優妃 讃良の着物についておもうこと
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2006/10/31(火) 上方好み、江戸好み
掲示板などで出てきた話題に「ウチではこうするのが習慣だけど」というと、「あら、私はこうですよ。周りの方々もそうで、そちらのような習慣は聞いたこともありません」と見事に真逆な論が返ってきたりすることって結構あります。
着物は、本来、お家毎に習慣があるので、「日本全国貴賎を問わずに画一」の決まり事にはなっていません。これは、はるか遠いご先祖様達が何者であったかの積層情報ですから。
例えば、殿の父方の実家は、戦国時代には武士だったのが、落ち武者となり、江戸期にはずっと農民だったんですが、先祖が武士だったからなのか、純粋な農家タイプに比べて、武家っぽい習慣もあります。
地域的なタイプとしては、殿の母方の実家の酒田。平城京時代より王城とは交易のある土地で、江戸期には北前船で京都の物産がかなり豊富に持ち込まれていたようです。周辺の東北地域とは、食文化も言語も異なり京都に近いです。着物文化圏的にも京都系かな。

我が家の習慣は、着付け教室や着付け本とは相違いすることが多いので、つっこんだ質問だと「うーん、相手のとこで、こういう風にしても大丈夫かな」と気にしてしまうことがあります。

なんですが、最近、色々と情報が溜まってきたので、「我が家固有」ではなく、どうやらお仲間が存在するらしいと判って来ました。

習慣は、ざっくり言うと、「関西系」「関東系」に分かれます。
「関東系」というのは、江戸期の将軍様のお膝元に育まれた武家文化の習慣を引きます。傾向的には質実剛健、「スッキリ」とか「きっぱり」といった形容詞が似合い、色柄的には、「渋い系」「寒色系」というイメージがあります。
対する「関西系」は、京都にいたお公家さん系の習慣を引きます。
こちらは、「はんなり」「みやび」ですね。色柄は「鮮やか系」「暖色系か百花繚乱か」といったイメージ。

例えば、黒留袖。黒地の裾柄の紋付着物ならOKなので、裾模様には様様な地方の染めや縫取り技法があります。
極端な例では、関西系なら京友禅、対する関東系は江戸友禅。
御所解きや百花を色鮮やかに華やかに描かれる京友禅、青の濃淡を主体に茶屋辻などのシックな柄の江戸友禅。対照的です。

黒紋付も東西の差があります。
関西は縮緬地、関東は羽二重です。
もっとも、シミになりやすく、着崩れしやすい羽二重は、自力で着物が着られない時代には敬遠され、今ではどこでも縮緬が一般的です。

小間物も好み差があります。
帯揚げは、関西は絞り、関東は紋綸子なんだとか。
礼装用の帯締めの組み紐形態は、関西は丸組み、関東は平組み。
平組みは、武具の留め紐に使われていた平組みの紐を使うようになったといういかにも「武家系」のもの。
当然ながら、丸組みは公家の装束に使う紐類からきています。
丸組みの一種、「冠(ゆるぎ)組み」は、まさに、頭の冠を支えるために縛った紐の組み方から来ています。
「丸くけ」という布の中に綿を詰めた紐は、装束のお端折りにも使われていましたから、案外と出自はそれかも。
「丸組みは丸くけの代替品」という言い方もあるようです。

意外な差異は、季節の衣替えの考え方。
武家式では、襦袢から肌着まで規定しますので、時期になれば暑かろうが寒かろうが定めたものを着用します。
お公家さんは、この点が緩く、襦袢や肌着の規定がありませんので、「暑いから襦袢を薄いのにしよう」といった対処が取れます。
また、衣替えの時期に武家とは差異があり、「夏物」の期間がやたら長いです。今の暦で言うと、ゴールデン・ウィークには夏物になり、これが11月の23日迄続きます。盛夏にはもっと薄物になります。そして「若者はこの通りに、年配は寒いなら着重ねてよし」です。
若者だって、見えないとこである小袖で防寒することは可能ですから、問題はないわけです。

というところで、私は、どっち系かというと、「ハイブリッド」です。
母方はの母方が関西系なので、母方の方から来る習慣や物品は上方系、父方はどちらも関東系なので、父方から来るものは江戸前系です。

成人式の着物が露骨過ぎて笑えます。
父方からは、江戸小紋に平組の帯締め
母方からは、変り縮緬にぼかし染め、橘の刺繍を散らした訪問着。
帯締めは礼装用の太めの丸組み。

帯揚げは、共用で紋綸子に絞りがところどころに散っている京都製。

母が腰入れの際に持参した着物や帯の中には、「京袋帯」という、
「長さは名古屋帯、つくりは袋帯」というのがあります。
関西出身の祖母が用立てたのでしょう。袋帯は長くなる傾向なのでか、
関東圏では、新品の京袋帯を見ることはありません。

最近、自力で調達した黒紋付に至っては、完全江戸好みですね。
関東系の黒羽二重に帯締めは「江戸組み」という平組みとはちょっと違う、断面が長方形な組紐と、紋綸子の帯揚げ。
買った店が、銀座だったので、江戸前系しかなかったからとも言えます。
個人的には平組みは納まりよく結ぶのが苦手。
帯揚げは鹿の子の総絞りは嵩張るので嫌い。余り見せない着付けにするので、嵩張らずに帯の中に消えてくれる紋綸子が好きなのです。

2006/10/30(月) 上方好み 江戸好み
仕立てにも「関東仕立て、関西仕立て」があります。

モロ名前にあるのは襦袢の仕立て。襟が着物と似ているのが関西仕立て。襟とオクミが続いているようなタイプが関東仕立て。

「男仕立て」という、片ひざを立てて、親指で布の端を引きながら縫う方法は、関東系なんだそうです。元は男性が仕立てた方法なんでしょうけど、今は、女性がこの縫い方で縫うのも「男仕立て」と呼びます。

着物につける紋も、関東系は「婚家の紋」、関西系は「女紋」です。
女紋は「女系で受継ぐ紋」「実家の紋」「出生時や成人時、輿入れに際して決める個人毎に決める」などいくつかのパターンがあります。
最近は「誰がお金を出したか」で決めるのも1つの方法です。

礼装以外の広襟もそうなのかなぁ。
母方の着物は、銘仙も麻も木綿の夏着物も浴衣も広襟仕立てです。
父方の祖母は銘仙以下はばち襟仕立てです。
母の若い頃の銘仙を私が汚して洗い張りして縫い直しした際に祖母がばち襟に仕立てたので、母と大喧嘩になっていました。襟1つと言えども、それ位大事なことのようです。

私はそんなこんなで、色々なタイプのものを親から受け継ぎました。
が、「双方の親戚一同も友人も全て同じ関x圏」って人は結構多いんじゃないかと思います。そうすると、「そんなのあるの?知らなかったわぁ」ってなるでしょう。

祖父母や親の世代には文化圏を越えることがなくても、自分の結婚相手の実家は別文化圏なんてのは、恋愛結婚ではよくあるパターンです。
実家の場所確認してからつきあうわけじゃありませんからね。
様々な生活習慣が違ったりしますが、その辺が折り合えないと結婚にも至らないので、大概折り合えて結婚に至るわけですが、着物ってのは、結婚の際にそういった話題に上らないことも多いので、ずーっと後になってから、「非常識な程に違う」ってことも発生するわけです。
お姑さんが、他の文化圏の習慣を知らないタイプなら、「なんて非常識な嫁だ!」と、嫁にしてみれば「この程度ウチの方じゃフツーなのに、何騒ぐのかしら?不愉快ね!」なんてなるわけです。

日本ってよく「単一民族」だの「日本の文化」なる1つのものがあるように錯覚しますが、実に多彩な文化と習慣を持っており、一方の常識が他方の非常識になったり、そこまで行かなくても「違和感のある装い」となったりします。同じ日本の中でも、異国の文化並に違うこともあると思ってた方が良いのだと思っています。

2006/10/29(日) 上方好み、江戸好み
もう1つ思い出した、
七五三の七つのお祝いの着物。
父方の祖母が用立てたのは萌黄地に蝶の総柄小紋。
母方の祖母から着たのは、朱赤地に亀甲柄。

やっぱり「江戸は寒色、上方は暖色」なのか。
「江戸は今風柄、上方は古典柄」とか。

思えば、七五三も成人式も両方の実家から着物が来たんだった。
あんまし聞かないんだよね。こーゆー話。

2006/10/25(水) 大人の塗り絵
最近、「大人の塗り絵」が流行のようです。
「きいちのぬりえ」のような「子供の頃に塗ったわぁ」というリバイバル的なものから、「古城の風景」「植物画」といった凝ったテクを駆使するとより美しい仕上がりになるものまであります。
洋の東西の有名な洋画、和画を塗るものもあります。
洋モノとしては「アリス」の初版時からのエッチング画のもあります。
着物好きさんには「上村松園」のなんかオススメです。
絵手紙系になるんでしょうか、「京都の風景」なんてのも。
はたまた、「ベルサイユのばら」なんかもあったりして。
昔は、一生懸命、トレース用紙に写して、更にケント紙に転写して色塗りしたもんですが。
発行元も様々です。

そんな中に「百人一首」や「源氏物語」がありました。「美術出版」ってどこかな、って思うけど、これはなかなかなデキです。
色塗りの見本もデキが良いし。自分が塗る方には、本来ある金粉散らし付きなので、塗りあがった自作の見栄えもなかなか良いものです。

先日、国立博物館で見た「小野小町」図も、百人一首の図に掲載されていました。ここでは、江戸期の復刻版に倣っての色付けになっています。自分で塗るときには、何色にしましょうね。
どちらも1と2が出ていることになっているのですが、「百人一首」の2が見つからなくて探し回っているのですが、「きいち」や「花」の類に比べると人気が低いと見られているようで、「大人のぬりえ」を扱うコーナーでも、あるとは限りません。まぁ、これがなくったって、棚に並ぶ範囲で60cm以上占拠する位の種類がありますから。

という中で、昨日、新しい「源氏物語絵巻」の「大人のぬりえ」を見つけました。徳川美術館と五島美術館共同で復刻作業を続けていたアノ絵巻物です。でも、表紙の絵からして、妙に安っぽい感じです。
「塗り絵」は、元の絵をトレースして線画を作ります。それに色を挿すわけですが、その彩色がコンピュータでやったのか、妙にベタ塗りで、しかも色が無意味にハデハデしい。「安物の絵草子」風。
「まぁ、色は自分がまっとうな色に塗ればいいから」
と思って、買おうかなぁと思ったんですが、線画の方からして、何やら安っぽい印象です。
何がこんなに安っぽく見せてるのかとしばらく見つけてたら、みっけ!
装束の柄が原画通りでなく、同じ柄のパターンを漫画のトーンのように貼ってあるんです。
柄って、シワによってゆがむし、体の線に沿って流れるので、こんな通り一辺倒な見え方はしません。もちろん、残るものでは最大のデキといわれるこの絵巻物の原画は、こんないいかげんに柄つけしていません。布の流れに沿ってたわむ柄がより立体感を与え、更に下の絹の透けた部分までも精緻に描き分けています。
もー、装束好きをバカにしないで欲しいもんだ!

上の美術出版の方は、柄つけなしなんですョ。しゃかりきに柄挿ししなくちゃいけない。でも、その方がずっと良いと思います。
あんな変なトーン貼られていたんじゃフォローもできやしない。
元画が源氏物語絵巻なので、是非欲しいネタなんですが、あれでは・・・

2006/10/24(火) 冬だなぁ
空気が「秋」から「冬」に変わってきました。
例えるなら、秋のは「清清しい」という感じ、冬のは「ピリっとした」という感じ。秋は曲線、冬は直線。

さすがに夜も寒くなってきたので、ストーブをつけたのですが、
見ればお姫さんは、半そでTシャツに半パン
「寒い、言う前に服着ろ!」

なーんて言いながら、単の化繊着物に単の化繊半襦袢でも寒いなー、なんて、ストーブにあたっていると
「こういう矛盾した親見ると、殴りたくなるって思う」と姫。
反抗期なので、気に障るらしい。が、当人曰く「気が長い」んだそうで、直接行動には出ません。口だけ。

ストーブのあったかいのが嬉しいと感じるのは、やっぱり冬です。

2006/10/21(土) 八木橋京都物産展
何気なく、近所の八木橋デパートに行ったら、「大京都展」をやっていました。
まぁ、いわゆる物産展ですね。
食べ物から陶磁器、竹細工、紙類、筆、香、そして着物に小間物と色々。
前もこの顔ぶれに記憶が、昨年も来たかもしれません。

こういうときに必ず出てくるのが、「みすや」の針屋さん。
実は本家みすやと、この物産展の常連の「みすや」は別物なんだそうで、しかも、こっちの「みすや」は京都には一般に買える店はないという不思議な存在です。
どちらの針も、負けず劣らず縫いやすい針です。
また、通常の縒りとは逆のZ縒りの糸が買えるのは「みすや」だけなので、これも貴重。人によって賛否両論なんですが、私にはこの逆縒り糸が縫いやすいので好きなんです。
そして、なぜか、物産展に会う頃には行方不明になって毎回買っている5寸定規。端の1寸とかを折っていくのには小さくで便利なんですが、買い物する際に持参しているとサイズが判って便利なので、バッグで持ち歩くから、行方不明になりやすいのです。

そして、西陣織会館が毎回だしてくれる端布を漁る。夏が終わったばかりだからか、紗紬や絽が多いです。何作りましょうか。何も考えないで買っていたりします。

リサイクルの着物やさんでは、「生地利用向け」という廉価品コーナーに塩沢の十字絣を見つけました。襟の後ろが見事に白く日焼けしてるし、前のとこも何か落としたのを漂白したのか白くなっているとこがポツポツと。家で着るなら、この程度なら大したことありません。
裏はつけなおしたのか、真っ白胴裏に花田の八掛けがいい状態です。
裄は短いけど、家事するなら、短い方が便利だし。
これで2000円。お召しだから軽くて気持ち良いです。バチ襟なのが気に入りませんが、前の持ち主も普段着にしてたんでしょうね。
(細身なので、バチ襟だと、合わせが浅くなって着崩れたように見えるので嫌い) まぁ、室内着ですから。

京都に行けないときでも、こういう物産展があると、京都に行ったような気分でいいです。

2006/10/20(金) 子供の着物の調達
なんとなく、秋から冬の気配を感じる今日この頃。
もう天気が良くても、単の着物では寒さを感じます。
まっこうに袷の既設。

今日は「子供の着物」の調達について。

昔は、子供のものなんて、家で縫ったんでしょうけど、
今の着物好きさん達はの大半はお裁縫ができません。
「仕立てあがり」や「リサイクル品」が頼みの綱。

とはいえ、「着もしない嫁入り道具」として箪笥の肥しにしていた着物が「もう娘も孫も着ないから」と出回っている、大人用着物に比べると、子供用はそもそも希少です。
普段着物は、親の世代に比べて早く消えて洋服になりましたから、主に晴れ着が中心なんですが、私の七五三の着物なんて、もう本裁ちになっちゃってて、お子様には到底着られません。
または「娘や孫に着せる」といって大事に保管しているお家もある。
いっそ「親は期待薄でも、七五三には着せるだろう」と思っているのでしょうか。婚礼衣装や成人式の振袖もリサイクル屋に出難いもの。皆、思い出と共に保管しているのかもしれません。
普段着着物は、大人物と同様にリサイクル屋には出回りません。
子供のなんて、大人以上にドロドロ、ボロボロですもんね。

狙うなら、常時店をあけているリサイクル屋よりは、「レンタル落ちの大放出」の方。七五三の着物のレンタル落ちが出ます。
我が家のお姫さんの矢絣着物や袴は、七五三のレンタル落ちです。

さて、一方、既製品の方。
至極稀に一つ身、三つ身、四つ身のウールの着物なんかお目にかかれることもありますが、歳を追う毎にその機会も減っています。
子供の既製品と言えば、七五三の晴れ着位しかないに近い。
その中で、比較的地味目なのを調達して普段着にする手も。
困るのは、10歳前後。7歳用のは着られないし、大人のS寸にはまだ小さい。「十三参り」は、まだ既製品の着物が出回る程には一般化してはいません。我が家はあきらめて、この時期は「お誂え」しました。

後は腹を決めてお誂えです。
サイズを伝えれば、仕立ててはくれます。
問題は、子供っぽい専用柄が手に入り難いことでしょうか。
そこそこの老舗の呉服屋なら正絹の子供向けの反物は用意していることもあるのですが、化繊は稀です。
私の子供の頃のような「化繊の七五三用反物」って稀です。

もっと腹をくくる気なら「自分で縫う」
近所のソーイング・センターの生地売り場で、和柄や更紗柄、
いっそぶっとびに無関係な柄でも、厚手木綿で縫います。
子供のものはサイズが小さいので、比較的縫うのが楽。
段段と大きくなりますから、腕アップには最適です。
子供向きな柄もここなら十分にあります。
腕が上達してきたら、化繊反物に手を出して、セミ晴れ着に挑戦。
ティーンになれば、大人用のS寸に肩上げすれば着られるようになる子が多いですから、自作もその辺までで済みます。

赤地に蝶が飛び交い金泥プリントな着物だとか、生成りに井桁絣模様のビシバシに「男の子向けじゃん」着物だとか、紺地に赤の絣の袖なしでミニ丈の「忍者ですか?」着物だの、色々と作りました。
浴衣の方はまともなデザインで仕立ててるんですが、なぜか浴衣以外は変なのばっかだな。一応「晴れ着」はあるからいいと思ってたのか。
浴衣はそれで祭りに行く「晴れ着」だから。

2006/10/18(水) 「秋は京都」な陰謀
今年も「そうだ 京都にいこう」のJR東海の秋のキャンペーンが始まりました。
「着物パスポート」の発行もあちこちに出ています。
秋向けの旅行ガイドも紅葉を表紙に京都版が幾冊も。

「ミセス」や「婦人画報」などが、「秋の京都」を特集するのは、もう慣れっこなのですが、今回は、「フィガロ」「HANAKO(WEST版)」なども「秋の京都を着物で」と特集。
更に、着物系雑誌な「きもので京都」はもちろん、「七緒」も京都特集。「美しい着物」には京都の芸妓さんの普段着物姿が登場。

今年は、京都観光局か何かで「着物で秋の京都に行こう」なんてキャンペーンでも張っているのでしょうか。
紅葉時期の京都って、ただでさえ、混んで、宿を取るのも大変なので、宿泊しないと京都に行けないモノとしては「これ以上来訪者が増えないでくれぃ!」と思うのですが。

今年のポイントは「着物で」に重きを感じます。
春からこっち、着物業界では、2つの大手チェーン店系の振袖屋の倒産がありました。その一方で、もっと気楽に街歩きに着物を着たいブームもかなり安定稼動してきています。
着物なんて、どこに行くのにだって着られるんですが、「着てサマになる背景」となると、京都はイチオシです。
また、新品にしてもリサイクル品にしても、やっぱり京都は垢抜けたものが揃っています。そういう「買い物場所」としても京都はイチオシ。

私自身でも、どーでも良いような白地の扇ですら、パチっと帳合の良いが欲しいので、京都の宮脇賣扇庵のを使うし、カンザシも京都のもの。
「食」では、山椒、七味は、スーパーのじゃ物足りませんで京都の。
お抹茶も和三盆の干菓子もやっぱり京都です。

着物そのものは、呉服屋さん自体が京都で買い付けたり、染めさせたりしてくれているので、京都で買うことはまず滅多にないですが、私がホントのホントに初めて反物を買ったのは京都でした。
今ではあたりまえな色モノ浴衣の反物。京都ですら着ている人は珍しいって位最先端なモノをしょって帰りました。
浴衣地位ならなんてことないですが、今だと、セミの羽のような夏お召しなんかにウットリしちゃうので、自粛しています。
紫織庵なんか、ほーんとキケン地帯。買うものを小物だけに留めて玄関を出るのって、毎回すごい意志を必要とします。

滞在中に行きたい気の利いたお食事処、
もって帰りたいお弁当の類、
更に、京野菜を初めとする京都ならではの食材、漬物、湯葉や麩、昆布の細工物などなど。

京都は素敵なところです。

だから、あんなに広告しないで欲しい。
たくさん人が来て、混んでしまうと、嫌だから。

2006/10/14(土) 子供の躾と着物(2)
子供の着物を用意してあるかと、「子供に大人と同席する際の躾をしてるか」は同じレベルにあるように思われます。
現在において、着物は礼装です。大人になって着物好きになり、普段着から礼装まで何段階にも持つということがあっても、子供の着物は、あっても、振袖と浴衣という家は多いようです。それすら「七五三に買ったものを着れる限りは」程度なことは多いです。
「お姉ちゃんの着る着物がなくなるから」と七つのお祝いなのに、七つ用の着物はお姉ちゃんで、自分は3つの祝い着で七つの祝いをするなんてこともあったり。
「子供でもしかるべき場に出るときの衣服を持つ」と考えてあれば、こんなことは起こらないんですが、そういう機会が希少になっている家庭では、突然の事態に「あれあれ、何着せよう」と大騒ぎ。
そもそも、そういう家庭の場合、衣服と並んで、そっち向けの躾だってできているでしょうか?
やっぱり衣服と躾ってセットなんですよ。
そして、「きちんとした格好をしているときは、きちんとする」、子供にも判りやすい区別です。

そも、衣服によって立ち居も違います。着物の立ち居は着物を着ないとその動きの意義がわかりません。お茶道にも一見不可解な動きがありますが、それらは、着物を着ると必要不可欠な動きであることがわかります。無用な動きとして形で教えるよりも、必然の動きとして身に付けた方がずっと良いです。

しかし、小さい頃から親に同伴されて様々な席に出た私と、お留守番派の殿では、子供の同伴はまっこうから対立。
とはいえ、核家族一人っ子なので、同伴せざるえないのは必須。
「普段着でオマケのように同伴」なケースも一時期発生。
そういうときは、区別のつかない子供が騒いで迷惑をかける事態に。
以降、断固として「大人しくさせる場=正装させる」を強行。
装束の場でも、長袴を特別料金で調達しました。面白いことに長袴にウチギのときには、じゃれたりしません。面白いもんです。

2006/10/13(金) 子供の躾と着物
「子供を冠婚葬祭の席に同伴する」「大事なお客様を迎える場合に同席させる」「親が礼装していくような場所に同伴する」っていくつ位からと考えていますか?
そのときには、何を着せて行こうと考えていますか?

日本では、昔は、成人男子と女子供が食事を同席することはありませんでした。更に、本家で節会毎に宴会を開くといっても、そこは男性達だけの席でありました。
欧米においても、同様で、ちょっとした家では、子供というのは、台所の端で食事をして、自宅のディナー席にすら同席しないものでした。
「ピーターパン」の話でも、親はウェンディ達を置いてパーティにでかけて行きます。そういう時間帯に親に代わって子供達の面倒を見るのが、
小さいうちは「乳母」、ある程度大きくなれば、メアリー・ポピンズのような「家庭教師」達でした。若干格下の家では、臨時雇いの「ベビーシッター」も普通に使われます。欧米人には今でも普通の感覚です。

日本では、ベビーシッターの習慣が普及しませんでした。
祖母や同居親族がいる場合にそこに預ける位でしょうか。
また、日本の場合は、「夫婦同伴」が一般的ではないので、「母親が見ていれば良い」ということもあったかと。

とはいえ、中途半端に欧米の習慣も入ってきたし、核家族で親も親族も近くにはなくという状況では、何かにつけて、赤ん坊だろうがなんだろうが同伴せざるを得ない状況になっています。

ご恩のあるご夫婦を結婚式に招いておいて「赤ん坊はご遠慮下さい」ってのは、実際無理な話。

こういうときに、どうするかは、大雑把には、二つに割れます。
ケース1「とにかく、親族だとか知り合いだとか有償サービスだとかに預けて同伴はしない」
ケース2「幼いと言えども、それなりの格好をさせ、それなりの礼儀をわきまえさせて同席させる」
何歳で、ケース2に切り替えるか、TPOで分けるかも含めれば、パターンは細分化。

「幼くとも同席」の例は、遠くは平安の公家にもあります。
皇太子になった皇子は、全ての年齢行事が早めに行われ、しかも、幼いうちから表に立ちました。
初冠、着裳して初めて大人になる平安社会、それなりのランクの子は、童姿、女童姿で、小さいうちから宮中や、主筋の家に仕えていました。
「枕草子」では、定子の甥っ子の松君という幼い子が、まだ殿上童仕えするよりずっと幼いうちなのでしょうけど、親に連れられて定子のいる御殿を訪ねる場面も出てきます。松君の服装は記述には出てきませんが、しかるべき家の子息ですから、幼いといえども、それなりの格好をしていたと思われますし、伯母とはいえ中宮である定子に、型に適った挨拶をしてみせて、清少納言達女房がそれを垣間見で「きゃーん、かわいい!」ときゃいきゃいと言っていたのでしょう。

幼いと言えども、「表に出す」ってことは、そういうことだと思っています。それなりの服装で、それなりの挨拶ができて、限られた時間で良いから、子供らしくない程にかしこまって見せられること。

「小さいんだから、カッコつけなくてもいいわよね。子供には可愛そうだし」と気楽な格好は、子供には逆効果。いいかげんで良いと認識させてしまいます。
逆にいつもとは、異なる、ちょっと堅苦しい位のビシっとした格好をさせて「今日はなんだか違うぞ」と思わせる方が良いです。
但し、ホントに子供は長続きしません、「帰路は気楽な格好に着替えさせる」などして、しゃっっちょこばった時間は短くします。
意外と子供は、こういったメリハリをつけて切り替えるのは得意です。

ウチのお姫さんの通っていた保育園は、こういう指導方針で、自治体の行事に参加するはTVには出るわ、卒園式は小学校の入学式よりビシっとキメて見せるは、と、大人をびっくりさせる礼儀正しさを見せるのですが、裏ははっちゃけ、ぶっちゃけ。平日は「必ず着替えを一式持たせて下さい」って位、汚れるのもかまわず騒ぎます。

一方、「幼い子供に、そんな大人びたことさせるのなんてやだわ」という人もいます。預けられる場所があるとか、そもそも、そんな機会自体が存在しない家ってのはあります。実家を訪問するのに、子供がきちんとご挨拶できなくたって「子供なんだから」とこだわらないご家庭もあります。そういう家では、そういったことが必要になる中学生とか、高校生になる頃迄に身に付けさせれば十分です。

10月絵日記の続き


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