っていることはないと思うので、こういうときは長襦袢を二枚にします。化繊の仕立てあがりの白襦袢でも重ねてると効果あります。
リサイクルの正絹白襦袢は安いので、あればめっけもの。

葬式は11月から2月の極寒期に比較的多いので、白襦袢は一枚余計に用意しておくと便利です。
街着着物でも着物でなく、長襦袢を着重ねるのもアリです。

東北地方とか、ビシビシに寒い地方だとか、着重ねできない場合の対策はこんなのもあります。

・長袖シャツを着ておく
・袖がゴムで縮めてある肌襦袢を着る。
  肌襦袢は、袖なし、半そで、5分袖とあります。
  この5分袖の袖口がゴムになってるは結構効きます。
・ネルやメリンス肌襦袢を着る
・裾よけをメリンスや正絹鬼縮緬のにする。
・洋服用5分丈防寒ズロースをはく
・レッグ・ウォーマーをする
・足袋を二枚重ねて履く
   上からはく方は足袋ソックス、足袋カバーかワンサイズ上の足袋で

長襦袢は、化繊よりはメリンスの方が当然暖かです。
サイズの合わない小さいのでも、上にサイズの合う化繊襦袢を重ねれば、着物としての体裁は整うので、リサイクル屋で見つけたら、小さくてもゲットしておくと便利です。
着物を沢山持っている人でも長襦袢は余り数持たないことが多い上に下に着ているものなので、いたみやすく、リサイクル市場にも出回り難いのですが、出ると安い金額で出てたりします。私は500円で2枚ゲットしています。

先の2月の京都は、着物の二枚重ねに長羽織でレッグ・ウォーマーで行きました。以前は、着物一枚に道行にショールで死にそうに寒かったのですが、今回のいでたちでなら大丈夫でした。

東北地方だと、やはりこんなんじゃ足らないので、地元の方はウールやビロードの着物用コートを持っています。着物着て、羽織着て、コートを着ます。これでかなり暖かいです。

最近は、冠婚葬祭も室内の暖房完備のところで行われることも少なくありませんが、従来の家で行う、寺社で行うというところも少なくありません。冬場の着物姿で寒くないように、場に合わせて工夫して下さい。

2006/11/08(水) 七五三
来週が七五三ですね。
早撮りだとかで、先週あたりから姿を見かけるようになっています。
着物の掲示板では、「子供に何着せよう」「兄弟に何着せよう」「母親の着物は?」と盛りです。

そんな話を殿にしたら、「ウチの方、七五三ってないんだよ」とな。
ウチのお姫さんの3つのお祝いも7つのお祝いもしましたから、そんな習慣がないなんて、全然気づかなかったんですが、ウチの殿自身は七五三してないんだそうです。

「七五三って、江戸の習慣だって聞いたよ。酒田って上方系の文化だからないんじゃない」と殿。
うーん、七五三の元は、公家の髪あげ、着袴、帯解きですが、これを武家がならって同等のものを行うようになり、時期も11月15日になったので、11月15日に祝う七五三は武家系の節会です。ひいては江戸系の文化と言えるのかもしれません。
とはいえ、元は公家の習慣。情報自体は酒田にだって流れてきていた筈。
もう1つ考えられるのは、殿の実家は農村地帯であること。江戸時代から綿々と続く農村地帯です。良くも悪くも、農家としての文化を今に伝えています。
というとこで、七五三の本義を考えてみると、髪揚げはともかく、着袴は「この日より袴を穿く」という儀式です。この日以降次の日もその次の日も、ずーっと袴姿になるんです。武家や公家の子なら絵巻でもそんな姿で遊びに興じる場面が出てきますから、きっとそうだったのでしょう。帯解きは、ここから帯を締めるようになるという儀式。次の日以降も以下同文。
って、農民には、袴や帯は、冠婚葬祭でもなければ登場しない衣類です。だから、そういった衣類を身につけるようになる儀式もまた無用なことだったのでしょう。
明治以降、町場では、武家や公家の習慣を真似て七五三をするようになっていったのですが、農村では、そういった真似をしない土地もあったということかと。

日本全国、どんな家でも、やるもんだと思ってた(やるもんだと思ってても、しない家があるとしても)んですが、いやいや、そんなことはないとあらためて知ったのでした。

そういえば、殿の実家は正月に晴れ着(着物とか)を着る習慣がありません。由緒正しく「寝正月」なのであります。
親族同士のお年始訪問でさえ、こざっぱりとはしていますが普段着。
先祖が武家だからか、元旦の朝は晴れ着で打ち揃うという習慣だった私は、結婚後初の正月に目一杯カルチャー・ショックしたのでした。
(わたしんちでは、お年始は晴れ着や背広といった正装です)

2006/11/07(火) 立冬
今日は立冬。冬の季節になります。
期待に応えてなのか、ストンと寒くなってショールが必要でした。
昼は暖かで、ショール持って歩くのも暑かったんだけど、帰路はやっぱり肌寒く、ショールなしの子が寒そうに両腕抱えて走っていくのを見ていました。

装束では、立冬から冬装束です。練絹に綿入れ。
開けっぱなしの部屋、スダレしか下がっていない車じゃ、どこにいたって、室外と似たようなもの。
室内でもコート着てるようなもんです。

もうちょっとして、新嘗祭(今の暦では、11/23の勤労感謝の日)になると、色柄も正月向けのものになります。

ずずぃと冬がやってきます。

2006/11/03(金) 生誕百年祝賀会
今日は祖母の生誕百年です。
生まれてから百年だったという次第。
残念ながら、祖母は3年前にみまかりました。
今年は三周忌にあたります。

といっても、仏式で葬儀したわけではないので、仏式な「x周忌」でやるのもナンです。
強いて言えばキリスト教式で牧師を呼ばずに、親族のクリスチャンが頭をつき合わせて「こんな感じかな」と式次第をくみ上げました。

というわけで、今回も、キリスト教式に「生誕」でやろうということに。

事務局を命ぜられたのは、内孫たち3名。私と、叔父のとこの姉弟です。

今回の場所は、赤坂プリンスホテルに付属する料亭「弁慶橋 清水」。
昼の料金はお手ごろで、人数にあうお部屋も空いているとのこと。

ドレスコードは「男性はネクタイ背広」としたので、男性はまさにソレで、女性はアフタヌーン・ドレスでした。従妹の娘達は制服でしょうか、紺のスカートに紺のベストに白ブラウスで。お子様方は、こういうときには、制服が礼装に使えるんですよね。
我が家はやっぱり着物です。
お姫さんは、いつもの袖丈2尺の振袖に海老茶の袴。
私は祖母が成人式に誂えてくれた江戸小紋に、桜と月の紋様の袋帯。
長襦袢は、春に誂えた香色地に菱風柄の柄襦袢。

他の親族は着物姿なしでした。親たちは体力なくなってるので、着物着る根性がなかったんだろうし、従妹は自力では着物が着られません。まして娘達に着せることも不可能。
祖母はいつも着物姿でしたが、今の世代にはなかなか引き継がれていません。

お部屋は、料亭の中でも一番奥まった部屋で、入り口以外は他の部屋とは隣接していないような部屋でした。
広広とした畳の和室に指紋一つなく磨き上げた黒塗りの卓を並べて。
お料理はもちろん、会席料理。
乾杯用に梅酒を回しました。

ぶっとんだのは、久々に会った一番上の従兄には孫が3人もできていたこと。今年55歳の彼は結婚も早かったので、3人の娘のうち2人が既に結婚しており、この2人が3人の孫を産んでいたわけ。
「一時間毎に写真が変るように設定してあるんだ」という携帯電話の待ち受けの孫写真を見せて貰いました。うーむ、彼がこんなに孫バカになるとは思わなかった。

引き物は、叔父が用意したマッターホルンのオレンジケーキと、私が漬け込んでいた梅干のパック。今年の梅は大粒で皮が薄い上物でした。しかも、殿がてんとう虫を大事にしていたので、アリマキなど害虫達はてんとう虫に皆食われてしまい、駆除剤も使っていないのです。
いつものように上等の塩で付けて、土用干しし、再度、紫蘇と梅酢に漬けておいたもの。今ごろ丁度食べごろになります。

梅干も祖母の直伝です。

2時間はあっという間に過ぎてお開きに。

我が家は、その後、浅草の観音様に出かけました。
いや「スペーシアに乗ろう」というので、浅草なんですが、時間待ちの間に観音様にお参りしたり、仲見世を覗いたりしてた次第。

ネクタイやら、顔より大きなお煎餅やら買って車中の人。

夕方発の東武特急スペーシアは結構混んでいました。
浅草を出るときにはわずかに空いていた席も北千住で満席に。JRや地下鉄から乗り継ぐには北千住の方が便利ですものね。

乗っているうちに外は夜の闇。
最後は秩父鉄道に乗り換えて、最寄駅まで。

暗い道を歩いて家路に着くと、本日の旅は終わりです。


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.