優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/10/12(木) 七五三の服
まもなく、七五三の季節。
呉服屋周りでは、あまり活発ではないけど、サイトの呉服屋さんは、元気だし、何よりも元気なのは、写真屋さんや貸衣装屋さん。
昨今は、正月にも着物を着ないので、女児なら3つのお祝いしたら、次は7つのお祝いまで、着物には無縁、その次は成人式、なんて人は珍しくないどころか、至って標準的な着用状態。
男児なら、5つのお祝いしてもう着物とはご縁なし。成人式に着物というのは、男児では、まだ一般的ではない。次にあるとすれば結婚式。
こういう状態では、購入したり仕立てたりするのも無駄が多い気がします。
チョイと前までなら、七五三で新調してもらった着物を次のお祝いのときまで、揚げを直して貰いながら着用しました。
一ツ身が着れなくなるのが3歳、ここで三ツ身に替え、7歳で四ツ身に替える。この四ツ身自体を「本四ツ」に仕立てておくか、13歳辺りで新調するかして、本裁ちの肩上げ付に移動。15歳位で、肩上げ無しの本裁ちになります。
男性も同様。15歳位までは、女児と同じく、肩上げ、腰上げのある着物です。15歳位で身長も一定になりますので、ここで本裁ちを仕立てます。

昔は、こんなやって、成長の祝いの単位で一張羅の着物を新調してもらいましたから、家族の他の人の祝いの際にも、その着物を着用することができました。
お姉ちゃんが3ツのお祝いしたら、弟のときにはお姉ちゃんはその着物を着るとかってできました。

ちょっと問題なのは、男の子かな。
一般的には、男の子の七五三は5歳の一回だけ。ここで羽織袴を新調して祝います。
本義では、3歳は男の子も祝い対象なんですが、一般的じゃない。

そうすると、「お姉ちゃんの7つのお祝いに家族で出かけるのだけど、3歳の弟の衣類はどうしましょう。家族全員着物なんだけど」
なんてケースが起こるわけです。

本来は、3歳児は、日本でも外国でも、フォーマルな席に連れ出す年齢ではなく、ベビーシッターだのねえやだのをつけてお留守番の年齢。
でも、核家族でお手伝いさんも習慣も薄れた現在、3歳児といえども、同伴せざるを得ない状態です。
洋装なら、黒の半ズボンに、白ワイシャツに蝶ネクタイ辺りがよく見かける格好です。
じゃ、和装では?
和装の場合も似たようなもので、着物に袴。羽織は着ません。
洋装でジャケット無しなのと同じです。
「着流しではだめですか?」ですが、その子が着物に着慣れていないのであれば、なおのこと、袴をオススメします。着流しは、着慣れていないと、きちんと正座しないとカッコウがつかず着崩れやすい。
袴の場合は、多少足を崩していても袴の襞で見えにくく、サマになります。一見、一枚余計に着ているので大変そうですが、逆に着崩れにくく、立ち居に洋服との差異が少なくなります。
「きちんとしてろ」というのが無理なのが3歳児。
きちんとできなくても、ソレっぽく見える袴は便利です。

それに、子供って、案外と見ています。
「おねえちゃんのお祝いだから、おねえちゃんが一番いい服着てるのはいいとして、おかあちゃんも、おとうちゃんも、おばあちゃんも、きれいなきもの着てる。」弟や妹にしてみれば、自分の祝いじゃないからって、大人の同伴者は礼装なのに、お子様だからと、普段着では、いかにも仲間はずれだってこと位、わかっちゃいます。

兄弟のいる場合、その兄弟の分もそれなりの着物を用意したいものです。

もっとも、「他の子の着物の用意を考えると面倒臭くなってきたので止めた」なんて例もありました。
長女は3つも7つも祝ったのですが、次女は3つだけ、三女は全くなし。七五三以外全く着物を着せないこの家では、他の子の祝いの際に同伴に着られる着物がなかったのでした。
いや、実家では「買ってあげる」と言っていたのだけど、女児3人の着物の面倒なんて見たくないって思ったのだと。
娘達は着物好きそうなのだけど、親には各自に既成浴衣一枚買い与える根性はないようです。

そうやって、着物着ない人の家では、着物を着る習慣が伝わらないんだなぁと。
私んちだと、親の分はいくらでもありますから、子供の分も用意するし、普段うろつく店で「あ、これは娘のにいいかも」なんて娘用に調達することもあります。一緒にいれば「いいのあったら、買ってあげる」とかって、浴衣の好きな柄のを選ばせたりとかもしたし。
「腰紐!」「帯の色が合わない!」なんて言うなら、こちらの手持ちからホイホイと見繕えばいいし。

今、14歳、中二。十三参りはまだ一般的ではありませんから、普通なら、七つのお祝いの四つ身はもう着られないし、成人式まではまだ間がある、なんて一番着る着物のない時期。親の若いころの着物があれば、着せるとこでしょうけど、そろそろ親だって「持ってるのは成人式の振袖位」って人は少なくない時代。大振袖では、格が高すぎて行ける場所には限りがあります。

そういえば、祖母の生誕100年祭。ウチは姫も着物の予定だけど、従妹の娘達は何着てくるでしょうか。って、洋服だろうな。
15歳、13歳、11歳の女児の着られる着物はあの家にはない。

2006/10/11(水) 名古屋帯って
帯も遡るとキリがないし、昨今常識な「お太鼓結び」自体、幕末に考案されたって位、最近のものです、
なんで、ま、その辺から。
「お太鼓結び」を結ぶ帯の本義は「丸帯」です。
丸帯というのは、幅1尺8寸に織られた帯地を二つに折って袋に縫い合わせた形状のものです。裏と表がつながっていますから、裏側になる部分にも柄が織られています。
着用するときは、袋帯と同じく、前は半分に折り、後ろは二重太鼓に結びます。
この略版が「袋帯」。昔は裏表が筒状に織られているものだったように思うのですが、最近は、共生地を裏地として縫い合わせたものでも袋帯と言って売られています。丸帯との違いは、裏は共生地ですが、柄のない地紋だけになっています。その分、「軽い」「手間がかからない」ということで、便利に使われたのが広まったのだとか。
昔の丸帯は袋帯とは異なる独特の大柄でしたが、最近の丸帯の柄では、仕立てて着用すると、区別が付きにくいように思います。
更に略なのが名古屋帯。
胴の部分はどうせ半分に折るのだからと、ここには裏をつけずにそのまま二つ折にして綴じてしまう形態です。名古屋で考案されたから「名古屋帯」だそうな。
名古屋帯になると、素材も多様化し、塩瀬や縮緬の地に描き染めした「染め帯」や、紬地の織り帯やさらにそれに描きを加えた染め帯、そして、端の縫い代を持たない「八寸名古屋」というものまで登場します。
その上に、一旦「胴に裏をつけない」ということにしたのに、それでは色々と差し支えが生じて「手先だけ半分に綴じる」という「松葉仕立て」や「袋帯と同じく胴にも裏をつける」という「開き仕立て」と仕立て方も様様になります。八寸名古屋も、お太鼓部分の引き返しを綴じてしまう「綴じ仕立て」と、ここを綴じないで開けたままにする「トンネル仕立て」があります。
カジュアル、普段着系向きのものは一重太鼓向きということで、袋帯に比べて短い仕立てになっています。
逆に、この名古屋帯の長さに仕立てた袋帯を「袋名古屋帯」とか「京袋帯」と呼びます。昔は、長さで値段は変わりますから、京都の人は必要な長さだけ織って貰うという注文の仕方をしたようです。
※ ちなみに、「袋名古屋」というと、八寸名古屋を指す言葉として使われていることも多いです。

さらに、もっと厄介なものがあります。
「帯の仕立て替え」したもの。または仕立て換えもどき。
「丸帯は重いので、袋帯に」
「袋帯は重いので名古屋帯に」
「丸帯の裏分は小袋帯に」
なーんて、やると、柄は丸帯なのに形態は袋帯や名古屋帯、半幅帯なものができます。
そも、名古屋帯だって、「略儀」なので、最初っから錦織りで名古屋帯想定で織ったものだってあります。
「小袋帯」は、一種の全通帯を半幅に仕立てたもの。
専用の帯裏を用意していて「裏をつければ、袋帯になります」と謳う錦織りの名古屋帯も出てきました。開き仕立てといっても、同じ地紋地色の裏なら「袋帯」ですもんね。
半幅の小袋帯だって、後ろが全幅にできないので、帯付にするとバレバレですが、羽織来ちゃえば、帯揚げと帯締めでもう区別不能です。
結構旅先の夕食時にやるカッコ付けの小ワザ。

というわけで、「名古屋帯」は、形態における「略」なので、格的なあ「略」ではありません。今の感覚なら「二部式に仕立ててしまうと、同じ袋帯でも格下になるでしょうか?」というようなものです。
格はあくまで、生地や柄で決まります。

とはいえ、なんとなく、新規に販売される名古屋帯には、袋帯並の織柄のものが希少な気がします。お店の人も袋帯を勧めますから、そうと知らない人が気づきにくいようにも思えます。
大人になってから着物好きになって、周りの親や親戚から教えて貰えなかった人の中には「名古屋帯はカジュアル用の染め帯や紬地モノ」って思っちゃっている人さえいます、

一番な証拠。昨今の定義では「喪服用の帯は、黒で不祝儀地紋の『袋帯』か『名古屋帯』のこと」というもの。
ホントの正式は丸帯なのは当然ですが、袋帯でも名古屋帯でも良いんです。「生地が同じなら同格」のいい証拠です。

2006/10/10(火) 訪問着とは何ぞや
以前は、10月10日は「体育の日」で休日でしたが、最近の三連休化によって、昨日の移動しています。
でも、この日って、「晴れの特異日」として選ばれた日なので、移動しちゃったら、意味ないような気がします。
私のいた中学校では、10月の8,9,10日が文化祭だったのですが、10日が晴な確率は確かに高かったんですが、その前の8日とか9日とかって結構雨天だった記憶があります。そういう特異日です。
ちなみに、一番晴の確率の高い日は11月の3日なんだそうです。
明治天皇の誕生日であり、今も文化の日として残る祝日で、三連休化の影響を受けずに常に3日なこの日、実に縁起が良い日のようです。
ちなみに私の祖母の誕生日でもあり、今年生誕百年を迎えます。
親族で赤坂の料亭に集まるように計画中ですが、着物を着ていく予定。雨だったら、やーよね。

って、このような場に出るには格としては「訪問着」辺りが適切です。
同じ「生誕百年」でも「ナントカの理事長の」とかって、ホテルとかで組織で祝うような場合だと、また違ってきますが、今回は、親族だけ、しかも、長男夫妻、次男夫妻、長女夫妻に孫達夫妻とひ孫達って、チョー内輪だけの会ですから。
でも、場所は「赤坂」、昼とはいえレッキとした「料亭」のお座敷です。お部屋も一番良いお部屋を用意してもらいました。
Gパンを含めたカジュアル路線では来てほしくないっうか、そんな格好で来たら、思わず回れ右したくなるような門構えです。
「女性は留袖か色留袖、男性は紋付袴でおいでください」といったって、ひけを取らない場所です。

で、「訪問着」というカテゴリ。意外にも新しいものなのだそうです。
紋付、留袖などの「礼装」と「普段着」の中間の、「訪問時に着用するための着物」として想定されたものだとかで、今のように「絵羽付け、衿から肩や袖に柄のあるもの」とまで狭くなかったそうです。
格の高い小紋も江戸小紋も型染め友禅も付け下げもみーんな「訪問着」だったというわけ。
「お正月の元旦に着る着物」とか「お年始に着る着物」と考えれば、さもありなんです。成人式までの私の一張羅は型染め友禅かなんかの小紋柄でした。
今のお姫さんの着物も2尺袖の小紋。古典ぽい花柄の総柄小紋は、ちょっと見、総柄の絵羽柄にも錯覚します。十代の娘の着物としては、十分に「訪問着」ランクです。

「付け下げ」も、元は、「付け下げ小紋」という、上下方向のある柄を、肩を中心に、後ろ身頃も前身頃も上向きにするように配置する染め方を意味したのだそうですが、戦時中に「絵羽つけは贅沢だから禁止」というので、一計を案じた某呉服屋が、絵羽にしないで反物のまま絵付けする技法としてこれを採用したのが始めだとか。元々は「縫い目で絵がつながっていないから判断できる」というものでしたが、昨今のは、衿と身頃、身頃と袖、オクミから前裾後ろ裾と綺麗に柄をつなげられるものもありますので、仕立てあがった着物での区別は呉服屋でも困難だそうです。さすがに、びっしりと絵付けされた絵羽を付け下げで再現するのは無理なので、つなぎ部分の柄は比較的シンプルになりますが、そういったシンプルな絵羽付けの訪問着もあるので、結局は決定的な区別になりません。

ところで、最近は「絵羽付けの紬」だの「絵羽付けの大島」という織物系の絵羽柄の着物があります。「絵羽付け」といっても、織る時点で絵柄をつけるわけですから、正確には「付け下げ方式」です。
通常の通し柄の紬類や大島に比べると華やかで華麗なので、フォーマル・シーンに着れそうな印象がありますが、これは×。
「訪問着としても着用いただけます」というのは、お友達と美術館に行ったり、会食したり、というインフォーマルな「訪問」に使えますョって意味で、礼装に準ずる衣類としての「訪問着」には含まれないのです。

さて、何を着ましょうか。祖母の記念の日ですから、祖母が成人式に選んでくれた柿色の江戸小紋にしましょうか。一緒に合わせて誂えたた錦織りのお太鼓柄の名古屋帯なんて、イマドキ珍しいものを結んでみるか、それとも、帯は先ごろ手に入れたばかりのおニューの袋帯にしましょうか。
お姫さんのは、いつもの振袖にしましょうか。たまには袴でなく帯を上げましょうか。
あ、髪も上げたいな。久々に結ってくれる美容院に話をつけておかなくては。既に腰まである長髪は自力ではどうにもならない。

2006/10/05(木) 成人式の着物って
10月というのは、月末がハロウィンなので、輸入食品屋を中心に、オレンジ色のかぼちゃグッズが乱舞しています。
本来、翌日の11月1日が「万聖節」という神様のお祭りの日で、その前日には神様の力が弱いのか、お化け達が暴れまわるという。
日本における、立春と節分の関係と似ています。

って、袷の季節も本番となり、そうなると出てくるのが成人式フェア。
七五三もありますが、今ごろ調達する人は遅出な方なので、呉服屋としての主力は1月の成人式目当てとなります。
正月にも着物を着る習慣のめっきり減ってきた昨今ですが、成人式に大振袖で参列する女性はまだまだ多いようです。

その「振袖」なんですが、本義的に考えると不思議な衣装です。
平安時代に遡ると、女性は裳着、男性は初冠といって、子供の衣類から大人の衣類に着替える儀式でした。
もちろん、その日のために、子供用の衣装も大人用の衣装も誂えます。
武家社会では、男性は、髪を剃るとか、烏帽子を被るということと、袖を女性のような振りの明いた着物から今の成人男性の着ている振りのあいていない着物に替えました。武家の女性の未成年と成年の違いがよく見えないのですが、「成年=既婚」ととらえていたのではないかと思われます。この場合も、男性と同じく「振りのある着物から振りのない着物」へと替わっていたのですが、江戸時代の中で、帯の発達から、既婚の着物にも振りが生じ、更に、未婚程ではなくとも、振りを長くする風潮が一般化し、今の状態につながっています、

というわけで、「振袖」ってのは、「未成年の着物」なんですよね。
七五三の着物を見ればよくわかるし、最近広まってきた十三参りの着物もそう。舞妓さんの着物が振袖なのも「未成年」の印です。

「花嫁さんの振袖は?」というと、上で「成年=既婚」という話をしましたが、女性の場合、結婚式が実際の成人式的な役割を持っていたのではないかと思います。振袖に島田髷が腰入れしますが、これを留袖と丸髷に替えるわけです。振袖は未婚女性の象徴で、裳着における前半の衣装に相当すると捉えて良いでしょう。

って、考えると、今の成人式向けの振袖って、変なんですよねぇ。
今まで着用していた振袖を着る人って至極稀で、大概は新調です。
それどころか「七五三以来」という人も珍しくない。
そして、「折角誂えたんだから」と、自分の結婚迄は礼装に使います。「友人の式に参列、親戚の式に参列」の場合、独身女性が成人式に誂えた着物を着用するのはかなり一般的な習慣でしょう。
「成人したら、振袖を着るようになる」と思っている人がいてもおかしくないようが気がします。

よくよく考えてみると、20歳前の礼装も振袖ですから、そこには何ら区別がつかないことになります。
イマドキ、高校生ともなれば、体格は大人並、15歳過辺りで肩上げも取ります。区別がつかなくて道理。
現実は「振袖姿の15,6の娘に会う可能性はない」って程度で区別してるに過ぎません。

昔は、七五三、十三参り、成人式と一定の成長と祝うと共に、衣類を着替え、異なる服や習慣に向かう心構えとしました。

三つのお祝いは、髪置き。習慣などの躾教育もこの時期に始まります。
五つは着袴。学問を始めるのもこも頃です。
七つは帯解き。平安時代にはこの頃から「殿上童」としての出仕もします。
成人式をもって、男性は冠位を授かり、宮中に出仕したり大學寮に入ったりします。ここからは「大人の男」として「勤務」する。
女性は、「結婚適齢期」として、花婿募集。宮中や貴族に使えている女性も、「女童」かられっきとした「女房」に格上げされ、職務、責務が変わります。

昔の方が判りやすかったなって感じます。
儀式と共に服が変わり、することも変わる。心構えもつき易い。

今の七五三も成人式も「昨日と明日の何も変わりない中の一日」で行われている。
イマドキの成人式は「高校の卒業時に行う」とかがいいのかもしれません。大方は高校まで出ます。その後、就職するとか専門学校、大學と分かれていきます。平安時代にも大學寮には成人後に入寮ですから、現代でも「大學はオトナの行くとこ」という風にとらえ、高校の延長とは違った心構えで通うと考えると、就職組と差異のない意識を持てるように思います。

大學を出て、就職したとき、出社するときは毎日スーツ姿となり、同じ「習う」でも「社員研修」は大學の講義とは異なる意識であるべきものでした。そういうときに「服が違う」って、「もう昨日までとは違うんだ。甘えてはいられない」という意識を起こさせます。

2006/10/03(火) 誰が決めた1尺3寸
昨今、着物の袖丈は1尺3寸が一般的です。下手すると「そうじゃないのは非常識」なんて言われかねないことすらあります。

この寸法は、並寸(着物の仕立ての標準寸法)において、「身長の1/3」とかから導き出される寸法なので、並寸でない場合は、差異が生じる筈なんです。

はたまた、そもそも「身長の1/3」だって、どこから決まったのやら。

主婦の友社が過去の掲載記事を着物を中心にまとめた本を見ると、戦後の親の世代の着物でも、結構袖の長い着物が出ています。「主婦の友」のですから、対象は既婚婦人の筈。1尺7寸でしょうか、2尺あるでしょうかって長さです。

ちなみに、現在でも、京都の芸妓さんの私物の着物の袖も結構長いです。これは「美しい着物」最新号 秋号で見ることができます。

そういった昔の写真でも留袖とか、黒紋付の写真だと、1尺3寸程度ですから、その辺の習慣が訪問着や小紋の仕立て寸法にも波及しちゃったのかもしれません。
私の訪問着系統は1尺5寸と若干長めにしてあるのですが、黒紋付は1尺3寸です。母親に妙に力こぶで指示されました。

袖丈といえば、振袖も、昨今は大振袖ばっかりですが、以前は、大振袖は花嫁衣裳に用いるもので、普通(?)に着用する振袖は、今で言うなら中振袖丈でしょうか、2尺から3尺位のものも多かったようです。
なんか、袖丈に関して、画一的になり、選択肢が減ったという気がします。

2006/10/02(月) たかがシキタリ、されどシキタリ
10/1が日曜だったので、更衣の初日。雨です。
冬服に着替えても寒い位。

秋になると、婚礼シーズンともなります。
10月、11月辺りってのは、一年のうちで、一番「お日柄の良い日」なんじゃないかと思います。
雨季ではないので、雨に降られる可能性は梅雨よりは低い。
他の節会も少ない。
着物なら袷が使えるので、着るモノに比較的困らない。

とはいえ、イマドキ、常識的に留袖だの振袖だのを、年頃に合わせてきちんと持っているとは限らない。
結婚するモノの親ともなれば腹を決めてレンタルや購入も考えるんですが、友人だの、微妙に遠い親戚なんて縁だと「手持ちの着物でどうにかならないかしら」とも考えたいところ。

まず、セオリーなお話。
両親だの親族扱いで出席する場合の既婚女性の着物は黒留袖です。
伯母とか従姉なら色留袖なども使えます。
長襦袢は白。帯揚げ、帯締めも白を使います。
紋は五つ紋。
独身女性の場合は振袖。
友人ならば、色留袖や訪問着、訪問着に等しい付け下げも可。
柄は吉祥柄などがより相応しい。
帯は袋帯か、袋帯に等価な錦糸遣いなどの名古屋帯。
襦袢は薄紅など、礼装用の薄色系統のもの。
帯揚げ、帯締めは、着物にあう華やかなもの。

更に、冠婚葬祭の慣習は、「その土地の風習」「その親族の風習」といったものが大きく影響します。
「妊娠中でもない限り、着物で出席すべきである」とか「先に嫁に行ったことを明らかにしないために、同年代の友人の立場で出るなら既婚でも振袖を着る」といった、一般的な冠婚葬祭マナーより限定された慣習を持つ場合もあります。親族はまずこの慣習に従うのが妥当ですし、慣習によっては、友人という立場でも制約を受けます。
夫の実家では葬式でしたが「家族以外は黒紋付は着ない。色無地は御隠居さん」というのもありました。
こんな風に、「着物を着る」ということ自体が格付けされていることもあります。

更に、「今回の事情」というのも出てきたりします。
夏の式などに多いですが、「両親も黒留袖は着ないので、他の出席者も留袖は控えて欲しい」なんて話など。

うかつに呉服屋なんかに相談すると、待ってましたとばかりに、高価な着物を買わされてしまうこともありえるので、バッチリとTPOに合わせせないといけないというわけではないですが、とはいえ、無視しまくって「手持ちのものなら何でもOKでいいじゃない」とばかりに、黒留袖にピンクの襦袢を着てたり、大島など紬を着てしまったり、バッチリ季節外れな「季節限定柄」の着物を着てしまうのは、やっぱりナンだなぁと。

礼装に着物を着るつもりならば、袷の季節ならいつでも問題のない吉祥柄を一つは持っていた方が良いです。
昨今は、大方の礼装は「吉祥柄の着物に、錦糸の袋帯か名古屋帯」があればことたります。婚礼なら既婚未婚を問わず、友人の立場でも親族の立場でも「まぁ、訪問着でも大丈夫でしょう」になります。
子供の節会の付き添いも卒入の付き添いも、訪問着は一般的に使われます。(厳密には「ジミ目の付け下げか色無地」だそうですが、そういう人を私は見たことがありません)
いつも同じ訪問着を着ていても、特に何も言われないのは「一張羅」という考え方があるからなのでしょうか。洋服とはこの辺が違います。
ちょっと前なら、こういう着物は婚礼時に親が見立てて持たせてくれたものですが、今はそうとも限らず、好きな柄優先で買い揃えていたりして、肝心のオールマイティな柄を持っていないこともあるようです。
滅多に着ない礼装ですから、どうしても後回しにしがちなんですよね。
いっそ、結婚の最初の頃のことなら、腹決めて、訪問着を誂えるのも一手です。上に書いたように、着用機会はそれなりにありますから。

もっとも、式や宴自体も、伝統的な「挙式」「披露宴」形態から離れた「レストラン・ウェディング」だの「ガーデン・ウェディング」「洋館ウェディング」といった新式のものが登場して「何着ていけばいいの?」と頭がぐるぐるしちゃうのもあります。
こういう式形態の場合は、招待状にドレスコードを書いておいて欲しいものです。

ちなみに、ドレス・コードに「平服でおこしください」とか「インフォーマルで」と書かれていたら、普段着を着ていってはいけません。
「タキシードやイブニングドレスじゃなくていいですよ」って意味なんです。Gパンなんかで行ってはダメです。
洋服なら、フォーマルではないけど、うんとオシャレなワンピースとかスーツにステキなブラウスを合わせるなど。
着物なら小紋に織りの帯か気の利いた塩瀬の染め帯を合わせる辺り。
(一張羅の訪問着に、若干シンプルな帯を合わせるか、同じ袋帯でもお太鼓にスッキリ締めるなどでも、OKです)
男性は、背広に気の利いたネクタイ。
結婚式でも最近は稀にあります。友人中心の二次会などにはかなり多いです。
レストランを借り切っての友人向けの二次会とかならゴマカシも効きますが、ホテルで内輪のみの披露宴を会食形式でなんて状態だと、回りがおめかししている中で一人だけGパン姿ってのは、メチャ恥ずかしい状態ではないかと。
(ウチは、会社の同僚向けに、河原でバーベキュー・パーティでお披露目の「二次会」したので、このときはホントに「普段着で」でしたが)

親族は特に写真撮影があるので、記録が残ってしまい、結構後々まで口の端に上ることも多いので、要注意です。
逆に、きちっとした格好や行動でいると「こういうときにはキチンとできる人だ」と普段のいい加減さを大目に見てもらえるなんてこともあります。下手なとこで努力するより、身内での株を上げやすい機会です。


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